岡田利規のはじめての小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社)に、私は感動にちかい気持ちをおぼえた。感動した、と素直に言ってし まってもいいのかもしれないが、このような気持ちを感動と呼んだのかどうか、私は忘れてしまってたのか、あるいははじめて出合ったから感動だということが いまだわかっていないのか。しかしとにかく私はいまうれしくて喜んでいるし、元気や希望も湧いてきている。 「元気」とか「希望」とかここで言っているのは、抽象的な「生きる元気」とか「生きる希望」ということではなく、もっと具体的で直接的な、「自分も小説 を書きたい」という元気や希望や勇気が湧いたということだ。「小説はやっぱりまだ死んでなかったんだ(やることがいっぱいあるんだ)」と思えたことによる 元気や希望ということでもある。 岡田利規の小説にはヌーヴォーロマンの先駆としてのベケットに通じる若々しさがある。言葉との周到かつ初々しい関係があり、しかし同時に私たちが生きて いるこの現代の空気が全編を通じて吹き込んでいる。ということは、作者は小説を作品として完成させることだけに汲々としているわけではなくて、どこかにほ つれを作って(あるいは、ほつれをそのままにして)小説を外に向かって開いているということだと思うのだが、そのほつれは、私にはいまのところわかってい ない。わからないまま私は前にも一度引用したことのあるゴダールのこの文章を思い出す。 つまり私が言おうとしているのは、大部分の映画作家は、たとえ彼らの映画の物語がどんなに大きい広がりのなかで展開されるものであっても、自分の演出を自 分のセットの広がりのなかでしか考えていないということである。それに対してアストリュックはどうかと言えば、彼は反対に、シナリオが必要としている地域 の全域、それより広くも狭くもない全域において自分の映画を考えたという印象を与えている。たしかに『女の一生』ではノルマンディーの風景は三つか四つし か見ることができない。それでもこの映画は、ノルマンディーの現実的規模において構想されたという途方もない印象を与えるのである。……(略)……事実、 困難なのは林を林があることがわかるように見せるということである。そしてさらに困難なのは、海を見せるということではなく、ある寝室を、そこから七百 メートルのところに海があることがわかるように見せるということなのだ。大部分の映画は、ファインダーを通して見ることのできる、数平方メートルの舞台背 景のなかで組み立てられている。それに対して『女の一生』は二万平方キロメートルのなかで構想され、書かれ、演出されているのだ。(『ゴダール全評論・全 発言T』「別のところに」奥村昭夫訳、筑摩書房) この『わたしたちに許された特別な時間の終わり』という本には『三月の5日間』と『わたしの場所の複数』という二つの中篇か長めの短篇ぐらいの長さの小 説が入っている。ということは、「わたしたちに許された特別な時間の終わり」という表題は、二つの小説を収めた小説集の表題としてあらためて付けられたも のであって、このいかにも意味がある表題をめぐって書評などではその意味が書かれるかもしれないが、この表題に意味があるとすれば(というか、現に意味は あるのだが)それは収録された二つの小説によって意味が生まれてくるのであって、この表題自体に最初から意味があるわけではない。 この点は阿部和重がじつに巧妙で、『アメリカの夜』とか『シンセミア』とか『ミステリアスセッティング』とか、いかにも意味がありそうな言葉を表題に 持ってきて、書評者はだいたいそれにパクッと食いついて、作者の誘導にのって小説を読んでしまうという、誤り≠ナなく、正解すぎる正解を求める読み方を するという愚を犯してしまうことになるのだが、表題なんて所詮は小説の本体の外に貼りついているシールのようなもので、そのシールを他の言葉に置き換えた ところで小説本体が変わるわけではない。 『三月の5日間』はこう始まる。 まだ二〇〇三年三月には六本木ヒルズは開業していなかったから、彼らは六本木の駅からだと西麻布方向の、緩い勾配の道沿いにある、スーパーデラックスと いう名のライブハウスに向かうとき、その左側の歩道をただ行くだけでよかった。