◆◇◆試行錯誤に漂う13 ◆◇◆
「みすず」2013年6月号   
そのつど映るラストの場面

携帯電話が壊れた、というかゆっくり壊れ出した。
二日前に送信済みのメールのフォルダの中にある一年以上前に送ったメールを見ようとしたら、去年の6月29日のメールが一番古く、それ以前のものがきれいさっぱり消えている。
 あれぇ、ヤバイ、……と思ってあれこれ無駄な操作をしてみるわけだがどこにもない。翌日、まず携帯電話ショップに問い合わせると案の定「……だと思います。」「……なんじゃないかと思います。」という返事しか来ない。それで総合受付に、総合受付はつながるのに時間がかかるし、前に何か問い合わせようとしたときに、番号の操作がわからなくて途中でやめたが今回はそうも言っていられないので総合受付に電話すると案外簡単につながり、パソコンや携帯のサポートは最近格段に人間的になったのか、ひじょうに明快でわかりやすい説明をしてくれたが、サポートの解釈は結果として間違っていて、
「壊れている可能性があると思います。」という携帯ショップの店員の説明の方が正しかったことが、今日わかった、というのはメールの下書きがごっそり消えていた。
 私は携帯電話を持つようになってからほとんどのメモ的な情報をメールとして書いてそれを下書きとして保存している。『カフカ式練習帳』を連載していたとき、家の中では何冊かのノートを置いてそのつど思いついたことを書いたが外では携帯でメールの下書きとして書いておいた。携帯は片手がふさがっているときとか混んだ電車はめったに乗らないが乗ったようなときには都合がいい。それから私は整理が悪く家の中にあるものの場所がわからなくなるので携帯はいい。というわけで二百件ちかく入れていたそういうメモが最近の三件を残してごっそり消えた。
 送信したメールについてはまあこれはしょうがない。たとえば猫が死んだときに自分がどんなメールを書いたのか、そういうことがもう確かめられないと思うと残念というか、自分の過去か記憶の一部が消えたような不安のようなものはあるが、なくなったものはしょうがない、形あるものはすべて滅ぶ、つまりそういうことなんだと自分に言い聞かせると、これが意外なほどあっさり自分で納得している。
 残念なのは下書きに保存しておいたメモ類の方で、こう書くと確かにメモ類が消えたことは「残念」で、送信済みのメールが消えたことは「残念」とは別の感情を伴なう事態だということがわかったが、残念はしょせん残念であって、そこには不安という、自分の体の一部ないし体とつながっている何かが欠落する感じはない。が、この連載のためにそのつど書き止めていたメモないし覚え書きはひとつを残して全部消えた。

 そういうものを記憶を頼りに再現するとする。そこに一人、校正者というキャラが登場するとする。私は最近ことに思うのだが、どうして校正者はあんな細かいことにこだわるのか、どうして出版物は字面の次元においてあんなに正確であろうとするのか。
 ちょうど今日読んでいた本は校正モレがあって、「 を受ける閉じの 」がなかったが、その文章は引用した文と書き手が言っていることがうまい具合に響き合って混然一体となっているので、ここは「 はあっても 」はなくていい、ここの校正モレは絶妙だなと思った。
 夏目漱石が「盆槍」など当て字だらけなのは有名だが、これは当て字としては無理がある。いや「盆遣」だったか。これならまあいい。私はずうっと「途惑う」と書いていた。あるとき校正者が「戸惑う」と直してきたが、その校正者に当たる何年間か私は自作の中で「途惑う」と表記していた(はずだ)。
 私がいた西武百貨店のカルチャーセンターには、出版社から転職してきた文学に詳しい(ということになっていた)人がいたが実際には現代文学のことなどほとんどわからず、彼にあるのは文芸誌を編集するのに必要な範囲の文学史的知識だけだった、その人が校正だけはイキイキして、たいていふつうの人たちは校正してもモレだらけなので彼はそこで得意になるわけだが、そんなことどうでもいいじゃないかと思っていた。
 現状たしかに、きちんとしていると言われている出版社ほど校正・校閲が厳密で、校正モレが目立つ本に出会うとその信憑性を疑いたくなるわけだが、そういうことは気にしなくていいじゃないかと思うのは私が校正というとカルチャーセンター時代のその人とセットにして考えるからだろうか。
