◆◇◆小説をめぐって(29)◆◇◆
グリグリを売りに来た男の呪文(後編)
「新潮」2007年1月号


 九月二十七日の日記に戻ると、つづけて書かれているボゾ族とのやりとりは調査ではなく、ついでの取材みたいなものだが、奥 の村まで本式の調査として入っていっても、これと似たような成果しか得られないことはここまでによくあった。
 グリグリというのを売りに来た男はボゾ族とはまた別なのだろう。調査団の一員であるレリスは呪文をノートに記録したいのだが、男の方はそんなことは配慮 しない。というか、そもそも記録されるということがどういうことかわかっていない。
 ここに来るまでのある調査では、案内役を買って出た現地の村の男が、のらくらのらくらいい加減なことばっかり言って一番肝心な洞窟を見せなかったりもし た。別の土地での雨乞いの呪術では、雨が降りそうな空模様になるまで呪術をはじめようとしなかったりもした。あるいはまた長い道のりを同行した現地の通訳 は、一日と一ヵ月と一年を話すたびに混同したりもする。
 レリス自身途中で何度も、彼らの言葉や考え方や信仰をヨーロッパ人の文章に逐語的に翻訳しようとすることの愚かしさを書いているが、これはすごく大事な ことであり、この翻訳不可能性はそれだけをテーマとして論文を書くより、こういう日記で繰り返しそういう事件に出会う方がよく伝わってくる感じがする。
 私たちは物事を時系列に書き留めることが可能であると思い込んでいるし、書き留めたからにはそれが正しいと思い込んでもいる。あるいは、物事を時系列に 書き留めるという行為においては、書き直すほど物事(出来事)の正しい姿に近づくものだと思い込んでもいる。
 もちろん私はここで『族長の秋』でG=Mが作り出した時系列を無視した出来事の継起ということや、話がそのつどあったこともなかったことも混然一体と なって膨んでいく語り口ということなどにも遠く響くことを期待しているけれど、G=Mを離れても、物事を整然と叙述する思考様式が世界の一地域で生まれる 以前は――しかしその思考様式は他を圧倒してしまうのだが――そうだったのではないか。
 言い方を換えると、呪術が力を持っている社会ということだが、それを科学的(ないしそれに連なる)思考様式で測ることは根本的に不可能なのではないか。
 二十年ちかく前、精神科医の中井久夫のたしか『分裂病と人類』という本で読んだ記憶があるのだが、分裂病気質を生きるエチオピア人はたとえば椅子を作ら せると外見はとんでもなくメチャクチャなのだがすわってみると驚くほどすわり心地がいい椅子を作る。彼らには見てくれをよくするという神経症的な発想が皆 無である。そういう人たちの集まりだから、国で最初の鉄道を敷いたときに誰もダイヤグラムを作成することができず、時の皇帝ハイレ・セラシエ1世がみずか らダイヤグラムを作成した。
 ハイレ・セラシエ1世とはレゲエのラスタファリアンたちが信奉するラス・タファリのことだ。この本を読んだ当時、私はボブ・マーリィの信奉者だったので 皇帝御みずからダイヤグラムを作成したという話に一層感動したわけなのだが、こういう風に書いてみると、なんだかすべてができすぎているみたいで、むしろ 私の創作か妄想のような気がしてこないでもない。しかし、妄想がなんだというのか。
 マサイ族だっただろうか。かつて見たテレビ番組の一風景では、そこの土地の人たちは整列することができなかった。日本人スタッフが食料か何かをみんなに 配るというので、鮮やかな赤に染めた布をまとった土地の人たちがぞろぞろぞろぞろ集まってきたのだが、彼ら彼女らは整列することがまったくできずまわりを 取り囲んでうじゃうじゃいるばかり。整列することさえ受け入れない頑強なメンタリティを生きている人たちが、呪文を文字に記録すると言われて、同じ言葉を 二度も三度も反復するだろうか。
 同じ中井久夫が別の本で、犬は言葉に反応するが猫は状況に反応するということも書いていた。犬だって以前私が実家で飼っていた犬は、高校生だった私が 「訓練」とか「躾」ということを嫌ってしなかったために、人間の言うことなどまったく聞かなかった。飼い主は何度飼い犬に手を咬まれたことか。
 前にも書いたことだが、カフカの『城』はどういう順で出来事に遭遇するのか記憶することが不可能にちかい。私は丸ごと記憶したいと思って三回つづけて通 読したのだが、夢が思い出せないように思い出せない。カフカと言えば、不条理、迷宮と並んで悪夢というキャッチフレーズが出てくることになっているが、そ の夢が悪いかどうかはともかく、『城』はきっと生成の深いところで夢の論理によって書かれているのだと思うのだ。
 九月二十七日にグリグリを売りに来た男は呪文を唱えた。しかしそれが本当の呪文であればあるほど、記録しようとするレリスに向かって唱えることなどでき ないだろう。呪文とは神に向かって唱えるものではないか。祈りの実体を欠いた呪文など同じ言葉で反復する気になるだろうか。空っぽのライブハウスで本気に 演奏する気になれないのと同じことなのではないか。
 呪術に使うのであろうグリグリを売りに来たということは、その男は自分の世界の根底をすでに外の人間たちに売り渡しているのかもしれない。『幻のアフリ カ』で描かれる多くのアフリカ人たちはとてもちゃらんぽらんなのだが、植民地化された土地の中では、ちゃらんぽらんに生きることしかできなくなったと想像 することも完全なこじつけにはならないのではないか。
 こんな忘れがたい出来事が八月三十一日から九月九日までの日記に書かれている。少し長くなるが必要な箇所だけ書き抜く。〔 〕内は保坂による簡略。

