◆◇◆季節の中の猫(その1)半分エッセイ半分小説◆◇◆
掲載誌『everything flows 
  Lois Crayon spring−summer 2002』


 毎日家(うち)の玄関先に置いたミルクを飲みに来ていた薄茶に縞柄が入った猫のお腹(なか)が膨らんできたんじゃないかと気がついたのが七月のことで、八月になると、「もうこれは完全に妊娠だ」と誰が見てもわかるようになった。
 彼女――と、そう呼ぶことにします――はものすごく警戒心の強い猫で、捕まえて避妊手術をするとなると簡単ではないが、簡単だったとしてもお腹が大きくなったらもう手遅れで、人間の私たちは、あんなに細い体で出産・子育てがちゃんとできるんだろうかと心配する気持ちの方が強くなって、避妊するしないはとりあえず後回しになった。妊娠後期になっても猫の動きは俊敏だったが、八月二十二日に私の見ている前で彼女は他の猫に突然喧嘩を仕掛けられて、塀を乗り越えて逃げていき、それっきり丸二日間ミルクを飲みに来なくなってしまい、二十五日にようやく姿を現わしたときには、お腹が元のようにスマートになっていた。というか、元に戻った彼女の姿は痛々しいくらいに痩せて小さかった。
 猫は産まれたばかりの子猫を飼い主にさえも見せないと言われている。まして人に飼われていないどころか私たちに触らせもしない猫が一週間や十日ぐらいで、のこのこと子猫を人目に触れるところに連れてくるわけがないけれど、彼女はあまりに事もなげにミルクを飲んでは去っていくばかりで、子猫が無事に産まれたのか私たちの疑問はいつまでたってもいっこうに晴れなかった。
 九月になると台風が来た。東京を直撃するという予報はさいわい外れて、あまり大きな被害は出なかったけれど、それでも雨は相当なもので、子猫が産まれているのだとしたら、彼女はいったいどうやって雨から子猫を守ったのだろうか。台風がまだ北日本の沿岸にいるうちにアメリカで同時多発テロが起こった。それは東京の猫にはまあ全然関係なかったけれど、台風が去って数日すると、十一月初旬並の寒さが来て、実家の両親は炬燵を立て、我が家ではストーブを出し、過保護に育てられた怠惰な飼い猫たちがストーブの前でぬくぬくと丸くなっているのを見ながら、私は子猫がどうなっているのかますます心配になっていた。
 九月が過ぎ十月になっても、天候はずうっと不順で雨が多く、雨が降ると寒く、からっとした秋晴れは例年になく少なく、彼女は痩せた体でミルクを飲んでは去っていくばかりで、私は子猫は育たなかったんだと考えるようになっていた。いくら子猫を人目に晒さないといっても一ヵ月半も隠しておくなんてことはないだろう。――しかし子猫は現われた。
十月二十五日の夕方六時過ぎ、ミルクをいったん出して、人間が見ている前ではミルクを飲まない彼女がちゃんと飲んでいるかどうか、二階の窓から様子をうかがうと、容器に変な生き物がへばりついていた。
 「?」と思ってさらに見ていると、遠くを歩く人の気配に二つにばらけた影の、形と動きで子猫だとわかった。急いで降りて玄関の外に出ると、子猫はまだ植え込みの陰に隠れていた。茶トラと三毛の二匹で、私が近づくとお母さん猫である痩せた薄茶の彼女が「フーッ!」と、私に向かって威嚇した。母は強い。私はその足で駅前のペットショップに行って、子猫用のミルクを買ってきた。いままでは普通の牛乳だったけれど、牛乳だと子猫は下痢をしてしまって栄養にならないのだ。――読者も憶えておいてください。
 私は感動した。この二ヵ月のあいだよくぞ育てたものだ。雨が降ったり、急に冷え込んだり、初秋と晩秋を不規則に何度も行ったり来たりした、あんなに不順な秋はめったにない。
