映画監督の長崎俊一とのことを書こうと思う。 長崎と私は大船にある栄光学園の同級生で、彼が高校2年が終わった春休み(74年3月)に『栄光 奈落篇』という60分の8ミリ映画を撮ったときに、私 はそれに出演した。長崎俊一のフィルモグラフィーでは、75年の『25時の舞踏派』(8ミリ60分)というのが処女作ということになっていて、「その前に もうひとつある」と聞いても自主映画に詳しい人はなかなか信じようとしないんだけれど、本当にある。どういう内容かということは長くなるから書かないけれ ど、ちゃんと筋のある劇映画で、当時の高校生や大学生の自主映画にありがちな実験映画ないし内輪受けを狙ったものではない。 大学に入ってからすぐに彼は作品を連発するから、ちょっと高校生が演じるにはつらい役があったりする『栄光 奈落篇』を本数揃えのために上映する必要も なかったのだろうが、この映画をめったに上映しなかった最大の理由は、音がフィルムに焼き付けられていず、音は音で別個にテープレコーダーで再生するその 音に合わせて(8ミリ映写機は映写スピードに微妙なブレがあるから)8ミリの映写のスピードを微調整するのが難しかったからではでなかったかと思う。 長崎俊一の特徴は最初からアクション・シーンがあるドラマを撮ったということで、もともと彼は日活ニューアクションが好きで映画を撮りはじめたから、い わゆる実験映画の方には彼は関心がなかった。「関心がなかった」とはいっても、早稲田の文学部の受験の前日に、原将人の『初国知所之天皇(ハツクニシラス スメラミコト)』の8時間の上映を見に行ったりしていたのだから、「自分で撮りたいと思うほどの関心はなかった」と言った方がいいかもしれない。 私が長崎の映画にべったり関わったのは、『栄光 奈落篇』と『25時の舞踏派』の2作だけだったが、どちらも“現場”は、監督の長崎とカメラマンと出演 者(たいてい3、4人)だけというものすごい少人数で、私はそのことがすごく楽しかった。 長崎は日大芸術学部に入ると内藤剛志たちと知り合って、すぐに『獏をぶっ殺せ』(8ミリ70分)を撮り、またすぐに『造花の枯れる季節』(8ミリ60 分)を撮るのだが、なにしろみんながプロになりたいと思っているから、現場がどんどん本当の映画の現場らしくなっていった。私は彼のほとんどの映画にチョ イ役で出演しつづけ、現場の変化を目の当たりにして、そのたびに長崎に「もっと少人数でやろうよ」と言いつづけた。 長崎自身も現場が大げさになることを決して望んでいたわけではなかったのだが、たとえば8ミリが16ミリになるとフィルムの現像代が高くなるので撮った フィルムをすべて現像することはできず、OKのフィルムとNGフィルムを区別するためにスクリプターが専属で必要になる、という風に現場の人数が増えて、 現場が現場然としていくことをどうすることもできなかった(らしい)。 現場が現場然としてくると、「長崎」と呼んでいたものが「監督」になり、監督と出演者との距離が生まれる。距離が生まれると、「映画らしい演技をしなけ ればいけないんじゃないか……」という気持ちも生まれてくる。しかし長崎が望んでいた演技は最初の8ミリのときから変わらず、映画らしい演技ではなかった と思うのだ。 映画は舞台ではないから、男が女を演じたり、50過ぎの女性が10代の娘を演じたりすることはできない。映画の演技というのはもっと生(なま)なところ があって、たとえば内藤剛志なら暴力性を抑えきれない人間性というのが何を演じていても滲み出る、というそれを長崎は撮りたいと思っているはずで、だから 長崎の映画の場合、役者は助監督・カメラ・照明・録音等々ほかのスタッフがどう見ているかなんか気にしないで(現場ではこれがけっこう気になるのだ)、長 崎との関係の中だけで自分の演じ方を決めていく、というそういう環境がどうすれば可能なのか……、既成の現場で作ったら、黒沢明とかハリウッドとか、たく さん予算を投入する映画の縮小版になってしまう……と、ここで、実験映画に関心がなかったはずの長崎とゴダールとの共通点が生まれてくる。 長崎は大学在学中にどんどん映画を作りつづけて、ついにATGと提携してはじめて35ミリの『九月の冗談クラブバンド』を80年の秋に撮ることになるの だが、その現場で事故が起きてしまい、長崎自身1年ちかく(だったかな)入院することになってしまい、さらに映画自体の評判もぱっとしなくて、すぐには次 の35ミリの予定がないので(評判がよくても映画の仕事というのはなかなか入ってこないのだが)、彼はもう一度8ミリに戻って『闇打つ心臓』(8ミリ75 分)というのを作る。じつはこの原稿の本題はこの『闇打つ心臓』のことなのだが……、その同時期に彼は『その後』(16ミリ48分)『ロンドンコーリン グ』(16ミリ15分)『シナリオ・山口百恵の背信』(8ミリ35分)と、ドキュメンタリーみたいなフィクションみたいな、分類が難しい小さい映画をつづ けて撮っている。 