◆◇◆試行錯誤に漂う26◆◇◆
「「みすず」2015年4月号
ザワザワしてる

一月のある日、突然ポール・ラザフォードの音に持っていかれた、それこそ本当に突然気持ちが“持っていかれた”、それ以来ポール・ラザフォードのトロンボーンばかり聴くのだが、聴いていると気持ちが、あるいは体全体がザワザワしてくる、イライラではない、ザワザワと騒がしくなりやろうと思っていたことが手につかなくなる、さいわいラザフォードの出す音は猫には不快かそれに近い音なので花ちゃんが警戒か緊張のサインで耳を後ろに引っぱるから私はそれを見ると音を止める、妻がこの音を嫌いなのは明白なのでもっとさいわいなことに妻がいるときはCDをかけられない、もっとも自分のパソコンから音を出すことはできる、だから自分の部屋で聴いたりもするがパソコンからの音はもの足りない。
 ポール・ラザフォードというミュージシャンはもう一人、最近のポップスかロックで少し売れ筋のラザフォードというのがいるみたいだが今言ってるのはデレク・ベイリーとISKRA 1903というグループ(プロジェクト?)を結成したりした、即興演奏のトロンボーン奏者のポール・ラザフォードだ、一九四〇年に生まれて二〇〇七年に没、ISKRA 1903にはデレク・ベイリーの入ったCDとベイリーのいないCDがあるがラザフォードはベイリーのいないCDが私はずっといい、クラシックのコンサートがはじまる前、楽団のメンバーがそれぞれ勝手に音を出す、金管楽器がとりわけ勝手放題に吹いてるように聞こえる、あるいは高校の放課後、学校の敷地の外れにあった講堂の脇でブラスバンド部が練習している音が聞こえてきた、あるいはそれでさえなく劇団の人たちが勝手に発声練習しているのが聞こえてきた。
 これはもうまったく演奏じゃないと言う人だらけだろう、しかし私は最近メロディがはっきりした音楽を聴いていると退屈するかイライラする、イライラとザワザワは違う、私はこれまでに「××のざわめき」という題の小説かエッセイか単行本を出してないだろうか? 思い出さないからきっとそういう題で何も出してないんだろうが「ざわめき」という言葉は題名を考えるたびに考える、ザワザワはざわめきと同じだ、まだ形にならないもの、それについての名前がないものが予震してる状態、中心はなく、全体が無方向に動くか揺れるか震えてる、中井久夫が統合失調症は発症する前の心と体の全体で騒音が鳴りつづけて止まないような状態が発症した状態よりずっと苦しいとたしか書いていたそれがイメージとして近いといったら言いすぎか、そっちは苦しいがこっちは苦しくはない、楽しいのでもない、ジャズで使われているスウィングや最近の音楽で使われるグルーヴは、何かもっとずっとただの状態だ。
 前回も出した『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』にも当然、ポール・ラザフォードの名前は出てくる、この本は巻末に人名索引があるのがいい、言及されている人は、マイルス・デイヴィスもジミ・ヘンドリックスもバルトークもストラヴィンスキーも、ジョイスもベケットも鈴木大拙も田中泯も全員、言及されてるページが全部調べられる、そういえばボブ・ディランはその索引にない、私はボブ・ディランはここ数年、かけるCDのディラン率はどんどん上がってる、ディランの歌だけはとくに2000年代になってからのは歌なのにいわゆる歌やポップスとしての形がない感じがする、音楽的な説明は私はまったくできない、いまではそれがいまの私の聴く音楽の傾向にとてもいい方に作用してると思う、何しろポール・ラザフォードの音を聴く、あるいは受容する自分は運がいい、その私がずうっと聴けてるんだからディランの2000年代の歌はいわゆる形とは違うものを持っているはずだ。
 ポール・ラザフォードに対する言及がISKRA 1903で一緒に即興したのに少ないのは、その後、一緒に活動しなかったからだろうか、その距離感が不思議だがいい。
 「その頃、僕には謎だったのがラザフォードだ。あっというような驚くことをやってのけるんだ。」(ベイリーの発言、188ページ)
「デレクが評価したのはあたかも「切羽詰まって、その場で発明した」方法で演奏しているかのように聴こえる、その能力だった。」(252ページ)
後者は著者ベン・ワトソンの言葉だ――と、文章ではいちいち出典を明記したり、あっちはデレク・ベイリーの発言でこっちはベイリーの発言を引用した著者の文章だ、というようなことを書くことになっているが、そんなことしてもわからない人はわからない、わかる人にはしなくてもわかる、現代国語の文章読解のようなわかり方は、それで何が言いたいのか、この人は何のためにこんなことを書いているのかの魂や精神の部分には全然ふれない、だいいちそんないちいち補助的なことは明治・大正・昭和の戦前くらいまでの文章を読んでるとろくに書いてない。
ALL MUSICというサイトが海外にあり、そこの検索にPaul Rutherfordと入力すれば、45秒間ぐらい視聴できる曲がいくつもある、と、そんなことをいちいち書いてしまう自分はやっぱり、この現代に染まってるなあと忸怩たる思いがある、と書いて「忸怩」を辞書で引くと「深く恥じ入るさま」だった、だからそれじゃあない、私は「うーん、……」と、「自分の思いをあらわすのにふさわしい言葉が思いつかず、発話したいのに発話できないさま」という心理状態にある。
このALL MUSICというサイトには星五つを満点とするレイティングがあり、このレイティングが私の好きの度合いとたいてい食い違う、ALL MUSIC、ここに限らないのだがミュージシャンの作品に対するレイティングにはだいたい共通する傾向がある、私はレイティングには関心がないがそれでも目に入るミュージシャンというとセシル・テイラーとかスティーヴ・レイシーとかオーネット・コールマンとかルー・リードとかだがだいたいにおいて彼らが音楽活動をはじめた初期の方がレイトが高い、とくにフリージャズ系がそうだ、このあいだ去年四月のボブ・ディランの来日コンサートのことをある友人と会話した、
「え? 新しい曲ばっかりだったんですか? 昔の曲を聴きたいっていう人だっていっぱいいるでしょう?」
「だから、ディランはポール・マッカートニーとは違うんだよ。」
「だって、それじゃあ、ファンを大事にしないということにならないですか?」
この人の、みんなが知ってるヒット曲をせっかくこういう機会なんだからいっぱいやるのが大物ミュージシャンのコンサートというものだという感覚は、私はまったく持っていないので私はこういう人が納得するような説明はできない、ただボブ・ディランだって初期の名作と言われるCDはいまだに売れつづけている。九〇年代以降のCDよりコンスタントに売れつづけているだろう、オーネット・コールマンなんかきっともろにそうでストックホルムのゴールデンサークルで一九六五年にトリオで演奏したライブのCDがきっといまでも一番売れているだろう。
初期のその人がその人となる一歩手前、あるいはその人がその人らしくなったその瞬間、あるいは衝撃のデビューを飾った第一作、それがその人のキャリアにずうっとついて回る、サザンオールスターズはしばらく『いとしのエリー』をコンサートでやらなかった、やりたくない気持ちはよくわかる、ジャン・ジュネが生涯、といっても四十をすぎてデビューした彼の後半生だが、何もしなかったり『恋する虜』のような本を書くことができたのは『花のノートルダム』と『泥棒日記』があったからだと言う人は言う、しかしそれだってそれがジュネの望みだっただろうか。
とにかく、ミュージシャンも小説家も初期とは全然違うものを書く。ベン・ワトソンのこの本はデレク・ベイリーだけでなく彼の周囲にいたミュージシャンたちの即興音楽あるいは音楽全般に対する考えもたくさん書いてある、そこのところを読んでると私は学生時代にもどったように感じる、私は外の猫二匹がこの冬はとにかく手間がかかり早く春になってほしい、そういうことをずうっと思いながらISKRA 1903のCDをかけてこの本を読む、この本に書いてあることを私はこれ以前に言葉の予感として持っていた、しかし自分としてここまで考えたわけではない、しかし予感としてあったから自分が考えたことのようになんともいえない満足感とともに読んでゆく。
それと同時にこの本には大きなレコード会社の商売としての関心と即興演奏をする彼らとの距たりがあちこちに書いてある。
「今までになかった音を求めて誰も彼もが情熱を傾け、メジャーのレコード会社ですら、フリー・インプロヴィゼーションで金儲けが出来ると目論んだ時期が短期だったがあったという。だがそれも幻想だった。フリーのミュージシャンたちは、それまでとは違う倫理を大切にしていたからだ。すぐアルバムに手を出すような聴き手を当て込んだ商品(それには、フュージョンが最適だった)に身を落として、代わりに名声を得る。そんなことには彼らは無頓着だった。それよりも定期的な生演奏のチャンス。彼らはそれを欲しがっていた。」(184ページ)
トニー・オクスリーというのはデレク・ベイリーとたぶん最も多く演奏した打楽器奏者だ。

