◆◇◆一変するアカーキイ像◆◇◆
「飛ぶ教室」2007年冬号


 ユーリ・ノルシュテインというロシアのアニメーション作家がいる。繊細で緻密で叙情的で、ひじょうに良質な憂鬱さもあって幻想性もあって……と、いくら 形容句を連ねても作品を見ないことにはイメージしようがないが、一度でも見たら一生忘れられない。ノルシュテインはわずか一〇分のアニメを一〇年かけて 作ったりするのだが、そのノルシュテインが現在二〇年以上かけて制作しているのがゴーゴリの『外套』だ。
制作中の『外套』の一部分を、NHKがノルシュテインを特集した番組で流したのを見た。ゴーゴリの原作では、主人公の下っ端役人のアカーキイ・アカーキエ ウィッチに対して読者は「かわいそう」だとは思うけれど、いかんせん冴えなすぎて、いとおしさみたいな感情は湧きにくい。アカーキイは書類の文字をただ書 き写すだけの「写字」という仕事を愛し、それに没頭しているのだが、上司がもう少しやりがいがあるようにと思って、書類の語句の一部を書き改めるような仕 事をさせようとすると途端に汗だくなってしまう。それで結局アカーキイはふたたび書き写すだけの仕事に戻るのだが、そうすると彼は安心して写字に没頭す る。まわりからは嘲笑されているがそんなことは彼には関係ない。彼はただただ写字を愛し、アパートの狭くて寒い部屋に戻っても彼は文字を書き写しつづけ る。
NHKで映したのはその場面だ。狭くて寒い部屋でアカーキイはときおりロウソクに手をかざして暖めてはまた写字に没頭する。写字をしているアカーキイのな んと幸せそうなこと! ノルシュテインのアニメの、このたった一場面のおかげで私のアカーキイ像は一変した。小説の『外套』を読んでアニメの完成を待つ。 そういう人がひとりでも増えると想像するだけで嬉しくなる。
『外套・鼻』平井肇訳・岩波文庫


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