 私は校正とウィキペディアに同質のものを感じる。目の前にある文章の正しさはただ出典によって根拠づけられる。ウィキペディアの初期、アメリカの大学だったと思うが学生がレポートを書くのにウィキペディアから調べ、ウィキペディアのその記述が間違っていた、というウィキペディアの正確性を私は問題にしているのでは全然ない。ウィキペディアはただ出典を明記することだけを記述者に求め、出典さえあれば正しさの根拠があると考える。校正者の原稿との照合と似ている、というか同質だ。
 私は送信メールとメールの下書きに保存していたメモ・覚え書きをなくした。私がこれから記憶を頼りにメモや覚え書きを再現するというか、もう一度それを書こうとするとき、私はメモの通りに書こうとしたらきっと私はそのメモを書いたときの自分の気持ちに近づくことはできない。
 そのメモが消えていなかったとして、私はそのメモを見ながらこの連載を書く場合、そのメモの通りに書かないのは間違いない。私はこうして書きながらメモは一つの目印程度にしかしないのだから、消えたメモを(忘れないように)もう一度書き止めておこうとしたとき、メモにどれだけ近いかということはもう問題とはなっていない。
 カフカの『審判』で、カフカはまず冒頭の第一章を書いた、次にラストのヨーゼフ・Kが処刑されるシーンを書いた、その後、ラストへと至るべく中間の章を書いた、しかし中間の章はこれといった流れがなく場面はそれぞれ独立しているから章の配列はわからない、それだけでなくカフカは使わないつもりだった章も紛れ込んでいるかもしれない、と考えるのなら、ラストの処刑のシーンもまた使わないつもりだった章でない根拠はない。カフカがもしラストの処刑のシーンへと至る流れを作りたくて、いくつもの(いまみんなが読める形の)場面を書いたのだとして、その場面群によってラストの処刑のシーンへとどうしても至ることが叶わなかったのだとしたら、カフカはラストを処刑のシーンにするのをやめようと考えたと考える方がむしろ筋が通っている。あるいは全然反対に、もしラストの処刑のシーンにどうしてもこだわるのなら、冒頭のシーンから書き直すことにしたという考えもひどく無理な考えということにはならない。が、それはカフカではない。
 何が一番もっともらしいとか、何が一番正解にちかいという考え方自体が一番カフカらしくない考え方だと私は思う、カフカは『審判』だけを(たぶん唯一の)例外として、ラストを設定せずに冒頭の一文からひたすら前へ前へと前に向かって書いた。カフカは自分の小説が出版されることを至上命令として小説を書いたわけではないので、どういう流れ=場面配列となっていようがカフカの勝手だ。この「勝手」という言葉はその最良の意味で使っているがそれでもなお勝手なことをどうしても許せない人にとっては許容しがたいものではあるだろう。社会や物事にはすべて規範・規則があり、それを破ったりそれの外に出たりすることなど考えもせずに規範を受け入れ、規範の番人としてふるまう人がいる、その人たちは自分が番人のふるまいをしている自覚はない。
 小説を書くとき、作者は漠然としたものであれラストを思い浮かべてはいるものだ。将棋の棋士はそれを「映る」といううまい言い方をした。
「十何手、二十何手の詰め将棋が、棋士の人たちは一瞬でわかっちゃうんですか?」
「「わかる」というんじゃなくて「映る」んですね。「見える」ほど明確じゃなく、さっと「映る」んです。」
 で、棋士の「映る」は間違わないのだが、小説のラストは映ってもそのつど形を変える。私は『未明の闘争』をついこのあいだ連載が終わったが、連載の三年八カ月、連載の前も含めると四年ぐらい、そのあいだラストの思い浮かべは何度でも変わった。何度変わってもラストの思い浮かべさえあればいいのだ。
 カフカは『アメリカ(失踪者)』も『城』も未完だが、ラストについてはマックス・ブロートに語っている。『アメリカ』の方は今は思い出せないが、『城』は最後Kは病いに倒れ、死の床に横たわるKに城から正式の測量師として迎え入れることにしたという知らせが届く、というもののはずだったが、その死の床に横たわるのは私で、私のまわりをたくさんの猫たちが取り囲んでいる、という光景を『城』のラストのカフカがブロートに話した情景を読んだときにその場でそれは私で私は猫たちに囲まれているという光景が胸に浮かんでしまったために、これもどこまで合っているかわからない。しかし冒頭の一文からひたすら前へ前へと前に向かって書き進む書き方の人にとって、ラストというのは自分の死の床の光景のようなもので、そのつどそのつど変わる。だから『城』のラストだって、カフカは【そのときはそう考えていた】というだけだ。
