◆◇◆「ムッシュ・シネマ」2010 no.10 鎌倉で映画と共に歩む会発行◆◇◆
誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために
諏訪敦彦(すわのぶひろ)

 「ユキとニナ」という映画を、フランスの俳優イポリット・ジラルドと共同監督した。「どうして二人で監督しようと思ったのですか?」とよく聞かれる。確かに、二人で監督するなんて、知らない人が聞いたら面倒くさそうに聞こえるに違いない。もちろん、彼と共同で監督しなければならなかった特別な事情があったわけではなく、私のほうから「一緒に映画を作ろう」と彼に提案してはじまった事である。私はこれまでの映画作りでも、俳優たちとはかなり深い共同作業をして来たと思う。脚本に決定した台詞を書き込まないで、現場の即興で生まれてくる言葉をそのまま撮影するというやり方で進行するので、内容や人物像についての打ち合わせを綿密に行う必要がある。互いのアイディアを交換しながら撮影は進行するし、「不完全なふたり」では、ラストシーンを考えたのは主演したヴァレリア・ブル—ニ・テデスキだった。そんなふうにさまざまな俳優との共同性が私の映画作りの中に持ち込まれるが、しかし、全体の方向性や、撮影のプラン、編集の責任は監督である私が負うているので、当然ながら「私の作品」である事は否定できない。もちろん否定する必要などないのかも知れない。しかし私は今回、その関係をもっと進めて、「私の作品」ではなく「私たちの作品」であるような関係をつくり出したいと思っていた。そこで、イポリットと私は、映画の物語を考えるところから一緒に作業を始め、脚本を作り、撮影の計画やキャスティング、編集等すべての作業を二人で行う事にしたのである。     
 日本の撮影現場では、スタッフや俳優たちとのディスカッションをあまりありがたく思わない体質があるように思う。助監督だった頃、老練したスタッフが「船頭多くして船山に登る」とつぶやくのを何度も聞いた。撮影現場でみなが意見を言い始めると船は迷走し、とんでもない方向に行ってしまう。だからあれこれ議論して無駄な時間を過ごすより、監督がひとりで決断すればよいと言いたげであった。なにも映画に限った事ではなく、たぶん企業においても物事の決定システムは単純で明快なほうが効率的で、最終的に誰かが決定に責任を取ればよい。民主的なシステムにおいても多数決という合理的な方法をとれば面倒くさい議論を延々と繰り返す時間の無駄を回避できる。そう考えるのが普通かも知れない。監督が二人いるなんて、面倒に決まっているのである。実際、私たちの作業も,簡単ではなかった。撮影中,私たちは他のスタッフより数時間早めに集合して、その日の撮影について議論した。互いに考え方は違うし、その違いをどのように乗り越えてゆくかが、あらゆる局面でテーマとなった。時間と手間がかかる作業だった。それでも、私は「監督」という中央集権的な映画制作のシステムに疑問があった。晩年の黒澤明監督が立派な絵コンテを残されたりしているので、監督はまるで画家のように世界をイメージし、創造する作家であるという一般的なイメージが定着してしまったのかも知れないが、実は映画監督は近代的な作者という概念は当てはまらない存在だと思う。映画は世界を創造するのではなく、ただ発見するのである。映画=キャメラは世界を個人の世界観にねじ伏せるよりも、受け入れる事に長けている。映画には作者のコントロールを越えた「世界」が侵入してくるし、作為を越えた思わぬ出来事や、構築された意味や物語からはみ出してしまう何かが映り込んでしまう。「ユキとニナ」において、ユキを演じたノエ・サンピの顔立ちは、当然私たちが創造したものではなくただ映っているに過ぎないが、その彼女の顔そのものがこの作品では重要な映画の内容でもある。だから誰がそれを創造したかというのは問えない、というのが映画なのである。だから私はこの映画監督=作者という考え方がつまらない。映画はもっと開かれていて、みんながよってたかって、なんだかんだいいながら作り上げてしまう事ができる。そんな豊かさとおおらかさを持っているのではないか。きっと初期映画を興行として制作していた連中はそんな感じでワイワイ映画を作っていたんじゃないだろうか。
 先日金沢のシネモンドという映画館が主催する「こども映画教室」というワークショップの講師を務めた。小学生の子供たちがグループに分かれ、3日間で映画を構想し、撮影し、編集して上映までを行うのである。とにかく時間との勝負なのだが、私は子供たちにある事を教えなかった。それは監督という役割があるという事である。通常このようなワークショップでは監督やカメラマンといった役割がある事を教える。監督はすべてにおいて決定の権利を持つ存在だ。映画って言うのはそんなふうに役割を分担するんだよ、と映画製作のシステムを教えれば事は合理的に進む。しかし私はそんな商業映画的システムを彼らに教えたくなかった。「とにかくみんなでよく話し合って決めるんだよ」とだけ言った。すると初日から大変な事になった。まず物語のアイディアを出し合ってこれをひとつの企画にまとめて行かなくてはならない。子供たちは「私は未来の話がいい」とか「探偵が出てくる話がいい」とか、ありとあらゆる思いつきを提案する。強いこだわりのある子もいて、自分の意見が通らないと泣き出してしまう。監督がいれば、最終的には監督の選択、決定に従えばよいが、みなが自分の欲望を話しているだけでは,話はまとまらない。多数決という簡単な解決方法もあったが、しかし彼らはとことん話し合った。2日目には撮影に入らなければ到底終わらない日程だったが、2日目もずっと話し合っているグループもあった。しかし、子供たちはやがて何とか問題を解決してゆくのである。少数派の意見にも耳を傾け、決まりかけていた物語をまた修正し、みなの意見を取り入れてひとつの企画にまとめてゆくのである。子供たちの問題解決能力に感心した。誰かが決めるという決定システムを彼らに教えなくてよかったと思った。
 相互の無理解から起こる対立や暴力、力あるものが周囲を従わせようとするシステム、そういった問題を乗り越えるために、私たちは本当の対話や、討議や、多中心的なシステムの構築や連携を必要としている。例えば現代美術においては、作品という成果物が重要なのではなく、プロセスそのものが創造行為であると考えるようになった。素晴らしい才能を持った作者が、素晴らしい作品を作るのではなく、アーティストは現実に対して媒介者として関与し、多様な関係性を引き出巣だけで、その結果についてはコントロールしようとはしない。それが現代の創造行為である。
 なのに映画だけは、特に劇映画だけはいまだに監督が権力を握っているし、そのようなものとして見られてもいる。ひとが「私は一度映画を撮ってみたい」と言うとき、それは大勢のスタッフを号令ひとつで自分の意のままに動かす王になってみたいと言うのと同じ欲望を表しているだろう。もちろんそのような素晴らしい作家は存在し、これからも彼らの作品を映画ファンとして楽しむ事もできるであろう。ただ私は、どうのような社会が望ましいのかと自分に問うとき、王の君臨する社会であると答えたくない。みなが多様に対話する社会の可能性を求めたいし、自らの映画作りにおいて、映画が本来持っていたはずの開かれた可能性を模索してゆきたい。