◆◇◆試行錯誤に漂う22◆◇◆
「みすず」2014年8月号
奥の奥の光景

 ひじょうに高いレベルに達している人だけが見る世界があると言われている、九〇年代私が将棋の羽生善治の発言を追いかけていた頃、羽生がよく、そこがどういう世界か見てみたいという意味のことを言った、私はたぶんその発言を聞くまでそういうことを考えたことがなかった。
 王貞治が引退直後くらいに打撃観を長いインタビューで話したとき、私はそういうことに関心を持っていなかったのか、
「どんな優れた打者でもバットが球に当たる瞬間は見えてない、バットが球を捕えるとき視線はバットでも球でもない別のところを見ている、だから打者にとってバットが球を捕える瞬間は不可視の領域なのです。」
 と、たしかほとんどこのとおりのことを言ったのは、私はたんに「不可視の領域」というスポーツ選手にしては形而上学的なことを言ったそこに反応して憶えている、しかしこれは考えてみれば小学生でも経験的に知っているきわめて当たり前のことなので王貞治はこの打撃のメカニズムを言うことによってもっと奥にあることを言おうとしたそこまでは私は感じも考えもしなかった。
 私は小学一年のとき友達の吉井と二人は野球を全然知らず、野球を知ってる遠藤君と佐野と遊ぶとスポーツ万能で外見も貴公子のようだった、二年生の途中で大阪に引っ越した、このあいだものすごく久しぶり、お互いが記憶する範囲では小学校卒業以来、私は学生時代に一度偶然会ったのを憶えているが向こうはそれは記憶してなかった、小学校一年の最初の席であいうえお順に男子女子を並ばせたから保坂と三好で隣りの席になった、
「保坂君、おかゆ好き? あたし今日おかゆ食べてきたのよ。」と言ったことを『〈私〉という演算』収録の短篇のどれかに書いたらそれは読んでいた三好さんも、
「遠藤君いたよねー! カッコよかったよねー!」と言うほどカッコよかった、私はきっと憧れの気持ちからいつも君づけで呼んだ遠藤君がピッチャーで佐野がキャッチャーで、遠藤君は私に、
「打て! と言ったらバットを振るんだよ。」と言い、そのとおり、
「打て!」と言われたらバットを振ったら、タイミングも球のコースも高さもドンピシャで私は生まれてはじめてのスイングがホームランだった、遠藤君のコーチングはすばらしく吉井も生まれてはじめてのスイングで同じくらい飛ばした。
 しかしそんなことはまぐれだ、小学三年でちゃんと野球の仲間に入れてもらうとバットは全然球に当たらない、しかしそれもコツを掴むと当たるようになる、しかしその上の本気の少年野球の球になるとまた当たらなくなる、それもある程度は当たるようになる、しかしその上のレベルのピッチャーとなるともうお手上げだった。こうして思い返してみると「当たった」「当たらなかった」という結果の記憶しかない。
 野球というのはピッチャーが投げた球が一本の線(軌道)となって打者に届き、その線の先端と回転させたバットが当たれば飛び、線の先端と回転するバットが外れたら空振り、という静的なことではない。ピッチャーが投げる球は途中で、グワンッ! と大きくなる。ピッチャーの手から離れた球はプロで時速140キロ、アマチュアで速い人はきっと130キロぐらいあるため、暴走する車やオートバイがこっちに突進するような恐怖がある、とくに球の速い人はコントロールが悪いからどこに飛んでくるかわからない、打者はピッチャーの手から球が離れた瞬間から球がくる予想円を経験的に計算する、時速130キロとすると3、600秒で130、000メートルだから秒速36メートル、マウンドからキャッチャーまでが約18メートルなので0・5秒で到達、その間に打者は、逃げる/逃げない→振る/振らないを計算し、振りかけたバットを草野球でも止める(ハーフスイング)から振る/振らないは最低二回は計算する、もっとも草野球では0・5秒でなく0・8秒くらいかもしれないが1秒ということはない。
 問題は球が自分めがけて突進してくるような恐怖心だ、「内角(インコース)の球をよけてるようでは一軍に上がれない」とコーチが言う、自分との距離と球の速度がつくる予想円が一番大きくなるのはたぶんピッチャー側1/3くらいの地点から2/3くらいのところで球が速いほど予想円は大きくなる、人間の生理としてはかすりそうなくらいですでによける、経験したことがない人はわからないかもしれないが、これはホントに恐い!
