「近代を特徴づける最もわかりやすいメルクマールは、真理システムとして自然科学が採用されたことにある。真理システムは、(自然)科学だけではなく、かつては、たとえば宗教や呪術等も、その機能を果たしていた。固有の意味での(自然)科学が誕生し、それが真理システムの中で圧倒的に優越的な地位を占めるに至ること、それこそ、近代への変容を示すきわめて明確な道標である。」
これは最近出版された大澤真幸の『量子の社会哲学』(講談社)のまえがきに書かれている一節だ。私はこれとよく似た言葉を一九九四年の夏に友人Kから聞いた。
「絶対他者とは世界に関する真理を知っている者のことである。近代以前にはそれは〈神〉のことであり、近代では未来がその地位を占めることになった。」
友人Kとは樫村晴香のことだが、ここに書いた言葉は私の記憶なので樫村晴香その人の言葉でなく、友人Kの言葉だ。近代では人は今わからないことでも未来がいずれ解決するだろうと考えている。その前提には科学による進歩があり、科学とは時代とともに進歩するものだというのがもっと大きな前提としてあり、社会が科学を基盤にして成り立っているのだから社会もまた当然進歩する。
大澤真幸のこの文章と友人Kが私に語ったこの文章の、一番似ているところは、近代における科学の位置づけの大きさ以上に、真理がカッコに入れられた限定されたものとみなされていることだ。大澤真幸は「(自然)科学は真理である」と言っているのではない。ただ「(自然)科学は真理システムとして採用されている」と言っているだけだ。
「近代では(自然)科学は真理である」と書いているとしても同じことだ。「近代では」などと時代の限定がついた真理などない。時代によって真理が替わるということは、いつか科学もまた真理を担うことがなくなる日がくるということであり、友人Kの考えに立てば、未来の知が現在の知よりも説得力を持つという思いを人が抱かなくなる日がくるかもしれない、ということでもある。
しかし多くの人は、「科学は真理である」と思っている。「科学の発達こそが人類を救う」とも思っている。このような単純な思いにあっては、真理は大澤真幸や友人Kが考察の対象とした真理と違って無限定、無際限、つまり絶対であり、これこそが「真理」本来の意味での真理だ。科学者には単純な人は多いから、「科学は真理である」と思っている。
真理がカッコに入れられ、真理が無限定でなくなったがゆえに、真理もまたフィクションになった。と考えるなら、宗教も迷信も科学も芸術もすべてがフィクションとして、全員が自分がフィクションであることをよく承知したうえで、最も本当らしく映るものはどれかと競い合っている、という風に考えることもできる。「本当らしく映る」がもの足りないなら、自分こそ最も衝撃的なことを言えると競い合っている、と言い換えてもいい。
が、「すべてがフィクションである」とか、「自分がフィクションであることをよく承知したうえで……」というような言い方は私には全然おもしろくない。十年前か十五年前くらいまでならこういう言い方を私もおもしろいと感じていたんだろうと思うが、そのようなわかったような態度が今の私にはおもしろくないどころか苛々してくる。
フィクションであるという醒めた認識を食い破るものがある。
「それもまたフィクションだ。」
と、醒めた認識は当然言う。しかしそんなことは知ったことか。
七月に父が交通事故で死に、母と妹と私は心の準備のできていないところで葬式をしなければならなかった。詳しい事情は前回書いたものとして話を進めると、父の死がそう遠くない将来にくると考えていても私たちには突然だったから、その死の葬式をしているとき、とくに通夜と告別式で会葬者がお焼香をしているとき、私は母と妹と私がとても小さくなっているように感じた。体のサイズがだ。
