モーニング娘。というグループの独自性をはじめて意識したのは、3枚目のシングル『抱いてHOLD ON ME』だった。
「もう一度スキって聞かせてほしい このままずっとOhマイダーリン このままもっとOhマイダーリン」というフレーズが、たんにアップテンポと言うよりも、もっとずっと心理的なせわしなさをともなって、反復強迫のように繰り返されるところが、7人だか8人だかのやけに人数の多い、1人1人の個性の見分けがつきにくい集団のイメージと奇妙に合って、あれ以来忘れられなくなった。
「1人1人の個性が見分けられない」というのは、集団として個性がないことを意味しない。「1人1人の個性が見分けられない」というのが、集団としての個性なのだ。4人ぐらいまでなら激しく動いていても1人1人を記憶できるけれど、7人8人となるとそうはいかない。それだったらいっそのこと、メンバー全員をシャッフルして1人1人の個性をわからなくさせてしまえ。――私はモーニング娘。を集団として、そういう個性をしっかり持ったグループとして記憶した。
その後『LOVEマシーン』が出るまで、「モーニング娘。」という名前を記憶しつづけていたのは、あの反復の印象の強さ抜きには考えられないだろう。メディアへの頻繁な露出というファクターだけでは説明がつかない。そういう“仕掛け”や“努力”をしてもなお、泡のように消えていった歌手は数えきれない。歌手は歌手であるかぎり、歌の印象が絶対に必要で、その歌は歌う人間の姿を印象づける歌でなければならない。どんなにいい歌でも歌う人間のイメージと合っていなかったら、歌も歌手も、聞く人の記憶の中に焦点を結ばない。
ここでことわっておくが、私は現在43歳の小説家であって、音楽評論家でもなければJ POPウォッチャー(そんな名前はないだろうけど)でもない。特別誰かのファンというわけでもないから、歌番組を見るといっても熱心に見ているわけでもない。だから、モーニング娘。のファンや、J POPにくわしい人が読んだら、ある面でとても無知で誤解もある文章になっているかもしれないけれど、ある歌が大ヒットするためには、ファンや事情通の枠をぶち破らなければならない。モーニング娘。がいまのモーニング娘。になったのは『LOVEマシーン』が大ヒットしたからだ。『LOVEマシーン』の何がその枠をぶち破ったのか。それは、ファンや事情通だけではなくて、特別熱心でもなくテレビで見ているだけの私のような人間にもわかるはずなのだ。 『LOVEマシーン』の面白さに最初に気がついたのはいつだったんだろう。2度3度とテレビで見るうちに、すでに「ニッポンの未来は」と鼻歌を歌うようになっていた。 「明るい未来に就職希望だわ ニッポンの未来は 世界がうらやむ 恋をしようじゃないか」 こんな歌詞をモーニング娘。以外の誰が歌えただろう。SPEEDがこんな歌詞を歌うところなんて想像できない。MAXでも全然無理だ。何故なのか。 ここでつんくのプロデューサーとして意味が出てくる。 歌謡曲の世界でプロデューサーの存在がものすごく大きくなったのは、オニャンコ・クラブからだろう。オニャンコ・クラブは本当に工業製品のように次々とメンバーが作り出され、誰が出てきても見ているこちらは、秋元康というプロデューサーの存在を片時も忘れることがなかった。小室哲哉もプロデューサーの存在の仕方という意味では基本的に秋元康と同じだった。というか、trf(tetsuya rave factry)という名前が語っているように、秋元康の方法をさらに進化させた形で、小室哲哉のプロデュースする歌手は彼が作詞作曲した歌を歌うのに最も適した歌手だった。もちろん実態はそれほど簡単な図式ではないだろうけれど、テレビを見ているこちらが理解するイメージとしてはそうだった。つまりフォーマットはそれを歌う歌手より先に出来ていた。 しかし、つんくはモーニング娘。との関係で、モーニング娘。のために歌を作った。モーニング娘。という“素材”を与えられて、その素材を生かすために歌を作った。素材が生かされるとき、素材=歌手はそれ独自の、他の歌手では代替することができない輝きを放つ。秋元康、小室哲哉があくまでもプロデューサーの描いたフォーマットの中にとどまったのに対して、つんくは、モーニング娘。を“つんくのモーニング娘。”でなく、つんくなしの“モーニング娘。”として離陸させることに成功した。 というか、白状してしまうと、『LOVEマシーン』がヒットするまで、私はつんくとモーニング娘。の関係を知らなかった。『LOVEマシーン』〜『ちよこっとLOVE』という2曲を迎え入れる過程で、メロディ・メーカー=つんくの才能を知り、プロデューサー=つんくの才能を知った。だから私にとって、モーニング娘。とつんくの関係は、“つんくのモーニング娘。”ではなくて“モーニング娘。のつんく”であり、“『LOVEマシーン』のつんく”なのだ。 『LOVEマシーン』以前のモーニング娘。は、上述したような印象は作ったものの、それ以上にはならなかった。まだ、普通に格好よさを狙った“二の線”つまり普通のアイドル路線でやっていたからだ。それでは他のグループとの決定的な差がない。そこに出てきたのが、『LOVEマシーン』だった。 カン違いしてはいけないのだが、『LOVEマシーン』はコミック・ソングではない。