 内角の球をよけずにただ見送れるようになるのは(1)当たることを恐れないという恐怖心の克服なのか(2)この球は自分には当たらないというおもに視力による判断なのか、私にはわからない、(2)で「おもに視力」と書いたのはそれに自然と反応する打者の体全体の動きもまた球の予想円の判断を助けるからだ、運動というのは視覚も聴覚もすべてが体の動きとして撚り上げられる、(1)か(2)どちらか一つが機能するということはなく(1)と(2)は当然連動しているが、どちらかが優位ということはある。
 W杯のサッカーを見ていると、球に向かって跳びかかるゴールキーパーでさえも、スロー再生を映すと場合によっては手を出していても顔は目をつぶってよけている、動物としての生理的な反射がどうしてもよけさせる、と同時に意識が手や足や胴体を球に向かって出させる。
 羽生善治は九〇年代、将棋の最も奥深いところを見たいという意味のことを言うと同時に、「××××ならいいが、ボビー・フィッシャーにはなりたくない」とも言った、こういう表現は微妙で私のごく小さな言葉の選び方によって、羽生善治の発言が不遜に聞こえたり、ボビー・フィッシャーのことをおとしめているように聞こえたりする、この発言を羽生善治は何度かしたはずだが私が読んだり聞いたりしたかぎり、羽生善治の発言には不遜さもボビー・フィッシャーをおとしめる響きもまったくなかった、羽生善治は純粋に人間として最も高いところまで行った二人のチェス・プレイヤーに憧れていた、同時にボビー・フィッシャーは人生がチェス一色になった、チェスのことを考えすぎてボビー・フィッシャーの人生はチェスに飲み込まれた、そのことを最大の敬意を払いつつ恐れていた、ここは“畏れていた”と書くべきところか。
 言葉はほんの少しの選び方の違いで記述する対象の印象を良くも悪くもする、能力を褒めつつも人柄は嫌な感じにするようなことが言葉ひとつでできる、記述は観察(記憶力も含む)と言葉づかいだ、ところが文章に関して雑な人は観察もまた雑だ、観察もまた言葉の力を借りて精度を上げたりアングルや焦点を調整したりするらしい、その観察を記述に移す(出力)とき、記述が観察とどれだけ合っているか違っているか、その注意力はもう一度また一種の観察になる。下手な文章、いい加減な文章は、観察⇔記述のサイクルが何段階にもダメで、文章としての形を整えることに注意を取られている、
「四回目の候補で見事芥川賞を射止めた」なんて新聞の文章は形が整ってるだけで候補となった小説家の気持ちをまったく顧慮してない、これはAKBの総選挙で上位に入った子とか選挙に当選した議員や首長レベルの感想だ、小説家は芥川賞を狙って書いてない、「芥川賞は文学で一番重要な賞である」「小説家はみんな芥川賞を獲りたいと思っている」という世間一般の無知・偏見をいっさい修正せずそれに乗じている、記者として小説家にじかに接する機会を持ちながらまずそこを観察していない。
 羽生善治の発言を九〇年代に聞いたとき私は、
「将棋しか知らない人間になりたくない」とまでは限定したわけでなく、ここにプラスαの世界観がこめられているんだろうとは思ったが、言葉にすれば大筋これぐらいの意味でしかこれを受け止めていなかった、その後、ポアンカレ予想を解いたとされる(自分で宣言した?)ロシアの数学者のグレゴリー・ペレルマンは賞金を受け取ろうともせず行方知れずの状態になったと言われている、最近私は外国のテレビ局が制作したチェス・プレイヤーのボビー・フィッシャーの生涯を追ったドキュメンタリー番組を見た。
 数学者の岡潔のエッセイを読んで、数学というのはリーマン予想とかフェルマーの定理という難問を解くだけでなく、数の世界そのものを考える分野があるらしいことを知った、岡潔は奈良の山道で朝から陽が沈むまで空を眺めて、近所の人たちから変人奇人扱いされていた、ともかくここで岡潔は数を考えるために自然を見ていた、自然を見るということは自然からインスピレーションをもらったり思索する力や生きる力をもらったりすることだ。
