これは関東の各都県の面積だ。
東京都 2,188平方キロメートル
神奈川県 2,416平方キロメートル
群馬県 6,363平方キロメートル
栃木県 6,408平方キロメートル
茨城県 6,096平方キロメートル
東京・神奈川の面積と群馬・栃木・茨城の面積の違いに驚く。東京・神奈川を足しても北関東の一県に全然及ばない(埼玉県は3,797平方キロメートルで、千葉県は5,157平方キロメートル)。
では東北はどうか。
福島県 13,783平方キロメートル
宮城県 7,286平方キロメートル
岩手県 15,279平方キロメートル
関東より一まわりも二まわりもスケールが大きい。
東京・神奈川なんて狭いところにごちゃごちゃいる人たちが広い土地を守り運営してきた人たちより大きな顔をしていたことを地震後あらためて知り、私は東北の人たちに申し訳なくてしょうがない。
三陸のリアス式の海岸線に牡鹿半島のでっぱりがある。その半島でできた緩い湾曲の中に石巻がある。その西側、半島の付け根ぐらいのところが松島だ。広域の日本地図で見ると牡鹿半島のでっぱりはほんの小さなでっぱりにしか見えないが、グーグルマップをほどよい大きさにしてそこの大きさを見てみたら、石巻のある湾曲は相模湾の三浦半島から伊豆半島までの大きさとほとんど変わらない。この比較だけでも、東北の大きさと関東南部の小ささがわかる。
学生時代、私は政経学部政治学科だったが授業はつまらないのでほとんど出なかったその数少ない授業の中で印象に残っているのは、
「東京みたいに消費者として生活していればいいだけの土地に暮らしている人と、農業したり林業したりして土地を守っている人が、選挙で同じ一票というのはおかしいと思いませんか? 一票の格差というけど、大地を守っていることを考慮に入れれば、格差は必要だという考え方もあるんです。」
という話だ。
近代(いつからだ?)の選挙というのは金持ちも貧乏人も一人一票だ。それが大前提だから土地を守っているということも考慮されないわけだが近代というのはやっぱりどこかおかしい。だったら、近世や中世や、まして古代がいいのか? というのは話が別で、おかしいものはおかしい。
人口が密集している狭い土地が国の中心になっているのは、アメリカ合衆国の東部十三州(独立十三州)も同じだ。もっといえば、ユーラシア大陸の西の隅っこのヨーロッパ(特に西ヨーロッパ)が世界の中心にある、という構図とも同じだ。日韓ワールドカップのときに思ったが、ヨーロッパ人は友好的な顔をしたり、自分たちが犯した歴史を反省しているような顔をしたりしているが、自分たちが持っている利権を決して手放そうとはしない。
地震で「西日本の頑張りが必要だ」「西日本の助けがなければ復興はない」みたいなことをあちこちで聞いたり読んだりしたが、これらの発言に東京から首都機能を西日本に移そうとか、中心=東京の、その中心を解体しようという気持ちは感じられず、それがなければヨーロッパ人が何百年間つづけてきた発想から抜けられない、その抜けられないところが私は不愉快でしょうがない。東京都民は中心=東京の構図を最も手放しそうもない人を知事にまたまた選んだ。
問題はその選挙なのだが、その前にいまの政府の頼りなさ、歯がゆさたるやひどいものだ。しかし地震直前まで、その政府に対して、在日外国人からのたった二十何万円かの献金で鬼の首を取ったかのように、ただでさえ少ない人材の一人である前原外相を辞任させたりしていた自民党が民主党よりましということはまったくなく、この地震がもし二年か三年前に起こっていたら、毎日毎日、麻生太郎や安倍晋三の顔をテレビで見なければならなかった。それを想像すると、菅直人でまだしもよかったかと、政治とはまさしく、「better は何か」でなく、「less bad はどっちなのか」の選択でしかないんだと思う。
