◆◇◆「塩の像」 レオポルド・ルゴーネス 牛島信明 訳◆◇◆

これは遅ればせながらつい最近発見した、衝撃的に面白い短篇集の中の一作です。
作者L・ルゴーネスは、1874-1938のアルゼンチンの作家。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lugones
1899年生まれのボルヘスの先駆者であることは当然として、1883年生まれのカフカよりも早く、『塩の像』収録の最初の短篇「イスール」は、こう始まります。

 私がこの猿を買ったのは、破産したサーカス団が持ち物を競売に付したときであった。
 以下に記すのは、この猿に対しておこなった私の実験であるが、それを思い立ったのはある午後のこと、ものの本で、ジャワ島の住民が、猿が言葉をしゃべられないという事実を、能力の欠如にではなく、猿の側の自制心に帰している、というくだりを読んだからである。そこには、「猿が話さないのは、仕事をさせられるのがいやだからだ」と書かれていた。

これを読んで、カフカの『田舎医者』の中の「学会への報告」を思い出さない人はいないでしょう。どちらが真似したとか、どちらが先だとか、そういうことでなく、同時期に同じようなことを書いた人がいた!! こんなすごい本が絶版とは。

ところで、この「塩の像」ですが、パソコンのモニターでなく、ぜひとも、縦書きにしたのをプリントアウトして読んでください。
これは訳者にも出版社にも無断での掲出です(訳者の牛島氏はすでに故人)。したがって、誰かから抗議なり注意なりがきたら、すぐに消去します。

 

J・L・ボルヘス編纂 バベルの図書館 18 レオポルド・ルゴーネス『塩の像』 1989年国書刊行会

「塩の像」 レオポルド・ルゴーネス 牛島信明 訳

 修道僧ソシストラートの身の上に実際に起こったこと、それを巡礼はこんなふうに語った――「サン・サバスの僧院に足を踏み入れたことのない者は、荒廃を知っているなどとは言うなかれ。ソドムの町のテレビン樹や林檎(りんご)の茂みをぬって、やがては死海に至るヨルダン川、黄色っぽい砂に濁った水もほとんど干上がらんばかりのその川べりに位置する、ひどく古ぼけた建物を想像してみるがいい。あたり一帯にあるものといえば、僧院の壁より高いところに樹冠を頂く一本の椰子(やし)の木だけであり、底知れぬ寂寥(せきりょう)をかき乱すものといえば、家畜の群れを移動させるために時おり通りかかる遊牧の民ばかりである。あたかも、その峰が地平線の壁を形成している山々から這(は)いおりてきたかのような巨大な静寂。砂漠から風が吹いてくると、細かい砂が降り、風が湖からの時は、ありとある草木が塩でおおわれてしまう。落日も夜明けも侘(わび)しいことでは大差がない。そして、ただ大罪を贖(あがな)うことを務めとする人びとのみが、そうした寂莫に立ち向かっているのである。僧院の中では、ミサや聖体拝領が行なわれているのが聞こえる。今では五人ほどになってしまった、しかも全員が、どうみても六十すぎの老修道僧たちは、巡礼が訪れると、揚げナツメ椰子(やし)、ぶどう、川の水、また時には椰子酒といった、つつましやかな軽食でもてなす。良き医者の役割をも果していた彼らは、近隣の部落民に尊敬されてはいたものの、僧院の外に出ることはまずなかった。死人が出れば、川のほとりの低地にある、岩からなる洞穴に葬(ほうむ)る。今ではそれらのほら穴には、好んで僧院を住処とする青鳩たちがつがいで巣をかけているが、かつては、と言っても、もうずいぶん昔のことになるが、そこに最初の隠者たちが住んでいた。そして、そのうちのひとりこそ、私がその生活を話して聞かせると約束した、修道僧ソシストラートだったのである。願わくは、カルメロの聖母の御加護のあらんことを、また諸君にはよろしく傾聴のほどをお願いする。これから諸君のお耳に入れるのは、サン・サバスで徳行と苦行のうちに八十年の聖なる生涯を閉じ、今はかの洞穴のひとつに葬られている修道士ポルフィリオが、逐一、私に話してくれたことである。どうか彼が、神のお慈悲のもとで安らいでいますように。アーメン。」

