◆◇◆遠い触覚 保坂和志 第三回 『インランド・エンパイア』へ(2)前半◆◇◆
「真夜中」 No.3 2008 Early Winter


 私は文芸誌の「新潮」で『小説をめぐって』という連載を二〇〇四年の一月号からずうっとつづけていて、それは二〇〇三年に長篇の『カンバセイション・ピース』を書いたあとのことで、『小説をめぐって』の連載をつづけているうちに人から、
「こんなハードなことを書いていたら自分の小説が書けなくなるんじゃないの?」
 と言われるようになった。「ハードな」というのは「他人に対して厳しい」とかそういう意味でなく、小説が小説として認められるレベルとしてというような意味だが、それで自分の小説が書けなくなるとは思っていなかったが、しかしそんなことと関係なく「もう小説を書かなくてもいいかな。」とも思っていた。「書かなくてもいいかな。」というか、「書きたい」という気持ちが出てこなかったのだが、去年の夏にデイヴィッド・リンチに出合って一気に書きたいモードに切り替わった。
 リンチは何かを物語ろうというつもりがない。ひたすら、ほとんど無駄にテンションが高く、同時にとてもバカバカしくもあって、『ブルーベルベット』でデニス・ホッパーがカイル・マクラクランの顔を両手で押さえて口紅を塗りたくった唇でキスしまくるようなことをする。『マルホランド・ドライブ』ではウィンキーズというファミレスの店内で妙に眉毛の太い男がもう一人の男としゃべっていて、眉毛の太い男は、夢の中で君がそこに立っていた、それはまさにこの店だった、とか何とか言って、二人で店を出て店の裏側に行くと、突然、ガッ! とホームレスらしき髪の毛が伸び放題の男の顔が大映しになる。そこで私はワッ! と大笑いしてしまう。
『マルホランド』の時間の構造がどうなっているか? 『インランド』の現実と劇中劇や妄想(あるいは記憶?)の関係がどうなっているか? という解釈は物語に準じた整理であって、観客を混乱させて観客の興味を煽るというような意図がリンチにまったくないとまで言い張るつもりはないけれど、それは「映画とは物語を撮るものだ。」という前提に立った見方であって、リンチにはその「物語を撮る」というつもりがない。
 観客は映画をおもしろがり、好きで見つつも、映画の外に立とうとする。「これは人生の痛さについての映画である。」「これは恋愛の不可能性についての映画である。」うんぬんかんぬん。しかしリンチは映画の中にどっぷりはまり、映画を外から語る――つまり映画の外に立つことを拒む。リンチはきっと観客が自分と同じように映画の中にどっぷりはまり込んで映画の外に立たないことを欲している。映画の外に立つとか立たないとか、そんなことは観客の自由だと思う観客が多いだろうが、映画の外に立ってしまったらリンチの映画は別のものになってしまう。
 たとえば彫刻があるとする。そのとき、見る側としては彫刻のまわりをぐるぐる何回も回りながら見るのもひとつの見方だし、その彫刻をまるでたった一枚の写真に記録するように一つの場所から見るのもひとつの見方であって、その選択は見る側の自由である、という考えはおかしい。彫刻はやっぱり何と言ってもまわりをぐるぐる回りながら見るものだ。もしかりに、その彫刻の意味が最も明確にあらわれているアングルがひとつだけあったとして、ぐるぐる回っていろいろな角度から見たらその明確さがぼやけてしまうというようなことがあったとしたら、「意味が最も明確にあらわれるアングル」の方がおかしい。彫刻を見る――受容するとかそちらに向かって歩んでゆくとか――ということは、彫刻のまわりをぐるぐる回りながらいろいろな角度から見るというその時間の中にあるはずだ。
 映画の要素には、筋(ストーリー)と人物と土地と季節と室内空間(小物も含む)と音(音楽も含む)がある。他にも撮影とかいろいろあるだろうがとりあえずこういうことにしておく。映画が作られるアイデア段階から完成までのプロセスを考えてみると、一番オーソドックスなプロセスではまず最初にストーリーがあるだろう。しかし、ストーリーだけで純粋に企画が進む映画はたぶん少なく、黒澤明だったら三船敏郎の使い方がきっとストーリーに影響を及ぼして、ストーリーと並行して進んだだろう。自主映画だったら出演者が限られるから、ラフのストーリーがまず出来ていても出演者の顔ぶれによって大幅に書き換えられることになるだろう。最近流行っている地域活性化的な映画では、ストーリーより何より先にまず土地が決まっていて、「閉山した炭鉱を舞台にした話」というようなことになるだろう。