彼らは六人でひとかたまりとなって歩いていた。絶えず話をしていて、日比谷 線の中にいるときから、たたみかける調子で大声を上げていた。周りの静かな乗客たちの耳に厭でもそれは入ってきた。彼らの多くはしかしそれで不快になると いうより、単に、どうすればいいか分からなくなり、その困惑に、時間と貴重な孤独とを、大人しく奪われていくままになっていた。 読者は、引用したこの冒頭部分をもう一度読んでほしい。じつは私もうっかり、ここを丸写ししないで「これこれこういう情景」という風にざっとまとめよう としたのだが、そういう風にしてまとめはじめたらどこも省略できないことに気がついた。 最近私はよく、「「新潮」の連載はいつまでつづける予定ですか? 大変じゃないですか?」と訊かれるのだが、読む小説があるかぎり、原則的にはいつまで もつづけられる。小説というか本全般だが、私はその本に身を任せて、その本に刺激されたことを書いているだけなので大変ということもあまりない。競馬でよ く、馬の力と騎手の力のどっちが大きいかという質問に騎手が答えて、「馬7騎手3」と言ったり、いや「馬8騎手2」だと言ったりするが、私もそんな感じで 小説が走るに任せていればいい。 さて、無駄話をしているあいだに読者は引用部分を再読してくれただろうか。表題がどんな意味か? というのは解釈≠フ次元に類することであって、その 解釈が深いか浅いか、的を射ているか外しているか、というようなことは小説本体をどれだけ注意深く読んだかに係り、それは読者の力量以前に、注意深く読む のにどれだけ値する書き方をしているかということであって、それが表現されているかぎり最後にくる解釈なんてどうでもいいということになる。 冒頭の時間はいつなのか? 彼ら六人が六本木の道を歩いていたと思っていたら、彼らはその前の日比谷線の中にいる。さらに引用の後半にくると、彼ら六人と乗り合わせた乗客のことが 語られていて、ここで切った引用では、もしかしたら主人公(つまり中心的に語られる人物)は乗客の中の誰かかもしれないという可能性まではらんでくる。 このつづきを読めば、主人公が乗客ではないことはわかる、というかそういう限定はなされることになるが、しかしそれでも油断はならない。時間について言 えば、最初の2センテンスは道を歩いていて(A)、3つ目のセンテンスによって日比谷線内に橋渡しされて、4つ目から日比谷線内になった(B)のだ。 私は小説に書いてあるままをいま説明しただけなのだが、肝心なことは時刻Aと時刻Bに主-従とか重-軽というような関係がない。ありきたりの小説では、 BがAという現在時を補完する回想の関係になったり、あるいは逆に、AがB時を導入するためのきっかけとなったりするという重-軽の関係の中で書かれるの だが、この小説では書かれることに重-軽は基本的になく、書かれているそのときが小説にとっての現在なのだ。 人はふつうある領域を設定して、それを守るための整理をする。この人はこれこれの時間にこれこれの場所にいて、こういうことを考えている。それに至る前 にはこういう時にこういう出来事があって……、というその作り方はまさに自我の作り方だ。話がいきなり自我の話に飛んでわかりにくいかもしれないが、そう いうことを頭の隅にでも置いておくと、こういう小説を読む喜びはぐんと大きくなる。 自我とは何による産物なのか? 仮説はいろいろ考えられるが、ひとつには現在の私に至る時間を因果関係に沿って配列した結果なのではないか。私には子ど もの頃から辿って、こんなことがあって、こんなことがあって、それかこんなこととこんなことがあって、いまの自分になりました。それはまるで必然のように 聞こえるけれど、時間(出来事)の配列を必然としたい思考法の結果だから必然に聞こえないわけがないというだけなのではないか。 この思考法は私たちが日常でも科学的思考でも最もふつうに慣れ親しんでいる思考法だから、「これが正しい」とか人によっては「これしかない」とか思って いるわけだけれど、それはある事象を説明するための手段の一つにすぎないのではないか。……しかし、そんなことを言っても他にどんな説明の手段があるとい うのか? そのひとつがこの小説の引用部分の書き方だ。これを書いたからといって私たちの思考法の何かがすぐに変わるわけではないのは言うまでもない。 