シュトックハウゼンという作曲家のことは名前しか知らなかったが、『シュトックハウゼン音楽論集』(清水穣訳、現代思潮社)という本がとっくの昔に出ていることをついこのあいだ知り読みたくなって読んだらやっぱり面白い。いわゆる現代音楽の作曲家の文章はだいたいどれも私は面白いから面白いのはまったく不思議ではないが、ブーレーズもメシアンも文章は面白いが作曲した音楽の方は面白いとは思えないが、シュトックハウゼンはこれは驚くほどユーチューブにいっぱい入っていて聴くとそれは日本語のウィキぺディアにも書いてあるようにノイズ系の音楽みたいな音楽で私は聞きやすく面白い。
日本語のウィキぺディアを読んでいると『ヘリコプター弦楽四重奏曲』というのがあり、それはまさに弦楽四重奏団がヘリコプターに乗って演奏する曲であり、ユーチューブでstockhausenからhelicopterと入れると、本当にヘリコプターに乗った人がそれぞれバイオリンを持ったりチェロを抱いたりしてそれを弾いているのが映る。これはもう、いい悪いを超えて感動する。シュトックハウゼンはウィキペディアによれば「ある日、ヘリコプターに弦楽器奏者が乗って演奏し、それが四つ輪になって旋回する「奇妙な」夢を見た」という、夢でしか起こらないようなことが実際に起こっている。CGによっていろいろなことができると思っている、少しも面白くない最近の映画の欠けているものが凝縮されてそこにある。
そういえばシュトックハウゼンは九・一一のテロについて、
「あれはアートの最大の作品」「ルツィファーの行う戦争のアート」
と発言したために激しいバッシングにあったのだった。バッシングはよくある、発言全体の文脈を無視した、問題の箇所だけを抜き出したもので、しかしうっかりこの言葉だけが口を突いて出てきてしまったものだとしても、あの世界貿易センタービルが崩れ落ちる瞬間に興奮をまったく感じずただただ悲嘆だけをあの瞬間に感じていたという人の方が少ないはずなのだから、あのような惨事に対して自分が一瞬たりといえども気持ちが高ぶったことの罪悪感を、具体的に発言した人に魔女狩りのように押しつけたというのがバッシングの心理だったと私は思うが、私が今書いた「興奮」とか「気持ちが高ぶった」というのがそもそも、サッカーや野球の贔屓チームが得点した瞬間の、「よっし! やった!」という興奮と全然別のもので、三・一一の津波が街を飲み込む映像を見ているときに感じた興奮と同じで、その興奮は、危険から逃げるために必要な動物に内蔵されたスイッチ、非常ベルやサイレンのようなものなのではないか。
『ヘリコプター弦楽四重奏曲』を見る高ぶりはやっぱりどこか九・一一のビルの崩落の瞬間に近い。そのシュトックハウゼンが『音楽論集』の中で、少なくとも二回、ベケットの『名づけえぬもの』から引用している。ベケットはこのような大仕掛けとは正反対の方を向いているように思えるそのベケットをシュトックハウゼンが引用するのが私はなんといえばいいか、私はずうっとベケットだから勇気づけられる。
「これからは、すべてのことについてこう考えておこう、言われたことと聞かれたことは同じ起源を持つのだと、ただ何かを考えておくという可能性だけはできるだけ疑わずに。この起源を私の中に据える、どこになんてはっきりと言えない、細かいことはいらない、だってすべては、ある第三者の良心だとか、もう少し一般的な言い方をすれば、ある外部の世界に比べれば優先されるべきなのだから。」
『名づけえぬもの』は、全体にベケットの小説のすべての文章は、このように引用するとキリがない。すべての文章は深遠な意味があるように見える。しかし何も意味なんかないようにも思える。ベケットの小説はずうっと長いこと私にとって「なぜ」「なぜ」、「これは何か」「これは何か」のかたまりで、そのような構えで読んでいると気持ちが飽和して私は投げ出すしかなく、しばらく月日が経つとまた戻る。
現状では小説家とは職業だから小説を書くためにあまり深入りしてはまずい作品というのがあってそれが私だけでなく誰にとってもベケットだ。ベケットの言いよどみ、言い直しはあまりに心地よい。私は大学四年生の頃にベケットをまったく知らない状態で古本屋で『モロイ』(三輪秀彦訳)に出遭ったとき、語り口のあまりの心地よさに驚いた。