八月三十一日
ンフララで村を訪れると、ちょうど広場で呪物ニャの二つの小家にぶつかる。うちの一つの正面の入□は角のついた獣の頭蓋骨で、もう一つの屋根は、呪物に生 贄として捧げられた犬の頭蓋骨で飾られている。
〔小家は粗末で精彩がないが、それらを取り巻く神秘ゆえに強い印象をレリスたちに与える。彼らがニャを見たいと言うと、男たちは大樹のもとにすわっている 老人を指す。老人が「ニャの首長」だ。その老人と交渉がはじまる。ようやく交渉が成立。〕
 すばやく杭がはずされる。すると、小家の天井に吊るされた呪物が見える。はっきりした形のない塊だ。四人の男が呪物を、慎重に穴ぐらから外へ出した時、 それが粗末な、つぎのあたったリンネルの袋だとわかる。瀝青のようなものに覆われている。凝固した血だ。内部には挨だらけの奇怪なもろもろのものが詰めて あるらしい。一端は、とくに瀝青が盛りあがっており、もう一方の端には鈴が一つつけてあって、小さな尻尾のようだ。激しい宗教的な興奮。汚なく、素朴で、 簡単な品物。これらの男たちの絶対者がそこに凝縮されているがゆえに、また、ちょうど子供が泥遊びをするとき、指のあいだで小さな土だんごを丸める場合の ように、男たちがそれに自分自身の力を刻印しているがゆえに、この屑のごとき物が恐ろしい力を持つのだ。
(略)供犠の執行者は老人が与える助言に答えたり、ちょうど愛してもいるが畏れてもいる祖先にやさしく語りかけるように、やさしい親しみのこもった、そし てすこしおどおどした声で、呪物に話しかけたりする。