          *

 ソシストラートは、キリスト教に改宗したばかりの数人の若者――いずれも、俗界における彼の朋輩――とともに、隠遁生活を送ることを決意したアルメニア人修道僧であり、柱頭行者(*1)の強力な一派に属していた。長いこと砂漠を流浪した末のある日、先程諸君に話した洞穴を見つけた彼らは、そこに住みついた。ヨルダン川の水と、彼らが共同で耕作していた小さな畑の収穫だけで、彼らの必要を満たすには十分だった。彼らは祈祷(きとう)と瞑想(めいそう)のうちに日々を過ごした。洞穴からは祈りの柱が現われ出て、それらは世(よ)の罪人(つみびと)たちの頭上にいまにも崩れ落ちそうな不安定な円天井を、懸命に支えていた。隠棲(いんせい)の彼らが、神の正当なる怒りを宥(なだ)めるために毎日奉納していた、自己の肉体に対する苛(さいな)みと断食の苦しみは、多くの疫病、戦争、地震を防いだ。そうとは知らぬ罰(ばち)あたりな不信者たちは、隠者の苦行をせせら笑う。しかしながら、正義の人びとによる犠牲行為と祈祷こそ、宇宙の屋台骨を支える要(かなめ)なのである。
 三十年にわたる厳しい精進と沈黙の後、ソシストラートとその仲間は聖者の域に達し、うち負かされた悪魔が、聖なる修道僧たちの足下で、無力をかこってさめざめと泣くに至った。修道僧たちはひとり、またひとりと息をひきとっていき、とうとう、ソシストラートだけが残された。もうすっかり年をとって、とても小さかった彼は、ほとんど骨と皮ばかりになっていた。一日十五時間、ひざまずいて祈り、神のお告げを聞く生活であった。毎日午後になると、彼と仲良しの二羽の鳩が柘榴(ざくろ)の粒をいくつか運んできて、嘴(くちばし)で食べさせてくれた。糧(かて)といったらそれだけであったが、そのかわり、彼はまるで夕方のジャスミンのような芳香を発していた。毎年、聖金曜日には、小枝の寝床で目覚めた彼は、ブドウ酒で満たされた金杯とパンを枕もとに見出し、それでもって聖体拝領を行ない、言いようのない陶酔にひたるのであった。ブドウ酒の金杯とパンがどこからどうして来たのか、詮索することなどついぞなかったのは、主なるイエスのなせるわざと、よく心得ていたからである。こうして彼は全き信心をもって昇天の日をじっと待ちながら、齢(よわい)を重ねていた。もう五十年この方、そのあたりを通る人などひとりもいなかった。
 ところがある朝のこと、例によって修道士が鳩たちといっしょに祈っていると、突然、驚いた鳩たちが彼を残してその場から飛び立ってしまった。巡礼がひとり、洞穴の入口にたどり着いたのだった。ソシストラートは、聖人らしい言葉で挨拶した後、相手にひと休みするようにすすめ、冷たい水の入った壺を差し出した。見知らぬ男は、いかにも疲労困憊(こんぱい)といった様子で、うまそうに水を飲んだ。それから、自分の担い袋から取り出したひと握りの乾果を食べてしまうと、修道僧とともに祈り始めた。
 こうして七日が過ぎた。旅人は、自分がカイサリア(*2)から死海沿岸に至る巡礼行脚(あんぎゃ)に携わる身であることを告げ、最後に、ソシストラートをひどく気がかりにさせるある物語で話をしめくくった。
「私は、神に呪われた都市の死体の山を見ました」――ある晩、客は言ったのである――「海が巨大なかまどのように湯気を立てているのも見ましたし、また、あの塩の女、すなわち神に罰せられたロト(*3)の妻の姿には、恐ろしくて目を見張ってしまいました。修道士さま、女は生きているのですよ。ですから私は、女がうめき声をあげるのも聞きましたし、真昼の太陽に汗を流すのも目撃したのです。」
「同じようなことを、フベンコ(*4)が『ソドムについて』という作品の中で述べています」と、ソシストラートは低い声で言った。
「ええ、私もそのくだりを知っています」――巡礼が言葉を継いだ――「あのくだりには、何かさらに決定的なところがあり、それゆえ、ロトの妻は生理学的にも女であり続けているのです。彼女をその責め苦から解放するのは、大変慈悲深い行為になるだろう、と私は思ったのですが……」
「責め苦は神のお裁きです」と、隠者は叫んだ。
