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【規範から横へ逸れて】
「田中小実昌」という名前は知らないうちにずうっと知っていた。 一九五六(昭和三十一)年生まれの私にとって、田中小実昌というのはそういう不思議な存在で、はじめて名前を見たのがテレビだったのか、雑誌だったのか、それとも友達か親がしゃべるのを聞いてだったのか、まるっきり記憶がないけれど、高校一年ぐらいのときにはすでに田中小実昌という人の顔を思い浮かべながら、雑誌「平凡パンチ」の「コミさんの不純異性交遊録」という連載エッセイを読んでいた。 小実昌さんはすごい量のエッセイを書いていて、私が読んだことのあるのも当然そのごく一部だけれど、今回ちくま文庫にまとめられたのを読んでみると、エッセイの注文が多かった理由がよくわかる。小実昌さんはエッセイの、一種の、名手だったのだ。「一種の」というのはつまり、日本ではいいエッセイというのは味わい深かったり、しみじみとしていたりすることになっているからで、小実昌さんのエッセイはそれとは趣を異にして、言ってみれば“B級感”が漂っている。それに、名手には名手なりの人間的に信頼されるイメージがやっぱり求められていて、これはもう小実昌さんという人間のイメージがB級そのものなので、当然それと食い違う。いまではメディアが増えて、本当にいろいろなイメージの人たちがいろいろなエッセイを書いているけれど、三十年以上前では相当異彩を放っていたと思う。 小実昌さんのエッセイは一つの話題にあまりこだわらずに、次々に移っていく。だから一見、ただあったこと見たことが、散漫にぽこりぽこりと書き連ねられているだけなのだが、ひとつひとつがきちんと小実昌さんしか見ないだろうようなことだったり、小実昌さんしか言わないだろうような感想だったりするから、こっちの注意がそれることがない。視点が独特だから、ことさら声に力を入れなくてただぽこりとしゃべるだけでそうなっている。こっちはエッセイを読むというよりも人に会っているような気分で、変な人のしゃべるのを、へらへら笑って聞いているだけだけれど、あとでいくつかの言葉がしっかり残っている。 しかし田中小実昌も最初から田中小実昌だったわけではなくて、それなりの変遷を経て私たちがよく知るところの「田中小実昌」になった。ここに最初に書いたことと矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、小実昌さんにしてもやっぱりそうだったのだ。この文庫には映画の巻の「一九六四〜一九六五」の章のほかにもいくつか六〇年代に書かれた文章が入っていて、それらを読むと、田中小実昌は六〇年代からすでに立派に田中小実昌だったけれど、田中小実昌として完成されていたわけではない、ということがよくわかる。六〇年代の文章はまだ、田中小実昌という一風変わった人物を意識的に演じている。自分が住んでいる世界や自分が好きな世界は、“お上品”な人たちのいる世界とは違うんだ、ということを随所で強調しているというか、そのことに読者の注意を促している。 これは田中小実昌という人物の知名度ともある程度は関係しているかもしれない。しかしそれ以上に、文章との距離の問題ではないかと思う。文章には規範のようなものがいっぱいあって、それを「へえ、そんなものもあるんですか?」と、しれっと書くのは大変なことなのだ。だから無邪気に楽しげに書いている人のエッセイはじつはほぼ全部、パターンにはまっている。「文は人なり」なんて簡単に言うけれど、文の規範に囚われずに人をそのまま出すためにみんな苦労しているのだ。しかし小実昌さんのように、なんといえばいいのか、横へ横へと逸れて、規範から遠ざかってしまった人は、やっぱりほかに思いつかない。 |