◆◇◆日経新聞 「プロムナード」5月27日(木)夕刊◆◇◆



 もう一度カフカについて書こうと思う。カフカは難解だと言われるが、どうしてそう言われるのか? カフカは難解でなく、軽快で明るい。

 しかしやはりカフカを難解だと思う人は多い。カフカが難解だと思われる理由は、難解だと言われているからではないか? つまり、本当は難解ではないのだが、難解だと言われているから、難解に読まなければいけない、という暗示にかかってしまうのだ。文庫本はカバーに内容説明みたいな文章が載っていて、それには必ず「現代社会の不安を予感した」みたいな深刻なことが書いてある。そんなことが書かれていたら、読者はもうそこから自由になれない。しかし、カバーの文は間違っている。深刻な顔をしていなければ意味のあることを言ってはいけないと思っている人が世間にはいるもので、そういう人が書いたのだ。

 カフカには動物が出てくる話が多いが、動物を比喩として読まずにそのまま読めばいい、ということは前回書いた。長篇の『審判』と『城』は、動物は出てこないが設定が抽象的で、現実にはありえないと感じられる。だからこの設定も比喩なんじゃないかということになって、『審判』の主人公ヨーゼフ・Kが呼び出された裁判所とは何を意味しているのか? 『城』の城とは何を意味しているのか? と詮索することになる。そんな詮索などしないで、そこで何が書かれているか、書いてあるとおりに読んでいけばいい。

 どちらも主人公は女性からよく誘惑され、大事なことを忘れて情事に耽る、というあきれた性癖がある。これはカフカの小説に意外性をもたらす大事な要素だ。ヨーゼフ・Kは伯父と弁護士が相談している隣の部屋でセックスしてしまう。伯父と弁護士は用件が終わっているのに、二人がいつまでも出てこないから待たされるはめになる。が、ヨーゼフ・Kの側しか小説には書かれていないから、読者は二人がセックスを急いでやったと当然思っている。事を終え、Kが戻ると伯父が怒って、「何時間も帰ってこなかった」と言う。そこを読んで、読者ははじめて、Kが何時間もセックスしていたことを知らされ、あらためて呆れることになる。読者というのは書かれていない部分を常識の範囲で想像する癖があるのだが、カフカはそこを見事に突いてくる。

 もう一つ、カフカが難解である理由は、これは深刻ぶったカフカ読みは指摘しないのだが、原因と結果がセットになっていない。結果は原因なしに書かれる。ミステリー小説が典型だが、因果関係というのは、すでに起こった結果(事件)の原因捜しとしてしかほとんど使われない。日常の思考も基本はそうだ。みんな過去に遡る原因解明はしたり顔でやって見せるが、今この時が何の原因となっているかなんかなんて本当はわからない。

 カフカはそこを書いている。因果関係を過去へと向かう思考としか思わないのが普通の思考法なのだが、カフカは全然違う風に頭を使っている。カフカは結果の見えない原因をいっぱい書く。だから話は子供じみた荒唐無稽さを獲得する。カフカの難解さとは、深刻であるべき場面で深刻にならないことだったのだ。

 学生時代っきり読んでいない小説を大人になって読むと、印象ががらっと変わる。カフカこそ、読み直しに値する。