小説は小説家によって書かれるものだが、小説家の何によって書かれるのか? 意志? 意図? 自我? 事前のプラン? そこにとどまっているかぎり小説が独自の運動を獲得することはない。 では夢はどうなっているか? 夢を意図して見る人はいない。夢は本人の意図しないところで勝手な話を作る。夢の内容についていろいろな解釈をすることは できるけれど、夢には必ず解釈しきれない要素が残る。小説は夢ではないけれど、すべてを解釈しきれないという意味では夢と共通する性格を持っている。 精神は理解の様式という点では実に豊かで、何でもかんでも理解してしまうものであるということは私もよく心得ています。これは私がスーパーヴァイズして いる人たちにつねづね言っていることですが、とりわけ患者を理解しないようによくよく注意しなくてはなりません。理解してしまうことほど皆さんを惑わすも のはありません。患者は頭も尻尾もないことをしゃべりますが、私にそのようなことを報告しながら「彼が言いたかったことがこれだということが解かりまし た」と言う人がいます。これは、その前に立ち止まらなくてはならない理解できないものを、たんに知性の名の下に巧みに避けているに過ぎません。 これは、ラカンのセミネールのシリーズの第二巻『フロイト理論と精神分析技法における自我』(以下『自我』と略す)(ジャック=アラン・ミレール編、小 出浩之他訳、岩波書店)の中でラカンが語っている言葉だ。 ただし、ラカンはこの引用部の前にまず、いま自分たちは存在とか運命というような大げさなことを論じているわけではなく、実験室で計測されたことを取り 上げている程度のことしかしていないのだが、計測するだけでは不十分であって、理解しようとしなければいけないと言っている。理解しなければいけないのだ が、人は何でもかんでも理解してしまう性癖があり、すぐに理解に走ってしまうことによって、注意深く耳を傾けなければならないところを黙殺してしまうの だ。 結論や断定が早い人、こちらの言おうとしていることをきちんと聞かず早々に切り上げてすぐに決めつけてしまう人、そういう人たちのことを嫌いだった子ど もたちが大人になって文学や音楽や美術や芝居やダンスをしているはずなのに、評論や書評という何かを論じる場が与えられるとどうして理解に走る人間になっ てしまうのか。柴崎友香『主題歌』(『群像』六月号)と青木淳悟『いい子は家で』(新潮社)について書かれた評をいくつか目にして私は「ったく、も う……」と思う。が、その批判をしても仕方ない。 小説は小説家の意図や自我によって書かれるものではない。まず、セミネールの『自我(上)』からこれに関係している箇所を抜粋する。 「私とは一個の他者だ。」(ランボーの言葉)(10ページ) 「無意識は、人間が自らを自分と認める根拠になる確信の範囲をはるかに超えています。」(10ページ) 「主体は個体と同じではない」(11ページ) 「フロイトはこう言っています。主体というものは、彼の知性ではなく、知性と同じ軸の上にあるのでもなく、中心を外れている、と。」(12ページ) 「主体は個体に対して中心をはずれている。これが「私とは一個の他者だ」という言葉の言わんとするところです。」(12ページ) 「(レヴィ=ストロースの親族の基本構造について)その前提となるのが、象徴的審級が社会において起源から、社会が人間的なものとして現れたときから機 能しているということです。ところでこれはまた、我々が分析において発見し扱っている意味での無意識が前提としているものでもあります。」(47ページ) 「象徴的機能が機能していれば、我々はその内部にいることになります。さらにもっと言うなら、我々はあまりに内部にはまりこんでいるのでそこから抜け出 せないのです。」(47ページ) 「自我は、その最も本質的な局面において、一つの想像的機能です。このことはまさに分析経験が発見したことであり、私が、例えば象徴的なもののように、 ほとんど「ア・プリオリ」と規定するカテゴリーのものではありません。」(58ページ) 「私が皆さんに教えていることは、フロイトが人間の中に主体の重みと軸を発見した、ということです。