 九月六日
 ケメニで今度はニャのではなく、コノのすばらしい小家のありかをつきとめる。〔こちらは前の小家よりずっと美しい。グリオールがコノを出せと言うと、コ ノの首長は生贄を出せと言い、コノを出したくない首長ら村人たちとの交渉がしばらくだらだらとつづく。〕コノの小家は数枚の板(うちの一枚には、人の頭部 が象られている)で閉ざされた部屋だ。板は、一端が地面の上に立つ二股の太い木で支えられている。グリオールは写真をとり、板を取りさる。中が現れる。右 手に、褐色のヌガー状の、なんとも言いようのない形のものがある。他ならぬ血の塊だ。中央に異様な物が詰まった大きな瓢箪。その中には角の笛、木の笛、鉄 の笛、銅の笛がいくつか。左手には、沢山の瓢箪の真ん中に、天井から吊された、名づけようもない包み。いろんな鳥の羽で覆われている。グリオールは、その 中を手
でさぐってみて、仮面があると知る。人々の逃げ口上に苛立ったあげくのことだから、僕たちはすばやく決心する。グリオールが笛を二つとって、長靴にすべり こませると、僕たちは動かしたものをもとの位置に戻し、外へ出る。
 人々は今度はまた別の話をもち出してくる。コノの首長が言うには、僕たちは自分で供犠の執行者を選ばねばならない。しかし、僕たちがこの選択をしようと すると当然みんな尻込みをする。僕たちは、僕たちのボーイ連中に、供犠を行なうことができないかと訊ねる。彼らもまた、見るからに慌てふためいて、拒否す る。するとグリオールは、お前たちはたしかにこちらをからかっているのだから、報復として、十フランとひきかえにコノを引き渡さねばならないと宣言し、そ れをママドゥ・ヴァドを介して村長へ伝えさせ、さもないとトラックに隠れていると彼の言う警官が、首長と村の有力者たちをつかまえて、サンヘ連行し、そこ の役所で申し開きをさせるとおどす。おぞましい恐喝!
 同時にグリオールは、リュタンを車へやって、出発の用意をさせ、コノをくるむため(女も非割礼者も、コノを見ると死ぬと言われていて、見てはならないの だ)の大きい布と、雨が降りだしたから、自分のと、僕のと、レインコートを二着持たせて、マカンをすぐよこすように手配する。
 コノの家の前で、僕たちは待つ。村長はまったく打ちひしがれている。コノの首長は、そういうことなら、呪物は持っていってかまわないと言った。しかし、 僕たちと一緒にいた数人の男たちの怖れようといったら、この冒_によって実際に僕たちまでが興奮し、自分をはるかに越えた世界に一気に投げ出されたような 気になったほどだ。(略)みなが拒否するので、僕たちは自分でそこへ行き、聖なる物を雨覆いにくるみ、盗賊のように外へ出る。一方、狂乱状態の首長は逃げ だして、いくらか離れたところで自分の女房や子供たちを棒でびしびし叩きながら、小家へ帰らせている。僕たちはまったく人気のなくなった村を通って、死ん だような沈黙のうちに、車に着く。男たちが少し離れたところに集まっている。(略)
 首長に十フラン与え、僕たちは、みんなの驚愕のさなかを、悪魔の、あるいは並外れて強力な、神も畏れぬならず者の後光に包まれて、急いで出発する。
 宿泊所(ディヤブグー)に着くとすぐ、僕たちは分捕品の荷をあける。大きな仮面だ。なんとなく動物らしい形で、あいにく毀れているが、血の固まったかさ ぶたですっかり覆われていて、それは、血があらゆるものに与える威厳を、この仮面にも授けている。

 九月七日
 ディヤブグーを離れる前に、村を訪れ、二つ目のコノを奪う。グリオールが、入ってはならぬ小家にこっそり忍びこんで目星をつけたのだ。今度は、リュタン と僕が仕事を引き受ける。心臓がどきどき打つ。昨日の破廉恥行為以来、僕は僕たちがやろうとしていることのひどさをこれまで以上に強く自覚していたから。 リュタンは、猟刀で、仮面が結びつけられている羽のついた衣裳から、その仮面を切りはなし、僕によこす。僕は、持ってきた布にそれを包む。彼はまた、少な くとも十五キロの重さはある、やはり褐色のヌガー状の(つまり固まった血の)、一種の乳呑み豚めいた形のものを、僕の求めに応じて――というのは、昨日あ れほど僕たちの興味をひいた、奇妙な形のものの一つなのだから――手渡してくる。僕はそれを仮面と一緒に荷造りする。すべてはすばやく村から運び出され、 僕たちは畑を通って車に着く。出発するとき、首長はリュタンに、僕たちが与えた二十フランを返そうとする。むろん、リュタンはそれを彼に置いてゆく。しか し、そうしたからといって、下劣でなくなるわけではない……。
 続く村で、僕は扉が壊れたコノの小家を見つける。僕はそれをグリオールに指さす。襲撃と決まる。前回と同様、僕らが問題の小家の前に連れてきた村長に対 して、ママドゥ・ヴァドがだしぬけに、調査団の指揮官がコノを押収する命令を僕たちに下したということ、二十フランの手当を払う用意があることを伝える。 今度は、僕一人で仕事を引き受け、仮面の紐を切るため、リュタンの猟刀を手に持って、聖なる部屋に入る。二人の男が――実を言えば、ちっとも威嚇的ではな い――後から入ってくるのを見たとき、僕は、自分が白人で手にナイフを持っていれば、ずいぶん自信が持てるものだと気づいて、茫然とする。その気持ちは、 しばらくたつとすぐ、嫌悪に変わる……。