 厳密なカフカ研究者たちの研究と思索の結果、いま原文では『審判』(ドイツ語タイトルでは「訴訟」の意味)は、小説を一冊に綴じられた本と考えず、途中の場面の配列の決定稿がないのだから、十六分冊とかそういうバラバラの体裁の本になっているが、そこまで馬鹿正直にしなくも、そこまでカフカ(の本来の意図)に忠実でありたいと思う人なら、一冊として綴じられた本であっても、好き勝手な配列のものとして読むだろうし、現に、すでに何度か『審判』を読んでいる人なら、もう頭から終わりまでの通読にこだわらず、それぞれの人ごとにあっちに行ったりこっちに行ったりして読むだろう。
 『審判』の混乱の一因は、カフカが早々にラストのシーンを書いてしまったことによる。『城』や『アメリカ』では実際には書かずただ友人に口でしゃべるだけだったラストのプランではなく予想つまり思い浮かべを、カフカは『審判』では冒頭の次に書いた。 
 ということはしかし、冒頭の章につづいて読まれる章はラストなんじゃないか。読者はその、ギリシア悲劇の予言(預言)のように与えられたラストを念頭に置くというより、その鮮烈さが忌々しくも胸に刻みつけられた状態で、その状態から自由になることができないまま、中間の場面群を読む。中間の場面群は一つの明確な流れを持たないまま拡散的につづいていく。
 それにだいいち、たいがいの人は、
「「犬のようだ!」と彼は言い、恥辱だけが生き残ってゆくようだった。」(辻?訳、岩波文庫)
 という結末を聞かされ、その衝撃ゆえに『審判』を読むのではないか。もともと『審判』という小説は結末を知って読む小説になっているのだから、読者は一本の線のように流れる読み物というオーソドックスな形にこだわることがすでに自分を欺くことにもなる。と同時に内容紹介みたいなところでヨーゼフ・Kが処刑されるという結末をバラしてしまうわりと広くやられているやり方は、カフカの意図、というよりもこの小説の生成のあり方に案外叶っているとも言える。
 小説が一本の線のように流れるというのは、仮想の、便宜的な、一種共感覚的な、模式図であって、小説は人の指のようにあるところから五つに枝分れしたってかまわない、西武池袋線のように練馬から豊島園までたった一駅しかない行き止まりの支線がいくつもあったってかわまない。だいたい小説は本当に流れたりつづいたりしているものなのか、あちこちで断絶したり欠線したりしていないという保証がどこにあるか。というこれは小説を書いているときの私の実感だ。
 書いている途中で二日あいたり三日あいたりする。私はそのつづきを書くわけだが書いている私には二日とか三日とかの空白がある。作者は作品の外にあるとするのが伝統的な小説観で、外にあるというのは作品の中に流れる時間の影響を受けない、作者は形而上(=メタ‐フィジックス=超‐物質)にいる存在だ、というのはしかし嘘というか面白くなく、作者は今書いているその作品と書くという行為から影響を受ける、と同時に現実の時間・出来事からも影響を受ける。
 私はたいていは一駅しかない行き止まりの支線は反故原稿になる、ある場面のその先が行き止まりの支線だらけだと手の指のように分岐した反故原稿群になる、それらは出来うんぬんというより流れを持った読み物というオーソドックスな小説の形からの要請によって反故となった、それらが形を変えてどこかその先の場面として使われることは私の場合まれだ、取っておいてもキリがないからしばらくは雑然とした室内のどこかにあるがそのうちに捨てられる。
 私は出版される原稿よりも反故原稿の方をとりわけ今回は、といっても前に書いたときのことはもう忘れているのだが、今回の『未明の闘争』ではたくさん書いた、書くというのはこういうことなんだなあと、以前にも増してここ数年はずっとカフカのことを考えているので書くことをそのように分岐した原稿を書くことだと感じるようになった。