葬式が終わっても人を送るということはいろいろ儀式があり、その中の一番の儀式は四十九日の法要だが、四十九日の法要は死んだ日を一日目として数えて四十九日以内にやらなければならない〔なければならないに傍点。以下同じ〕。そうしないと、死んだ人をないがしろにしているとされるそうで、四十九日の日取りをお寺と相談して決めるのはそれは関心の中心だから最初にやるが、四十九日の法要をするということは、法要の案内のハガキを事前に出すということであり、そのハガキの返信に書かれた出欠をもとに法要のあとに来てくれた人にふるまう食事の席の手配をするということであり、それからまた香典返しを四十九日の法要が済んだ一週間以内、理想は二、三日後に先方に届くように手配しておくということでもある。
他にも平行して、父の年金を母が受け取るように手続したり、交通事故だったから警察から交通事故の証明を取ったりというのをしているところに、四十九日の法要のあとの店にある程度正確な人数を二週間前に伝えなければならない〔傍点〕。そのためにはこっちが出して向こうが返事を送り返すのに一週間、そのハガキの印刷に三日。ハガキの文面を書いて、印刷屋が校正を出してきて、……なんて計算すると、四十九日は四十九日先のことでなく、葬式が終わったら一週間ぐらいのうちに準備をはじめなければならない〔傍点〕。そうそう、何よりお墓を建てなければならず〔傍点〕、お墓は四十九日には完成していなければならない〔傍点〕が、途中にお盆休みが入るからすぐ決めなければならない。
で、お墓を決めていると事故の現場で最初に店から出てきて救急車を呼んでくれた人に挨拶に行かなければならない〔傍点〕。こういうことは初七日が終わる前にしておかなければならない〔傍点〕と言われて挨拶に行き、そのとき私ははじめて父がほぼ即死状態になった事故現場に立ち、車のフロントガラスの破片とか父の頭部から出血したアスファルトの血痕とか、そのような生々しい痕跡はすでにひとつもなかったが、現場から立ち去って歩いていると私は急に咽がいがらっぽくなり、次に痛くなり、手足がぐぐうっとだるくなって、どこかに腰掛けたくなった。しかしそれはごく一時的なことで、三、四分歩いて海に出て、しばらく海を見ているうちに治った。
このまったく同じ夏、世間では「葬式の費用は高すぎる」とか「葬式は十万円台でできる」とか「お布施の金額の根拠は何か」みたいな葬式批判がブームになっていたが、私は「××××しなければならない」という言葉に追い立てられるようにして、最もふつうの伝統的な葬式とその後をやっていったわけだが、私は「××××しなければならない」という言葉に対して受け身だったわけでなく、事故の現場に行ったら咽が痛くなり手足がだるくなったように、すべてそれを引き受ける体勢が私の側にできていた。
しかしこういうことは当事者として「××××しなければならない」という言葉を全身で受け止める体勢になっていない人にはまったく通じない。葬式が終わり、私が父のお骨を抱いて玄関に入り、お骨を玄関に置こうとしたら、
「あっ、お骨を床に置いちゃダメ!」
と、向かいの順子ちゃんが私を制止した。順子ちゃんといってもすでに六十歳をすぎているが、昔私の家に遊びに来た従兄たちがみんな、「鰐淵晴子みたいだ」と、地に足がつかなくなったくらいの美人だった。順子ちゃんに言われて、順子ちゃんにとっては「カズちゃん」である私も慌てて動作を止めて、
「じゃあ、どこ置いたらいい?」
とおろおろした。去年、かわいがっていた猫が死んだ友達が電話をかけてきて、暗い声で、
「きのう焼いてきたんですけど、お寺に訊いたら四十九日までに××××しなければならないって言われたんです。でもそれって、――。」
と言った、その「××××」部分は忘れてしまったがとにかく無茶というか荒唐無稽というかそういう話で、私はとにかく急がずにこれから十日か二週間考えているうちに、やらなくてもいいんじゃないかという気持ちになると思うけど、それでもやっぱりやらないと気が済まないと思うんだったらやればいいよと答えた。