〈何人かの役者がすでに想定されたストーリー〉とか〈ある土地を舞台にした話〉とか、あるいはその両方とか、映画はストーリーだけで企画が進むわけではなく、複合的な要素(それは「限定」とか「縛り」とかでもある)で企画が進んでゆく。そのような映画製作のプロセスで、リンチはストーリーを一番最後に決めるのではないかと思うのだ。
 もちろん一つ一つのシーンはあるが、シーンは役者と同じくストーリーと独立の要素であって、全体のストーリーとほとんど関係ないこともありうる。たとえば『マルホランド』で50年代風の歌を歌うオーディションのシーンがあるが、あそこで一番大事なのは50年代風の歌であって、あの歌が歌われるためにストーリーはつじつま合わせをされたのではないか。『マルホランド』で最も謎めいた、個室の中に一人ですわっていて、口の前に小さなマイクのある小人みたいな男のシーンも、全体のストーリーと関係なく、最初から=ストーリー以前、にリンチの中にあったのではないか。
 たとえば、子どもが石をどこかに向けて放り投げるショットにつづいて道を歩いている男の頬に物が当たるショットがくれば、子どもが投げた石が道を歩く男に当たったと解釈されるのが映画という表現であって、男の頬に当たった物体が次にアップで映されたときに石でなく蒟蒻(こんにゃく)だったら、観客は「不条理か?」とか「ナンセンスか?」と思う。投げた石と男の頬に物体が当たった、二つ連続したショットが無関係のショットだとは、映画を見る人はなかなか考えない。しかし、「不条理」「ナンセンス」というのはもともとはありえないことに対する言葉であって、見る側はそのありえなさに戸惑わなければならないはずなのだが、「不条理」「ナンセンス」という言葉はありえなさを一つの安定した流儀のようなものにして、見る側の戸惑いを消してしまう。
 しかし、この二つのショットに対して「不条理」や「ナンセンス」という言葉を考えず、ありえない出来事に正しく戸惑うことができた人もまた、二つのショットの連続性という映画の文法の中にいるわけで、二つのショットが連続した出来事だと最初から考えない観客の原始性にはとうていかなわない。(そういう観客がいるとして。)
『マルホランド』のあの、個室の中にすわって口の前に小さなマイクをつけた小人についてどういう解釈がなされているか私は知らないが、この映画を作っているリンチ本人を動かしている何者かだと考えることはできないのか。
 リンチは赤が好きでべったりした色調の赤をあちこちで映す。べったりした赤のカーペットを敷いた安っぽい場末のスナックのような室内風景も好きだ。好き嫌いという好みは、まさに自分自身を語るものであるけれど、同時に好き嫌いこそは自分の意志では変えがたく、その好き嫌いの起源もまた自分で知ることができない。好き嫌いこそは自分にとって最大の異物(のひとつ)であり、その異物を機会あるごとに画面に登場させたい映画作家であるリンチが、自分を動かしている(操っている)想像された人物を現在進行しているフィクションとしての映画のストーリーや意味と直接関係なく、青空やHOLLY WOODと斜面に作られた文字を映すように映したとしても不思議ではない。
 と、考えてみると、リンチは複数の映画にまたがって同じアングルを撮ってもいる。一つはL字の室内空間の、Lが反転したГのタテ棒部分が通路でその奥、それもたしか毎回右に折れたところにベットルームがある、そこを通路からベットルームの入口だけが見えるようになっているアングル。それが多用されているのは『ロスト・ハイウェイ』で、『インランド』でもこのアングルで映される奥の部屋でローラ・ダーンとジャスティン・セローがセックスする。
 もっと顕著なのは、天井と壁の交点あたりから室内を漠然と全景でとらえるアングル。『マルホランド』の件の小人もこのアングルで映されるし、『インランド』の兎人間もこのアングルで映される。実際には天井の高さでは室内の全景を映すのは不可能で、セットとしては天井がなく、天井よりだいぶ高い位置からクレーンを固定させて撮っているのかもしれないが、イメージとしては天井まで浮遊した視線によって室内を漠然と見ているように見える。
