◆◇◆ 寝言戯言18「ちくま」2011年7月号 ◆◇◆

 今回は復興と原発の話だ。
 東日本大震災から二カ月が経ち、どういうわけか震災後復興を戦後復興に擬して語る声がすでに聞かれなくなったのは、たんに私がそれを聞いていないだけなのか、自明のこととして言われなくなったのか、忘れられてしまったのか。
 震災後復興=戦後復興とさかんに聞こえていた頃から、それは年がいった人たちのノスタルジーでありアナクロニズムであるという意見が同時にあり、それはつまり若い人のあいだでは戦後復興のような右肩上がりは望めないという現状認識が浸透していたからだ。バブルがはじけて不景気になった九〇年代半ば、私は何人もの年長者たちから、
「明けない夜はない。」
「春が来ない冬はない。」
 だから若い人たちは夢を持ってもっと頑張ってほしい、という意見を聞いたが、国や社会や経済を地球の自転や公転に喩えるのはあまりに雑な話で、一度滅んだ恐竜がもう一度復活することはない。かつて栄えた中国とインドは今ようやく復活しつつあるが、そうなるために何百年かかったのか? ギリシアやポルトガルやトルコにはいつ、その夜明けや春が来るのか?
 戦後の復興には明るいイメージがある。それは経済だけの問題だったのか。そうではない。戦後に経済が成長したのは、原因でなく結果だったのではないか。軍国主義から民主主義になった。本当にどこまで民主主義になったのかは疑問ではあるにしても、敗戦後の日本人はこれからやってくる民主主義に希望を持った。今みたいな閉塞感がなかったことだけは間違いなく、それが経済成長の原動力となった。朝鮮戦争の特需がなければ戦後の爆発的な経済成長はありえなかった、というようなスガ目の解釈をする人もいるのだろうが、それは成長の幅に影響するだけで、朝鮮戦争がなかったら経済成長や復興がありえなかったという話ではない。
 とにかく私が言いたいのは、戦後の復興期の日本人あるいは日本社会は、最初から経済を成長させてアメリカみたいな物があふれた物質的に豊かな社会を目指したわけではなく、明るく希望に満ちた、平和で、自由で、民主的で、平等な、社会の中で、素直に一生懸命働いた。ということだったに違いないのだ。こんなこと言うとどこかからブーイングが起きそうだが、マーチン・ルーサー・キング牧師やマルコムXや私の知らない大勢の黒人たちが闘っていたとき、自由や平等や財産を得たアフリカ系アメリカ人たちがこのような人たちになるとは思ってもみなかっただろう。
「なんだ、てめえら。それじゃあ白人と同じじゃないか!」
 と、あの頃の黒人たちは怒ったり嘆いたりしているんじゃないか。九〇年半ばに日本でも文庫が売れたテリー・マクミランというアフリカ系女性が書いた『ため息つかせて』という小説があり、それを読んだとき(途中でバカらしくてやめたが)つくづくそう思った。
 いったい何世紀頃からそうなったのかわからないが、自由と平等というのは経済成長のための大きな武器で、自由と平等を実現するということが並行して財産と物質的豊かさを得ることになり、理念がいつのまにか経済になり、経済がいつのまにか倫理とか哲学の堕落や空洞化となる。テリー・マクミランどころではない。それはなんといっても日本で激しい。だから今ではみんな、戦後の復興を経済成長と取り違えている。
 

 一方の原発だが、福島第一原発の前に私はどうしても、オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の話からしなければならない。これはある側面において、福島第一原発の事故と同じなのだ。
 坂本弁護士一家殺害事件は一九八九年十一月に起きたが、当初は殺害事件でなく失踪事件だった。坂本堤弁護士が所属していた横浜法律事務所は事件直後からオウム真理教が事件に関わっていることを主張していたが、神奈川県警はオウム真理教の線からはあまり真剣に捜査せず、殺害でなくたんなる失踪ということで片がついた(らしい)。松本サリン事件も同様にオウム真理教の線では捜査されず、通報者が犯人扱いされた。
 ここでよく思い出してほしいというより、記憶はその後の出来事によって書き換えられるということを自覚してほしい。九五年三月の地下鉄サリン事件を起こすまで、オウム真理教という教団または集団は、居を構える先々で周辺住民とのトラブルを必ず引き起こしはするものの、それはある意味ストイックな宗教グループと周辺の世俗にどっぷり浸りきった人たちとの間に不可避的に起こる軋轢の少し度が過ぎたもの程度にしか、周辺住民と家族が入信して帰ってこなくなった人たち以外は考えていなかった。今ではたぶんマスコミの過剰反応とされているだろうイエスの方舟とか、入会する際に個人の財産はすべて供出するとされているヤマギシ会とか、社会のガス抜きのように定期的にマスコミにバッシングされる集団があり、オウム真理教もまたその一つだぐらいにしかみんなは考えていなかった。
 熊本県波野村に教団の何かを作ったのは九〇年のことだったが、ワイドショーのレポーターが大挙して現地に行って、ワアワア言っているのを見ると、私なんかはレポーターの方が救いがたい憐れな人に見えた。九一年にはテレビ朝日の『朝まで生テレビ!』の「激論!宗教と若者」に麻原彰晃が出演し、そのとき彼だけが金持ちの応接間に置いてあるような立派な椅子にすわっていた。つまり麻原彰晃は特別待遇だった。
 私は何を言いたいのか?