この主体は、個人の経験の総和としての、さらには個 人の発達の方向ですらある個人の組織を越えています。私は主体について可能な一つの定義を示したいと思います。つまり主体とは、経験の全体を被い、経験に 命を吹き込み、意味を与えることになる、象徴の組織化された体系である、と定式化することができます。」(66ページ) 「フロイトが切り拓いた次元では、主体の軸となる現実はその自我の中にはありません。」(71ページ) 「無意識とは自我の知らない、自我によって無視された主体です。これが、フロイトが『夢判断』の夢過程についての章で「我々の存在の核」と書いたもので す。」(71ページ) 「自我は「私」とは別のもの、主体の経験の内部における特異な一対象です。」(72ページ) 「科学主義的思考は純粋に心情的でまったく整合性を欠いた無神論的側面を持っているために、その反作用として意識を諸現象の頂点と考えるようになったの です。科学主義的思考は可能なかぎりこの意識というものに、傑作中の傑作、万物の理、完全性といった価値を与えようとします。それはちょうど神のように絶 対的な王を意識という立憲君主制の王にするようなものです。しかし意識はせいぜい付帯現象にすぎないので何の役にも立ちません。」(78ページ) 「主体性について語る際に難しいことは、主体を実体化しないということです。」(88ページ) 「(発言者の誤りに対して)つまりあなたは、あなたの超越論的偏見によって無意識についてのある種の実体論的観念に向かっているのです。」(90ペー ジ) 「今年度の我々の研究の中心的課題は自我です。つまり、この自我から、自我がある種の明証性から受け取る特権を引きはがそうとしているわけです。この明 証性について、私はこれが歴史的な偶然に過ぎないと様々な方法で強調しようとしています。この明証性が哲学的演繹において占めている位置を見れば、これが 歴史的偶然であることは明白です。ところが、自我という概念に現在考えられている明証性は意識に与えられたある種の威光からきています。つまり、意識とは 単一で、個別的で、還元不能な経験であるという威光です。このような自我についての直観は、その中心が意識の経験に置かれるかぎり、人を魅きつける性質を 持っていますが、主体についての我々の概念に取りかかるためにはこの性質を切り離さなければなりません。私はこの引力から皆さんを引き離して、フロイトに とって主体という現実がどこにあるのかをとらえていただこうと思います。自我のシステムから締め出され、無意識において、主体は語るのです。」(95ペー ジ) 「フロイトが発見したことは、人間は人間の中になどない、ということです。」(120ページ) 「人間が一つの身体の中に閉じ込められているなどということはまったく奇異なことです。」(121ページ) 「快感原則から区別される、あらゆる生きたものを死んだものへと引き戻してしまう傾向を持った何かがある。フロイトはそういう言い方をします。(略)フ ロイトにそう考えさせたのは生きた存在の死ではありません。人間の体験、人間的交換、間主観性です。フロイトが人間について観察したことの中に、彼を生命 という限界から抜け出せざるをえなくする何かがあったのです。」(135ページ) 「ここで我々は、すでに皆さんに指摘したこと、つまり、無意識は他者のディスクールであるということに戻ります。この他者のディスクールは、抽象的な他 者のものでもなく、二元論における他者のものでもなく、私の通信相手のものでもなく、またたんに私の奴隷のものですらありません。それは私がその中に組み 込まれている回路のディスクールであり、私はその回路の鎖の輪の一つです。」(149ページ) 「主体にとって外在的な象徴の回路があり、この回路はその支えである人間という代理人のグループに結びついていますが、この回路の中にこそ主体、つまり 主体の運命と呼ばれる小さな循環が、際限なく含まれています。」(164ページ) 「フロイトによれば、夢にはつねに絶対にとらえられない点があり、これは不可知なものの領域に属しています。