「しかし、かつてキリストも、自らを犠牲にして古い世界の罪人たちを救い出すために降誕されたのではありませんか?」――聖書に通暁(つうぎょう)しているらしい旅人が、穏やかに反論した――「もしや洗礼は、福音に対する罪を洗い流すのと同じように、神の掟(おきて)に対する罪をも洗い流してくれるものではないのでしょうか?……」
 こうしたやりとりの後、両者は眠りについた。それが、二人が一緒に過ごした最後の夜となり、翌日、見知らぬ男は、ソシストラートに祝福されて出立した。巡礼を装っていたその男が、善良そうな外見にもかかわらず、人間の姿をとった悪魔であったことは、改めて言うまでもなかろう。
 性悪な男の計画は巧妙をきわめていた。あの夜から、聖人の脳裡にひとつの考えがとりついて、離れなくなってしまったのである――塩の像に洗礼を施し、あの束縛された魂をその苦しみから解放してやるのだ! 慈悲の心がそう促す一方で、理性はそれに反論した。この葛藤のうちに数か月が経過したが、ついに修道僧は幻を見るに至った。ひとりの天使が彼の夢枕に立って、彼にそれを決行するよう命じたのである。
 三日の間、ソシストラートは祈り、断食した。そして四日目の朝、アカシアの杖にすがって、ヨルダン川沿いに死海への道をたどり始めた。道のりは長くはなかったが、衰えてしまった彼の脚は、自分の体を支えるのがやっとといった有り様だった。こうして彼は二日間進んだ。忠実な鳩たちは、いつものように老人に食べ物を運び続け、彼はしきりに、心をこめて祈り続けた、というのも、この度の決断が彼の心をひどくさいなんでいたからである。やがて、いよいよ脚力も尽き果てようという頃、ついに山が開けて、目の前に湖が姿を現わした。
 破壊された都市の残骸はしだいに消滅しつつあり、もはや、散在する焼けただれた石片だけが、残っているもののすべてであった――アーチのかけら、塩で腐蝕してしまった、タールで固められた煉瓦(れんが)の列……修道僧はそうした瓦礫(がれき)にほとんど気をとめることなく、触れて足を汚したりせぬようにと、努めて避けて歩いた。その時、突然、老いたる彼の体がわなわなと震え出した。南の方、瓦礫の広がりを越えた向こう側の、山裾(やますそ)の一角に、塩の像の輪郭が浮かび上がっているのを認めたからである。
 時間に蝕(むしば)まれて石のようにごわごわになったマントの下で、それは幽霊のごとくひょろ長かった。澄みきった灼熱の太陽が照りつけ、岩を焦がし、テレビン樹の枝葉を被っている塩のころも(傍点)をきらきらと反射させていた。真昼のきらめきのなかでは、それらの灌木はまるで銀のように見えた。空には雲ひとつなかった。湖のにがい水は、その湖を特徴づける静止状態のなかで眠っていた。巡礼たちの語るところによれば、風が吹いている時にはこの湖で、都市の妖怪たちの嘆き悲しむ声が聞こえるという。
 ソシストラートは像に近寄った。旅の男の言ったことは嘘ではなかった。確かに、生温かい湯気がその顔を包んでいたのである。その白い目と白い唇は、数世紀の眠りのなかで完全に静止していた。その塩の岩からは、生命の兆しのかけらさえ発していなかった。太陽は幾千年も前から、常に変らぬ厳しさで、容赦なく像を焼いていた。ところが、それにもかかわらず、この像は生きていた。汗をかいていたからである。この像の眠りには、聖書の驚異的な神秘がこめられている。つまり、エホバの逆鱗(げきりん)がその存在、肉と岩とのおそるべき混合体に乗り移っていたのである。そのような眠りを乱そうとするのは、神を恐れぬ所行ではなかろうか? ひょっとしたら神に呪われた女の罪が、それを贖(あがな)おうとする無分別な男の上にふりかかってくるのではなかろうか? 神秘を暴(あば)きたてようとするなど、犯罪的狂気であり、おそらくは、地獄の誘惑に違いない。悲嘆にくれたソシストラートは、茂みの陰にひざまずき、一心に祈った……