で、その最中の東京、神奈川の知事選の立候補者の顔ぶれを見ると、投票したい人が一人もいない。いま日本にはリーダーに選べる人が、本当に一人もいないんだなあと思った。政府がああで、首相がああなのは必然だ、この選択しかないのかもしれないと思うしかなかった。それを嘆くのでなく、リーダーにふさわしい(埋もれている(かもしれない))人をどこかから探し出すのでもなく、リーダーがいないでやっていくシステムを考えなければならない、ということなのではないか。
いったん自民党政権が切れて細川連立内閣が誕生したのが一九九三年で、自民党政権はそれ以前にガタがきていたから九三年が切れ目になったわけだが、二〇一一年の今にいたるも新しい政府の姿が見えていない。ちょうど先日、フランス革命前後の年表をテレビでちらっと見たが、それによると混乱は何十年もつづいた。今はそういう時期とカンネンするしかないのではないか。そこに地震が来た。という気が滅入る話だが、明治維新でも戦後復興でも実現しなかった本当の民主主義社会を作る機会だと考えるしかないのではないか。
言葉はイメージがあり、そのイメージは時代によって作られる。というより、イメージ、言葉の中身は特定の時代に限定される。たとえば、「流行歌」「ヒットソング」という言葉はせいぜい一九八〇年代までのものであり、その後売上げとしてはどれだけ記録を更新しても、それは、終戦直後に大ヒットした『リンゴの唄』とか坂本九の『上を向いて歩こう』などにはかなわない。九〇年代以後にあるのはベストセラーを作り出す手法か操作だけで、そこには流行歌やヒットソングが担っていた総意≠ヘない。
映画だって本だって同じだ。二〇一〇年の観客動員の一位は『アバター』だが、これを『ローマの休日』や『七人の侍』と比べることはできない。【そうは言っても、二千万人以上を動員したとされる『千と千尋の神隠し』など、一連の宮崎駿アニメはやっぱりすごい。二千万人といったら、その年にお花見をした人数より多いんじゃないか。宮崎駿が社会的発言を熱心にしはじめたらとんでもない影響力を揮うことになると思うが、私の見るところ(あくまで私の見るところ)、宮崎駿が意図して発信しているメッセージはただ一つ喫煙≠セけだ。彼はスタジオ風景など映像で取材されるとき、吸って不自然でない場面では極力煙草を吸う姿が映るように心がけている。宮崎駿以外の人だったらおそらくメディアの規制がかかって、今では喫煙風景を映さないが、宮崎駿では、メディアは「喫煙アリの映像」か「映像ナシ」かの二者択一を迫られ、喫煙アリになる。二年くらい前だったか、子どもの絵本で画家のおじいさんがパイプをくわえている場面に抗議して、画家のおじいさんからパイプを取り上げて絵を描き直させた反喫煙団体も、宮崎駿の喫煙には抗議していないように見える。あくまでも私の見るところ。】
観客動員が一千万人を超えたら日本にいる人の一割がそれを観たことになるが、それでも総意≠ナはない。まして本のベストセラーなど百万部前後なのだから一パーセントだ。特定の年齢層や特定の趣味を持った人に集中的に働きかけると、観客動員も売上げも達成できる。作り手(送り手)側は、「その手法をとっても空振りするものは空振りするのだから、ヒット作はやはり内容が優れている。」とでも言うのだろうが、私は今は、ベストセラーやヒットが総意≠ナはないことを言っている。
小説ではヒット作と、総意≠ェ一致していたのは、松本清張、有吉佐和子、山崎豊子、司馬遼太郎までの時代だった(山崎豊子はまだ存命だが)。一般に人が「小説」という言葉でイメージするのは、一つはこの人たちの小説であり、もう一つは夏目漱石と太宰治の何作か(つまり漱石でも『明暗』とか太宰でも『津軽』とかは含まれない)のことであって、それ以外ではない。
彫刻でいえばロダンとか絵画でいえばルノアールやモネの印象派のように、ジャンルのイメージを決定づけたというよりも、その後の時代になってもそのジャンルのイメージを生産しつづける作品が生まれた時代があり、その後は一般の人から見れば何をやっているのかよくわからない作品が作られつづける時期がつづく。そのような時期にあっても輝かしい時代の作品を真似て、その流れに連なろうとする作品を作りつづける人がいるが、それは一過性のものとして簡単に消えてゆく(たぶん)。私はいま消えてゆくことを馬鹿にしているのではなく、「歴史に残ろう」という野心の方を浅はかなものだと言っている。そしてこのことを次回書こうと思っている。
