◆◇◆試行錯誤に漂う25◆◇◆
「「みすず」2015年3月号
ボルトとナット

 ベン・ワトソン著『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』(木幡和枝訳、工作舎)原題Derek Bailey and the Story of Free Improvisation

即興演奏は、やってみなければ何をやっているのか分からない。作曲は、何をやるのかが分かるまではやらない。
僕は最終の成果物にほとんど興味ないので、このゲームに参加する資格は無い。僕が一
番気にしているのは基本的なこと“ナット・アンド・ボルト”で、即興演奏の諸要素がどう噛み合うか、時に噛み合わないのは何故か。そういうことなんだ。僕が興味をもってレコードを聴くとしたら、どういうプロセスでその状態になったのか、それを知るためだ。音楽的な意味での最終成果物は、そういう興味が薄れる始まりだ。(525―526ページ、デレク・ベイリーの発言)

 nuts and bolts というのがいい、辞書をみるとこれは定型表現として載っている、デレク・ベイリーはしかしやっぱりナットとボルトをイメージして、ナットとボルトをいじる手を感じながらここをしゃべったと感じる。私はしかし意外でもあるのはD・ベイリーならレコードを聴けばその音楽の成立プロセスがわかると思っていた、私は小説を読めばそれの成立プロセスがわかる、もっともつまらない、くだらない小説ほどわかる、途方もない小説となるとわからない、とはいえ【途方もない小説】とはいま私は何をイメージしようとしたのか、『重力の虹』とか『2666』とかとにかくやたら長くていまだ読了してない小説のことか。
 ベイリーはもともと【最終成果物然】とした音楽に関心がないからこう言ったんじゃないか、とはいえ、この一種の伝記のような本は私はまだ通読してないから書いてないとは断言できないが、私は一九九〇年頃オペラ『アイーダ』のビデオを見たとき最後に流れるクレジットの一番終わりにディレクターがデレク・ベイリーとなっていてびっくりした、たしかBBC制作だった、いまアマゾンでDerek Baileyで商品をチェックするとオペラのDVDが七、八枚出てくる、それはすべてデレク・ベイリー演出ということだ、オペラの舞台演出でなく映像作品の演出ということだがベイリーがオペラのビデオを演出したというのはベイリーのファンならわりと知ってる、しかしこの本にはそれについて流し読みでパラパラ見たかぎり一行もふれてない、その事実が気になるのでは私はない、ベイリーの発言を読んでいると、ベイリーがそのようなことをするのが信じられない、私は同姓同名のDerek Baileyをインプロヴィゼーションのベイリーと同一人物と思っているんだろうか。
 
――間章さんが、あなたをアナキストと呼んでいますが、ご自分でもその表現を使っているのですか。
いや。全然知らなかった。アナキズムといえば一九三六年のバルセロナしか知らない。アナキズムという用語自体、実にいい加減に使われているのではないだろうか。いずれにしても、僕は音楽を実践するところからしか言語を引き出せないので、別の範疇の言葉――単なる比喩かもしれない――をもってこられても何とも言えない。自分の演奏を反省するにしても同じ言語的範疇でしかやれない。演奏する、そのための状態に自分をもっていくものは、衝動、直観のようなものだ――それはけっして計画によってできるものではない。自分のおもむきに従うまでのことだ。(533―534ページ)
 