フロイトはこれを夢の臍と呼んでいます。こ のことはあまり強調されません。臍などというのもおそらく詩的表現だろうと思われてしまうからです。そんなことはありません。このことが意味するのは、夢 という現象の中にはとらえられない点、主体と象徴的なものとの関係の出現点があるということです。」(176ページ) 「つまり意味[シニフィカシオン]の全体系は人間の中にはなく、人間の構造はそのような意味の統合ではなくて、その反対であると(フロイトは)言ってい ます。」(201ページ) 前回私は、自我の乗り越えと死の乗り越えは同じことなのではないかという予想を書いたが、「快感原則から……」の引用部はたぶん同じことを言っている。 もともと人間はこの、目に見えて手でさわれる物理的な個体の中だけで生きているわけではなくて、象徴界という網目の一部として生きている。ここでは引用し なかったが、動物は環界(外界)にフィットするように内界が作られ、体の形態もそういう風にできあがっているのだが、人間では動物みたいに外と内を分ける ことが不可能なのだということもラカンは言っている。 「フロイトはこう言っている」と何度も何度も出てくるが、それが象徴界に生きる人間としてのラカンの考えでもある。そのラカンを引用するこの文章もまた 書いている私の考えでもあるわけなのだが、じつは私はこの本を四年くらい前に一度読んでいる。付箋をぺたぺた貼って、線をいっぱい引いてあるから読んだこ とは間違いないのだが、そして読んだという記憶もはっきりあるのだが、内容を私はほとんど完全に忘れていると思っていた。 しかしこうして並べた引用箇所を読むと、私の私観や自我観や人間観は基本的にこの本によって作られているのではないかと思いたくなる。きっと、自分が しゃべっている言葉の出処を忘れているかぎりにおいて、その言葉は自分の言葉ということなのだろう。 話は前後するが、「象徴界」というのは広い意味での言語のことだ。道路標識とか旗がそれに含まれるのは当然のこととして、道がまったくない山の奥まで迷 わずに分け入っていけるマタギのような人にとっては、山に生えている目印となる巨木もおそらく象徴界としての機能を果たしているのだろうし――つまり比喩 でなく「山が語りかけてくる」「山と対話する」――、絶対音感を持つ人にとって街の騒音がすべて音符(?)や人の話し声のように聞こえてわずらわしくて仕 方ないというのも彼らにとってそれが象徴界となっているからではないか。 私の家のまわりでは日中の半分ちかくカラスの鳴き声が聞こえているが、それを「聞いてしまった」途端ないし「聞こえてしまった」途端、カラスの鳴き声も また象徴界になるのではないか(この説は私の勝手な想像だが)。あるいは視覚記憶がとび抜けてすぐれている人がいる。小説家の藤沢周は、一枚の絵を一分間 見てそれを記憶して、次によく似たもう一枚の絵を見て間違いの箇所をいくつ言えるかという問題は、自分にとっては二枚の絵が目の前に並べてあるのと同じこ とだから「どこが問題なのかわからない」つまり苦もなく全部言えると言っていたが、そういう人にとっては視覚もまた象徴界ということになるのではないか。 私がこんなことを書くのは「象徴界」という言葉を知らない人に啓蒙としてそれを説明したいからではない。小説家が小説を書くということのイメージを読者 に喚起したいからだ。小説を書くということは、小説という場の中にいま説明した意味での象徴界を持ち込む作業なのだ。その作業過程にあって小説家は著者と して世界に対する主体性や能動性が弱まっていくことを実感する。 他人の言葉なのに自分の言葉のように読んでしまう本に最近私はもう一冊出会った。『高橋悠治/コレクション1970年代』(平凡社ライブラリー)だ。 この本は、『ことばをもって音をたちきれ』(晶文社一九七四年)、『音楽のおしえ』(同一九七六年)、『たたかう音楽』(同一九七八年)という、高橋悠 治が一九七〇年代に発表した三冊のエッセイ集のオムニバスになっているのだが、この本を読みながら私は自分の思考の根っこを読んでいるような気持ちになっ た。