 彼の救済行為がどのように実践に移されたかについては、いちいち申すまい。ただ知っておいてもらいたいのは、聖なる水が像の上にふりかかると、塩がゆっくりと溶けだしたということである。そして、隠者の目の前にひとりの老女が姿を現わした。あたかも永遠そのもののように年老いて、ぞっとするような襤褸(ぼろ)を身にまとった女は、灰のような顔色で痩せこけ、永(とこしえ)の星霜(せいそう)を刻みこんだ体をわなわなと震わせていた。その出現には、ほかならぬ悪魔を見ても動ずることのなかった修道僧も、さすがに恐怖を感じた。老女が体現していたのは、神に見捨てられた町の住民だったのである。その両の目は、二つの恥知らずな罪業の都市(*5)の上に神の怒りが降らせた、燃えさかる硫黄(いおう)の雨を見たのだ! その襤褸は、ロトの駱駝(らくだ)の毛で織られていたのだ! そして、その両足は、神によってひき起こされた火事の灰を踏みしめたのだ! やがて、おどろおどろしい女が、古代の声で彼に語りかけた。
 もう彼女は何も覚えていなかった。ただ、火事のおぼろげな記憶と、死海を見た時に呼び覚まされた神秘的な感覚を抱いているだけであった。その心は混沌の衣をまとっていた。彼女は長いこと眠り、まるで墓場のような黒い夢のなかにあった。そして、そうした悪夢に沈潜したまま、訳もわからず苦しんでいたのである。しかし、たった今この修道僧が彼女を救い出した。彼女はそれを感じていた。それが眠りから醒(さ)めた彼女の認めうる、唯一の明白なことであった。そして海……火事……破滅……燃えあがる都市……それらがすべて、はっきりと予見できる死のイメージのなかに消えていった。彼女は今まさに死んでゆくところだった。救出されたからである。そして、救ってくれたのは修道僧であった!
 ソシストラートはひどく震えていた。赤い焔が彼の瞳(ひとみ)を燃え立たせていた。まるで焔が巻き起こした風が彼の魂を吹きさらったかのように、彼のなかで過去が消滅せんとしていた。そしてこの確信――ロトの妻がそこにいる(傍点)! という確信だけが彼の意識を占めていた。太陽は下降して山々の峰にかかり、燃えるような紫紅色が地平線を染めていた。そして、夕暮れの壮麗な焔のなかに悲劇の日々がよみがえっていたのである。あたかもそれは、復活した神罰が、苦い水をたたえた湖に再び映っているかのようだった。いましもソシストラートは、数世紀を後戻りした。思い出した、自分はあの悲劇における中心的人物だったのだ。そしてあの女は……、そうだ、あれは前から知っていた女だ!
 すると、激しい焦燥が彼の身を焼いた。彼の舌が動き、よみがえった妖魔に話しかけた――
「お願いだ、一言だけ答えてほしい。」
「どうぞ、お尋ね下さい……」
「答えてくれるかい?」
「ええ。さあどうぞ、あなたは私を救って下さったのですから!」
 隠者の両眼が輝いた。まるで、山々を燃え立たせた光彩がそこに凝縮されたかのような、鋭いきらめきだった。
「お前がふり返ったとき何を見たのか(傍点)、それを教えて欲しいんだ(傍点)。」
 激しい苦悩にしめつけられたような声が答えた――
「ああ、それはいけません……どうか後生ですから、そのことは詮索なさいますな!」
「話してくれ、何を見たのか!」
「いいえ、できません……それを言えば破滅を招くことになりましょう!」
「望むところだ。」
「それは死……」
「話してくれ、何を見たのか!」
「できません……言いたくありません!」
「お前を救ってやったではないか。」
「いいえ、駄目です……言えません……」
 太陽が完全に沈まんとしていた。
「話してくれ!」
 女が身を寄せた。その声はまるで埃(ほこり)にまみれたようにかすれ、苦しみもだえるかのように弱まっていった。
「ご両親の遺骨にかけても!……」
「話すのだ!」
 すると妖魔は隠者の耳に口を近づけると、ひとこと言った。その瞬間、ソシストラートは、閃光(せんこう)に打たれて事きれたかのように、叫び声をあげることもなく、倒れて死んだ。彼の魂のために、神に祈ることにしよう。

*1―高い柱の上で修行した苦行者のこと。
*2―イスラエル北西部の古代の港町。
*3―「聖」アブラハムの甥。その妻はソドムの町から逃げる時、ふり返ったために塩の像にされた。「創世記」第一九章。
*4―四世紀の、ローマ時代のスペインの詩人、聖職者。
*5―ソドムとゴモラのこと。