ラザフォードは喉と声を使うため、トロンボーン本来の音質が歪んで物質としての音の特性が際立ってくるが、オクスリーの反超越論的概念にはこのほうが合っている…(略)…演奏者たちが全面的に体ごと没入することを彼は望んでいた。人間の経験のいかなる部分も除外されていない音楽。これはベートーヴェンの革命的な普遍主義の特色であり、二〇世紀にはジョン・コルトレーンとセシル・テイラーが再発見したことだ。だがオクスリーはクラシックであれジャズであれ、他所から借りてきた表層的な要素ではそこまで徹底した音楽は達成出来ないことを知っていた。即興奏者たちは動物と化した身体の雑音のなかからまったく新しい語彙を見いだす。「何かに似ている音」、洗練された音の汚染は受け付けない。彼らの演奏は、歴史という後ろ盾をもつ音(あるいは「音楽」)の社会的な位階性(ヒエラルキー)とは無縁のものだ。
  …(略)…『4コンポジションズ・フォア・セクステット』のオクスリーの音楽は、ジャズの声を通した表現主義とは違う。「生活に根ざした芸術」に依拠したもので、人格を基盤にしたものではない。それは抽象的なシステムを基盤にしている。それでいて、ここでの演奏の大半は生々しく腹の底から出てきている。(228―229ページ)