この本の中で徹底的に批判されている小林秀雄を含めて私は学生時代ほとんど文芸評論の類を読んだことがなかった。というか、評論類は「現代思想」「ユ リイカ」などの雑誌で読むだけで、単行本として買ったのは、吉本隆明の三冊ぐらいと高橋悠治のこの三冊だけだった。そして読んで高揚したのは高橋悠治だっ た。 「小林秀雄「モオツァルト」読書ノート」という項にこういうことが書いてある。 モーツァルトのてがみは言う――構想は心の中に全体として姿をみせる。作品は想像のうちで完成し、書きつけるのはアヒルの話をしながらでもできる。これ は小林秀雄の言うような「精神生理学的奇蹟」ではない。おそらく作曲家のだれでもが知っているプロセスなのだ。 全体のイメージがどこからかやってくる。ある瞬間に気がつくと、それはすでにそこにある。全体をさまざまな角度からしらべ、必要なディテールを発見する のは、ゆっくり進行するプロセスであるのがふつうである。時間をかけることが問題なのではない。ディテールが全体の機械的な分割にとどまらず、相対的に独 立した運動をもつことによって、逆に全体はディテールの集合から独立した次元を獲得する。こうして、はじめにあらわれた全体のイメージを超えることが必要 なのだ。このことなしには、作曲は実行にあたいしない、ゆめみるだけで充分なものになってしまう。 モーツァルトの場合、この作業がノートをとる時間もないほどすばやく、集中した精神の白熱状態でおこなわれたとすれば、かれの音楽のディテールの不足、 一瞬も注意力をたちどまらせることなく、先へとかりたてる力を説明することができよう。ほとんどの作品のもつ実体のない魅力も、異常にひきのばされた単細 胞的構成の不安定さの反面である。このミュータントをまねようとするこころみが、背骨を折ることに終わるのは当然であろう。それはもともと背骨をもたない のだ。 すべてのディテールにわたって、構造が一度決定されれば、アヒルの話をしながらすばやく楽譜を書くのには天才を必要としない。心の中にあざやかにきざま れた音楽は、消えてしまう前に書きとめなければならない。音楽がつきまとい、発酵しはじめる前に紙に記憶させ、自分ではそれをわすれてしまう必要がある。 きたるべき構想のために心をひらいておくのだ。 三十年前、大学生だったときに私は確かにここを読んだ。いまあのときに読んだ本は二十数年前の引っ越しのときに間違ってゴミとして処分されてしまった段 ボール箱一箱分の本とともに焼却されてしまったが、同じところに傍線が引いてあったに違いない。 あるいはまた、「時空の網目をくぐって」と題された日記のようなメモのような断片形式の文章にはこういうことが書いてある。 具体的な状況や、ある態度について、こまかい区別をたてて分析することは、いつも有効だ。これに反して、観念のこまかい区別、厳密な定義は二次的な重要性 しかもたない。それはしばしば送信のチャンネルをせばめること、前提を絶対的なものとして論議を強制する結果になる。仮定から出発し、それが現象を説明で きるかぎり、仮定を定義として固定し、その前提から引き出された公理と形式論理の法則以外のものをつかわずにひとつのシステムをくみたてる公理論は矛盾な くすべての現象を説明するとみせかける独断論的方法だ。システムをうけいれれば、定理に系をつけくわえるしごとしかのこらない。アカデミズム。矛盾をしめ だすのではなく、矛盾から出発し、論理の自己増殖をくいとめるべく、選択の余地をのこしておけるようなシステムがかんがえられる。現象を説明できる仮定で はなく、現象のよわい部分に対して行動をおこすための予測から出発し、対象の厳密な定義よりも、対象の操作についての最小限の原則をたてる方法。 とにかく私は大学生の頃から、「それがいかに素晴らしいか」というような骨董品を撫でまわすような事後的な文章には関心がなく、音楽や小説を自分の生き ている世界の一要素として循環させるとでもいえばいいか、そういう働きかけが存在するサイクルをイメージできるような文章にしか心動かされなかったという ことで、それはそのまま今にいたっている。 