 そのカメラがずうっと低くなると『インランド』でローラ・ダーンが豪華な自宅の応接間の長椅子にすわっているのを、真っ正面から撮ったアングルになる。
 それらのアングルを私は一人で勝手に「リンチ・アングル」とか「リンチ・ショット」とか名づけて、そのアングルが出てくるだけで喜んでいるのだが、これも映画のストーリーや意味から要請されたアングルというわけではないだろう。つまり異物だ。アングルやライティングやカットつなぎは、現在進行しているフィクションとしての映画の意味を伝える技術として本来はあるが、リンチの場合はそのアングルで撮ることが、異物としてストーリーや意味より先にある。
 私はこれが正しい解釈だと言っているのではない――「異物」という言葉が適当なのかも確定しているわけではない――。だいたい、本来の映画の受容のされ方にとって、主であるところのストーリーや意味に対して従であるはずの出番の短い人物やアングルを主としてしまう映画の作り方があったとしたら、もうそこにはいわゆる「正しさ」はない。別の言葉、あるいは別の基準、あるいは別の判定法が必要になるはずだ。
 しかしそれはまだわかっていない。それを言うためには時間も手間もかかるだろう。去年の夏以来私はひたすらリンチに入れ込んでいて、何かを見ておもしろいと感じているとき、ほとんどいつも私は「リンチ的」と感じている。私の小説を熱心に読み込んでいるが、ことごとく自分の事情に引き寄せた読み間違いになっているという読者がいるもので、私ももしかしたらリンチの観客としてそういう人になっているのかもしれないが、そうであったとしてもそれがはっきりするのもこれから時間も手間も費やしたあとのことで、とにかく私には「リンチ的」であることがおもしろいと感じるときで、おもしろいと感じるときにはそれはほぼいつも「リンチ的」なものだ。それは前回書いた、フィクションと作り方の関係、フィクションと受容され方の関係、フィクションがただフィクションとして閉じられないことだ。

 三月にピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踊団の公演があった。最初が新百合ヶ丘の昭和音大テアトロ ジーリオ ショウワでの『パレルモ、パレルモ』で、次が新宿文化センターでの『フルムーン』。
『パレルモ、パレルモ』では舞台がはじまるといきなり舞台全面に立っていた壁が爆音とともにいっぺんに崩れる。その衝撃で舞台にもうもうと土煙があがり、それが客席全体に漂う。土煙ははっきり目に見えるし、いがらっぽさとなって咽にもきた。開演前、和服姿の女性が和服にはとても不釣合いの厳重なマスクをしているのが目につき、私は時季的に「花粉症かな?」と思ったのだが、その不釣合いぶりはふつうでなく私の注意をしっかり引きつけたのだったが、その理由は土煙から咽を守るためだったのだ。開演と同時に立ちのぼった土煙の埃は終演まで客席全体に漂い、客席の全員がいがらっぽい咽で舞台を見ることになった。舞台の上にいるダンサーたちも当然いがらっぽいはずだ。
 もっともダンサー達はほとんど踊らなかった。踊らずに剥き出しの姿をさらしていた。裸というわけでなくほとんどの人はシャツやワンピースを着ていたが、踊らずに舞台に立っていることによって、存在として剥き出しになる。しかし舞台の上で踊らずにただ立っていることなんてダンサーにしかできない。「鍛えあげた肉体」という言葉があるが、鍛えあげることによってダンサーは剥き出しではなくなる。ダンサーであるかぎり、みんなものすごく体を鍛えていることは間違いないが、あの舞台ではその肉体も脱ぎ捨てていた。
 とくに注目を引くように、というようでもなく、舞台右端で女が男をリフトした。そのリフトは男の体の重さに耐えるのが精一杯というようなリフトだった。男が女をリフトするとき、人が人を持ち上げるという、動きの前提となる労力は隠されるというか透明化され、リフトした状態での形の良し悪しが問われる。しかしそれをしているあいだ、いくら上にいるのが女だとはいえ支えている男は重みをこらえ、こらえていることを顔に出さず、激しい息づかいも見る側に感じさせないようにする、という困難を遂行している。女が男をリフトすることによって、ふつうのリフトで見えなくされていることが全部見えることになる。