死すべきことに退行する努力は、恒常的で、一貫し、総体的なものでなければなりません。この抵抗への希望と意志とは、私たちが呼吸する空気のなかにあるに ちがいないでしょうし、私たちが暮らし、呼吸する場所のなかに組み込まれていくにちがいないのです。 これはマドリン・ギンズとの共著『建築する身体』(河本英夫訳、春秋社)に書かれている荒川修作の言葉で、私はすでに三回も四回も引用しているかもしれ ない。大事な言葉は何度引用したってかまわない。というより、何度でも引用すべきだ。人間の脳はコンピュータと違って、一度書いたものを消去するまで正確 に記憶しているわけではないのだから。そしてコンピュータと違って、しっかり憶え込むことができたら、決して消去されず、ことあるごとに思い出すようにな るだろう。 私たちはある限定された思考様式の中で生きていて、それを短期間に変えることなんか不可能で、変えるためには、恒常的で、一貫し、総体的な努力や試みを 必要とする。ここで荒川修作は〈死〉に対抗するためには、と語っているのだが、それは自我を動かしがたい事実として受け入れてしまうことへの対抗の近くに あるのではないか。 小説はこうつづいていく。 六人は最後尾の車両に陣取っていて、その一番後ろの壁、車掌のいるブースとの仕切りになっている壁に背を預け、あるいはその壁に床と並行に取り付けられた 手摺と自分の背骨とをこすりつけるようにしながら、叫んだり、その叫び声を聞いたりしていた。彼らの大声は、車両の外で少し遠巻きすぎるように思われる聞 こえかたで響いている走行音の軋みをさらに遠ざけたがっているように、思われなくもなかった。ただしそう思おうとしている誰かが特にいるというわけではな かった。 冒頭部分の二つの時間の移行ないし並存に驚きそびれた私もここではっとした。ここではっとしない人はいないのではないか。 小説の語りは一人称と三人称に大別することができるのは今さら言うまでもないが、この小説は三人称なのに一人称的な不確定さがある。そこに私はベケット に通じるものを感じるわけで、作者は小説に書かれる世界の全体を見通していない。 しかし一人称小説と三人称小説の区別なんてあんまりアテにならなくて、カフカは『城』も『審判』も『アメリカ』(『失踪者』)も三人称小説として書いて いるが、主人公を含む登場人物の全体を見渡せる視点は(たぶん)一度も設定したことがなく、K、ヨーゼフ・K、カール・ロスマンなどはそのまま「私」に書 き換えても不都合はない。これは小島信夫も同じで、『抱擁家族』『うるわしき日々』などは主人公が三人称なのだが、その三人称の部分を「私」に書き換えれ ばふつうに一人称小説になる。 一人称か三人称かということは小説の本質に関わることでなく――ただし、ひとつ重要なことが生まれるのだが、それについてはもっと後に書く――、作者が 小説としてこれから書いていくことをしっかりと決めているかそうではないかという違いが読者の感触として大きな違いとなる。「感触」というのはあいまいな 言い方だが、頭で論理的に考えるよりもまず感触として読者には来るだろう。もちろんそれは、情緒的ということではない。 小説は「何かを書く」という最も単純な約束事にのって書かれる。その何かが書く以前にしっかり決まっていれば、作者は確定した事実のようにそれを書く。 しかしその何かをうまく語れない、もっと言えば、どんなことでも小説の外にあると想定されている何かを言葉では決して正確には語れないという意識がある場 合、書き方はベケットのように、 「彼女が着ていたそのブラウスは赤というか、夕陽に空が染まったときの朱というか、いやそれは茜色というべきなのか、とにかく彼女のブラウスの赤はべっ たりとした不透明な感じではなく、……」(ただしこれは私の即席の創作) という風に何度も言い直したりすることになるのだが、読者にとっては「赤」でも「茜色」でも「夕陽に染まった空のような色」でもとにかく色が入るべき位 置に色さえ書かれていれば問題ないし、面倒くさければ色なんか書かなくたっていい。ふつうの小説ではそうなっている(ここでは「ふつうの小説」というより も「一方の小説」とか「あっちの小説」とか言う方がいいが、まあ「ふつうの小説」でもいいだろう)。 「赤」なら「赤」をあっさり書くことによって、小説世界は確定的になったり安定したりする。