◆◇◆遠い触覚  第十四回 『判断は感情の上でなされる』後半 ◆◇◆ 
「真夜中」 No.14 2011 Early Autumn

 私はこうして記憶を頼りにあれこれ書いているうちにもともと書こうと思っていたことがどんどん遠ざかっていくのに困っているのだが、もともと書こうと思っていたのは、
 判断していると思っていることが、じつはほとんどすべて感情の上でなされている。
 ということだった。
「感情の影響をモロに受けている」でもいいことはいいが、その言い方ではまだ判断に独立性があるように見える。そうではなく、透明度の高い水彩絵の具のような絵の具とか書類をチェックしたりするときに使うマーカーの、たとえば黄色を濃い赤の上に塗っても全然見えないように、判断とは感情に対して全然独立していない。
 そのことを私は三月十一日の後の十日か二週間ぐらい感じていたが、こうして書いていくとむしろ逆で、三月十一日からの十日か二週間ぐらいの後の、どんどん普通にもどっていた日々の方こそそうなのかもしれないが、どっちであっても、判断は感情の上でしかなされていない。
「感情的判断」があるのでなく、すべての判断は感情の説明のようなものでしかない。――小説の評で感情の説明でないものはひとつもない。私は小説の評が感情の説明にすぎないことをまったく否定しないが(なぜなら、小説とは読者の感情への訴えかけの上でなされるものなのだから)、自分の書く評が感情の説明にすぎないことを自覚していない評者のことは「バカ」と思う。
 三月後半にひんぱんにあった震度3くらいの地震は、三月十一日の東北地方太平洋沖地震の余震〔余震に傍点〕だったわけだが、そんなことはそのときには断定はできず、次に怒る別の大地震の予震〔予震に傍点〕なのかもしれなかった。余震か全然別のものかよくわからないが、長野と静岡にあった地震は震度6強だった。そういう地震が次に自分の真下で起こっても全然おかしくなかった。
 しかしその状況は日本にいるかぎりつねにそうだ。しかし、そう書く私は最近は、三月後半のようには震度2の揺れが起きたときに警戒しない。三月後半にあった、恐怖感やリアリティがいまはもうないからだ。私は何かを判断しているわけではなく、恐怖感やリアリティに反応しているだけだ。
 しつこく言っておくが、私は地震を最も恐れるグループに属している。家具にはもともと全部に転倒防止の器具や仕掛けがしてあり、乾電池も常備してあり、懐中電灯の類は家の金にいろいろ合わせると十個ぐらいあり、ランタンもある。――しかし、そのように備えをしているということは本当は恐れているのではないのかもしれない。本当に恐れている状態というのは、何も備えをする気になれず、いざその時になったときにパニックになったり、茫然自失したりするのだとしたら私は恐れていることにはならないし、現に三月十一日の地震以来、「震度5強までなら大丈夫」だと思うようになっている。
 地震直後、私は電車に乗るようなところまで外出する気になれなかったが、今はそこまでは考えない。余震がひんぱんにあったかなかったかの違いだけで、大きな地震がいつ来てもおかしくない状況の中にいることはあのときと今とでほとんど違いはない。それなのに、今は外出できるのは、地震に対するリアリティが薄れているからだ。
 もっと言えば放射能がそうだ。放射能の情報には、すでにものすごくひどく汚染されているというものから、まあそれほどでもないというものまで、かなりの差がある。ものすごくひどく汚染されているという情報を収集しはじめたら、いくらもう五十五歳になろうとしている私でも、食べ物についてかなり神経質にならざるをえないだろう。
 私ひとりが知っていても知らなくても、放射能の拡散と汚染の現実はまったく変わりない。しかし知ってしまうことによって、葉もの野菜なんかはもう全然食べられなくなるかもしれない。私が食べる・食べないの判断は、ひたすら恐怖の度合にだけ乗っかっている。その最中に起こった焼肉チェーンのユッケの食中毒はその最たるもので、原因はそのチェーンの肉の処理の杜撰さとわかってはいても、人はしばらくユッケを食べない(私はもともと焼肉はほとんど食べない)。
 前回の、歯(歯茎)の腫れでブスッといきなり暴力的に麻酔の注射針を突き刺された痛みがその後の治療でよみがえってきて手が震え出した、一種のPTSDのこととか、それより前に書いた、父の交通事故の現場に行ったら、直後に急に手足がだるく重くなって、咽がいがらっぽくなったこととか、私が繰り返し書いている、ということは私が何か事に出遭うたびに考えているのは、これらが全部フィクションだということだ。