長崎の映画は「この演技は、役者の地なのか……、どこまでシナリオに書かれているのか……」こういうことが判然としない映画が一番おもしろいんじゃない かと思う。何かを表現しようとする人間にとって、選べるスタイルはいくつもない。芸術というとバカみたいに「自由」だの「可能性」だの言う人がいるけれ ど、表現というのは「自分にはこれしかできない」ということを発見するまでに時間がかかり、本当のスタートはそこからじゃないかと思うのだ。 長崎の場合、この一連の小さい映画で本当に長崎俊一にしか撮れない映画を撮ったのだが、彼はそこからまた「普通の劇映画」の方に行ってしまう。……しか しそれはしょうがなかったし、ずうっと長崎のことを横で見ていた私も、「映画監督」として生活していくためにはあの頃長崎が選んだ以外の選択肢があるとは 思えなかった。なにしろ今から20年前のことで、日本の映画の状況は全然違っていた。 もう本当に悪くなっていく一方で、ごく少数の映画は六本木のシネヴィヴァンで上映されていたけれど、いまみたいな多様性はまったくなく、かろうじて独自 の路線を展開していたいくつかのうちの、岩波ホールは高尚そうで敷居が高いと同時に臭く、三百人劇場は場所が不便でこっちはだいぶ汗臭く、ユーロスペース とイメージフォーラムはスクリーンが小さすぎて……、六本木のシネヴィヴァンから少しずつ状況が変わったのだと思うが、それにしても、今みたいにいろいろ な映画が「単館系」ということで、ある種のファッションとなって女性誌などの記事になるような支持層を獲得するなんて、当時は誰も予想できなかった(と思 う)。 それで『ロックよ、静かに流れよ』とか『誘惑者』とか『ロマンス』とか、ふつうの感じの映画を撮る時期がくるのだが、『ドッグス』(あれは99年だった かな)で私は「最初の頃の感じが戻った」と思った。『ドッグス』には久しぶりに私も出演したのだが、私はたった3行のセリフが憶えられなくて、リハーサル で2回ぐらいとちったら、彼はあっさりとセリフを半分に縮めてしまった。 それで、死んだ興信所員である私の背広の内ポケットから出てきた私物が並んでいるショットで、彼は「せっかくだから、どれか保坂の文庫本も置こうか」と 言う。私が「文庫本じゃなくて、一番新しい『残響』がいい」と言ったら、「じゃあ、そうしよう」。というわけで背広の内ポケットにあった私物のひとつに、 単行本の『残響』を長崎は並べてしまった。ポケットに単行本! 長崎から聞いた考えでなく、私の推論だけど、「興信所員を演じているこの男は小説家の保坂和志である―→その保坂のポケットから自分の小説が出てくる― →それだけで半分冗談なんだから、冗談ついでに単行本でかまわない―→だいたい保坂が出演していること自体がすでに冗談みたいなもんじゃないか―→それに 最初から、保坂は自分の出番ではいつも全体の調和を壊すような演技しかしてこなかったじゃないか」と、こんな感じなんじゃないかと思う。 映画は地が出る。内藤剛志はいまではナイスミドルっぽい役が多いけれど、地はそんなんじゃない。もしかしたら日常的な視点では内藤は本当にナイスミドル なのかもしれないが、そうだとしたら内藤は映画でああいう役をさせるときだけ地が出る。 私は82年に作られた『闇打つ心臓』をずうっと見そびれていて、ようやく見れたのは『ドッグス』の完成に合わせたユーロスペースでの「長崎俊一特集」と のときだったけれど、全篇にみなぎる暴力性に興奮した。特に内藤がイメージの中で暴れているシーンがあって、それが、人間の心の奥底に眠っている制御不能 の力を体現している気がして、長崎がどうして内藤を使いつづけたかがわかった。長崎と内藤のあいだだけで了解し合っているものが、二人にはあったのだ。 今年あらたに作られた35ミリの『闇打つ心臓』は、8ミリの映像も使いながら、現在の時間が展開されていく。きちんと書こうとしたらとてもこのスペース では足りないからひとつだけ書いておくと、この映画には見る喜びがない。作り手としての喜びも伝わってこない。みんなが「映画というのはこういうものだか ら、この範囲で描くことにしよう」という了解の外から映画を作っている。つまり、この映画によって、映画の枠がぐぐっと広げられた。 描かれている素材としては、これ以上ネガティヴなものもないと言っていい。しかしそれをことさらネガティヴに描いていない(「ことさらネガティヴに描 く」ことによって、観客も作り手もむしろ安心することができるのだ)(この映画には情緒的な共感も反感もいっさい排除されていて、ひたすら緊迫感だけがあ る)。それゆえ、素材としてはネガティヴであっても、映画という枠組みと闘う姿勢としてはひじょうにポジティヴであって、観客はそれを共有することになる から、見たあとには背筋を伸ばして街を歩いている自分を発見する。『闇打つ心臓』は「近年の収穫」という決まり文句を超えて、これからこの映画を出発点と して映画が始まる、そういう映画だと思う。 『闇打つ心臓』は、渋谷シネ・アミューズで4月8日公開 http://www.yamiutsu.com/ |