私は現代文学や海外文学にくわしい学生ではなかったので、ベケットのような語り口にそのときはじめて出遭ったのだと思うが、ベケットの語り口は私の内側にあった言葉あるいは文の生成そのもだった。私はその日以来、それ以前に自分の内側にあった文や自分が書いた文がベケットと同じように言いよどみや言い直しばかりだったのかそうでなかったのかわからない。
「玄関前の石段は高くなかった。わたしは昇るときも降りるときも、幾度となくそれをかぞえたはずなのに、もういまではその数字を思いだせない。歩道に置いた足を一つと呼び、第一段目にかけた次の足を二つと呼ぶべきだったのか、それとも歩道は数に入れてはいけないのかどうにも見当がつかなかったのだ。」(『追放された者』三輪秀彦訳)
私は『モロイ』のモロイがだんだん歩けなくなること、『マロウンは死ぬ』のマロウンがベッドに横たわっているだけであることと、『名づけえぬもの』の語り手がかめの中にいることの意味をずうっと考えたりした。ベケットの語り口はあまりに心地よく私はこのような文章ならいくらでも、もう本当にとめどなく書ける確信があった。ある人は言う、「ベケットの文章は詩のようだ」と。しかし言葉の響きによってベケットがベケットであるのではない。
おそらくベケットの語り手が『名づけえぬもの』のように晩年の『伴侶』に至るまで自由に動けないことに、あの頃私が考えていたような意味での意味はない。『名づけえぬもの』の語り手がかめの中にいるそのポーズは胎児の姿勢なのだ、と解釈する評論も読んだが(読み通しはたぶんしなかった)、そのような解釈には何の意味もない。一歩進んで、胎児ゆえの未生の時(の思惟)なのだ、と言ってみても意味はない。『名づけえぬもの』の語り手がかめの中にいて動かないのは、『モロイ』『マロウンは死ぬ』ときて、だんだん動きを奪われたその結果だ。ただそれだけだ。小説はどれだけ要素をなくしていくことが可能なのか? どれだけ少ない要素で小説が小説たりうるのか? それを知りたくて、動けない、まわりが見えない、という条件(縛り)を作っていった。
ベケットを読むのは、このような、小説を成立させている空間そのものを読むことだ。シュトックハウゼンのように引用してくれれば長年のベケット・ファンとしてはうれしいことは確かだし、読んでいれば意味深い箇所に出会いそこに線を引きたくなるのは自然なことだが、ベケットがしたことはあのような言葉ないし文の持続を作ったことだ。
自分もさかんに使っている、その便利さをどうにも否定しがたいウィキぺディアが、世界の言葉や文や思惟を蝕んでいる、なんとも嫌な感じが私はどんどん大きくなっている。ウィキペディアはインターネットというのかコンピュータというのか、今まさに活動しているこの知の空間の一部分でなく、相互に溶け合っている知の活動であり、そこでは息苦しいほどに正しさが書く者の背景にある。
根拠がはっきりしない発言に向かって数値的正しさや文献的正しさで攻める。論理的な正しさや政治的正しさも同じことなのだが、“正しさ”を後ろ盾にして曖昧な発言を攻めるのは、そのいびつさに気づいていない人にとってはまったく正しく自然なことだが、その全体がおかしい。
彼らはその“正しさ”をもって根拠の曖昧な発言を攻めることで何に仕えているのか?
ということだ。共産主義(社会主義もマルクス主義も私は区別がわからないが)が失敗したのは、“正しさ”を疑わなかったからだ。“正しさ”を知っている者たちによる一党支配はによって歴史は“正しさ”に向かって進んでゆく、という大きな誤解。
(こんな書き方をすればネット的には山ほど批判がくるだろう。「何をもって“失敗”と断定するのか」「“正しさ”という言葉が曖昧すぎて意味不明」「「“正しさ”を知っている者たちによる……」の一文はもう意味朦朧。文法的に日本語であるというだけ」――このような“正しさ”厳密さ、根拠を盾にした批判が書くだけでなく、一人の中で考えるときにもたぶん、そのつどそのつど迫ってくる(「そんなことを感じているのはおまえだけだ(結局おまえは自分の論証のあやふやさに対する後ろめたさを、“ネット的”などと外部化しているだけだ)」))
彼らは、“正しさ”によって、何に仕えているのか?