 私はこういう文章を読むとうれしくて奮い立つ、学生時代にもどった気持ちになるというのはきっとおもにこういうところだろう、しかしこの文章はどこか宣言めいている、「動物と化した身体の雑音のなかからまったく新しい語彙を見いだす」というのは、とりわけポール・ラザフォードの音を聴けばそのとおりだと思う、しかし「歴史という後ろ盾をもつ音の社会的な位階性とは無縁」とか、「「生活に根ざした芸術」に依拠した」、というところは読んでいるとうれしいのだが、やっぱりどこか空疎にも感じる。何もそこまで言う必要はないんじゃないか。
 これぞ正しい! とか、ここに我々の目指す道がある! みたいな、声高に言うこと自体の中に、デレク・ベイリーやポール・ラザフォードがやっていた演奏を裏切る心の構えがありはしないか。こういう言い方はぼそぼそしゃべるよりきっとよく伝わるんだろうが、よく伝わりたければ彼らは別のやり方をしたんじゃないか、よく伝わるかあまりよくは伝わらないかもしれないか、そういうところから彼らは行きつ戻りつしたり行きあぐねたりしていたはずだった、それをそのままに本にするような書き方はこういう本を書こうと思う人の生理に反するのかもしれない、しかしベイリーやラザフォードはその生理に反することまでをした。
 トニー・オクスリーは私はそういう言葉にするとなるとわからない、この本がここで調子が上がってしまったようなそれと同じ志向がオクスリーにはあったのかもしれない、オクスリーの演奏も聴くけれど同じ打楽器奏者のハン・ベニンクやミルフォード・グレイヴスのように気持ちが嵌ったことが私はまだない。
 私はさっき【空疎にも感じる】と書いたが、そこにうれしくなって奮い立つと【感じている自分が空疎になる】ということなのかもしれない、ラザフォードのトロンボーンでザワザワしているとき私は隙き間がない。
「その頃、僕には謎だったのがラザフォードだ。あっというような驚くことをやってのけるんだ。」が含まれるさっきの、ベイリー自身の発言の全体はとても長いので全体(187―191ページ)の引用はできない、これは『カリョービン』Karyobinという一九六八年に録音された、スポンテニアス・ミュージック・アンサンブルの一員としてベイリーのディスコグラフィーの最初に載ってるLPレコードと九三年に再発されたCDをめぐる発言とその時期に彼が何をしていて何を考えていたかについての発言の一部だ、このレコードはとても評判がよかったらしいがベイリーは評価していない、

…(略)…もとのレコードでも何かが欠けていたからで、あのままで良いとは思えなかった。あのグループがそれ以前に大切にしていたことの多くが、あのレコードでは抜け落ちていた。フリー・インプロヴィゼーションの録音ではこういうことがよく起こる。あらゆることがより「音楽的」になり、きちんと整理されてしまう。でもこの場合はそれ以上の問題があった。三人とも最初に演奏したとき、彼らはそれまで出会ったどんなミュージシャンとも違っていた。みんなでグループのコンセプトを話し合い、オープンで寛容な姿勢があって、どんな要素でも受け入れた。音楽は「木や植物のように成長する」なんていう話もしたし、「無我の演奏」と言って、個人個人の活躍以上にグループとしてのレベルを優先する気運があった。僕はそういうことに全面的に賛成だった。音楽における涅槃の境地(ニルヴァーナ)だと思って、その線でやる気まんまんだった。
  でもともかく、それは口先だけだった。言うことと演奏することとはかならずしも同じじゃない。しかし演奏の場面では、彼らはみんな非常に特別だった。僕は体験を通じてそれを知っている。一人ひとりから学ぶことがあったし、とくにグループとは何かがよく分かった。

 引用第二段落の「しかし」以下の言葉がなぜ「しかし」という逆説の接続詞でつながるのかよくわからない、しゃべり言葉というのはそういうものだ、だいたいみんな「しかし」「けれど」「が」を逆接でなくても多用する、カフカを読むと逆接の接続詞が頻発する、読者は逆接を逆接と感じないほどだ、しかしここで「しかし」が出てくるのは、ベイリーが一つ前のセンテンスで「口先だけだった」と評した情景と「しかし」の次の情景が別の情景なんじゃないか、などと考えてもまああんまりおもしろくない、「しかし」も「だから」も息継ぎがわりのようなものだ。