さてところで柴崎友香『主題歌』なのだが、全作『その街の今は』以来、読みながら何度も「下流」という言葉が浮かんでくる。 「下流」という言葉は私が調べたかぎり、二〇〇五年九月に出版された三浦展『下流社会――新たな階層集団の出現』(光文社新書)ではじめて使われたもの で、社会的地位や高収入を目指さず自分たちの趣味や価値観にしたがって生きることを選んだ人たちのことを言う(私の理解では)。彼ら彼女らは、基本的に一 定の職についていて収入もあるのでニートではなく、貧しさにあえいでいるわけでもないので格差社会で下の層にいる人たちでもない。 という、このような分類というか属性というか、そういうことの説明はいかにもこの小説にはふさわしくないのだが、しかし、小説に描かれた人物や風景を社 会に照合させないと何も理解できない人たち――逆に言えば、小説に描かれた人物や風景が社会と照合させられれば理解したと思う人たち――が、かなりの数い て、批評する人たちも社会と照合させれば手っ取り早いと思ってそういうことをしがちなので、その人たちのためにわざわざ書くのだが、この小説に描かれてい るのは、ニートでも格差社会でもなく、下流だ。 「下流」という言葉が三浦展によって作られていなかったら、私は『その街の今は』と『主題歌』で描かれている人物たちと風景を「今そのもの」としか言え なかっただろう。しかし、三浦展の「下流」が外の視点による分類であり命名であるのに対して、柴崎友香の「下流」は内側にいる視点で書かれているのでおの ずと意味が違ってくる。内側にいる視点で書いてあるこの小説に即した言葉をあえて探すなら、「下流」でなく「貧しさ」だと思う。 二十世紀後半以降以降の小説を含めたすべての表現においてキイになる概念としての「貧しさ」と完全に同じかどうかはこれから書いてみないとわからない が、それとじゅうぶんに通じ合う「貧しさ」。 ベケットが小説を書くために母国語を捨ててフランス語を選んだのは「貧しさ」を必要としたからだ。書家の井上有一が最も多く書いたであろう文字が「貧」 の一文字であり、小島信夫と親交のあった海上雅臣が書いた評伝『井上有一』(ミネルヴァ書房)を読んで、「貧」とはベケットが作中に繰り返し使った「なけ なし」と通じるものだったのではないかと私に想像させたという意味での「貧しさ」。(「なけなし」は晩年の『伴侶』(書肆山田)での宇野邦一による訳語だ が英語バージョンで、。ィwhat reason remains。ィ。ィwith what feeling remains。ィを「なけなしの分別で」「なけなしの感情で」としていて、私はこの「なけなし」という訳語がひじょうにいいと思う。)そしてまた、高橋 悠治もサティについて、「かれのは、まずしいものの芸術だ。手近な最小限の材料でできている。あるいは、ありあわせの材料から不必要な身ぶりをはぎとるこ とでなりたっている。それがもつものからではなく、そこにないものによって定義される音楽。」(前掲書「エリック・サティ」と、「貧しさ」をキイに置いて いる。 ベケットも井上有一もサティも、本来持っていた豊かさをそぎ落としてそぎ落として「貧しさ」に行き着いたわけだけれど、そのような時代のあと、それを引 き受けたらひとつのあらわれとして、このような「貧しさ」になるのではないか。 これは小説としてほとんど信じられないことだが、著者である柴崎友香は作品世界に生きる人たち以上の視点を持っていない。「持っていない」と、こういう 言い方をすると既存の小説観からは「作者としての自覚のなさ」とか「作者として作品世界を対象化する視点の欠如」という風に否定的な判断しかなされない が、柴崎友香はそのような視点の力を借りずに書いて、それに成功したのだ。著者として柴崎友香は以上≠ニか自覚≠ニか対象化≠ニいう安全策を選ばな かった。 そのことはこの小説の導入部の失敗が逆説的に証明しているとも言える。「会社に来るまでのあいだに携帯プレイヤーで聞いていた音楽が、実加の頭の中で鳴 り続けていた。」