 リーマン予想をめぐる歴史、それに挑戦した数学者たちの挫折を追ったドキュメンタリー番組があった、その番組の制作者は「四回目の候補で見事芥川賞を射止めた」式の発想でたぶん数学者たちの営為を見ているので、全員が「リーマン予想を解いて栄誉を勝ち取りたい」という射幸心や、もっと言えば、学校の教室の中で「俺が一番だ、すごいだろ!」というくだらないメンタリティしか持ってないように描かれていた、しかし少なくともペレルマンは栄誉のためでなく真理を見たいからポアンカレ予想を解いた。
 ペレルマンは貧しい生活をしていたと言われているが、そんなところからしか見なかっらインドにいる行者たちのことはまったくわからない、日本に平安時代からいた修験道の行者のことだってわからない、修験道の行者は即身仏になることを目指して修行したのだ、山の中で誰からも知られることなく一人でミイラとなる、現代はこれを人々が理解することができない世界になってしまった、ペレルマンはただ純粋にポアンカレ予想を解いたのだ、栄誉とか百万ドルだかいくらだか知らないがそういう賞金のためにポアンカレ予測を解いたわけじゃない、ポアンカレ予想を解くことが苦しみだったから解いた。
 楽しくて喜びを味わうなんてことはまだまだ全然どうってことない、楽しかったこと、ひとつひとつ扉が開かれていくことが喜びだったのがそのうちに苦しみになる、その苦しみは喜びを通り越した人しか経験できない、だから正確にはそれは喜びでも苦しみでもない、別の次元の精神の様相となるだろう、心の状態を喜怒哀楽と別の次元に持っていくこと、もしかしたら修行の目的の一部としてそういうことが含まれるのかもしれないがペレルマンはポアンカレ予想を解く過程でそこを越えたかもしれない、ペレルマンが本当にそうだとしたら喜怒哀楽というかなり即物的な心の状態の克服が修行に含まれる、という想像はいかにも浅薄だった。
 スヴェン・ヘディン『チベット遠征』(金子民雄訳、中公文庫)に、青海湖に浮かぶ孤島にいる世捨人のことが書かれている、青海湖はいまの中国・青海省にあり中国側からチベットに入るときのルートにある、『チベット遠征』はヘディンのチベット潜入の冒険が簡略化された本で、しかもヘディンはこの世捨人に特別強い関心を示したわけではないので「世捨人」と日本語訳されたこの人たちが宗教的にどういう人なのかよくわからないが、世捨人は青海湖の孤島の粗末な石小屋に三人で「いる」、住んでいるのか修行しているのかさえヘディンの文章ではわからない。
 冬になると陸地と孤島のあいだの湖水が一夜のうちに凍結する、青海湖は内陸塩湖だ、塩水の氷点は真水よりだいぶ低くマイナス20度くらいみたいだ、湖水が凍結すると遊牧民を代表して幾人かの勇敢な人が三人の世捨人に食糧と燃料を届けに行く、食糧は「一年分にも足らぬ」とも書かれている。
 世捨人はそこで死に、死ぬとそこで「ハゲタカや大ガラスの歓迎すべき食糧」となる、ということは鳥葬にされる、世捨人は一人になると、「己れを島と島に住む精霊に、いつでも喜んで犠牲に供することのできる、別の夢想家が捜される」。
 ヘディンのこの書き方はあんまりだが、見つつも感情移入しないこの態度があったからこそヘディンは『闇の奥』のクルツのようにならず、何度西域に行ってもヨーロッパに帰ることができたのだろう。こういう人生を選ぶ人がいるとペレルマンのことを想像しやすい、あくまでも想像によるアプローチだが、ボビー・フィッシャーがチェスに、グレゴリー・ペレルマンが数学に飲み込まれる、その世界から外に出られなくなるというのはこういうことなんだろうか。のめり込んで出られなくなることを戒める言葉はよく聞く、しかしそれのどこがいけないのか、私はわからなくなってきている。