 母親になった猫が子猫を育てるのは猫の本能だ、なんて簡単に片付けることはできない。産まれてすぐに親が死んだり、人間によって捨てられたりしてしまった猫は、自分が親になってもうまく子猫を育てられないことがある。だから「本能」の一言で片付けてはいけなくて、そこには経験=記憶が介在しているのだ。
 家(うち)の一番上の猫は産まれてすぐに捨てられたところを拾ってきたのだが、最初の二週間は妻の親友の家のメス猫が面倒をみてくれて、彼女がいなかったらたぶん家の猫は育たなかった。そうやって無事成長した一番上の猫はオスだけれど、彼は二番目の猫が来ると母猫替わりになって面倒をみた。二番目の猫も二週間ほどで捨てられていたからすごく小さくて、オシッコとウンチを自分でできなくて、私たちが一日四回ぐらいずつ綿棒でつんつん刺激してさせていたのだが、あんまりうまくいかなくて、オシッコが出たら出たで、「あぁ、ティッシュ、ティッシュ」なんて、毎回騒いでいたのだが……、三日目ぐらいに突然、それまでネズミより小さい子猫を不気味(?)がって遠巻きに見ていたオス猫が、子猫のいる段ボール箱の中に入って、お尻を嘗めはじめたのだ。彼が嘗めるとオシッコもウンチもじつに簡単に出てきて、しかも彼はそれをぺろぺろ嘗めとってしまった。
 オス猫であっても自分がしてもらった記憶が、子猫を前にして動き出したのだ。だから猫の子育ては、揺るぎなくプログラミングされた本能によるだけなのではない。子猫を産んだ彼女は、自分自身が育てられた記憶だけでなく、雨や寒さからしのげるこのあたり一帯の隠れ家の地図も記憶の引き出しから出して、茶トラと三毛の二匹の子猫を育てたのだ。――ところで、子猫を見つけた私は猫用ミルクを買ってきた。
 それをお湯で溶いて出すと、子猫たちはジャバジャバ飲んだ。子猫はたてつづけに容器三杯も飲んだ。翌日も子猫はミルクをがぶ飲みした。しかし、それっきりぱったり来なくなってしまった。
しかもまた雨の日がつづいた。北から吹きつける容赦ない雨が一週間で三回も降った。これまではまだ動きのおぼつかない子猫だったから、母猫に仕舞われた場所で二匹でおとなしくくっついて暖かくしていたんだろうけれど、活発になるとそうはいかない。母猫から離れて、外に出て、雨に濡れて、風邪をひいてしまったかもしれない……。あの二日っきり、本当に全然来なくなり、母猫の来るのも不規則になり、私は誰にも飲まれなかったミルクを毎朝むなしく捨てた。
 しかし十一月十七日についにまた現われた。その同じ日に、近所の別の家が毎晩母猫と子猫たちに缶詰のエサを出していたことも知った。もともとミルクは副食であって主食だとは思っていなかったが、「じゃあ、主食はどうやって調達してたと思ってたの?」と、追究されたら返事に窮する。心配したり悩んだりしつつも、中途半端でずるい接し方をしていることは認めます。それはともかく――。
 十二月になると一転して晴れて、ぽかぽか日和がつづくようになった。
 ある日の午後、隣りとの境のブロック塀の上に母猫と二匹の子猫が現われた。そして、しばらく日向ぼっこをして去っていった。隣りは雑草が生い茂った空き地だから、猫たちは誰に追われる心配もない。その日から日向ぼっこは母猫と子猫の日課になり、それを見るのが私の日課になった。茶トラはオスでやんちゃで、塀を昇ったり降りたり落ち着かなく動きまわり、三毛はちょっと愚図で、母猫のそばからあんまり離れない。
 二匹の子猫を引き連れて隣りの空き地から、ブロック塀に飛び上がって姿を現わす母猫はじつに颯爽としている。この小世界を築いた彼女に感服する。(おわり)


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