私は昔の東京を映した写真やビデオを見るのが好きだ。昭和二、三十年代の映画の背景として映る東京の風景を見るのも好きだ。 タイトルは忘れてしまったが、、コメディアンの古川緑波(ロッパ)が主演している、戦後間もない東京の中心部を舞台にした映画では、国会議事堂のまわりが広大な野原になっていて、そこで野菜を作ったりしていて、それを見ていると、いまの東京にならなかった“別の選択肢”があったような気がしてくる。また、監督も主演も忘れてしまった別の映画では、戦争の気配はすでになくなっているのだが、まだ住宅の建設が進んでいなくて、若いカップルが部屋探しをしても貸し部屋そのものがほとんどなくて、都心なのに落葉樹ばかりが植わっている冬の庭のように風景が広々していて、せつないような清潔感がある。 昭和二十二年公開の黒澤明『素晴らしき日曜日』では、わずかの小銭しか持っていない恋人同志が、一日の終わりに道端に座り込むラストシーンの背景の東京はまだ瓦礫のままだった。もっともその瓦礫はロケでなくセットだろうけれど、それはともかく、この映画の中で都民オーケストラみたいな楽団のコンサート会場に、当日券を求めて長い列ができる場面がある。今だとクラシックとロックでは並んでいる人達の外見が全然違っているが、ここでは種々雑多な人達が並んでいる。もちろん当時ロックなんてないけれど、流行歌を聴きそうな人も競輪や競艇に行きそうな人達も並んでいる。反対に、昭和二十八年の五所平之助『煙突の見える場所』では、ごく普通の感じの人達が平日の昼間に競輪場に集まっていて、つまりこの時代まだ、「外見からいかにも」という分化が起こっていないことが想像される。 『東京風景』という全五巻セットのDVDに、昭和三十二年に渋谷の地下街が完成したときの情景が出てくるのだが、いくら目を凝らしてみてもハチ公の前のあの大きな交差点に信号機がなく、和服を着た初老の女性までが車の切れ目にさっさと道を渡ってしまう。車の量自体が少ないことは確かなのだけれど、その映像に映された交差点と今のスクランブル交差点とはどうしても結び付かない。 もうひとつ、どこで見たのか思い出せないのだが、ごく一時期だけ渋谷の駅前にはロープウェイがあった。あの観光地にあるようなゴンドラがビルとビルのあいだに浮かんでいる。なんだかあまりに唐突な光景で、書きながら自分でも夢で見ただけなんじゃないか、と心許なくなってくるけれど、本当にそういう写真を私は見た(はずだ)。その写真には、何かの期間だけ(工事だったか)このロープウェイがビルからビルへの移動に使われた、というような説明がついていた。 ロープウェイよりは意外性に欠けるけれど、池袋の西武デパートの屋上からはヘリコプターが飛んでいた。このヘリコプターは昭和三十五年の小林旭主演の日活映画『都会の空の用心棒』の設定に使われていて、これも見たときにはちょっと信じられなかったけれど(何しろ小林旭の映画だし)、この映画を見た当時私はまさしくその池袋西武に勤めていたから、古株の社員に訊いてみると「そういえば、あったねえ。そんなものが」という返事が返ってきた。 渋谷ではロープウェイが掛かっていて、池袋ではヘリコプターが飛び立っている。なんと荒唐無稽な風景だろう! その一方、『東京風景』を見ていると、昭和三十二年の数寄屋橋の取り壊しの現場では、コンクリートの橋の取り壊し(粉砕)を人間が大きなハンマーで行っている。硬いコンクリートに人足がひたすらハンマーを叩き付けつづけているのだ。 いまでは東京の移動手段は車か電車か地下鉄で、ビルとビルとの間を繋ぐとしたら橋(渡り廊下というのか?)を架けることしか考えない。コンクリートの取り壊しを人間の力でやっていたような、技術があまり発達していない時代には、突飛な選択肢が突飛でなく現実のものとして機能していた。昭和三十年代に描かれた都市の未来図では、たいていビルとビルの間を空中カーみたいなものが飛んでいるけれど、渋谷駅前のロープウェイはその想像力に近いのではないか。 ……というか、技術がじゅうぶんに発達してしまうと、技術がほとんどの願望を実現してしまうので想像力が必要でなくなってしまうのではないか。だからもし、高速鉄道の技術と海に橋を架ける技術が早い時期に発達してしまっていたら、飛行機という乗り物なんか誰も本気になって発明しなかったかもしれない。 ……というか、自動車と鉄道と飛行機があるこの現状でじゅうぶんに便利なために、発明されないままになっている乗り物=移動手段があるのではないか。技術が別な風に発達していたら人間は全然違った通勤や旅行の仕方をしていたのかもしれなくて、スーパー林道による森林の伐採なんかもなくて済んだのかもしれない。 私が昔の東京の写真や映像を見るのが好きなのは懐かしいからではなくて、“別の選択肢”がはっきりそこに映っていて、重しが取り払われたような気持ちになれるからだ。 それとほぼ似た気持ちから、新橋駅の海側の高層ビル群が(「汐留」と言うのか)完成する前の雑然とした光景を見るのは嫌いではなかった。「どうせろくなものができない」という思いがあるから、ワクワクしたわけではないけれど、建設予定地にビルの骨組みが出来てくるあたりまでは、どこか廃墟っぽい雰囲気があって、一概に「糞ったれ!」と思ったりはしなかった。同じようにマークシティの建設中に、渋谷駅のJRと井の頭線を結ぶコンコースが、二年間ぐらい(もっとだったか)ベニヤの板張りになっていて、人が流れていくと砂埃がもうもうと立ち込めていた感じも嫌いではなくて、「いつになったらすっきりするんだろう」と思いながら同時に、「ずうっとこのままでいいんじゃないか」とも思っていた。 言葉というのは拭いがたく時代や土地とリンクしていて、「スクラップ・アンド・ビルド」という言葉はそのまま近代の都市のイメージに乗っかっている。そもそも「建設的」という言葉がプラスの意味を持っているのも、この時代が都市の時代だからで、農村や漁村や山村だったら、「建設」と「破壊」はもっとずっと危うい関係になるだろう。と同時に、「ビルド」するために「スクラップ」があるのが都市というもので、都市生活者は感情の根本のところで「スクラップ」や「破壊」を待ち望むように仕込まれる。 そんな文明論じみたことはともかく、いま造られている都市は“別の選択肢”がどんどん排除されていてつまらない。 |