九月二十三日に死刑囚が描いた絵の展覧会を渋谷区文化センター大和田で見た、この展覧会を知ったのは九月二十二日の朝日新聞朝刊の都内版で会期は二十三日までだった、私はこの展覧会をみんなに知らせたかったが行ったのが最終日の夕方五時だったので知らせることができなかった。人が生きることと芸術が持つ関係を知ることができるかもしれないと思って私は行ったがそれについてはわからなかった、というか行ってそれを見たからと言ってすぐにわかるようなことではない。
絵の出品者は二十人ぐらいだったか、一人につきだいたい四点か五点の作品が出ていた、たしか油絵はなかったと思うがあったかもしれない、水彩、色鉛筆、クレヨン、水墨と描く道具もいろいろだし絵の大きさもいろいろで百号かそれ以上に相当する水墨画もあった、その水墨画を描いた人はプロの画家のようにうまいと思った、しかし私は絵の巧拙には関心がない、死刑囚の絵の巧拙に関心がないのでなく私はピカソでもマチスでも横尾忠則でもアンリ・ルソーでもジャコメッティでも絵を巧拙を基準にして見たことがない。
絵の題材はわかりやすいところでは色鉛筆でていねいに鳥や花をおもに単体で描いた絵は現在の静かな心境を想像させた、逆に最近の西洋式のタトゥーの図案のように蛇がとぐろを巻いて口をあけてそれが人の顔を食い破って中から出てくるような絵はその人の内側にある、悔い改めろと言われてもどうすることもできないドス黒いエネルギーを想像させた、この二種類というか両極の絵はいわば想定内だった、といって私は事前に何かを想定していたわけではなかったが見れば「そうなんだろうな」と自然に思う。
私は最初に、なんと言うのがいいか、心が引かれたというか、私として面白いと思ったのはおせち料理をていねいに写生した色鉛筆画だった、私は会場でもらった出品作品と参加者の一覧表をすでになくしている、参加者はたぶん一人を除いてペンネームだった、しかし私がその死刑囚の名前を知らないだけだったのかもしれないが大きな水墨画の作者は明らかにペンネームだった、その色鉛筆画の作者はたしか他にスナック菓子の袋を四つか五つ並べた絵も描いていた、窓から見える鉄格子の向こうの壁の絵も同じ人だったかもしれない、鉄格子の向こうの壁の絵は朝日新聞のこの展覧会を知らせるタテヨコ20センチぐらいの比較的大きい記事で三つぐらい写っていた絵にも写っていた。
私はこの、おせち料理の色鉛筆画がおもしろかった、題は「おせち料理」だった、スナック菓子の方は「お菓子の袋」だった。おせち料理とスナック菓子はそれしか描いてない、つまり写生としてそれが載ってる台とかその傍に何かあったら筆箱とかカップとかも描くだろうそういうものはいっさい描かれていない、背景としての処理もなくただおせち料理だけが描いてある。おせちは大きめの四角い仕出し弁当の箱のようなものに入ってエビの尻尾が他の料理より飛び出ていた、料理は一つ一つていねいに描いてあった、細かいところまでとてもていねいなのだが細密画という細かさにはいってない、下手では全然ない、子どもが描いた絵でなく一目見て大人の絵だ、子どもが、といってもせいぜい小学生くらいまでの子どもがここまで描いたら「上手だね」と言われるだろう上手さはない、中学生くらいになってこういう絵を描く子の絵にはきっともっと何かがあるその何かがこの絵にはない。
私はこの説明を聞いて、「じゃあ、サヴァンの人が描いた絵みたいだったんだ?」と言った人がいたがそうじゃない、サヴァンの絵には一目見てこちらを感心させる、ため息が出るような緻密さがある。とにかくこのおせち料理の絵には絵として見る者に訴えかけてくる何かが奇妙なほどにない、欠落していると私は感じた、私はそこから勝手な想像をした。
死刑囚として房の中でいままで過ごし、これからも過ごすことになる房の中の時間のために、絵を描くとか短歌を詠むとか本を読むとか日記を書くとか、何かしなさい、他の人もみんな何かしていると言われた、この人は知的な人生は送ってこなかったから文章による表現は難しい、それでほとんど唯一の選択肢として絵になった、それもとりあえずは色鉛筆が一番描きやすい。
