海辺の町に育った人間は、なんと言っても夏が好きだ。泳ぎが特別得意じゃなくても、サーフィンやボードセイリングをするわけじゃなくても夏になると心が弾む。みんながカラフルな服を着て、日差しがカッと明るくて、潮の香りがする風が町に吹く。よそから来た人たちは鎌倉駅のプラットホームに降り立つだけで潮の香りを感じるらしい。一年じゅうそうかと言えばそんなことはなくて、冬は北風だから町に海からの風は吹いてこない。
だから反対に夏の終わりは嫌だ。何が嫌だと言って日が暮れるのが早くなるのが嫌だ。温暖化で九月がどれだけ暑くなっても、日が暮れる時間だけは変わってくれない。
人の心の状態は日照時間に影響される部分が大きく、冬に雪ばかり降って太陽の光が射すことが少ない土地に住む人は他の土地の人よりウツになる人の割合が高いと言われる。デトロイトに何年か赴任していた友人は、
「冬はホントに嫌だった」
と言っていた。デトロイトは五大湖の周辺でアメリカでもかなり北に位置する。海辺の光に馴れた人間が一年の半分が雪で閉ざされる土地に住むのは監禁されるようなものだ。彼はよく無事に帰ってきたものだ。
そんなわけで海辺に育った人間は海のない土地に育った人たちより基本的に暢気で気楽だと思う。私のデビュー作の『プレーンソング』という小説は若者が集まって日々だらだら過ごす話で、「なんだ、こいつら」と思う人もいるが、おじいさんの代から三浦半島に暮らしてきた人は、
「これこそ、海辺の人間のメンタリティだ。
親戚のおじさんや従兄弟たちといるようだった」
と、おもしろい感想を言ってくれた。
夏の終わりの夕暮れどきは、そういう海辺の人間の心にさえも陰翳をつける。夏の終わりの感傷はどこか失恋に似ているが、失恋と違って、この夕暮れどきという同じ時間にみんなが少し寂しくなったり少し心細くなったりしている。しかしその気持ちは語り合われることはなく、一人一人の心にゆっくり沈んでゆく。 |