◆◇◆遠い触覚  第十三回 『ペチャの隣りに並んだらジジが安らった。』後半 ◆◇◆ 
「真夜中」 No.13 2011 Early Summer

 とうとうジジが一月十七日に天寿をまっとうした。二十一歳四カ月だった。二〇〇九年八月二十六日に、二十年ちかく毎日べったりくっついていたペチャがいなくなって以来、一日を通して穏やかに何も体の変調がなく過せた日がジジは週に一日あったかどうかぐらいだった。
 二〇〇九年の九月十月は毎週のように台風が来たりしてとんかく天候が荒れ、年を取った人間が天気が崩れると膝が痛くなったり腰が痛くなったり、頭痛持ちが頭が痛くなったりするように、ジジは外の条件の変化から生体を守って恒常性(ホメオスタシス)を保つ生体本来の機能が機能しなくなり、風雨にもろにさらされる小さな家や荒れた海を漂う小舟のように気象に翻弄されつづけた。
 十一月の後半だったか十二月の前半だったかは少し落ち着いていたものの、十二月末からは何度も寒波が来た。二月三月は季節外れに暖かい日とその反動の寒さが繰り返し、というのは、季節外れの暖かさは日本海に低気圧があって南にある暖気を引き込み、その低気圧が偏西風で北海道の東沖に移動すると今度は大陸にある寒気を引き込むからで、三月十日には鎌倉の鶴岡八幡宮の樹齢八〇〇年とも千年ともいわれる大銀杏が突風で倒れ、二月三月はとにかく風が吹き荒れた。四月五月は大陸の寒気が張り出しつづけ、寒く、雨ばかりだった。
 こうして思い返してわざわざ書いていると、あのジジの辛い日々をもう一度ジジに体験させているような気持ちになる。胸が痛い。
 二〇一一年になり、一月はずうっと晴れがつづき、気温は低いが上旬はジジも安定していた。十日を過ぎた頃から天気が安定しているのにジジはとても不安定だった。もう本当に限界だった。ジジの体には余力が何もなかったと思う。
 人間も動物も死ぬ少し前に、たいてい激しくひきつけるようなもがき苦しむような呼吸を一分間ぐらいする。ペチャはそれをしてから完全に呼吸が止まるまで一時間ちかくかかった。外からはもう苦しいようには見えない。穏やかな、力のない呼吸を何度かしては止まり、「死んだのか」と思うとまた何度か呼吸する。ペチャはそれを一時間ちかく繰り返したが、ジジは激しくひきつけるような呼吸のあと三回しか呼吸しないで、そのまま止まった。
 一番太ってしまったときは八キロ以上あった体重が最後は二キロだった。八キロのときはさすがに太らせすぎだったが、ジジの人生の半分以上は六キロ前後あった。
――あの二人は泣き虫で頼りないから、ぼくがいなくなってジジまですぐにいなくなっちゃったら、きっとどうかなっちゃうよ。だからジジ、ジジはもうしばらく二人のそばにいてあげて。
 というペチャの言葉をジジは健気に守った。なんて書いているだけで泣きそうになる。
 ジジを火葬し、骨壺を納骨堂の棚のペチャの隣りに並べたとき私はほっとした。
 こんなにほっとするなんて、自分でも信じられなかったが、ペチャの隣りに並んだジジを見たら心の底から安心した。