いや、このような言い方は攻撃になってしまう。私は攻撃しようと思っていない。ただ、「その“正しさ”へのこだわりもまた何かに仕えている」のだということだけを、彼らに向かってでなく、彼らでない人たちに向かって指摘しておきたい。彼らにつき合っていてもキリがない(「おまえが勝手に言ってるだけじゃないか」と彼らは言うだろう)。
ベケットを読み、というかベケットが読め、ベケットのような書き方が生まれるのを妨げないこと。などと言って、私は何の気なしに買っただけで全然読んでいない『ノヴァーリス作品集T』(今泉文子訳、ちくま文庫)を手にとると、私はページにすでに線を引いてある。
「そもそも語る・書くということは、奇妙なところがある――ほんとうの会話というのは、単なる言葉の遊戯なのだ。人びとは事物そのもののために語っていると思い込んでいるが、この滑稽な思い違いにはあきれるほかはない。誰も知らずにいるが、自分自身のことにしかかまけないというのが、まさしく言葉本来の性質なのだ。だからこそ言葉は、不思議で実り豊かな秘密となり、それゆえに、もし、ただ語るがために語るならば、最高にすばらしい独創的な真理を述べることになる。だが、なにか特定の事柄について語ろうとすると、言葉の気まぐれに弄ばれ、ひどく滑稽で頓珍漢なことを言ってしまう。そのせいで、言葉に対して憎しみを抱く生まじめな者がけっこういたりするのだ。かれらは、言葉のむら気には気づいても、くだらないお喋りが、実は言葉のかぎりなくまじめな側面だということには気がつかない。言葉は数式と同じようなものだということが、この連中に分かってもらえさえすればいいのだが。」
「対話・独白」となっている作品(?)の「独白」の項にこういうことが書かれていて、引用の傍線は私が引いた傍線だ。これがベケットの語り手のとめどなく流れる言葉へと通じていないか。そしてウィキペディアのような「×××について語る」ということへの遠い批判になっていないか。
私はパソコンやワープロを使わずに手書きで文章を書く。ワープロを八七年頃から使いはじめ、小説家になって最初の十年は第一稿を手で書き、第二稿〜決定稿をワープロで書くというそれをやめたのは肩が凝るからと漢字変換が思いどおりにいかないのがうっとうしかったからだが、手書きだけにして以来も、ウィキペディアのようなものを使う頻度が増し、他にもいろいろで結局はパソコンをいじっている時間は一日の中で増す一方だとはいえ、向いている関心はパソコン以前にどんどん向かっている。
『シュトックハウゼン音楽論集』に収められている文章の初出は1953年から61年だ。シュトックハウゼンの著作集は予定も含めて十巻まで出版されるそうだが、日本語ではこの一冊しか出そうもないが、53年から61年までの音楽論で私にはじゅうぶん刺激になる。ノヴァーリスが生きたのは1772年―1801年だ。
文章や思索には古いとか新しいとかない。古びるものはいっぱいあるが「古びる」という言葉がカン違いなのではないか。十年二十年で古びる文章は、最初から古びていた。あるいは、二十世紀から二十一世紀の人間は、十八世紀からひとつながりの思考様式を生きているということなのかもしれない。十八世紀どころか古代ギリシアや古代中国とひとつながりの思考様式なのかもしれない。
ずいぶん大ざっぱな言い方だが、人類はこれから一万年くらいはどうしたって生きるのだろうから、いつか大きな思考様式の切断があるとしたら、それ以前はひとつながりのものと見られるだろう。古代ギリシアの哲学者たちや聖書を書いた人たちや孔子や老子たちは自分の言葉がいつまで読まれるか? という風に少しでも考えてみたことがあったのか。楽器奏者や踊りや舞いを舞った人たちはそういうことを考えることがあったのか。 |