◆◇◆遠い触覚  第十三回 『ペチャの隣りに並んだらジジが安らった。』前半 ◆◇◆ 
「真夜中」 No.13 2011 Early Summer

 いちおう自分を中心に言うなら、日常のある安定した思考とか安定した感情を支える思考(ないし言語の体系)の基盤が揺さぶられること、もっと極端な場合にはそれが破壊されること、それが本来の迷信というものであり、私の場合の安定した感情を支える思考の基盤とは簡単に言えば科学的思考ということになるが、それが科学的思考であることに最近では『こんちくしょう』という反感を禁じえない。が、外的にも内面にも支配的なのは科学的思考であることは否定しようがない。が、しかし本当にそうなんだろうか。そうでないものまで、ついうっかりスルーして「科学的思考」と思い込んでしまっているのではないか。
 その「迷信」は近年ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれたりしている。しかしこれは広義の迷信だ。そんな言い方をすると、『心的外傷後ストレス傷害に悩む人たちを傷つける』とか『貶める』と非難されるにちがいないが、迷信とは本来それほどの力を持っていたからこそ迷信たりえた。軽い気持ちで迷信という概念か、もしかしたら実体が、人間の歴史で長く長く人間の思考や感情生活を支配しつづけてきたはずがない。必要なことは、迷信とPTSDを同じ目で見る思考の軸を科学の側は持つことだ、なんてことはもっともらしいからいちおう書いてみたが私がずうっと考えていることはそういうことではない。どうせ結論などのつもりでここで書かずにあとまで取っておこうと思うと話はそっちに向かわずに書き忘れるに決まっているし、ここで書いておいてもそれを結論とするように話を調整するなどということはもう私はきっとしないしできないのでいまここで書いておくが、デイヴィッド・リンチの映画を受け止めることは、PTSDも含む迷信に自分が因われることだ。
 それを真剣に受け止めた者を迷信状態に陥らせること。それは芸術家のひとつの夢であり、友人で哲学者の樫村晴香のように言うなら、『自身の症候を共有させること』だ。
 記憶するかぎりでは大学一年の二月から、私は毎月二月になると右下の奥歯よりやや手前の歯が痛み、とうとう医科歯科大学まで行ってそこの痛みを訴えたのだが、かえってくる答えはいつも、
「この歯は治療済みだね。」
 そうは言っても、痛む時期にその歯を爪の先で軽く叩くだけでひとい痛みではないが間違いなく痛みがあるんだから、「気のせい」ではないし、
「口の中は案外わかりづらくて、隣りの歯が痛んでいることもあるし、下だと思ったら上の歯だったということもある。」
 と言われたって、痛いそこを叩けばそこが現に痛いんだからその歯でしかありえないはずだったが、ついに誰一人として私の訴えを正しく受け取められないまま、歯の痛みはだいたい三月半ば過ぎか四月になると消え、消えれば私も歯のことはどうでもよくなるのだが、翌年の二月になると痛みがまた戻ってくる。そのうちに私は、寒がりの私は冬が嫌いで嫌いでどうしようもなく、二月の半ばあたりから寒さに耐える限界に達し、我慢できずに気が立ち、神経が、本当の神経も比喩的な意味での神経もすべて過敏になるために、歯医者には見つけられないほどに小さな何かがある歯の、ふだんでは通りすごしているかすかな痛みをキャッチし、しかもフィードバックさせて痛みを増幅させることになるんだろう、と考え、痛みに関しては治療をあきらめ、
「今年はこの程度だからすごい楽だな。」
 などと思うようになった。
 が、一九九六年。大学一年の二月から数えて二十一回目。年齢でいえば数えで四十一歳だから前厄。その年は三月中旬になっても痛みは退くどころかひどくなる一方で、歯茎が腫れ膿がたまり、次に右の頬まで腫れ、頭を下げるだけで、鈍痛がし、近所の友達が通っている痛くしない歯医者に行くと、
「院長先生にお願いしますって言わないとダメだよ。」