 このことについて、二通りの書き方がある。ひとつはそういうことは、錯覚である、迷信であると、一蹴したり、鼻でせせら笑ったりする人に向かって、あなただって、迷信や錯覚の中に生きているんだよと指摘する書き方。
 たとえば、日本の家のふつうの食卓は、ご飯の茶わんが左で、汁物のおわんが右だ。これは機能の問題ではない。ご飯と汁物の右と左が機能だとしたら左利きは逆に置かなければならない。着物の合わせも和服をすべて左が外で、これも機能ではない。
 よその国は知らないが日本では左利きが、私の両親の世代、ということは昭和ひとけたか十年代ぐらいまでに生まれた人たちには「よくない」ことと見られる傾向があったが、これもハサミや包丁が使いにくいとか字が書きにくいとかいう機能の問題でなく、死者の膳や死者の着物の合わせが左右逆だったことが一番の原因だったのではないか。しかしそれなら、左右逆の像を写す鏡を見て化粧をするという行為はどう思われて(思わないですませて)いたんだろうか。それともずうっと昔の人は、鏡で自分の顔を見るたびに、左右反転の不吉さを味わっていたんだろうか。
 日本の葬式では、葬式から帰ってきて家に入る前に清める意味で体や服に塩をかける。まあ、そんなことはどうでもいい。塩なんかかけない人もいっぱいいるだろう。では火葬や埋葬あるいは散骨はどうなる。家族の遺体を完全な物として処分できる人がいるだろうか。
 いるかもしれない。しかし、本当に家族の遺体を物として、たとえば棺に入れるとなると棺の代金がかかるから、適当な大きさに切り分けて、小さなダンボール箱か袋に入れて火葬場に持っていくような人がいるとして――鎌倉市は火葬料として五万円支給してくれた。火葬場に払った代金も(といっても私が払ったわけでなく、葬儀屋が払って、私はその明細を見たのだが)だいたいそれくらいの額だった。鎌倉市は(というか行政は)火葬代は払ってくれても棺の代金は払ってくれないということだから、行政は棺と火葬をセットとして考えていないということなのかもしれない――、しかし私は、ジジの骨壺がペチャの隣りに並んだのを見て、ほっとしたということを、そういう人にまで理解させなければいけないなんて誰からも言われていない。
 私は、あなたは私のこの気持ちを迷信や錯覚と一蹴するかもしれないが、あなたも必ず、一つや二つどころかたくさん迷信や錯覚を持っている、というそれを指摘すればじゅうぶんで、もし完璧な唯物論者がいるとしても、私はその人まで説得する必要はない。ところで、その場合、完璧な唯物論者というのは、自分が大事なのかそうではないのか。完璧な唯物論者にとって、〈自分〉と〈私〉は同じなのか同じではないのか。
 さっき書いた二通りの書き方のもうひとつの方の書き方とは、それを理解しようとしない人をわからせることでなく、
「こんなにほっとするなんて、自分でも信じられなかったが、ペチャの隣りに並んだジジを見たら心の底から安心した。」
 という、まさにこのことを、このことだけを、音楽や絵や小説に感動した、それと同じように書くことだ。
 と、文字にきちんと書いてみると、急に思った。このやり方は嘘になる。というか、理解しようとしない人を説得すること以上に空疎なのではないか。いま実際に書く(文字を置く)まで私はこれこそが正しいと思っていたが、これは空疎だ。だいたい、「音楽や絵や小説に感動した(感動する)」とはどういうこと(状態)なのか。それは書くそばから、いわゆる「感動」に持っていかれて、何も残らない。
 ペチャの隣りに並んだらジジが安らった。――これは事実だ。それについて書くのでなく、それを事実だと受け止めた自分に驚いていることを書こうとしていたり、これを事実とするメカニズムとか作用とかそういうものがあり、それはこの私を超えているというようなことを私は書こうとしなければしょうがないのでないか。
 

 ペチャの隣りに並んだらジジが安らった。
 これは、疑いの対象とするべきことでなく、驚き(または喜び)とすべきことだ。「すげー!」とはそういうことだ。キリスト教において、一度死んだキリストが蘇ったということは、本当に宗教としてキリスト教について考える人たちにとっては際物の部分で、本当に本当のところはなくてもいいものなのかもしれない。しかし聖書に書かれている以上、キリストの蘇りは、つまずきの石になる。キリストの蘇りは際物であり、余分な部分であり、「いくらそこを論じてもキリスト教の核心には到達することはできない。」と言うかもしれないが、キリストの蘇りが初期において人々の心を捕えたことは間違いない。
「神の子が死んだということはありえないがゆえに疑いがない事実であり、葬られた後に復活したということは信じられないことであるがゆえに確実である。」
 という、私が『カンバセイション・ピース』の中で繰り返し使ったテルトゥリアヌスの言葉のように、キリストの蘇りみたいなありえないことを真っ正面から取り上げる方が私は断然好きだ。
 変な言い方だが、芸術を受け止めることは飲み込みがたい作り手の言葉や思想やイメージを加工せずに丸飲みすることであり、芸術とは、人間が日常生活ではそれを見ずにすませている世界の、それにいちいち関わっていては生産とか効率とか全然ダメになってしまう相を提示することだ――というのはしかし、空疎な教義でしかない。
『ロスト・ハイウェイ』の、主人公の中年男が若者に入れ替わった瞬間を、説明なしに受け入れること。『インランド・エンパイア』で、ローラ・ダーンが今いるのが、現実なのか劇中なのかと問わないこと。どこかの部屋でローラ・ダーンをテレビで見つづけている女性がどういう人であるか問わないこと。ウサギ人間たちが何なのか問わないこと。それらをすべてそのまま受け止めること。
 私はこの同じフレーズを、もしかしたらもう三回か四回書いたかもしれない(でも、一度も書いてないかもしれない。)が、書いてないかもしれない。あ、これおもしろい。文の書き方とか、( )の使い方とか、いろいろあるものだなあ。私がこの同じフレーズを一度も書いていなかったとしても、三回か四回書いたかもしれないと思うほど、私はいま書いたこれらの場面を説明なしに受け入れられていないということだ。これらの問いをいっさい抱かない人がいたとしたら、しかし、リンチが自分の映画をこのように作る理由もなくなってしまう。
 このことと、しかし、ペチャの隣りに並んだらジジが安らったこととは、だいぶ違ってきたんじゃないか。ペチャの隣りに並んでジジが安らったのが事実なら、私はペチャが死んでから一年四ヶ月のあいだ、いろいろジジに手を尽さずに、早いところジジを安らわせるべきだったのではないか。逆に言えば、私はジジに手を尽くし、早いところ安らわせようとは思わなかったのだから、ペチャの隣りに並んでジジが安らったというのは事実でなく錯覚だ。
 と、こう書いてみて、これもまた頭の中にあるうちは少しはまともに思えたが、文字として定着させてみると浅薄極まりなく、ひとつ目の唯物論者や懐疑派相手の議論と同じことだということがわかる。なんでこんなことが文字に書く以前とはいえ、少しはまともな考えと私は考えたのか。書いた今となってはさっぱりわからない。