ではじまる冒頭からしばらくは、「これがいままでと同じ柴崎友香か?」と驚くくらい退屈だ。ふつうの、作者が作品世界の外にいる小説に馴 れている読者には、いかにもふつうの安定した書き出しとしか思えないかもしれないが、その安定が退屈であり失敗なのだ。はじめての三人称小説ということも 少しは影響しているかもしれないが(しかし、一人称小説、三人称小説はたいした問題ではない)、作者は自分がイメージした小説世界を外にいるまま書きはじ めてしまったのだ。 事前に要素を決めすぎてしまったとも言えるが、より正確に言えば、事前に決めたつもりの要素でも書くそばからその要素が変化していくはずなのに、今回は その変化が起きるようになかなかならなかったのだ。二一三ページの引用で高橋悠治が書いているディテールと全体の相互の影響し合いが起こらなかったのだ。 その安定――つまり要素の硬直――は、場面の変化に連れて少しずつほぐれていくが、しばらくは安定の度合いが強い。しかし、花絵というかつて実加(主人 公)の勤めている会社でアルバイトをしていた女の子のイラストの個展を見にいく場面の途中でガラリと変わる。 実加と同僚の小田ちゃんの二人は個展のオープニング・レセプションにだいぶ遅れていく。二人は花絵と三ヵ月ぶりにあったことを喜び、近況などを伝え合 う。二人は花絵の作品を見に行ったというより、花絵に会いに行っただけという感じだ。実際、友達の個展に行くというのはそういう感じで、美術館に入場料を 払って見に行くのとは全然違うもので、この時点では二人が作品に何かを期待しているようには感じられない。ギャラリーの店主が、 「花絵ちゃんの絵、好きなんですよ、ぼく。今回のもいいでしょう? エロとメルヘンの加減が絶妙で」 と言っても、二人はすぐに絵を見るわけではなく、ここ一ヵ月以内に失恋したときの花絵の電話での涙声を実加は思い出して、 「……ちょっと落ち着いた?」 と訊いたりしている。 そんな調子なのだが二人は花絵の絵をきちんと見ないわけではない。 ギャラリーの店主と花絵がお礼の挨拶を述べると、残ったのは実加と小田ちゃんのほかに花絵とごく親しい五人ほどだった。人が減ったから実際よりも広く見 える白い空間に等間隔に並んだ絵を、実加と小田ちゃんは順番に見て回った。白いフレームの中で、ぐにゃりとした体を持った女の子が、馬に乗ったり浴槽に寝 そべったり鏡に片足をつっこんだりしていた。 その曲線たちを順番に目で追いながら、実加は二つ右の絵を見ている小田ちゃんにふと目をやった。小田ちゃんは少しも動かないでただ真っ直ぐに、フレーム の中の、餅を延ばしたような体の女の子と男の子が絡み合う絵を見ていた。その顔を見ているうちに実加は、何ヶ月か前に小田ちゃんが言った言葉を思い出し た。 どこからそんな話になったのか実加はもう覚えていなかったけれど、わたし最近かわいい子見たら泣きそうになるねん、と言った小田ちゃんのその声は今も耳 元で聞こえてくるくらいはっきりと覚えていた。いっしょにいたいいつ子が、重症やな、と笑い、実加も茶化したけれど、小田ちゃんは、だってかわいい子が一 生懸命かわいいことをしようとしてるの見たら胸が詰まるねん、めっちゃきれいな景色を見たときみたいに、と言った。丸みが少ないシャープな顔立ちの印象に 反して、ドラマでもワイドショーの誰かの葬儀中継でもちょっとしたいい話でもすぐに涙ぐむ小田ちゃんだからそうなのかと、実加は思っていた。だけど、今こ うして、花絵が何ヶ月かかかって描いた女の子たちの絵に囲まれていると、ほんとうは自分も小田ちゃんが言ったのと似たような気持ちでいるんじゃないかと、 そんな思いが実加に浮かんだ。 「実加ちゃん、あとでお祝いにもらったチョコレート、分けようよ」 花絵が実加の肩を叩いて囁いた。 「この太ももええなあ」 花畑に寝そべる女の子の絵の線を、実加は指でなぞった。 「ええやろ? 最近、太ももが好きで、やっぱりむちむちの、丸い感じがええわ。このお尻から膝までつながってそのあとつま先に抜けていく感じが描きた い、ってそればっかり考えてたわ」 「花絵、楽しそう」 波線部はこの小説のメインテーマといっていいだろうかわいい女の子の話だ。