◆◇◆試行錯誤に漂う16 ◆◇◆
「みすず」2013年9月号  
そこにある小説

「山の向こうに山以上の何かがあるのでなく、山がある。山を見て人が山より大いなる何かを予感したのだとしても、それはまだ汲み尽くしていない山のことだ。目の前にある山を見て、言葉はわずかなことしか語らず、語りきれないものが山の向こうにある何かであると人は感じるのだがそれが山だ。」
 この一節を書いて以来、私は自分が書いたこの一節の先をどうすれば書けるのか、この一節をどうすれば広げることができるのか、ということばかり考えている。私はかつてこれに似たことを何度も書いたかもしれないが、私の気持ちとしてははじめてこういうことを書いた。あたり前と見えるかもしれないが、まさにこのとおりのことはいままでほとんど誰も言っていない。
 小説という表現形式は、物語と芝居から生まれてきたものであるということは間違いないところだろう。芝居が声や動作をともなうものであることは当然として、物語もそれより前の抒事詩にまでさかのぼれば人の口で語られた口承文芸であり、人の口で語られたということは凹凸がある。
 声を出して語ることはとても自在な表現力を持ち、何が大事で何がたいしたことないかという語る内容の重軽やグラデーションを、抑揚・強弱・テンポ・表情・身ぶり手ぶりetc.で楽々伝えることができる。ここで私が言っているのが、いまわりと流行っている作品の朗読ではないことは言うまでもない。いま出版流通している作品は耳で聞くことを前提にしていない。いまの作品は目で字を読むことを前提にしているので、どれだけ朗読者が工夫して読んでも、口承文芸的な、というか、もっとわかりやすく言えば落語や講談が持つ直接性やわかりやすさはない。
 口承文芸には固定したテキストはなく、というかいわゆるテキストはなく、落語家や講談師がしているように、耳から入った話を自分として伝えやすいようにアレンジして話す、だから人から人へ伝わるたびに話は変化するし、同じ人が語るのでもそのつど変化がある、というこの変化がいまの朗読では前提とされていないのだから、いまの朗読から口承文芸的な何かをイメージすることはできない。
 小説はその口承文芸の豊かな伝達力によって生まれる凹凸がなくなったものだ。小説は紙いっぱいにべったり字が書かれている。もちろん小説家はそのべったり字で埋められたページに凹凸をつけようと努力する。ある部分は大きく目に飛び込むようにさせたい、ある部分は強く目や胸に刺さるようにさせたい、ある部分はその前とはガラリと転調して速度感を持って進ませたい、という風なことをいろいろ工夫して実現させようとする。
 しかしベケットは思うに、それらすべてを放棄した。たしかにベケットの小説には語る者の存在がこのうえなくリアルに感じられる、というか、ページのそこにいる。しかしその語る者は、ぶつぶつと、ひたすらたんたんと、可能なかぎり抑揚を排して語る。そう思うのはこちらの思い込みでベケットの小説には語る者のそのような実在はないのかもしれない。
 ベケットは語る者が現実に存在していなければ成り立たない芝居の戯曲を書いたが、だからこそ小説にはそのような語る者はもういない、と考えることもできる、が、決めつけるのはよくない、というか、これは推論の一人歩きというもので、私は今のところ、ベケットの小説にはそれを語る者の存在を感じる、しかしその語りは可能なかぎり抑揚を排したところで語る。と書いてみたものの、『マロウンは死ぬ』のラスト近くの癌で死んでもう自分のところに来なくなった看護人の女の場面など、セリーヌの『夜の果ての旅』の文庫では上巻の終わり、アメリカで出会った娼婦モリーへの呼びかけのように哀切きわまる。『名づけえぬもの』で感じられる唐突は軽妙さなども、軽妙であるということだけで語る者の声や体の存在を想像させる。
 ということは、ベケットの小説がべったり字がページを埋めているというのは表面的な印象にすぎないということにもなる。ベケットはたんたんとしているようで、ひんぱんに繰り返される言い換え・言い直し・言い間違いによって、ページにそのつどアクセントあるいは小さな裂け目や引っ掻きがつく。だからべったり字が埋まっているという言い方にはやはりこだわらない方がいいんだろう。それでもなお、ベケットの小声のつぶやきは今も異彩を放つ。

 シャルル・ジュリエ『ベケットとヴァン・ヴェルデ』(吉田加南子・鈴木理江子訳、みすず書房)という本の中で、著者のジュリエにベケットはこう言う。
「君のいうことは正しい。しかし倫理に関わる価値は、とらえることができない。そしてそれらの価値は定義できない。定義するためには価値判断を述べなくてはならないだろうが、それはできないことだ。だからわたしは、あの不条理の演劇という観念に決して同意できなかった。なぜならそこには価値判断があるからだ。我々は真実について語ることすらできない。それは絶望的な苦悩の一部だ。逆説的だが、芸術家が一種の出口を見出すのは形によってだ。そして形のないものに形を与えることによってだ。隠されていて、しかし現われ差し出されるべきものがありうるとしたら、おそらくそのレヴェル以外ではありえないだろう」(傍線引用者)
 何が「逆説的」なのか私にはわからないが、この「形」というのは、目に見えること、耳で聞けることだろう。山があることと同じだと私は思う。