 福島第一原発事故が起こるまでみんな原発の危険性をじゅうぶんに認識していなかったじゃないか! なんて、そんなことを言いたいのではない。
「じゃあ何が言いたいんだ。早く結論を言え。」?
 とんでもない。結論や答だけをほしがる受け身の思考停止状態が日本をこうしたのだ。これから私たちは何度でも仮説を出して、失敗にめげずにまた仮説を出しつづけなければならず、結論や答なんかもうない。
 事故発覚直後に冷却剤を投入しておけばこんな大事故にならなかった――という、東電や菅内閣の対応の悪さに対する批判がある。あの時点で冷却剤を投入して本当に事故が収束していたとしたら、原発の必要性についての議論はきっと今みたいには本気で起こらなかった。問題はここだ。
 菅直人(か誰か)がもしも冷却剤の投入を強行して(それが成功して)いたら、事は原子炉が一基(か二基、か三基)廃炉になっただけで終わり、電力不足という現実だけが残った。
「菅は冷却剤投入を強行したが、あんなことしなくても、東電の技術力をもってすればあの事故は早晩収束させることができた。」
 という論陣を張る勢力が大声をあげ、
「復興のこの大事なときに菅は深刻な電力不足を引き起こした。菅はA級戦犯だ。
 浜松原発を止めろ? 冗談じゃない! あれほどの大地震・大津波に遭っても、福島は結局大丈夫だったじゃないか。」(何でもかんでも「戦犯」というのはやめてほしい。「戦犯」という言葉には「太平洋戦争で負けさえしなければ」という底意が響く。)
 ということになっただろう。福島第一原発以前の流れを考えてみれば、これ以外にはありえなかった。事実、四月二十九日の『朝まで生テレビ』で原発推進派の重鎮石川迪夫(みちお)は、浜岡原発の話になったとき、
「天災はそう何度もない。」
 とまったくこのとおりの言葉ではなかったとしても、
「稀に起こるのが天災というものだ。だからもう天災は当分起きない。(それゆえ天災のことまで考えなくていい。)」という意味にしか聞こえない発言をした。そのときスタジオでそこに食ってかかった人はあいにく誰もいなかった。
 が、私ははじめて意識して見た石川迪夫という人の威圧感はものすごいものがある。テレビのような開かれた場でなく、会議という閉じられた場で、こういう人が猛威をふるったら、怖くて怖くて、誰も反論どころか質問さえできなかっただろうことがよくわかった。(少なくともテレビでは)発信しているあいだだけ、まさしく作り物の、私が大嫌いな笑顔を仮面のように張りつけているが、しゃべり終わった途端にぐっと見据える。
 だいたい、本当のことを言う人は権威を必要としないから、目下でも年下でもじつにリベラルに対等に話をしてくれるものだが、真実を知りながら隠す人は一方的にしゃべり、相手に口をはさませない。
 もしもあのとき、菅直人(か誰か)が冷却剤投入を強行して、事が収束していたとしたら、
「もしも冷却剤を投入していなかったら大事故になった。」
 ということを、社会全体に理解させる力量は、菅直人にもその周辺にもなかったことは明白だし、菅直人にそれだけの力が万が一にもあったとしても、原発推進勢力の圧倒的なプロパガンダによって砕け散っただろう。
 事が未然に終わったり、小さく収まっているかぎり、人は何が起きうるのかを理解しない。
 これは人間としての認識のあり方の宿命なのか。
 そうではない、と私は思う。いったいどこまで遡ることになるかなんて知らないが、どこかで人間は未然に通りすぎた事を、「無事」以前の可能性の外に追いやる思考法を優位にさせ、それによってこの世界を作った。はっきり言っておくが、私はこの世界が一番いい世界だなんてまったく思わないし、近世や中世や古代より現代がいいとも思っていない。 
「おまえみたいにひどい寒がりですぐ風邪をひき、子どもの頃は小児喘息だったようなヤツなんか、この世界じゃなかったらとても生きてられなかったぞ。」
 なんてつまらない脅しを言われても関係ない。そんなのは私ひとりの問題にすぎない。世界を論じるときに、私(傍点)ひとりの心配をして、どうする!
