これは去年の7月に全4回で読売新聞に写真入りで載ったエッセイです。 正確な日付はもうわかりませんが、ホームページにアップし忘れていたので、1年遅れでアップします。全体の表題も掲載時のものではありません。あしから ず。 猫とわたし【一回目】 ペチャは4月で20歳になった。大人になると10年20年くらいあっという間だ、なんてことをよく言うけれど、ペチャと出会ってからの20年間はものす ごく濃密だ。 出会いは1987年4月19日、当時妻が住んでいたマンションの植え込みの中(そのときはまだ「妻」でなく「彼女」だったけど)。臍の緒の跡も生々し く、ハムスターぐらいしかないサイズで捨てられていた。しかし妻のマンションはペット厳禁。妻は、 「このままでは死んじゃう。でもうちでは飼えない……。」 と、何時間もためらっていたのだが、子猫の甲高い鳴き声が耳について離れない。とうとう意を決して拾った時にはすでに夕方になっていた。生まれたばかり だからミルクしか受け付けない。何しろ20年前のことだ。猫用ミルクなんて今みたいに簡単には売っていない。日曜日だったから獣医も開いてない。困って、 すでに猫を飼っていた親友に電話したら、 「すぐに連れておいでよ。」 というわけで、最初の1週間ぐらいは友達の家に預かってもらい、妻は毎日電車でそこに通うことになったのだが、その間、私は「猫かよ」と冷ややかだっ た。 「イヌ派」「ネコ派」と自分を区別するのはいかにも浅薄な思い込みだが、そのころ私はその浅薄な「イヌ派」だった。で、私は相変わらずの仕事と酒の日々 をつづけていて、一度も子猫に会い行かなかった。――なんという罰当り! しかし、とうとう子猫とのご対面の日が来た。その日、私がいつものように妻の部屋のチャイムを押すと、妻はドアを開けるなり、私の肩に子猫をポンッと乗 せた。その瞬間に私はメロメロになってしまった。子猫は細い鉤のような爪で私の背中を動き回る。手のひらに乗せて見ると、ピンと立った短いネジみたいな シッポを、ピピピピ、ピピピピ細かく揺らしながら、小さな口をいっぱいに開けて「ピャーピャー」鳴いて……、もう、可愛くて、可愛くて。 しかしさて、妻のマンションはペット厳禁、時代はバブルに突入していたために不動産は圧倒的な貸し手市場で交渉の余地はまったく無し。見つかったら即刻 退室。妻と私は仕方なく「誰かにもらってもらうしかない」という結論に達し、あちこち友達に連絡をとったところ、友達のツテで前橋の古本屋さんがもらって くれることになった。 「古本屋さんの猫か。カウンターの上で丸くなって、店番する猫になるんだね。」 なんて二人で話していたが、渡す約束の日の前の晩、妻の目から涙があふれて止まらなくなった。 |