ベイリーは「アナキズム」という言葉に反応しなかった、ここを読む私はたぶん二十分ほど前に「ナッツ・アンド・ボルツ」というフレーズ、ベイリー自身はイメージしただろうナットとボルトをいじる自分の指先を想像したところだった、たしかにそうだ、アナキズムと言うことでベイリー自身の音を聴いたことのない人にも何かは訴えるだろう、しかしベイリーの音を聴いたことのない人はベイリーの音を想像できない、まして「この演奏をどう聴くか?」と考えることはまったくできない、とはいえ「アナキズム」と言われてベイリーも悪い気はしなかったんじゃないか、という想像は俗すぎるか。
 今夜はひどく風が吹いている、朝から風が強かったが夕方から激しさを増した、雨が降っていないだけで風の強さは台風並みだ、北海道東部は猛吹雪だとテレビで言っている。昨日は東京は雨、西から広く雨だった、北海道の北から九州より南まで日本列島の上には六つも低気圧があった、それが今日になると北海道の南東沖で一つになり等圧線は蚊取り線香のような渦巻きになった、今日の低気圧は九八〇Hpくらいだが十二月には九四〇Hpかそれ以下まで下がった。しかしこの低気圧には「台風」というような名前がついてない、しかし時として台風よりずっと深刻に気圧が下がる。
 このように激しい風が吹き荒れる音がほとんど休みなくつづいている夜が人の、というのは私のコンディションに影響を及ぼさないはずがない、だいいちに気象条件がよくないとき私の心の一角は家の中の猫の花ちゃんと外の二匹、最盛期には十二、三匹もいた外の猫のファミリーのいまは二匹になってしまった二匹が占める、私は気掛かりが止まない、しかしそのようなときにどうしてか、お正月が過ぎてもまったく机に向かって字を書く気が起きなかったのが急にこうして書き出した。
 ベイリーはベケットを読んでいた。

 ソロ演奏を通じて、ベイリーは純粋な形で自分の音楽思想を表明してきた。作家サミュエル・ベケット流の「手段の貧困」そのままに。ベケットの『マロウンは死ぬ』(一九五六)のような作品は、「零度【ゼロ・ディグリー】」で書くことによって「内容」――
登場人物、筋書き、演出、作品特有のカラー――にたいして「我関せず」という態度をとり、書く行為自体に神経を集中させている。……(略)……書き手が本当に関心を抱いていること――書くこと――に集中できるとなると、恐ろしいほどのエネルギーが噴出する。それは、他者が読みたがっている場面を忠実に「表象」する写実主義の小説に比べれは、はるかに熱のこもったエネルギーだ。……(略)……同じくソロ演奏も、脳より素速く「考える」手をもっている人物、つまり、意識から出てくる何よりも即時的な衝動のほうが機智に富んでいるような、そんなタイプの人物に適している。(310―311ページ)
 
最近の音楽は、すべて演出された活動として行なわれる傾向がある。せいぜいが、にぎにぎしくお膳立てされたフラワー・ショーのようなもの。それと比べれば、即興演奏は汚水だらけの溝だ。そこでは物事が生まれ、成長する。(313ページ、ベイリー自身の発言、一九九二年)

 ここで「汚水だらけの溝」のイメージが絶妙にベケットと響き合う、著者はまるで計算してここの前にベケットの名前をもってきたみたいだ、という発想は【筋書き】のものだ、筋書きに無関心な人間でもこのような配列をする、ただしこの著者が筋書きに無関心かどうかはわからない、ともかく筋書きと無縁でもこのような配列は起こりうる、つまり配列、継時的展開という考え方自体がピント外れ、または傲慢だ、文章はいっぺんに無時間的に提示することはできないんだから配列だけ見ればすべて継時的となる、しかしそこを読んで前を思い出したり前にもう一度もどったりを繰り返したくなる文章は循環的とでも言うものなんじゃないか。
 デレク・ベイリーが即興をはじめた初期、あるいはそのきっかけとなったのか、ジョセフ・ホルブルック・トリオでいっしょに活動したがその後、即興でなく作曲の方にいったらしいギャヴィン・ブライヤーズの発言。

 僕が作曲された音楽に移行したのは、そちらのほうが大きな課題に取り組めるし、地平が無限に拡がっていると思ったから。ずっと多くの課題に取り組めたし、より複雑な問題に向かうことができた。デレクの著書『インプロヴィゼーション――即興演奏の彼方へ』でも僕はこのことを話している。彼がインタビューに来たとき、僕は今よりずっとフリー・インプロヴィゼーションにたいして敵愾心をもっていた。(138ページ)
 