 の忠告を無視して、院長でない、体格のいい中年女性の歯科医師にかかると、彼女は麻酔も何もせず、親指のひらで私の腫れた患部の膿を力ずくで押し出し、私はすでにその時点で目からは涙がにじみ、顔の右半分は鈍痛でぐわん、ぐわんだった。
 が、彼女はさらに、私の上顎にこの期に及んで麻酔の注射針をガガッ! と突き刺し、そのまま一気に麻酔液を射ち込む。私は上顎が二つに砕けたかと思った。麻酔注射の針が突き刺さる瞬間は麻酔が効いていないんだから、それは針が突き刺さる痛み以外の何物でもない。ふつう歯科医師は麻酔注射の針を刺す前にそこを麻酔をしみこませた脱脂綿でこすって、表面から弱い麻酔をかけ、それが効いたのを確認してから、慎重に少しずつ針を刺しながら同時に麻酔液を少しずつ入れて、針自体の刺さる痛みを針と液でなくしつつ針を刺してゆくというありがたいことをしているということをそのときまで私は考えもしなかった。
 注射を終えた女歯科医師に、私は痛みをこらえて、
「顎が砕けたかと思った。」
 と、きっと相当弱々しい声で言ったが、彼女は返事もせずに向こうを向いて注射器を戻すだけ。治療が済んでも私は痛みで動けず、すぐ隣りにあった、「チェリー」とか「来夢来人」とか「白い家」みたいな七〇年代に日本中にできた小ぢんまりした、少ないメニューに必ずピザトーストがあるみたいな喫茶店の隅に小一時間すわりこみ、で、それから家に帰って布団に入って寝た。その後、四月に入ってようやくたどりついた別の歯科医師がはじめてレントゲン写真の患部を指さして、
「ほら、ここにクラックがある。」
 と言った。高校一年の冬に神経を抜いたその歯の根の先のあたりが、神経を抜いたときにヒビが入り、歯根治療の液がかすかに漏れ、そこが定期的に痛んでいたということを、その歯科医師は明確に指し示した。
 彼は絶対に痛くないように治療を進めたのだが、何回目かに、あのときと同じ上顎に麻酔注射の針を当てられたとき、私の両手がわずかだがぶるぶる震え出した。歯科医師にはわからないくらいの震えだったので治療はつづいて、事もなく終わったが、私はそのとき、PTSDとはこういうことを言うのかと思った。
 という話。

 昨年七月五日に、自転車に乗っていた父が車に撥ねられてほぼ即死状態で病院に運ばれ、公式の死亡時刻は連絡を受けた私が父の横たわる病室に入って、医師が私たち家族に確認して呼吸器を外した午後四時五十六分だが、事故があったのは四時間前の十二時五十五分だった。そのとき私はそんなことはまったく知らず、ひとりで朝食兼昼食というには昼食すぎる食事をとっていて、たしかちょうどその時間にトーストを食べようとして口を開けたら、唐突に右のこめかみに痛みが走ったが、そのまま午後一時五分からのNHKの「スタジオパークからこんにちは」に、四月九日に亡くなった井上ひさしが映ってしゃべっていて、井上ひさしぐらいなら知っている父に電話して教えてやろうかな、などと思ったが、「ま、いいか。」と思って電話しなかった。
「あのとき電話して教えてやってればなあ。」
 というのは、もちろん計算の狂いで、そのときにはすでに父は道で倒れて意識不明の重体になっていた。しかし、あの日、私が新聞のテレビ欄を早い時間に見て、
「一時五分から1チャンネルで井上ひさしが出るよ。」
 と言って教えていれば事故は回避できたわけだが、あのときを思い出す私はいつも、テレビをつけたら井上ひさしが映っていたそのときに電話をしていれば間に合った、という誤りを繰り返す。
 が、ここで言いたいのはそのことでなく、あの日以来しばらく、というのは三カ月間ぐらいだったろうか、私は昼間のテレビの画面の左上隅に出る0:55  十二時五十五分、父が事故に遭ったその時刻を見ることができなくなった。いまでも少し怖い。母は命日の五日に、新しく花を供えたり、お墓は近所だが脚が悪いためになかなかそこまで歩いて行けないが、「今日は命日だから」と言って来てくれた親戚の車でお墓参りに行くことに熱心だが、私は「五日」は翌月の八月五日からすでに忘れる。が、十二時五十五分からはなかなか解放されない。