言葉とそれの中身たるイメージが時代限定のものであることを正しく理解せず、ドラマと言えば、松本清張らの時代の原作に頼る作り手側の認識の狂いが、歌やドラマだけでなく社会にも政治にも及んでいる、というのがもともとの話だ。
総意≠ナなく、特定の集団に宣伝や情報を投入すればヒットやベストセラーの数字を更新できるという発想はもとは選挙だったのではないか。総意≠ナあるはずのものが、ある数字さえクリアすれば、総意でなくてもそれが総意となる。
二〇〇七年の世田谷区長選挙は、投票率が41.28パーセントで、
一位 115,770票
二位 77,962票
三位 74,325票
だった。二位と三位の合計よりだいぶ下回っていても当選と認められる選挙システムもひどいが、そんなことより一位をはっきりと支持した人は、世田谷区民で選挙権を持つ人の20パーセントに届いていない。
「20パーセント近くの支持があればたいしたものじゃないの?」
と感じた人がいるとしたら、その人は今の社会の何かに冒されている。
この選挙結果は投票率も含めて、「一位となった人が世田谷区長になることを、総意≠ヘ示していない」ということを示しているにもかかわらず、一位は当選者となり、それを総意とみなすシステムに乗って四年間仕事をした。
選挙というのは、その人が当選することを望まない人たちがどれだけいても、その勢力をうまくまとめられなければ、その人の当選を阻むことができない。中選挙区制では当選の阻止はいっそう難しくなる。ともかく必要な数だけ集めることができればその人は代表として選ばれる。
これが、近代という時代が考え出した最も民意を反映したシステムだったわけだが、それが機能していない。システムが場違いなものとなったとき、それでもシステムの最善を引き出すようにするのがいいのか、新しく別のシステムを作り出すようにすべきなのか。後者が時間がかかることは間違いないが、時間がかかるがゆえに「現実的でない」という意見は、九三年にはすでに機能していないことを考えると、その後の約二十年間を新しく別のシステムを作り出すための試行錯誤の機関とした方がよっぽど現実的だったのではないか? と私が考えるのは、小説家としての私の仕事(やり方)が試行錯誤を厭わないどころか、試行錯誤をむしろ積極的に組み込んでいくのが私の日常だからだろうか。
しかし、保守と革新がいたとして、保守の人たちの思考様式が保守的であることはよくわかるが、革新の人たちもまた一回や二回の変化で何か革新的なことがしかるべきところに着地すると考えているところがおかしい。革新するためには永久革命じゃないが、終わらない試行錯誤を覚悟しなければならないんじゃないか。何度失敗してもあきらめない自然農法への挑戦のようなものだ。小説家だって、ほとんどの小説家は「小説というのはこういうものだ」「小説を失敗しないで書くにはこうすればいい」というような、先にお手本ありきの、反・試行錯誤的なやり方しかしていない現状を考えれば、終わりのない試行錯誤というのは、かなり酷と見えるかもしれないが、それは試行錯誤をしようとしない人たちの感覚だ。
近代人は座学中心の環境で成長してきた。座学というのはどうしても、教師―生徒、送り手―受け手の関係が固定しがちで、生徒は正答だけを聞く癖が染みついて試行錯誤から遠ざかる。それと比べて、体育・図工・音楽には正・誤の区別はあまりなかった。もちろん、跳び箱を跳べるとか跳べないとかあったけれど、そこにはっきり線を引いてしまうのは座学から来た発想なのではないか。思いつきで言ってみただけだが、しかしこの思いつきの軽視が座学であることは言うまでもない。
学校が座学中心でなくなり、教師―生徒、送り手―受け手の関係がもっと流動的になれば、試行錯誤もまた楽しくなる。近代の知識を持った目で見ると、近代以前は遅れているが、本当にそうだったのか? と、たとえば試行錯誤のことなど考えると私は最近特に思う。 |