◆◇◆「半歩遅れの読書術」4回目◆◇◆
日経新聞 2008年6月01日(日)


 二〇〇六年十月に亡くなった小島信夫さんとは八九年の年末にはじめてお目にかかり、それ以来、脳梗塞の発作で倒れるまで親しく行き来させていただいた。私がただ一人、心の底から尊敬し畏怖もしている日本人作家なのだが、文壇での位置づけは何とも曖昧だった。「異色」でも「非主流」でもないが、「主流」というわけでもない。「主流」というには、作品が論じにくすぎるのだ。社会性があるわけでもなく、文章が整っているわけでもない。
 しかし文章を味わいたければ、いわゆる名随筆でも読めばいい。文章と演奏は共通していて、名演奏は味わい深いものでなく、むしろ荒々しい。文学に社会性を求める人は多いけれど、それは本来ジャーナリズムの領域であって、文学は社会を描くためにあるのではなく、社会を語るために必要な言葉や思考法の未知の領域を開くためにある。
 小島信夫にも戦地を題材にした短篇がいくつもあり、『墓碑銘』(講談社文芸文庫)という長篇もあるが、どれもいわゆる「反戦」という枠から外れて不謹慎とさえ言えることが書いてある。反戦論者までもが眉をひそめたくなるのではないかと思う。しかし、思うにそれこそが戦争なのだ。「戦争の悲惨さ」というのは言葉としては伝達しやすいが、戦地にいる当事者は悲惨さにすら気づかないのではないか。
 昨年、初期短篇を集めた『アメリカン・スクール』(新潮文庫)が復刊されることになり、その解説を書いたのだが、四百字十枚の原稿を書くのに一ヵ月かかってしまった。時代背景やテーマなどを論じる程度のぼんやりした読み方ではどうということもないが(これが長いこと日本文学の読まれ方だったのだ!)、演奏を聴くように注意して読むと、書き手の活力や野蛮さに圧倒される。
「微笑」という短篇は、障害のある息子を持った父親の話だ。幼い息子が期待どおりに動いてくれないことに苛立ち、父は息子を殴ってしまうこともある。またある時は穏やかに接しながら、こんなことを思う。
「僕はそういう時に、自分がこの息子の父でなく、隣家のおじさんであって、崖の上からでも眺めていて、美しい情景を見て涙を流す立場にあったらどんなにいいだろうと思った。」
 この自分の追い込み方が凄い。小島信夫はどの作品でも、自分が傍観する立場に立つことを許さない。小島作品と比べたら、ほとんどの小説は「隣家のおじさん」として「美しい情景を見て涙を流す」だけの感傷的なお話でしかない。

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