 父は八人きょうだいの末っ子だが、私が生まれたときには男三人しか生きていなかった。私が知るかぎり四人は成人する前に病気で死んだ。私(傍点)が生きているかどうかだけを問題とする脅しが、そもそも現代を作り出した思考法の産物だ。ただし私は近世・中世・古代がよかったと言っているわけではない。これから作るのだ。
 

 福島第一原発事故は災厄だ。災厄以外の何物でもない。これがカタストロフにまで至ったら、世界の原発産業は致命的な打撃を被るのだから、世界の原発産業が知恵を出して東電をバックアップしてくれていることを私は信じているが、いまがすでに災厄であることは間違いなく、それならチェルノブイリによってソ連が崩壊したように、フクシマによって崩壊するのは何なのか?
 戦後復興が、自由、平等、平和、民主主義の理念(それがお題目にすぎなかった面はあるにしても)によって可能だった、その理念に対応する震災後・フクシマ後の理念=希望とは何なのか。それが見えれば、この災厄が希望に転換する。それはもちろん原発周辺の人たちを除外しての話で、原発周辺の人たちの災厄がいったいいつになれば終わるのか、暗澹たる気持ちにならざるをえないが、日本と世界の人がきっと支えてくれると、そこは信じるしかない。
 原発が、政・財・官・学・メディアの五つによって推進された事業であることは私がいまここであらためて言うまでもない。というか、それは多くの人の意見の受け売りであり(たとえば、五月五日朝日新聞の衆議院議員・河野太郎の発言)、私はその意見が完全に正しいと思う。
 原発という事業は、CO2排出抑制やオゾン層の破壊防止や地球環境の保護のために進められたものでもなければ、日本人全体や地域住民のために進められたものでもなく、一部の人たちの利益のために進められた。――しかし私にはどうしてもわからないのは、みんなを危険にさらし、みんなに富を公平に分け与えようとせず、自分たちだけが良ければいいと考えている人が、日本にこんなにいて、その人たちは今も悔いあらためている様子がないことだ。
 被災した小学生がローマ法王に「なぜ子どもたちは、こんなに悲しまなければならないのですか?」という質問を送った。十八世紀の啓蒙思想の巨人ヴォルテールもまた三万人以上の死者が出たとされる一七五五年のリスボン大地震と大津波(推定マグニチュードは8.5から9.0)を知って『リスボンの災厄に関する詩』という長篇詩を書いた。それは神への絶望的な問いかけだったわけだが(といっても私はそれを読んでないが)、現代を生きる私は神をそのように問いかける相手だと思っていない。
 むしろヴォルテールの時代には立派な大人が真顔で問いかけるほど、やはり神が信じられていた(神が存在していた)ことに私はあらためて驚くわけだが、原発推進派のように自分とそのまわりの一部の人間さえいい思いをすれば他はどうなったっていいと考えている人たちが本当にいることは私にはやはり信じられない。神は信じないが人間の心の核にある良心は、私は信じる。人間は最後には、自分とそのまわりの一部の人間だけのことを考えるのではなく、人類全体のことを考える存在ではないのか!
 今このときに何をすべきか? 私はそれはわからない。そのように考えるタイプの人間だったら私は小説家になってはいなかった。今このときに何をすべきか? を考えるのが不得手な人間まで、それを発言し出したら、翼賛文学会のようにろくなことにならない。 
 ただはっきりしているのは、老朽化したソ連邦がチェルノブイリによって崩壊したように、日本もフクシマによって一度しっかり壊れなければならない。電力会社だけが国策企業だったわけでなく、みんなが知る超大手企業のほとんどは実態が国策・国営だったわけで、経済界が守りたいのはそっちだけで、彼ら(傍点)は小さな町工場にいたるまで超大手の傘下にあって守られているのだと脅しをかけるが、守ることは抑圧することでもある。
 大きいものに守られるのでなく小さいもの同士が横に繋がり合う。高さ十何メートルという堅牢な防潮堤を造るのはゼネコンの思考様式で、堅牢さは必ず自然の力に屈する。財産を持たせ家を持たせ、同時に住宅ローンを組ませる、というシステム全体が一部超大手企業を豊かにする思考様式で、それを通じて彼ら(傍点)は、人々から身軽に生きる幸福(生の実感)を忘れさせた。
「今の政府は何もしない」のではなく、「どの政府ももう何もしない」。そんなことを期待できる人は政治の道に進んでいないのが、もう何十年も前からの実態だ。菅内閣への不信任案が出たのだって、被災地復興復旧のためでなく、菅政権をこのままつづけさせておくわけにはいかない、という原発推進勢力からの突き上げがあったからに違いない。この社会システムを維持しようとする勢力は、自分たちのことしか見ていない。今回の地震・津波の死者・行方不明者は約二万五千人だが、自殺者は毎年三万人を超えつづけている。何百年かに一度か千年に一度の巨大地震・巨大津波並みの死者をこの社会は生み出しつづけてきた。
「元の生活に戻りたい」という気持ちはこの上なく切実なものだが、それは同時に年間三万人以上の人を自殺に追い込む社会のことでもある。今はこの社会を見捨てる覚悟を持つべき時ではないか
。安定は生きる本当の幸福でなく、見ない・聞かない・考えないの状態でしかない。