 公演から五ヶ月経っているので私にはもうダンサーたちの個々の動きは記憶になく、言葉として残っているだけなのだが、ダンサーたちは苦痛に耐えるようなことばかりやっていた。それは見ているこちらにまで苦痛としてくるようなものではなく、ダンサー自身が経験する苦痛なのだがそれによって肉体があることが現われ出る。
 というこれらすべてが私にとって「リンチ的」なことなのだ。一方、新宿文化センターでの『フルムーン』は水だらけだった。舞台の上、十メートルもあろうかという高さから雨のようにザーザー水が降りそそぎ、時には滝のように激しくなり、舞台は深さ三十センチか五十センチぐらいの池となり、そこを泳いで横切っていくダンサーまでいた。しかし、『フルムーン』にあふれていた水は『パレルモ、パレルモ』の土煙と違い客席に影響を与えるようなものではなかった。落ちる水が滝のように激しくなったときだけ、そのはるか下で踊るダンサーのことなど忘れて水に目が奪われたという意味で、水が踊りにとって異物となった瞬間があったけれど、それ以外、『フルムーン』には異物性が何もなく、舞台はひじょうによくできたダイナミックなスペクタクルでしかなかった。
 フィクションというのはそれに収斂される思考を持って熱心に一途に時間と労力を投入すればいくらでも見事な出来映えにすることができる限定された思考様式の産物なのだ。もちろん、『フルムーン』のように大量の水を舞台で使うなんてことは金のないダンサーには絶対にできないけれど、『雨に唄えば』のジーン・ケリーのシーンは、あの大量の水に拮抗しえているのだから、少なくとも私はそう思うのだから、やっぱり量ではない。芸術とは質だけでなく、大きさ、長さという量の違いでこちらに対して訴えかけるものが全然違う。B4サイズの絵と何十メートルもある壁画とか、掌にのる仏像と奈良の大仏では訴えかけてくるものが全然違うのだから、ジーン・ケリーの踊りが『フルムーン』の大量の水と拮抗したところで、違いはいっぱいある。それは間違いないのだが、舞台の効果という範囲からはみ出ていた『パレルモ、パレルモ』の土煙の異物性を前にすると、『フルムーン』の大量の水は質に訴えかけない量の違いでしかないということになる。

 私は、フィクションとそれを受容する関係に揺さぶりをかけてくるようなものを欲している。「文學界」の六月号に柴崎友香の『星のしるし』という小説が載っていた。その小説のラストちかく、主人公の女性が上空を飛ぶヘリコプターか何かの音で目を覚ますと、外がただならぬ気配になっている。テレビをつけると、地球が宇宙人に侵略されたと報道されている。
「え?」私は戸惑った。
「これ、SFでも何でもない、ふつうの小説じゃなかったの? 何でここでいきなり宇宙人が登場しちゃうの?
 ホントかよ……。
 すごいなあ……。勇気あるなあ……。」
 私は興奮していいのか戸惑っていいのか、どうしていいかわからないまま興奮したり戸惑ったりした。
 ふつうのいわゆる日常的な情景だけを積み重ねてきた小説のラストが宇宙人の地球侵略によって終わるなんて終わり方が「文學界」で認められるだろうか。「文學界」どころかすべての編集者はそんなことを認めないはずだ。いや、中原昌也の小説だったら認められる。
 しかし中原昌也の突発的な出来事は短篇で、それも「中原昌也だから」許される。「中原昌也だから許される」「SFだから許される」というのは思えばおかしな話だ。そういう許され方はジャンルとしての囲い込みでしかなく、囲い込んでしまったらそのジャンルの外は無傷、つまり何も変化が起こらないということでしかないが、とにかく世間というのはそうなっている。世間だけでなく私自身の気持ちの構えもそうなっている。
 そこに持ってきての宇宙人による地球侵略だ。私は『星のしるし』という小説をフィクションという気持ちの構えの中で、言い方は悪いが高を括って読んでいたわけだったのだが、その安定を作っていたものが一挙に取り払われて、フィクションから見放されて現実にひとり取り残されてしまった。
 これが前回書いた『ワイルド・アット・ハート』のラストの「ラブ・ミー・テンダー」を歌いながら踊るシーンとどこまで同じなのか、まだ私にはわからない。「ラブ・ミー・テンダー」は、
「どうせフィクションなんだから。」