この小説ではふつうに男性と付き合って結婚したいと思っている女性たちが、か わいい女の子が好きという共通の趣味か思考を持っていて、その話で盛り上がる。が、それについては後で書く。 いまは傍線に注意してほしい。著者は絵に何が描かれているかしか書いてない。 私の言いたいことがわかるだろうか? 私の従兄に画家がいるのだが、彼の描く人物はシルエットになっていて、目や鼻や口がちゃんと描き込んでない。それを見ると親戚の伯父たちは「わけがわか らん絵」としか言わない。そして挙句のはてに本人がいないところで、「富士山の絵でも描けばもっと売れる」と言ったりする。 もう一つ。写真の評論の仕事が多い大竹昭子さんと対談したときのこと。彼女が次から次へと私に写真を見せ、私の写真の見方がどういうものか探っていっ た。私はほとんどの写真にはかばかしい反応をしなかったのだが、あるとき、 「あ、江の電が写ってる。これ鎌倉高校前っていう駅のところですよ。このモデルの子、好きだな。」 と言ったら、大竹さんが、 「ホントに何が写ってるかしか興味ないんですね。」 と、なかばあきれながら笑った。 知的であるとは、何が描いてあるか(写っているか)でなくそれを含めた全体を問うことなのだ(ということは、何が起きたかしか問題にしない批評はどうな る?)。 この小説において、実加も小田ちゃんも描いた花絵もそして著者の柴崎友香までもが絵を見て何が書いてあるかしか見ない次元にいる。ごく平然とと言うか、 著者までもがギャラリーに居合わせた花絵の友人知人の一員のようにして絵を見ていて、それを相対化する視点を出さないからほとんどの読者はこの視点の驚く べき「貧しさ」に気がつかない。 それが意図された「貧しさ」なのか、作者の素≠フ「貧しさ」なのかはこの部分だけではわからない。私は二一五ページで「という安全策を選ばなかった」 と、この「貧しさ」が作者の意図であることを前提とした書き方をしたけれど、それは意図された「貧しさ」は認められて、意図されない素≠ツまり天然 の「貧しさ」は認められないという既存の尺度を前提として読む人への配慮で、本当はそこは問題にならない。この「貧しさ」が素≠セとしたら認められない というほど話は単純ではない。 たとえばベケットの小説や戯曲には物語らしい物語がないけれど、ベケットがベケットとして評価が確立しているいま、ベケットの小説に物語がないのは、ベ ケットが物語を書こうと思ったらいくらでもおもしろい物語を書けるけれどそうしないことを自覚的に選んだのか、ベケットは物語を書くことがもともとできな かったのか、という疑問を提示しても意味がない。それどころか私は、ベケットが物語を書くことがもともとできなかった(最初から興味がなかった)ために、 あのような小説しか書けなかった、と肯定的に考える。 いろいろな場所で何度も書いたことだけれど、人はあれもできるこれもできるという可能性の集合体なんかではなくて、「私にはこれしかできない」と気がつ いたときにようやく何かができるようになる。これはもちろん、「分数の割り算ができないのも私の個性です」という変な居直りとは全然違う。分数の割り算が できないからこそ数学者になるようなものだ。フラクタル幾何学のブノワ・マンデルブロは代数がまったくできず、すべての数式を図形に置き換えて答を導き出 す子どもだったという話を聞いたことがあるが、それが本当なら(しかし私にこの話を教えてくれた人は話がおもしろければどんないい加減なことでも言うので 有名な学者なのだが)、まさにマンデルブロこそが分数の割り算ができないことを個性とした数学者ということになる。 とにかく、柴崎友香は「貧しさ」を肯定するというよりも前提条件として引き受けることによって、「貧しさ」を前提条件として生きている二十代三十代の人 たちを書いた。「貧しさ」を書くために「貧しさ」を対象化する位置に自分が立ってしまったら、それは「貧しさ」に対する裏切りになるだろう。「貧しさ」と はそういう、世界観のようなものだ。 (つづく) |