『カフカ・セレクションV』(浅井健二郎訳、ちくま文庫)の、ふつうは『ある犬の探求』と便宜的に呼ばれている(なぜならそれはカフカの遺稿中の草稿で題名はカフカによってはつけられていないから)『〔いかに私の生活は変化したことか〕』に、以下に引用する二つのくだりがあった。二つはつづけて、ほとんど並んで出ていた。
 

(A)魂は生よりも早く変じる

(B)犬の生活が彼らを喜ばせはじめたとき、彼らはすでにすっかり老犬風の魂を持ってしまっていたにちがいなく、彼らが思っていたほどには、あるいは、あらゆる犬の喜びに耽っているその目が彼らに信じさせようとしていたほどには、出発点の近くにはもはやまったくいなかったのだ

(A)は明快だが、(B)は一回ささっと読んだだけではわからない。しかし(A)が明快なのは文の形だけであり、実体としてどういうことを語っているのかとなると明快とは言いかねる。
「神は偏在する」
「芸術は存在を開示する」
「死は無でも無限でもない」
 これらはすべて、形は明快だが、内実となると正確に理解することは不可能と言ってもいい。
 一方(B)は形は曲がりくねっているが、言い方を変えてわりと明快にするのはそんなに難しいことではない。
「彼らが犬の生活に喜びを見つけたとき、すでに彼らは若くなかった」
 ということだ。「彼ら」とは犬のことだ。とはいえ、この犬の話は、ある一匹の犬が理屈に理屈を重ね、考察に考察を重ねていく話だから、語られる内実はふつうに、「彼らが犬の生活に喜びを見つけたとき、すでに彼らは若くなかった」という文で語られうるものほどには明確ではない。語られる内実はやはりどれも深い霧の向こうにある感じがする。
「ペチャの隣りに並んだらジジが安らった。」
 と書いたそのかぎりにおいて、これはこれをすんなり受け入れるか、懐疑または否定するかのどちらかの事態でしかなくなってしまう。
 本当にリアルなことは、肯定と否定が一人の人間の中で同時に起きる状態なのではないか。それが事実かどうかはたいした問題ではない。大事なのはリアルであること。リアルであるとはどういうことかという問いが生まれくること。事実はそのあとについてくる。激しい拒絶が生まれなければ事実にはならない。
 一時期熱心に読んだが所詮、根本の数式がわかっていないから概念だけの理解もどきの状態にとどまっていたから、それから十年以上経った今ではもう名刺しか憶えていない、量子力学のたとえば「シュレディンガーの猫」の生きている状態と死んでいる状態がまったく100パーセントずつに同居している事態とか、光が波(運動)であると同時に粒子(物質)であるとか、光の粒子は一粒ずつ打っても二粒以上でなければ起こらないはずの干渉波が起こることとか、そのような、感覚による把握と理屈による把握が互いに矛盾し合うにもかかわらず、それが確かに起こっているという事態。
 そこまでいくために、私はジジがペチャの隣りに並んだあのときを、もう一度やり直さなければならないのではないか。もう一度やり直すことがどうすれば可能なのか。