日経新聞 「プロムナード」1月7日(木)夕刊

 鎌倉の男の子の冬の遊びはコマと決まっていた。どうしてそうなのか、子どもたちは誰も疑問に思ったりしなかった。自分たちが何故その遊びをしているのか、疑問に思うような子どもがいるだろうか? いてもいいが。
 大山ゴマというボディも心棒も全部が木のコマで、直径は一〇センチから二〇センチぐらい、最大で二五センチくらいあっただろうか。大きさは自由で、投げやすさでそれぞれ選ぶ。大きいほど有利かというと、そうでもなく、握って一番力が入るサイズが一番いい。最初はみんないっせいに回して、先に止まった順に順番が決まり、一番最後まで回った子が“天下”だ。で次からは順番に回すのだが、「投げる」と書いたくらいで、先に回っているコマにぶつけてゆく。ぶつけられたら吹っ飛ぶが、吹っ飛んだら止まると決まったわけでなく、吹っ飛んでも着地がうまくいけば回りつづける。稀に割れる。だから興奮の度合いが高く、すぐに全身が熱くなった。冬にやっていたのは、それが理由だったのか。とにかくベーゴマみたいに狭いところでは全然無理で、最低でもテニスコート半分くらいのスペースは必要だった。
 さいわい私たちには長谷観音の境内があった。一九六〇年代、昭和で言えば四十年前後、空き地はあちこちにいっぱいあったから、コマを回す場所探しに苦労はしなかったが、観音の境内は中でも特別だったはずだ。山門を入って左、今はどうなっているか知らないが、当時は通路に面したお堂が一つあるほかは、がらんとした庭というか剥き出しの土で、子どもたちはフリーパスだった。
 回していると一時間に二、三回のペースで観光バスから降りてきた団体が私たちを見ながらぞろぞろ本堂を目指して石段を上がっていく。たいていその中でコマに興味を示す人がいる。だから私たちは観光客がぞろぞろ来ると、次のコマを回さずにゆっくり縄をコマに巻きながら待った。直径一〇センチ以上あるコマに巻く縄だから長さが一.五メートルくらいあって、先が細く、頭がふさふさになっている。縄だけでも長いから巻くのに時間がかかる。「回して見せてくれ」と言われてから巻くと焦ってうまくいかないから、回さず巻きながら待っていた。当然写真も撮りたがる。話がややこしくなった場合は勝負は一回休みにしたんだろうか? 忘れたが、きっとそうだろう。
 日本人の観光客も喜んだが、アメリカ人の観光客はもっと喜んだ。長谷の大仏と観音は鎌倉観光の定番だから、アメリカ人も毎日来た。当時の子どもは白人を見れば「アメリカ人」だったが、やっぱりアメリカ人がほとんどだったのではなかったか。そういえば黒人は記憶にない。何しろ六〇年代の半ばまでのことだ。黒人はそうそういなかっただろう。
 私たちの子ども時代、子どもたちは貨幣経済とあんまり縁がなかったから考えもしなかったが、国が違ったり、時代が違ったりしていたら、私たちはアメリカ人観光客相手に商売できたな、なんて、ふと思った。一ドル三六〇円。彼らにしてみればほんのちょっとの小銭を投げれば済む。もっとも、そんなことをしたら長谷観音から出入り禁止になっただろうし、だいたいコマを回していた中の一人は、観音の息子のゲンちゃんだった。