ところで「思考」とは本当のところ何なのか。「思考する」とはどういう状態を言うのか。
ここでは「思考」を「人間の思考」ということに限定することにするが、思考とはもともと、〈外界〉に対処する手段として人間の中で発達した感覚や運動能力と同列の能力であって、枯れ葉に埋もれた茸(きのこ)を掘り当てる動物の嗅覚のように鋭くない感覚を埋め合わせるために、人間では思考が発達した。あるいは逆に、思考が発達したために嗅覚が衰えたのかもしれないが、とにかく結果として、思考は第一義的には生きていくために、動物ほど鋭くはない感覚の埋め合わせをしている。 この、思考が対象とする〈外界〉とは、本来、自分が生きているこの具体的な〈環境〉のことであって、自分が生きることはないであろう抽象的な〈世界〉のことではない。その意味で思考はダーウィンが観察したガラパゴス諸島のフィンチの嘴(くちばし)のように、それぞれの〈環境〉に対応して発達した。しかし生物進化と違って思考は言語によって伝えることができるから、何十世代とか何百世代も必要とせずに、寒冷地と熱帯、砂漠と草原と森林で、同じ人間であっても別々の思考をするようになった。それらは場合によっては「同じ人間か!」と思うほど違ってしまったけれど、それぞれの生きてきた〈環境〉に対応しているという意味では、鳩の羽も鷹の羽も孔雀の羽もペンギンの羽も「羽は羽」である(A)のと同じように違っていない。 しかしその段階では人間にはまだ〈環境〉はあっても〈世界〉はない。〈世界〉という概念が生まれるためには、抽象思考が可能になっていなければならない。抽象が入ってきたことによって、思考は一気に加速して、まさに人間だけの能力になった。 よく「哲学なんか何の役にも立たない」とか「哲学なんか霞を食うようなものだ」というような言われ方をするけれど、それは当然であって(B)、哲学に限らず抽象を取り込んで以来、思考とは〈環境〉を離れて〈世界〉を対象とするものとなったのだから、原理的に、普通に生きていくうえで役に立つわけがない。 しかしもちろん〈環境〉と〈世界〉は直接・間接に結びついている。
しかしこれは、太陽系という視覚イメージがあたり前になりすぎた私たちの時代の驚き(E)なのではないかと思う。コペルニクスにしても紀元前に大地を球体と割り出した人たちにしても、視覚イメージを持たずに純粋に知的な操作としてその結論に辿り着いたのではないか。あるいは事実はもっとずっとだらしなく、ルーティンな作業をつづけつつそれの精度を上げているうちに、当時信じられていた世界像ではどうしても辻褄が合わなくなって、作業の必要上そのような世界像を生むにいたった、ということなのかもしれない。
問一 傍線部A「鳩の羽もペンギンの羽も「羽は羽」である」にならって、人間の場合について、たとえば、「アメリカ人の思考もロシア人の思考もインド人の思考も「思考は思考」である」という文を作ることができる。
問二 傍線部B「よく「哲学なんか何の役にも立たない」とか「哲学なんか霞を食うようなものだ」というような言われ方をするけれど、それは当然であって」について、本文の内容をふまえて、「哲学なんか何の役にも立たない」という主張に対する反対意見を考えて示せ。 問三 空欄〈1〉〜〈5〉に、「世界」、「環境」のいずれかの語を入れよ。 問四 傍線部C「〈世界〉を〈環境〉のメタレベルと位置づけ」について、〈世界〉が〈環境〉の「メタレベル」であるとはどういうことか。文脈に即してわかりやすく説明せよ。 問五 (一)傍線部D「驚くべき飛躍」について、この「飛躍」が「驚くべき」ものであるのはなぜか。本文に即して説明せよ。
問六 著者は同じ書物の別の箇所で、「たぶん誰もが子どもの頃に一度は考えたであろう」疑問として、次のような問いを発している。こうした問いの仕方の前提となっている、現代の私たちの思考の特質に関して、筆者の観点をふまえて論ぜよ。 もし宇宙というものがたった一度だけ誕生し消滅するものなのだとしたら、宇宙 が誕生する前と宇宙が消滅した後には、いったい何が「ある」というのか……。 だいたい宇宙が時間的にも空間的にも有限なのだとしたら、宇宙の外にはいった い何が「ある」のか。
〈本人から一言〉問題文は『世界を肯定する哲学』の第3章からです。難しくてわたしには全然答えられません。国語の問題は2問で120分なので、これを解くのに60分あるということでしょうか。受験生はきっとこういう問いにすぐに反応できるように訓練されているんでしょうが、著者である私が解こうとしたら、たぶん30分間は質問の意味を理解するために費やされるのだと思います。で、結局正解できなくて、著作権を剥奪されたりして……。 |