◆◇◆日経新聞 「プロムナード」4月22日(木)夕刊◆◇◆

 私が師と仰いだ小島信夫さんは91歳で脳梗塞で倒れてそのまま亡くなられたが、倒れる寸前まで現役作家だった。私と月に二、三度電話で話し、私が面白かったと言った小説をすぐに入手して読む。しかしこっちは小島さんの残り時間は少なく貴重だと思っていたから、小説の話題はしだいに厳選しなければならなくなった。そうでないと小島さんは話題に出たものはすべて、読む必要のない小説まで全部読んでしまった。

 大学で文学を教えていた先生方は定年がくると、「これでゆっくり本が読める」と喜ぶという。本の世界はまさに無尽蔵であり、一生かかってもその片隅しか垣間見ることができない。そう聞かされて、「片隅だけか。全部がわからないんだったらやめる」と思った人が万が一いるとしたら、その人はものすごく良くない何かに毒されている。それをどう言えばいいのか私は知らないが、とにかく現代社会がもたらしたとても良くない何かだ。

 本にかぎらずこの世界は果てしなく、一人の人間の一生で極めることなど決してできない。何かに真剣に打ち込んだことのある人なら知らないはずがない。文学はそれが最もわかりやすく顕れた世界だ。いま大学では社会学と心理学が人気だが、学生の関心を突き詰めれば、その関心の中心にあるのはじつは文学なのだと、社会学者の樫村愛子さんが書いていた。人間の楽しみには快楽と享楽の二つがあり、快楽はいつか飽きるけれど享楽には果てがない。文学によってもたらされる喜びは享楽の中の最大のものだ――と、これも樫村さんが書いていた。

 私は美術とか音楽とかを専行する芸術系の学生と接することが多いが、芸術系の学生は自分がやりたいことが親や社会から認められないことに悩んでいる。悩みの解決というのは、こっちがアドバイスを与えてやればいい、という単純なものでなく、自分で乗り越えないと本当の解決にならない。数学でいえば自分で公式に辿り着くということだ。公式を丸暗記するだけでは次に必要な公式を自力で考え出せないのと同じように、悩みの解決策を教えてしまったら、次の悩みを自力で乗り越えられない。何しろ、美術も音楽も文学も悩みの連続なのだから自力で乗り越えられなかったらどうしようもない。

 とはいえ、いくつか公式を覚えていくうちに自力で新しい公式を考え出せるようになることもあるだろうし、あまり悩みすぎて前に進めないのも困る。だから私はこれだけは若い人に言う。

 「企業でバリバリ働いていたおじさんたちって、定年になって自分の死が近づいた頃になって般若心経の写経をはじめたり、哲学の本を探して読みはじめたりするよね。でも、あなたたちは死ぬ寸前までいまやっていることをずうっとつづけているっていうイメージを持つことができるだろう? だから企業でバリバリ働くことよりも芸術をすることの方が人生の本質に近いんだよ。死ぬ間際までお金の計算している人になりたいとは思わないけど、あなたたちは死ぬ間際になっても絵とか音楽のことを考えていたいと思っているだろ?」

 文学を含めてすべての芸術は果てがない。芸術は決して霞や幻でなく、現実を最終的な地点で支えている。反面、お金こそが人生と無縁のところで動いているように見える。