確かに人を喰ったような、ちょっと見には真面目とはとても思えないような、歌詞と振り付なのだけれど、この歌は、コミック・ソングには絶対にない、メッセージの力や希望を持っている。 人を喰った印象の原因は、「どんなに不景気だって恋はインフレーション」「明るい未来に就職希望だわ」「ニッポンの未来は」「みんなも社長さんも」という、耳から入ってくる歌詞の断片が、恋愛とは無縁の、日本の社会や経済を想像させるからなのは言うまでもないが、この歌ではこれらの言葉が恋愛のレトリックになっていない。レトリックになってしまったらこの歌はただのコミック・ソングになってしまうのだけれど、そうならずに、「不景気」「就職希望」……等を文字どおりの「不景気」「就職希望」という意味に聞かせる。そう聞かせる理由は、曲の仕組みを超えてモーニング娘。のメンバー、中でもこの歌を最後に脱退した石黒彩の目立ち方によったのだと思う。 「明るい未来に就職希望だわ」の「明るい」を、アップになった石黒彩が「明る、ウイッ」と、聞き手に強く印象づけるように発音する。その瞬間、石黒彩が、ジュリアナ東京のお立ち台に上がって羽の扇子を振って踊っていたバブルOLかキャバクラ嬢のように見えるのだ。そう思うとテレビでこの歌が歌われるときに着ていた、白い毛皮で縁取りされた長いガウンのような衣装も、なんだかバブル時代っぽく見えてくる。石黒彩の「明る、ウイッ」の発音によって、モーニング娘。は歌詞の中のフィクションを歌うだけの存在ではなくて、バブル時代のOLと、現在の就職難の中で弾けてしまった女子大生という、2つの現実のイメージさせる存在になった。 CDで『LOVEマシーン』を聴いてみると、石黒彩の「明る、ウイッ」には意外にアクセントがついてない。このアクセントはCD発売後に大ヒットする過程のどこかで、偶然生まれたのに違いない(と私は思う)。制作者サイドの事前の計算を超えた部分だ。大ヒットには必ずそういう要素がある。テレビで歌われる「明る、ウイッ」は、どんどん強く私たちの記憶に刻みつけられていった(だから絶対カラオケでも、みんなアクセントをつけて歌っているはずだ)。そしてこの、バブルOL=石黒彩、キャバクラ嬢=石黒彩の存在によって、『LOVEマシーン』を歌うモーニング娘。は、歌謡曲〜J POPの歴史を通じて、はじめて、“二の線”でもなければ“コミック”でもない、“B級”のグループとなった。 “B級”とは、冗談やウソやお笑いではない。あくまでも本気だ。上等とされている“A級”=“二の線”では取り込むことのできない活力を持っている。 『LOVEマシーン』を、SPEEDもMAXも、他の誰も歌うことができないというのはそういう理由だ。彼女たちは本当のメッセージだけを歌う(ルックスのレベルで言ったらSPEEDもMAXもモーニング娘。も本当は変わらないのだが)。しかしもちろんただの冗談でもない。ただの冗談だったら、メッセージは力を持たない。『LOVEマシーン』を聞いて、みんな、確かに間違いなく、元気が出たり、勇気づけられたりしたのだ。 「ニッポンの未来はWowWowWowWow 世界がうらやむYeahYeah Yeah Yeah 」 この、盛り上がりに盛り上がるサビの部分のメロディーには、厚い雲が晴れて一気にバーッと光が射してくるような明るさと力がある。 実際CDで聴いてみると、『LOVEマシーン』はイントロからエンディングまでじつに綿密に音が作り込まれているのだが、とにかくそういう計算がサビで一挙に爆発して、「ニッポンの未来は世界がうらやむ恋をしようじゃないか」という突飛なメッセージを、アタマでなくてカラダから信じている自分を発見する。「あんたの笑顔は世界がうらやむ夢があるじゃないか」という2コーラス目の歌詞の素晴らしさには、絶対的な夢や希望、完全な肯定を感じる。 『LOVEマシーン』には、〈本当/ウソ〉〈本気/冗談〉〈本音/きれいごと〉といった、単純な二分法を超えたところで起こる〈本当〉〈本気〉〈本音〉がある。しかも同時に、そのとき「WowWowWowWow」「YeahYeahYeah Yeah 」と歌っている本人たちは、指をLOVEの“L”にして、盆踊りのように、あくまでもウソくさく踊って見せているのだ。それがB級というものだ。 『LOVEマシーン』はカラオケ・チャートで17週連続1位を記録し、4月時点でなおベスト10にランクされつづけている。思えば、カラオケというのがもともとB級の最たるものなのだ。カラオケをただひたすら上手に歌うほどバカげたことはない。そういう人は人生のあらゆる場面で笑いを理解しない。笑いをただの冗談や不真面目の産物としか解釈できない。カラオケというのは、まじめに歌いながらも同時に聞く人を楽しませ、元気にさせることのできる愛嬌が必要なもので、それは単純な上手/下手を超える人生に必要な真面目さであり、その場に居合わせた人たち、みんなへの愛なのだ。 そういうそれぞれのカラオケの場面によって、『LOVEマシーン』はさらに1人1人の中でイメージを膨らませてゆく。『LOVEマシーン』はカラオケで歌われることで、もともとの歌とモーニング娘。が活性化されるという、カラオケ時代の新しいサイクルを作り出した。 ……モーニング娘。には新しく、15歳、15歳、12歳、12歳の4人のメンバーが入った。これでまた、1人1人の個性が定着しはじめたモーニング娘。のイメージがシャッフルされることだろう。 |