だから、私が前に書いた「その何かが書く以前にしっかり決 まっていれば、作者は確定した事実のようにそれを書く」というのは、半分しか正しくなく、作者が事実のようにあっさり、つまり簡潔に書くことによって、何 を書くかを事前に決めていなくても決めてあったかのようになる、ということでもあるのだ。 しかしカフカはそのような言い直しをしない。しかしカフカの小説世界も事前に確定している印象を与えない、というか現に確定されていない。カフカはどう いう書き方をしているか? たとえば『城』で、Kは、フリーダと助手二人と小学校の教室で一晩眠るのだが、教室の中で火を焚きすぎたために暑くなって、下着で眠ってしまう。で、そ のまま四人で眠りつづけていると翌朝、四人はいつもどおり学校に来た子どもたちに取り囲まれている。 読んでいる方はそこが小学校の教室であることはわかっていても、子どもたちが朝になれば来るとは考えていない。カフカが書いていないから読者もつゆ考え もしないのだ。 もう一箇所。Kはついに城の役人たちが集まる宿屋で役人の秘書のビュルゲルと会う。ビュルゲルは城への陳情者のことなど話し、そのうちにだんだんK自身 のことに話が及び、ビュルゲルはKが置かれている状況らしいことを何ページにもわたって延々としゃべり、読者はそこでKに向かって『城』という小説の真理 らしきことが語られていると注目するのだが、長い段落が終わった後に書かれる一文は、 「Kはぐっすり眠っていた。」 カフカにおいて、確定しているのは現に文字として書かれたことだけであって、書かれていないことは書かれてみるまでわからない。つまり、書かれていない ことはすべて何も確定していない。だから、「彼女が来ていたブラウスは赤だった」と、あっさり書かれていたとしも、小説世界で確定しているのはそれだけで あり、 「奥の部屋に向かって受付カウンターのいすから立ち上がった彼女は、スカートをはいていなかった。」 とつづくことになるかもしれない。 どれだけ厳密緻密に書かれた小説であっても、読者が事前に持っている知識にいっさい頼らずに書くことはできない(「ブラウス」も「赤」も読者が小説世界 の外のこととして知っているという前提があるから作者はその言葉を書くことができる)。そして小説世界内での処理としても、文字として書かれるのはある特 徴だけで、それ以外の部分は「まあそんな感じと言うことで全体としては適当に想像しておいてください」と読者に委ねられることになる。 そのようにして、小説は小説として本来の話を進めていくわけで(もちろん、書き方があまり雑なものはこの際論外だ)、読者は安心して書かれたことだけを 読んでいくことができる。その「書かれたこと」の同質の延長線上に「書かれていないこと」も含まれる。そういう風にして小説世界は安定するのだが、その安 定の度合いが増せば増すほど小説は作品として閉じられることになる。 岡田利規『三月の5日間』の引用に戻って、その、書いていないことはまだ何も確定していない、という注意を読者に喚び起こさせるのが、最後の「ただしそ う思おうとしている誰かが特にいるというわけではなかった。」というセンテンスだ。読者はここで、一つ前のセンテンスに書かれていることを、漠然とした小 説的了解の中で安易に信じようとしていたことに気づかされる。 ところで岡田利規はチェルフィッチュという劇団の主宰だ。というか、チェルフィッチュというのは岡田利規一人を指すのかもしれない。詳しいことは知らな いが、芝居のたびに役者を集めてきて、それがチェルフィッチュという集団になると言った方がいいか。 私はチェルフィッチュのことは一昨年(二〇〇五年)の秋まで全然知らなくて、名前も全然記憶していなかった(「チェルフィッチュ」という言葉は私にはな ぜだかとても覚えにくかった)のだが、ある人の話とある人の話を聞いているうちに、それは「大航海」という季刊誌の最後あたりに川崎徹がずっと連載してい るおもに演劇のことが書かれるページにとても印象的に書かれていた芝居かパフォーマンスをする人たちのことなんじゃないの? と思って、演劇に詳しい二人 目の「ある人」である友人に、 「川崎徹が「大航海」の連載で、意味がない動きを台詞をしゃべっているあいだずうっとしているって書いてたけど、それのことか?」 