 これは全部フィクションであり、人はそのフィクションから絶対に自由になれない。人どころか、うちの花ちゃんもまた、三月十一日の大揺れを経験して以来、しばらくは、ちょっと揺れたりどこかがミシッといったりするだけで、ピッと反応して逃げ出す体勢になった。しかし今はもうそれほど恐がってはいない。
 フロイトならこれを神経回路の通電の記憶と痕跡とその修復みたいなことで説明するのかもしれないがしないのかもしれない。そのような説明がありうるとしてもないとしても、それがフィクションであることの否定にはならない。
 フィクションというのは、人が(または動物全般か、ある程度以上の知能を持った動物が)現実と自分との関係を作り出すそのあり方のことだ。だから、それがたんに息抜きであるようなお話はフィクションの名に値しない。もちろん、どんなにくだらない、作り話という了解に守られているお話であっても、それを読む人にとって、「この本を読んで気持ちをリフレッシュさせて、また仕事に戻る」というような、現実との関係は必ずあるわけだが、その話を経てもなお、その話に接する前とまったく同じ顔をして現実に戻っていけるような話をフィクションと呼べるだろうか。ハイ、呼べません。
 私は最近はずうっと「フィクション」という言葉を使っているわけで、それは『インランド・エンパイア』へと至るデイヴィッド・リンチに、私として接近するための用語であり概念である。しかしフィクションという言葉を使わなくても、「人間は幻想の中で生きている」とか「すべての人間は神経症である。生涯神経症を生きる動物を人間と呼ぶ」というような、心理学・精神分析寄りの言い方はいくらでも可能に見える。が、やはりリンチ絡みのフィクションは心理的立場から一歩踏み込んでいて、
 人間が生きているフィクションは、フィクションの力によって、突き崩したり書き換えたりすることができる。
 フィクションはとてつもない広がりがあるのにもかかわらず、いつの頃からか人間はひじょうに狭苦しいところに入り込み、そこでぎゅうぎゅう、ぎしぎし、せこせこやっている。
 三月十一日に崩れた本、といってもほとんどは平らに積んであった文庫本で、立てていた文庫本と単行本の中で重いやつは落ちなかったが、そういえばうちには立てている文庫本は一ヵ所しかないが、その崩れた文庫本はいまだに本来の位置に戻っていないものがあり、昨日そのうちの一冊、オクタビオ・パス『弓と竪琴』(岩波文庫)を手に取って、ぱらっと開いた442ページにこんないいことが書いてあった。この本もまた、前に出てきた牛島信明氏の訳だ。

 科学技術は世界のイメージでもなければ、ヴィジョンでもない。現実を表現したり、再生したりするのをその目的としていないがゆえに、イメージではなく、世界を秩序ある形姿と見なすことなく、人間の意志によって、ある程度自由に鍛造しうるものと考えているがゆえに、ヴィジョンではありえない。科学技術にとっては、世界は原型としてではなく、抵抗としてそこに存在するのである。世界はリアリティを持っているが、秩序ある形姿は持っていない。そのリアリティは、いかなるイメージにも変えることができないし、文字どおり想像不可能なものなのだ。古代の知の究極の目的は、それが感知しうる存在であれ、観念上の形姿であれ、リアリティの観照であった。一方、科学技術の知は、真のリアリティを機械の世界に替えようとする。過去の道具やからくり〔からくりに傍点〕は空間の中にあったが、近代の機械がその空間を根本的に変えてしまった。自動化する傾向にある、あるいは、すでに自動的に作用している機械のはびこっている空間は、諸々の力の広場、あるいはエネルギーと関係との結び目となっているが、それは古代の宇宙論や哲学の、ある程度安定していたあの広がり、あるいは範囲とは、似ても似つかぬものになっている。科学技術の時間は、一方では、古い諸文明の宇宙的リズムの破壊であり、他方では、近代の精密時計による時間の加速、そして遂には、抹殺である。どちらにしてもその時間は、計測はされても、表現されることをまぬがれている、不連続な目くるめく時間である。要するに、科学技術はイメージとしての世界の否定に基づいている。そして、まさしくその否定によって科学技術は存在するのだ。科学技術が世界のイメージを否定しているのではない。そのイメージの消滅が科学技術を可能にしているのだ。

『弓と竪琴』が出版されたのは一九五六年だが、いまよりも五〇年代の方が社会全体で、科学、テクノロジー、機械文明に対する批判が多かった。科学・テクノロジー、機械文明はその後、二十年、三十年かけて、勝利をおさめたということだろう。五〇年代は米ソの冷戦時代であり、ヒロシマ・ナガサキの記憶は世界中で生々しく、しかし同時に米ソはさかんに核実験を行ない、ウィキペディアによると、アメリカがネバダ州だけで一九五一年から九二八回、ソ連はセミパラチンスクだけで一九四九年から四五六回やったとされている(フクシマなんか全然たいしたことないんじゃないの?)。米ソだけでなく、イギリス、フランス、中国も六〇年代のうちにやっている。イギリスは五九年です。六〇年代じゃありません。もうホントに編集者とか校正者は細かいことにうるさいんだから。私の書いたものをこんなことの資料や根拠にする人はいないんだから、どうでもいいじゃない。