 私はこのあいだ連載が終わった『未明の闘争』のラストで、家の外で餌を出している猫たちが死んでゆくところをたくさん書いた、しかし「お母さん」と作中で名づけた、猫のファミリーの系図の起点になる猫は『未明の闘争』を書き上げたときには生きていたがこのあいだ死んだ。
 その猫を家の中の猫たちと同じように府中のお寺で火葬してもらったときに、まだ外の猫たちとのつき合いが今ほど濃密でなかった頃に、死んだりいなくなったりした猫たちの供養をまったくしていなかったことにはじめて気がついた。二〇一一年の十月にマーちゃんが死んだとき私ははじめて家の中の猫たちと同じようにお寺で火葬してもらったが、二〇〇七年の一月にチャッピーが隣りの空き地で死んでいたのを見つけたときは、そこに埋めただけだった。その前に死んだミケ子とマフラーは区役所に引き取りに来てもらった。他にふっつり来なくなって、遺体の処理もできていない猫が三匹いる。
 お寺で火葬してもらうと、戒名こそないが
 「保坂家愛猫マーちゃん號霊位」
 という位碑のような紙を書いてもらい、それを飾って命日や月ごとの立ち日には手を合わせる。マーちゃんより前のチャッピーやミケ子たちはその位碑がないために私はその猫たちの供養をしてきてなかった。それでお寺に相談すると、位碑をこころよく書いてくれると言う。私と妻はいままで何もしてこなかった六匹の猫たちの追善供養のお経をあげてもらった。そのときお坊さんが、
「あなたたちのように犬や猫にやさしくしてあげていると、きっといいことがありますよ。」
 と言ってくれたのだが、「いいこと」はすでにある。毎日猫の世話をして、猫の心配して、猫のために心を砕く、それが「いいこと」だ。
 これだけでは唐突すぎてわからない人がいるかもしれないが、これ以上の説明は難しい。猫が好きで猫のために心を砕いている人間にとって、猫が好きで猫がいること以上の「いいこと」はない。猫は別に千両箱をしょってくるわけではなく、ここにいてくれればいい。
 『吾輩は猫である』で迷亭が、古代ギリシアでは知識(作中表記では「智識」)に対して何も報酬が与えられなかった、それは何故だと思うか? と問う。
 答えは、知識こそが人間にとって最も価値があるからだ。もし知識に対して金銀などの報酬が与えられたら、知識より金銀の方が価値があることになってしまう。したがって知識に優るものはないのだから知識に対しては与えるに値する報酬がない。猫が好きな人間にとっての「いいこと」とはそのようなものだ。

 『ゴドーを待ちながら』について、神の不在うんぬんを言う人は、ベケットをそれ以前の文学作品と同じ読み方をしている。ベケットは書いたこと以上のことは書かなかった。
「そうだとしたらベケットはおもしろいのか?」と問う人がいたら、私は「私はおもしろい。」と答える。ただ、ベケットはおもしろい/おもしろくないで読むようなものではない。

 夏になると私は、夾竹桃・木槿・百日紅に目が行く。この三つが私にとって夏の花の象徴だ。真っ青な空を背景にして花を咲かせた木槿の枝がスーッと伸びて風にゆっくり揺れるのを見る私の目は『カンバセイション・ピース』をずうっと書いていた夏の日々の自分の目にほとんど同化してる。私はひと夏だけでなく、ふた夏か三夏、それらの咲いている姿や散ったところを目を凝らして見ていた。
「いいこと」というのは、夏に夏の光景を存分に享受できることであり、夏のカーッと強い陽射しを喜べることだと言えば、猫を飼ったことのない人にも猫がいることそのものが「いいこと」だということがわかるかもしれない。
 それにしても、これを書いている今がお盆だからというわけでもないだろうが、ここ何日か私は死んでもう会えなくなった猫たちとまた会いたくてしょうがない。

《妓楼》はいまでは閉じられてしまった。それが僕の知りえたすべてだ。善良な、見上げたモリー、もし彼女がどこか僕の知らない土地で、僕の書いたものを読む機会があれば、どうかわかってほしい、僕は彼女に対してちっとも変わっていないことを。いまもやはり、僕なりに、愛していることを。いつでも、来たいときに来ていいんだよ。僕のパンを、僕のしがない運命を二人で分け合おう。もし彼女がもう美しくなくても、かまやしない! そのときはまたそのときだ! 僕の胸のうちには、彼女の美しさがいっぱいに、生き生きと暖かくしまい込まれている、だからそいつは僕たち二人分としても、まだ少なくとも二十年分は大丈夫だ、つまり死ぬまでの分は。」(セリーヌ『夜の果ての旅』生田耕作訳、中公文庫)

 私はもう中二階のある家のことを忘れかけているが、ごく稀に、絵を描いているときや本を読んでいるときなど、突然、あの窓の緑色のあかりのことや、恋心を抱いて寒さに手をこすりながら夜ふけの野原を家へ帰ったときの自分の足音などを、なんとはなしに思い出すことがある。そして更に稀なことではあるが、孤独にさいなまれ淋しくてたまらぬとき、ぼんやりと思い出に浸っていると、なぜかしら相手もやはり私のことを思い出し、私を待ちつづけ、やがて私たちは再会するのではないかという思いが少しずつ募ってくる……
 ミシュス、きみはどこにいるのだろう。
(チェーホフ『中二階にある家』小笠原豊樹訳、新潮文庫)