この人は素直な人だから刑務所の指導員(のような人)の言葉に従って色鉛筆で絵を描くようになった、ただその言葉を受け入れるまでと絵を描くために手が実際に動き出すまでには歳月がかかったかもしれない、指導員の言葉を受け入れるのに歳月がかかったとしたらそれは反抗や拒絶でなく言葉の意味がわからなかった、ただ黙ってすわってるだけしかその人にはなかった、あるいはたまに房の中をぐるぐる歩く、定年後の抜け殻のようになったダンナさんに、
「お父さんもたまには散歩に出るとか俳句でも作るとかしたらどうですか?」と奥さんが言ってもダンナさんはただ黙ってすわってる、外の風景すら見ない、しかし死刑囚のこの人はこの定年後のダンナさんほどの拒絶もない、ただ回路がなかった、それが歳月を経てつながった。しかし色鉛筆を持っても描く対象がない、指導員は、
「心に浮かぶものを何でも描いてみなさい。」と言ったかもしれない。
「子どもの頃、画用紙にクレヨンでロボットとかロケットとか描いたのを思い出せばいいんだよ。」と言ったかもしれないがこの人は子どもの頃に絵を描いたことがなかった。指導員はつぎに画集や花や山の写真がいっぱい載った本を渡したかもしれない、しかしこの人はそういうものには何も反応しなかった。そしてある日スナック菓子の袋を描きはじめた。
この人の絵には絵とはごく小さい子どもでも持っている欲求や衝動のあらわれであるそれがまったくない、これは私の思い込みではないはずだ、絵を上手いか下手かでもっぱら見る人たちも、私のような見方をしないからそれを言葉として持たなかっただけで、この人のおせち料理の色鉛筆を見て、何かがないという居心地の悪さを感じたはずだ、あいにく会場には絵が百点以上あり、この一つの絵にとどまる必要はなく、もっとずっと上手い絵やもの凄い絵や静かな絵があったから通りすぎることが簡単にできた。
私はこの人の絵について、このようにたくさん言葉になるから、このようにして一回分の原稿になると思ったから面白いと思ったのではない、その態度は絵を置き去りにする、それでは結局私の興味の中心はこの絵でなく絵でも何でもいいからダシにして自分の文章を書くことになってしまう。私はこの人の絵を最初にも書いたが「面白い」という単純な言葉で言いたいのではない、絵や芸術や表現することだ。
若林奮【いさむ】という彫刻家がいる、いわゆる現代彫刻の分野で仕事をし、書肆山田から『I. W.』という本を出している、私は『I. W.』を私の『小説の自由』の三部作のたしか三冊目の『小説、世界の奏でる音楽』の中で取り上げた、ちょうど横須賀市美術館で若林奮展をやっていたから私はそれに行った、とその中で書いた、そこには彫刻だけでなくスケッチブックも展示してあった、私の記憶では色マジックかクレヨンで描いたV字の渓谷のデッサンみたいなのも何枚もあった。これがわからない。
彫刻はまだしも、というか少しは取っかかりがあって私は彫刻の方はたしかそれなりには楽しんだがデッサンは取っかかりが全然なかった、ピカソや抽象画でよく言われる「こんな絵は子どもでも描ける」というのはたんに下手とかメチャクチャとかいうことでなく、子どもの絵に通じる絵を描きたいエネルギーがそこにあるかでもあるだろうそれならそこを見ればいいわけだが若林奮のデッサンはそういうタイプではなかった、私がそう言うと、
「【しつらえ】がないからね。」
と若林奮本人と交流があった人が言った、その人は私にとても大判の若林奮の画集をくれたのだが今は簡単には出てこない、というか捜し出せない、私と妻は物の整理が極端に悪い、二人ともいつも目の前にある物以外捜し出せる自信が年々なくなってゆく、認知症の人が自信がないのはこういうことかと感じる、捜すアクションを起こしてせめて五分でも捜してみれば出てくる物でも「どうせダメだ」「そんなカンタンなわけにいかない」と思ってアクションを起こさない、……そんな言い訳してないで「起こそう!」といま自分に言って捜したが、あんな大きい物がいったいどこに行ったんだろう、ない。私は人の小説を読んでいて、「なんでこんなに雑なんだ」と思うことがあるがそれを自分の収納と照らし合わせればそういうことがありうることはわかる。