 科学・テクノロジー・機械文明が勝利をおさめた今となっては、オクタビオ・パスのように強く批判する人はいないか、いても相当変人扱いされる。同様の批判はハイデガーもやっている。というか、オクタビオ・パスを読んでいると、ハイデガーみたいだなと思う。ハイデガーは、科学・テクノロジー・機械文明は勝手に進んでゆくから人間にはもう止められない、というようなことを言ったと思う。パスがハイデガーみたいだと私が思うのは、それらに対する批判のところではなく、パスの考え方の全体だ。
 何かが全貌をあらわしたあとよりも、それが出はじめたときの方がその本質がわかるというのはいい教訓だ。もう手遅れかもしれないが。
 オクタビオ・パスもハイデガーも、人類の生きるべき世界を利便性で測らない。人間として内面を成長させるのはどうすればいいか。内面を成長させるのを妨げない世界とはどのような世界か。という基準で世界を判断する。こういうことを判断の基準に置く人はもういないような気がする。
 しかし、オクタビオ・パスといいハイデガーといい、基本は感心したり感銘を受けたりするのだが、しばらく読んでいると、ドッと息苦しくなる。もっとアナーキーで破壊的で不道徳なことを言ったりやったりして、パスやハイデガーに浸っていた自分を洗い流したくなる。いや、引用したこの程度の長さではそんなところまでは感じないが、これがもっとずっと長くなって、何日もパスやハイデガーを読んでいるとそうなる。
 たんに難解でよくわからなかったり、書いてあることに入っていけずに退屈であったり、しばらくは頷いて読んでいるがそのうちにあたり前のことしか書いてないと感じたりする本はふつうだ。オクタビオ・パスやハイデガーのように、どっぷり浸っていたと思ったら突然息苦しくなって嫌になり、また二、三年すると読み出してどっぷり浸り、突然息苦しくなる、というのを繰り返す本は他にない。
 なぜそうなるのか。パスもハイデガーも、自分の書いた言葉、思索の道筋が後代まで残るものと考えて書いたことに一番の原因があるのではないか。自分が考えたことに退屈しない人。書くことがそれまで自分が書いてきたことを壊していかない人。自分が考え、書いたことが鳴らされたそばから消えてゆく音楽のようなものでなく、ギリシアの神殿のように、芸術のようでいて建築物にちかい人。それゆえ、自分が書くことがフィクションには分類されない真実だと思っている人。
 

 同時にフィクションは存在と密接につながっている。
 ある絵に描かれた人を見て、「ああ、この人がかつて本当にいたんだなあ……。」と、突然ものすごいリアリティに掴み取られてしまうこと。映画の一場面の隅に映った犬を見て、「私が生まれる前に撮られた映画に映っているこの犬が、かつて本当にいたんだなあ……。」という思いが込みあげてくること。
 今日、ふだんあまり通らない道を自転車で走っていると、いくつかの連想が芋づる式に起こって、二年前の八月に死んだペチャを、死ぬ二十日くらい前、最後に車で獣医に連れて行ったその往復の道のことが、ありありとよみがえってきた。
 フィクションは作り話のことではない。作り話を通じて、ある人や生き物や、ある出来事をリアルにこの世界に存在させることだ。しかしそれがいつの頃からか、リアルにこの世界に存在させることの方でなく、作り話ということだけが流通するようになった。これは出版が商売となって、ただ筋だけしかやりとりしない人を読者=購買者=消費者として想定するようになったことと関係ないわけがない。
 そんな読者は関係ないとして(関係なければわざわざ書かなきゃいいのにわざわざ書かずにはいられないのは、そこはいつも確認しておかないとならないからだが、それ以上に私自身のわだかまりだからだ)、フィクションは存在と密接に結びついているが、人の手や意識を介在させたものだから、一撃で揺さぶられる。
 整然としたフィクションを作るのでなく、唐突で説明のつかない事や物をフィクションに入れること。「何かを言う」のでなく、「何が言いたいのかわからないが、とにかく何かが伝わってきた」を目指すこと。論理的にすぐれたものを書くことは、論理的に書けない人を排除することになるし、論理的あることから外れることを恐れる人の支持しか得ない。
 もともと人を引っ張り、人を惹きつけるものは論理性とは関係ない。