と訊くと、 「だからそれがチェルフィッチュだって、さっきから言っていんじゃん。」 と言われて、それがそうだったのかということはわかったが、それでもまで私は「チェルフィッチュ」という言葉は記憶できず、記憶できないままその友人か らNHK教育で日曜夜十時から放送した舞台のDVDをダビングしてもらって『目的地』という芝居を見てみると、私はほとんど芝居のはじまりから、くすくす ゲラゲラくすくす笑って笑って、笑いが止まらなかった。 その『目的地』というのがどんな芝居かというと、と言っても芝居を言葉魅するなんて無理だから読者がおもしろそうだと思えばいいがつまらないと思っても それは芝居がつまらないことにはならないのだが、それでもいちおうどんな芝居かというと――。 パネルで少しだけ囲まれたぐらいのがらんとしたステージに、二十代後半か三十歳ぐらいの女の人がとことこ出てきて、 「『目的地』…っていう芝居をこれからはじめるんですけど、…………港北ニュータウンっていう街がありまして、…港北ニュータウンはあんまり関係ないんで すけど、……あんまりっていうか全然関係ないんですけど、……」 と、「……」で書くとつぶやくようにしゃべるみたいに見えるかもしれないが、そうではなくて女の人はふつうの声の大きさで、しどろもどろという感じで、 なんだか落ち着かずに、言いよどんだり言い直したりをひんぱんに繰り返しながら、緊張したときに出る無駄な作り笑いをずうっとしたまま、もじもじ手を伸ば して見たり、体を横に曲げてみたりしつづける。 やっぱりこれでは何がおかしくて笑ったのかわからないかもしれないが、(しかし私自身は読み返してみたときに笑ってしまったけど)、ステージで台詞を しゃべっている役者が無駄な意味のない動きをしているだけでおかしくて、もう十年以上も前のことになるが東京乾電池の芝居を見に行ったとき、芝居は客の期 待に反してほとんど客に笑わせないように作ってあったのだが、最後の挨拶に出てきた柄本明が何か気がかりなことでもあるみたいにキョロキョロキョロキョロ 顔を動かしながら手も首筋を掻いたり二の腕を掻いたりしているそれだけで場内大爆笑だったのだが、芝居を説明するのにもう一つ芝居を持ってきても伝わらな いことに変わりない。東京乾電池の芝居だってみんなが見ているわけじゃないんだから。 とにかくDVDでチェルフィッチュをはじめて見て私は笑いつづけたのだが、「チェルフィッチュ」という言葉は相変わらず記憶できないでいたら、その三ヵ 月後くらいの二〇〇六年三月に人に誘われてチェルフィッチュの芝居を観に行くことになった。場所はこの小説の最初に書かれている六本木のスーパーデラック ス。演目はこの小説と同じ題名の『三月の5日間』で、ただしこれは再演。 で、芝居がはじまると、芝居は『目的地』と同じような感じではじまって、役者はやっぱりしどろもどろにしゃべりながら意味のない動きをしつづけているの だが、客席からはほとんど笑う声が聞こえてこない。笑いらしい笑いでなくても、くすっという笑いぐらいでもあちこちから聞こえてくれば私も一緒に笑えるの だがどうもみんな笑っていないというか笑い以前の状態に置かれているらしくて、空気としては少し重くて私も笑えない。 しかし芝居はそのまま重い空気に支配されるということはなく客席の空気もそれなりにほぐれてきて笑いも出るようになっていったのだが、私は、 「これはすごいことだ。」 と思った。 スーパーデラックスというのは劇場でなくライブハウスらしいのだがかなり広く、百五十席とか二百席ぐらいが全部埋まっていて、その人たちは当然チェル フィッチュを知って、チェルフィッチュを観る目的で集まっているのに、けっこう笑いそびれてやや重の空気になっている。笑えばいいとか、笑わせるのが目的 の芝居だとかそういうことではなくても、自然に笑ってほしい、馬鹿々々しいことをしているのにくすり笑いのひとつも漏れなければ演じている役者もやりづら いだろう、ということは、このチェルフィッチュの最初の公演とかチェルフィッチュがまだ無名でどういう芝居かイメージを持たれていなかった頃は、客席は もっと笑いがなくて重かったのではないか? いまではもう役者も作・演出の岡田利規も「最初の〇分間ぐらいは我慢して、そこから先は空気がほぐれる」とか ある程度計算ができているだろうが、最初の頃はそういう見通しも立てられなかったのではないか? さらうとか笑わないとかそんなことでなく、客席から伝 わってくる、いわゆる手応えがひじょうに掴みにくい芝居になっているわけで、そういうステージと客席との安定が得られにくい関係の中でこういう芝居をやっ ていたことがすごいことだと私は思ったのだ。 