 ということだったのだろう。「どうせフィクションなんだから、いっそのこと、思いっきりバカバカしく終わった方がおもしろいじゃん。」ということで、見ている側は、「これはフィクションだよ。」というメッセージを聞かされはしても、その外に取り残されはしないだろう。

 もう一つ、こういうことがあった。
 NHKで日曜の深夜に『わたしが子どもだったころ』という題名の番組があって、毎回一人ずつ、有名人の子ども時代をドラマ仕立てにして、合間合間で本人の回想が入る。私が見たのは政治学者の姜尚中(カンサンジュン)の回で、彼の実家は熊本の在日韓国人集落にあってひじょうに貧しく、クズ鉄集めなどをしていた。
 その小学校時代、東京から一人の少女が転校してくる。姜尚中は一九五〇年生まれだから六〇年(昭和三十五年)頃のことだ。東京と地方のイメージの差はいまの経済格差とは違った意味でひじょうに大きかった。早い話がド田舎だ。男の子といえば夏は醤油で煮しめたようなランニングシャツ一枚しか着ていなかったようなところに(もっとも私が小学校の頃の鎌倉だってそうだった)東京からきれいなワンピースを着た少女がやってきた。姜少年は少女にほのかな恋心を抱くようになった。しかし少女はすぐにまた自衛官をしていた父親の転勤にともなって転校していってしまった。
 というわけで、番組の制作と並行してスタッフによる少女探しが行なわれていた。番組がいちおう完成した頃に少女の行く方がわかった。
 ここまではどうということのない話だ。姜尚中の口調はもの静かであるが、そのもの静かさが災いしてこのような回想を語っていると感傷的に聞こえてくる。しかし東京から来たワンピースの少女だって姜尚中と同じ年だ。いまさら再会してどうなる。会ってみたい気持ちはすごくよくわかるがろくなことにならないに決まっている。
 小学校のときに好きだった女の子から三十代後半のときにある日突然電話がかかってきて、うれしくて緊張してドキマギしながらしゃべっていたら、
「私いま生命保険の勧誘員をしているんですけど――」
 という話になった、という笑えない話もある。同級生だからいくつになっても「――君」で呼ばれる。社会に出て、三十すぎに出会う女性から「――君」と呼ばれることはない。それだけでうれしいが、うれしいところはたいていそこだけだったりする。
 が、姜尚中の少女はそうではなかった。彼女は十九歳のときに交通事故で死んでいたのだ。スタッフが当時の新聞のコピーを見せ、姜尚中は茫然と名前を確認していた。
 まさかこういう展開になるとは思っていないから私はショックを受けた。ここでもお決まりのフィクションが壊れた。『わたしが子どもだったころ』という番組はフィクションではなく実話だが、ドラマ仕立ての当時の再現と現在の本人の語りによる回想という作り自体がフィクションとしての処理なのだ。番組はどこに向かうか見当がつかないわけではなく全体として安定している。
 しかしお決まりのフィクションが壊れたと言っても、私は現実に出合っただろうか。私が受けたショックは、現実に生きていた少女が十九歳で死んだこと、つまりいまでも世界のどこかで生きていると思っていた少女が四十年ちかくも前に死んでいなくなっていたという現実によって引き起こされたことは間違いないのだが、少女を知る姜尚中本人でない私が出合ったものは現実というよりもいっそう強いフィクションでしかなかったのではないか。
 ショックを受けるということはしばらく気持ちの置き場に困り、それから二、三日はその話をしないと自分の中で消化できないというようなことだが、そういうことをして「消化」するうちに少女が四十年ちかくも前に死んでいたことはフィクションの一連の流れとして私の中におさまった。
 それに対して『星のしるし』の宇宙人による地球侵略はおさまりどころがない。しかしじつはこれは主人公が見た夢だった。だから私の戸惑いも興奮も、長い時間つづいたわけではなく、夢だったという種明かしに出合ったところでおおかた萎んだ。だから「二、三日はその話をしないと自分の中で消化できない」という二、三日を『星のしるし』で経験できたわけではない。もしかしたら『星のしるし』の宇宙人による地球侵略の場面を読みながら戸惑っていいのか興奮していいのかわからなくなった読者なんて、そんなのは私ひとりだけで、他の読者は全員、最初から「これは夢だ。」と、カッコに入れて読んだのかもしれない。(不愉快でつまらないことだが。)