 命日。正しくは、月命日。父母の田舎の言葉では「たち日(び)」。「発つ日」なのか「断ち日」「絶ち日」なのか、と思って広辞苑をひいたら「立ち日」と、ちゃんと載っていた、その立ち日、命日がはじまったのは、故人を忘れないためでなく、その人に死が来たその日が忘れられないから、つまり恐ろしいから何かしようとはじまり、それが多くの人たちに共感されたからではないか。
 そんな一般論はともかく、十二時五十五分がこんなに圧迫になっていることが私は「すごいなあ」と思う。十二時五十五分という時刻に出会うと思うと私の中の何かが計算不能になる。その計算不能あるいは計算停止の感じが、私にとって『ロスト・ハイウェイ』の、妻殺害の容疑で留置場か刑務所に入っていた男がある朝突然、全然関係のない若者に入れ替わっていたあの瞬間と同じもののように感じられる。
 この感じを読者に共有してもらうには、何段階かのステップが必要なんだろう。私の十二時五十五分に出会いたくない気持ちと男が若者に入れ替わったあの瞬間は、形として? 質として? 何て言えばいいかわからないがとにかく似ていなさすぎる。共通点が全然ない。しかし私には、二つが同じもののように感じられるとしか言いようがない。二つを?ぐ何段階かのステップはあるのかもしれないが、あったとしてそれを提示したところで説明にならないんじゃないか。

 私が行かなかったのは、私は行ったからだ。
 

 私はカフカを読んでいるうちに、右の文がひらめいた。あるいは、
「私がしなかったのは、私はしたからだ。」
「私がしたのは、私はしなかったからだ。」
 この文の何が私はそんなに魅力なのか。
 言語というのは音を聴いたり色を見たりするときのような動物の延長としての人間の自然な受容プロセスでは受容できない原理を持っているそれがあからさまに出た文だから。という説明はいま考えたものだが、こんな説明をしても私が感じている魅力が伝わるものではない。
 そんなことでなく、人間は言葉を使ってまさにこのように思考しているんじゃないか。
「空に書けないラブレター」
 これは変だ。しかし、
「空に書いたラブレター」
 これなら、小説や映画のタイトルになるし、現にこのタイトルは実在するかもしれない。しかし、本当に変なのは「空に書けないラブレター」でなく、「空に書いたラブレター」の方だ。空に書けるラブレターなどこの世にない。
「『空に書いたラブレター』は本当は変なのに変に聞こえないのに、『空に書けないラブレター』は本当は変じゃないのに変に聞こえる。」
 という言葉を誰かに向かってしゃべったら、きっとその人は「もう一度言ってくれる?」と、聞き返してくるだろう。文字で読むならまだしも、耳だけで聞くとわからなくなるレトリックや論法はいろいろある。
 これは人間が言葉を受け取るときに受け皿として言葉の実体を出力しつつ受け取っていることを証明する実験だが、
〈赤〉という文字を赤の地に書き、〈緑〉という文字を緑の地に書いて、どちらか一方を見せて、「文字を読め」というのは誰でも間違わないが、赤字に〈緑〉という文字を書き、緑地に〈赤〉という文字を書いたカードを見せると、文字を読まずに地の色を言ってしまう。だいたいこういうことは書いているだけで軽い混乱が起きて、私は「赤」と書くべきところに「緑」と書いたり、「緑」と書くべきところに「緑」と書いたりしてしまう。
 ついこのあいだも、北朝鮮が韓国との対話を拒否したというニュースで、北朝鮮が、
「すぐに制裁をふりかざすような国とは交渉ができない。」
 と言ったと言った。この、耳を疑う北朝鮮の論法は、いつも聞いてうれしくなる。「と言ったと言った」という私の文を編集者や校正者は直したくなるだろう。なぜ間違っていないのに言い換えを求められる言い方があるのか。文法的にも間違っていないし、書かれた内実としても間違っていない。