観ている客がどういう心の状態に自分を置けばいいのかわからなければわからないほど、 「……それで私は……っていうか私ともう一人の人。……まあ彼っていうことですけど、二人ですよねえ、二人で渋谷の、あの、東急本店の脇の坂を上がってい くラブホ? に行ったんですけど……」 というような、しどろもどろにしゃべるしゃべり方は、舞台というより空間の中のフィクションとしてでなく、客席との関係において、あぶら汗が出てきそう な嫌なリアリティを帯びてしまうだろう。 「岡田利規(チェルフィッチュ)は最初から確信犯的にああいう芝居を作った」と言う人がいるかもしれない。しかし「芝居とはこういうものだ」「小説とはこ ういうものだ」という安全な範囲を逸脱したものを作るときに、最初から何かを確信していたり確固とした自信を持っていたりすることなんか、ない。 脚本を書いている最中や稽古をしている最中に気持ちの中に揺るぎない感じが生まれたとしても、それが自分(たち)の手から離れて観客や読者の目にさらさ れるときには必ずゆらゆらした気持ちになる。しかしそこで観客や読者が事前に知っているわかりやすさに歩み寄ってしまったら、「こういうことをしたい」 「こういうことが生まれるかもしれない」と思ってはじめて、作っている最中に確かに掴めたはずの揺るぎない感じを台無しにしてしまうわけで、作る人間は自 分の中に起こったゆらゆらした気持ちと闘わなければならない。 日常ふつうに使っている言葉による思考法だけでは、「芝居とはこういうものだ」「小説とはこういうものだ」という名詞的な安定した、誰にでも伝わる範囲 のことしか考えることができないし、作っている本人自身でさえも作品から離れてしまうとその範囲でしか自作について説明できないようなことさえある。だか ら芝居や小説(や、音楽や絵や何でもそうだが)に対して受動一辺倒の人は、芝居や小説をそういう安定した言葉で説明可能なものだと思っている。受け手だけ でなく、実際に作る側にいる人にも「芝居とはこういうものだ」という範囲の理解しかしていない人もいる。しかし作ることはそんな安定したことではない。 自分で読んだわけでなく、道元の『正法眼蔵』の解説書を書いた人から聞いた話だが――そしてしかもその人自身、当然といえば当然のことながら、自分では 悟りを経験したことはないわけだが――、悟りというのは日々の修行を重ねるなかで一瞬ないしごく短時間だけ訪れる覚醒だから、一度悟りを経験したからと いってもそれが永続することはない。それゆえ修行をつづけて何度でも悟りを経験しなければならない。 この悟りの話は前にも書いたし、そのときたしか、ヤンキースの松井秀喜の「あの人は掴んだと思ってもすぐにどっかに行ってしまう」という言葉も一緒に書 いた憶えがある。「あの人」とはもちろんバッティングのことだ。 「本当に理解しているんだったら俺にわかる言葉で説明してみせろ」というタイプの、自分がいまいる位置から一歩も動こうとしないような人に説明できるの は「芝居とはこういうものだ」という安定した、日常的思考法で理解可能な範囲だけであって、作る側にいる人間でさえも作っているあいだを通じてずうっと何 かを確信できているわけではない。 作っている最中のごく短い時間だけ、「この感じ」とか「このまま行けばいい」という揺るぎない感じが生まれる。それを言葉にして再現することは不可能か ひじょうに困難だけれど、作っている本人が言葉で再現する必要はない。作っている本人には、道元が書いている(と言う)悟りのように、その揺るぎなさをま た感じることができるように、ぎゅっと考えを凝縮させたり、ふわっと緩めてみたり、とにかく実践としていろいろやりつづけることだけが求められる。 日常的な思考法ではそういう状態を「不安定」と言ったり、「実体がない」と否定したりしがちだが、作る人間にとっては短い時間だけ感じる揺るぎなさの方 こそが実体なのだ。 |