お寺に払うお布施には戒名の代金も含まれ、戒名には格があり「○○院△△△△居士」と、院と居士がつくと関東では百万円以上払わなければならない、という話は端から見ればナンセンスだが、高いとは思いつつも家族はそれを払う。特に死んだ人が生前それを望んでいたなら家族は払う。父は「俺は居士でなくていい」と言ってたが「戒名はいらない」とは言わなかった。
戒名がナンセンスなら葬式もナンセンスなわけで、実際、白洲次郎は葬式も戒名もいらないと言ったわけだが、戒名と葬式がフィクションであることは言うまでもないがそれらすべてを不要と一蹴するそこには別のフィクションが必要となる。フィクションが嫌なら、論理あるいは原理でいい。何しろこっちは体がとても小さくなっているのだ。醒めた認識の産物など、全然魅力ない。
私はかつて、一度、もう十年以上前に、
「わしは死ぬことなんかちっとも怖くない。焼かれて骨になっても、わしはわしや。」
という強烈な言葉をエッセイに書いたことがある。葬式無用戒名不用や海への散骨なんかよりずっと強い激しい意志がこの言葉にはある。これこそ葬式はいらない。墓にも入れず、焼いて連れて帰ってきたら、そのまま家で一緒に暮らしつづければいい。
先日は『プレーンソング』の「ぼく」と一緒に競馬場に通う石上さんのモデルの岩見さんが言った。
「俺は死んだら佐渡の先祖代々の墓に入って、毎日日本海を眺めながら死んでるんだよ。」
この文法の間違いは岩見さんの心的世界における必然だから間違いではない。言葉はこのような心的世界における必然の積み重なりで文法や構文という形を得ていったはずだ。「骨になってもわしはわしや。」も「毎日日本海を眺めながら死んでるんだよ。」も、葬式や埋葬にまつわるフィクションの起源にまで遡る強さがある。
「すべてがフィクションである。」という言葉もまたフィクションであり、このような全体を俯瞰して事足れりとする発想はフィクションの生成に関わっていない。すべてがフィクションであったとしても、それぞれのフィクション、もっと言えば、フィクションとされたまさにその一つの出来事は、〈真理−フィクション〉という分類の外で起こる。それが真理であるかフィクションであるかを問うのは浅はかだ。
私はそろそろ『インランド・エンパイア』に戻らなければならない。私は二回前か三回前に『インランド』の個々の場面をもっとよく観なければならないと書いた。もしかしたら思っただけで書いていないかもしれない。
映画も小説も個々の場面・情景の積み重ねだ。それは言うまでもない。しかし個々の場面を観ながら気持ちがつねに抽象へと向かう映画がある。全体のテーマとか何とかそういうことではなく、いま現に自分が観ている映画と関係ない考えがやたらと湧き出てくるような映画だ。私にとってゴダールはそういう映画であり、『インランド』がまたそうだ。
作り手の意図というのがある。ほとんどの書評は全体の関連や意図の解釈に終始する。それでは作品は作り手の意図を超えたものにはならず正解探しで終わってしまう。そこで精神分析の方法を取り入れた解釈があらわれたりするのだがそれもまた同じことで、その解釈では作品を読む・観るの終点が作り手の意図でなく、無意識とかエディプス・コンプレックスや移行対象にまつわる図式がそれに取って換わるだけだ。
カフカが一九一五年九月三十日の日記にこう書いている。
「ロスマンとK、罪なき者と罪ある者、結局は両者とも区別なしに罪を受けて殺されてしまう。罪なき者はいくぶん軽い手つきで、うち倒されるというよりはむしろ脇の方に押しのけられるといったふうに。」(谷口茂訳)
Kは『審判』のヨーゼフ・Kで、ロスマンは『アメリカ(失踪者)』のカール・ロスマンだ。『アメリカ』は未完で、カール少年の死は書かれていない。いま『アメリカ』は『失踪者』と呼ぶのがふつうになりつつあるが、私は『アメリカ』と名づけたマックス・ブロートに敬意を表して『アメリカ』と呼ぶことにしよう。ブロートの『カフカ』を読むと、何と言ってもブロートこそがカフカの理解者だったと思う。その後の研究者たちはブロートを批判するが研究者たちは教祖に直接会ったことがない信者のようなものだ。ブロートは信者でも使徒でもなく友人だ。 |