 九月九日
 グリオールと僕は、この地域にはもうコノがないのを残念がる。だが、同じ理由からではない。僕はというと、僕をつき動かすのは、_神と言う考えだ……。

 引用がひじょうに長くなってしまったが、絶版によってこの箇所が誰にも読まれないのは何という損失か。
 調査団のしたことと言ったら、伊勢神宮の御神体の略奪とまでは言わないにしても、村の氏神様が祀られている祠(ほこら)や旧家の代々の先祖の位牌を並べ てある仏壇をぶん取ってくるようなものではないか。
 しかもその祠や仏壇は、私たち近代人にとってのそれと重みがまったく違う。朝元気に「行ってきます!」と言って学校に向かった子どもが無謀運転の車に轢 かれ死んだという知らせを受けて、遺体が安置されている病院(警察か?)に駆けつけたら、我が子の遺体が信じがたい不手際によって生ゴミと一緒に焼却処分 されていた……という、それぐらいのダメージを打ちひしがれた村長は受けたのではないか。
 しかし、植民地化されたアフリカの人たちの精神はニャやコノなどの略奪行為以前に略奪されているというか空洞にさせられている。だから彼らは消極的な、 抵抗とも言えないような抵抗しかすることができない。植民地支配というのがどういう手順で行なわれて、どういう風にその秩序が維持されたのか、この日記で はそこまではわからないけれど、支配する側と現地の人々との問に圧倒的な力関係が築かれていたことだけはわかる。
 植民地支配の根底にあるヨーロッパの思考様式は、それ以外の思考様式を無意味で無力なとるに足らないものに見せてしまう説得力を持っているのだ。いま私 は「説得力」という言葉しか思いつかないが、論理によって相手の言い分を打ち負かしてしまうことだとか、言葉によって相手の気持ちを支配してしまうことだ とか、そもそも言い分と言い分を擦り合わせしてどちらか一方を優位とする「説得する」という行為だとか、そのような言葉(ないし思考)による接触というの が人間にはあって、それによって生じた「もっともらしさ」の度合いがそのまま、現実を背負って生きている人間同土の力関係の有利−不利を決定づけてしまう という、ひじょうに不可解な言葉(思考)の作用のことだ。
 そんなあたり前のことをどうして私が「不可解」などと強調するのか全然ぴんとこない人がいるだろうが、この不可解さが『幻のアフリカ』の調査団の基盤に つきまとっていて離れない。
 当然、植民地支配は武力を背景(または前面)にしてなされているわけではあるが、武力――つまり、個々の身体能力でない組織的な暴力――に屈したとして も、文化や精神まで屈する根拠にはならないはずなのに、ヨーロッパ人は自分の論理をアフリカ人に押しつけるが、アフリカ人はヨーロッパ人のようには自分た ちの論理とか世界観とかが通じるものとは考えることがまったくなく、根こそぎにされることを恐れて隠すだけのようにしか見えない。
 早い話が、アフリカ人は力も知も劣るダメ人間にされてしまったわけだが、アフリカ人の思考様式をダメなものにこちら側の人間に見せるだけでなく、アフリ カ人本人たちにもダメと思わせてしまうもの(説得力)が、シナイ半島の片隅に生まれたと俗に言われているユダヤ教を起源とする思考様式(フロイトは『モー セと一神教』の中で、さらにその起源がエジプトの太陽信仰にあると言っているが)にはあるのだ。
 前にも書いたと思うが、一九九〇年頃世田谷美術館で大々的な世界の美術史を一望できるような展示が開催されたとき(たしかそこにアフリカはなかった)、 ギリシア、ローマ、インド、中国と来て、マヤ−アステカの美術の展示室に入ったときに、絵も彫刻もそれまでとは根本的に違っていて、その異質さと比べる と、ギリシア、ローマ、インド、中国(日本も含む)は一つの文化圏にたぶん二千年くらい前からなっていたことがいっぺんにわかった。
 ポリネシアはポリネシアで、これはまたマヤ−アステカともどこともはっきり異質な美術で、私がいま問題にしている強い思考様式が届く以前、人間は世界の 各地域ごとにものすごく異なる思考様式を持っていたであろうことを想像させるにじゅうぶんだった。
 読者は、緩さからはじまった私の話がどうしてこういう話になるのか困っているかもしれないが、書いている私自身も困ったり驚いたりしている。しかし私が ヨーゼフ・ロートの緩さに惹かれた理由も元をただせばどうやら、この連載の第二期の終わりの何章かでこだわっていたことと同じだったのだ、ということを私 はいま自分でわかった。「第二期の終わりの何章かでこだわっていたことと同じだった」という曖昧な言い方はなんなんだ!と思う人がいるかもしれないが、レ リスに促されるたびに違う呪文を唱えるグリグリを売りに来た男のように、私はそういうことをうまく言えないのだ。


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