私は若林奮のそのデッサンのように、これに自分がどう接近すればいいかわからないものが好きだ、それを人は、〈わからない=高尚〉という若い頃の悪い経験を引きずってると言うかもしれない、人は人や物や事の何に惹かれるかはわからない、いつもグループの端にいて下ばっかり見ててほとんどしゃべらないような男に惹かれる女の人はたくさんいる、私は簡単に説明できてしまうものでなくそれに対して言葉が出てこないものにこそ惹かれる。
おせち料理の色鉛筆画について私はたくさん言葉を連ねたかもしれないがこの人と絵との関わりを勝手に想像しただけで絵それ自体についてはあまり描いてない。私はデレク・ベイリーというギタリストが好きだ、CDを三十枚くらいは持っている、デレク・ベイリーの演奏は言ってみれば若林奮のデッサンのような感じだ、いまはYOU TUBEで「デレク・ベイリー」と入れれば誰でもいくつも聴くことができる、とりあえずは便利な時代だ、しかしゴダールが、
「パラジャーノフの映画は映画館に辿り着くまで二時間歩くしかなかったとしても観る必要がある。」という意味のことを言ったそのようなものが根こそぎにされつつある。友人の山下澄人にデレク・ベイリーを教えたら、
「草や木がしゃべったらこんな感じだと思った。」という感想を言った。
絵が描けるから、楽器が弾けるから、文章が書けるから、と言って簡単に何かを上手にやってはいけない、そんなことは高校生ぐらいまでに任せておけばいい、絵も音楽も文章も、上手くできるからやる、上手くできないからやらない、そんなことではない、上手いとか下手とかの外がある。
私はおせち料理には絵とは表現であるその表現する表現したいという気持ちが、気持ちとなる以前の大ざっぱに言えばエネルギーのようなものがこの人にはない、あるいはまだ芽生えてないと感じた、そういう人が絵を描いた。
一人だけ名前を隠していなかった死刑囚は林眞須美だった、林眞須美の絵はたぶん水彩で月が黄色でまわりは全部夜空としての青、一枚はそういう絵で他も題材は違っても基本的にそういう絵ばかり四点か五点、
「描けと言うから描いた。絵以外の何物でもないでしょ。」と、表現というものに対する(または絵でも何でも表現するのは心にとっていいことだという刑務所内での通念に対する)明確な拒否を感じた。おせち料理の絵と林眞須美の絵が私は表現するという行為について対極の心の構えと感じだ。文章には、書き出し―中間部―終わりとある、文章はふつう終わりに結論的なことが置かれ、特に結論ではなくとも終わりにくるものが重要とか力点が置かれていることが多い、だからこの文章の終わりに林眞須美がくると私は林眞須美に力を置いたと捉えられるかもしれないが私の力点は圧倒的におせち料理にあることは内容を読んでもらえればわかるが内容を読むときにすでに文章の構成による判断を下している人は内容を読むよりその判断を優先させる。
あの断固拒否的態度の絵の作者が林眞須美であることは、たとえば家のまわりを取り囲んで何日も動かない取材陣に向かってホースで水をかけた姿などをいまでも忘れていない私にはつじつまが合いすぎて、わかりやす過ぎて心配になるところもある、結局私は絵を見たのでなく林眞須美を見てきたのではないか?
あの絵よりおせち料理の絵の方が考えるところが多く、表現という行為に対してこういう心のあり方がありうることははじめて知った、私はあのおせち料理の絵と今はまだあのような勝手な想像を働かせることによってしか関わりを持てないが私は私の想像を良しとしたいのではない、私はやっぱりあの絵そのものに心が動かされた、絵を絵として成立させる表現することの一番底にある欲求やエネルギーや意志がないと見える絵、私の勝手な想像は、あの絵へのアプローチの一つにすぎないと私は感じている、ということは私のあの想像よりあの絵の方が大きい、大きいとか小さいとかいう言い方もかなり不躾な言い方だが、私は絵や音楽や小説やダンスがそれが成立するために当然のこととして考えられている何かがないとすごい。私は同じことを二回書いた気がするが、とにかくそういうことに激しく気持ちが引きつけられたり揺さぶられたりする。 |