「敵愾心」という表現がおもしろい。もう一人、おもに聴衆として関わった、アンドリュー・ショウンの発言

 ――フリー・インプロヴィゼーションは何故そんなに嫌われたのか。
 ――とても難しかったからかな。
 ――演奏するのが?
 ――そう。優れた演奏者じゃなければ無理だ。分かるだろう――ピカソの絵がどれほどのものか。彼の初期のものを見ていれば、凄さが分かる。(149ページ)

「今はあんなことしてるけど、正統的なことをさせたらアイツはすごくうまいんだ。」という言い方は、前衛的なもの抽象的なものをやってるアーティストを擁護する論法として一番よく出会う、この論法は正統の価値を確認したり高めたりすることにしかならない、アーティストの現在をまったく見ていない。自由律俳句の尾崎放哉は社会からドロップアウトする前は銀行に勤めていた、つまり尾崎放哉は社会人としてもひじょうに優秀だった、という言い方は、
  咳をしても一人
  ただ風ばかり吹く日の雑念
 けもの等がなく師走の動物園のま下を通る
 こういう句を作った尾崎放哉を評価したことにならない、「銀行員だったのになんで辞めてあんな生き方をしなくちゃならなかったんだろう。」と言う方がまだしもだ。
  G・ブライヤーズの発言はこれとは違う、作曲された音楽の方が、【ずっと多くの課題に取り組めて、より複雑な問題に向かうことができる。】
  フィクションとして構築した小説の方が想像力をずっと広げることができる。これはたぶん間違いない、それを選ぶかあれを選ぶかは思想や世界観や文学観でなく個性、もっと素朴には好み、性に合う、やりやすい、ということに尽きるのではないか。やりやすい、性に合うやり方を選んでやっていくとずっと先にとてもやりにくいことにぶつかる、いわゆる「壁」や「スランプ」でなく【やりにくい】、どうやって進めばいいかなかなか見えてこない、しかしとにかくやる、やってみるしかない、それは性に合う、やりやすいやり方を選んでそれをずっとやってきた人しか経験できない、そのやりにくさ、あるいはやれなさもまたやりやすさの一部あるいは延長、あるいは別の様相としてある。

 『イスクラ 1903』でベイリーはしょっぱなの音から、聴き手に音はこうして聴いて欲しいと自分の意図を表明するような演奏をしている。あらかじめ考えておいたリズムやハーモニーを成立させるための演奏ではない、だから音は身体行為の結果として聴いて欲しいと。バリー・ガイはベースの弦に沿って動く弓の擦れる音を増幅すべくクローズ・マイクにするのだが、これは石工が身体全体で精巧に鑿【のみ】を使っている姿に似ている。(254ページ)

これもまた比喩といえば比喩だ、しかし本当に比喩か、最後の一文はこの演奏の、演奏というのはただ音だけでない全体の描写のようだ。最後に、かどうかわからないがここは書き写しておく。

 第一に、仕事であれ何であれ、自分のやりたいことは、ほかには絶対に何もないと分かった。その頃――説明は難しいけれど――本当にやりたかったのは練習だね。ただただ、演奏し続けることが自分にとっていかに大切か、それが分かったんだ。それまでも定期的に練習はしていたんだけど、たいていは何か技術的なことで、この技をマスターしようといった具体的な目的があった。でもこの時期から、もっと広い意味での練習というものに興味が湧いてきたんだ。そのあたりから、今もそうなんだけど、練習はありとあらゆる目的にかなうものだと思うようになった。つねに作業をして、成長する。そんな、個人としての音楽環境として、練習は重要だよ。それを触覚の問題として考えるとするなら、まさにこれだ!とピンと来るときがある。以下略(68ページ)