◆◇◆寝言戯言 11 「ちくま」2010年12月号◆◇◆

 俳優の池部良が亡くなった。一九一八年生まれだから九十二歳だった。言わずと知れた、と言っても若い人たちは知らない人の方が多いかもしれないが、少なくとも昭和のうちにものごころついた人たちにとって、池部良は昭和を代表する映画俳優だったわけだが、私と妻にとってはここ二、三年、毎月一度は話題にのぼるひじょうにホットな現役の書き手だった。
「銀座百点」という、銀座の名店を紹介するPR誌というのかなんというのか、とにかくそういう月刊の冊子があり、池部良はそこで毎号「銀座八丁おもいで草紙」というエッセイを連載していて、これがもうメチャクチャおもしろい! それで池部良の本を調べてみると『そよ風ときにはつむじ風』という一九九〇年に出版された本を皮切りに、続々出てくる。
「日本文芸大賞も受賞するほどのエッセイの名手であり、」みたいな紹介文もあるが、賞なんかとっていてもつまらないエッセイはいくらでもある。池部良の文章は展開の唐突さ・野蛮さにおいて異彩を放つというか、群を抜いている。こんな文章を書ける人はもう現われないのではないかと思う。どの文章にも人道主義に色目を使うところがまったくない。喩えていえば、いつも愚図でとおっていた友達が道で転んで大切なケーキが駄目になってしまったのを、「愚図、」とだけ言って、その友達が半べそになって立ち上がるのを、手も貸さずに見ているような文章だ。
 あくまでこれは喩えだが、最近はこういう喩えを書くとそれを鵜呑みにして、「池部良は親友が大切なケーキを転んで駄目にしたのを笑って見ているだけの人非人だった」とさっそくブログに書いたりするような人がいるから面倒くさい。しかしもし私がこんな風に言っても池部良だったら、
「いいじゃないか。馬鹿は放っておけ。」と一蹴したことだろう。
 なんて書くと、またすぐに「池部良は何でもかんでも『馬鹿は放っておけ』と言った」と書く人がいるのだが、馬鹿は放っておこう。いや、馬鹿の読み間違いを放っておけないところが先月も書いた私の弱いところで、池部良は本当にテンからそんなやつらを相手にしていなかった。
 私は今はエッセイは「ちくま」のこの連載しか書いていないが、四百字三枚とか五枚くらいのエッセイを連載で書いていると、時事ネタに寄りかかって書くのが圧倒的に書きやすい。「政権交代だけが選挙公約だった民主党政権が誕生して一年、……」とか「村上春樹は今年もノーベル文学賞をとらなかった。……」という風に、これから自分が書こうとするエッセイを読む前から読者が知っている話題を冒頭に置くことで、書き手の側にも共通了解を得られたかのような安心感が生まれる。
 しかし池部良は、
「その日は未明から降りはじめた雪で、」という風にいきなり自分の世界を書き出す。読むだけの人はあんまり感じないかもしれないが、この池部良式の書き出しは思いのほか難しい。それはもちろん昭和の大スター池部良なんだから、何をどう書こうが絶対にいいわけだが、大スターといえど、こんな書き出しができる人は池部良の他にいない。
 文章を書くとき人はいろいろな監視の下に置かれる。絵や音楽をプロとしてやっている人も同じことを感じるだろうが、絵や音楽と違い、文章は書かずに済ますことができない。絵なんて中学校の美術の授業が終わってしまえば一生描かずに生きていけるが、文章は「冷蔵庫の中にケーキがあります」という小さなメモを含めて書かずに済ますことができない。逆に言うと、絵は簡単な地図くらいでも「絵を描く」という意識なしに描くことはないが、文章はそういう意識をせずにふつう人は書いている。しかしそこには必ず監視が働いている。
 監視とはどういうことか? ゴダールが以前、ブニュエルの初期の『黄金時代』という映画のことを、「身だしなみが悪い」と表現したことがある。もちろん言語は日本語ではないので「身だしなみが悪い」が本当のところどこまで適切な訳語かわからないが、この「身だしなみが悪い」というのはとてもいい表現だ。
 人はちょっと近所に買い物に出るくらいでも身だしなみに気をつける。近所に出ただけとはいえ、身だしなみがおかしい人を見ると「あれ?」と思う。相手が知らない人であっても、ふつう人はそういう風には思われたくないから身だしなみに気をつける。一方、ファッションでわざと崩して着たりするのはその身だしなみに対して反抗しているということであり、それだけで明確なメッセージとなる。
 あんまり知らない分野のことを書くべきではないが(この「べき」とはどういうことか? これもまた監視だ)、うろ憶えの話だが、昔は精神を病んだ人がいると家族はその人を外に出さないようにして、座敷牢みたいなところとか土蔵みたいなところに閉じこめたりした。そうするとその人はどんどん身だしなみをかまわなくなり、私が見た写真では着物の前がはだけ、髪がぼさぼさ、髭ぼうぼうでうつろな顔をしていた。精神を病んでいる人にとって日常の身だしなみは精神の状態を今より悪くしないために必要な第一歩である。ということを聞いて私はなるほどなと思った。そのような規則を自分に課すこと。文章を書くという行為における監視とは深いところまで掘り下げていくとそういうところまで行き着く。決して、大人になってもなお小学生が作文で先生に褒められたのがうれしくて励みになったような理由で、文章をきちんと書こうとして書くわけではない。そういうわかりやすく幼稚な心理が働くのは、少しあらたまった文章を書く場面でのことで、そういうことはむしろプロの作家の方にこそ私はしょっちゅう感じる。
 まだメール以前、ファックスでやりとりしていた頃の話だ。六十代女性で哲学の先生であるPさんは、猫を何匹も飼っていて、その中には病気の猫もいるし、ダンナさんも入院していたか? とにかくとても忙しく、Pさんを担当する編集者は電話でなく、ファックスで質問を送っていた。で、
「2ページ目の2段落目と3段落目のあいだは1行アキにした方がいいと思いますが、アキにしますか?」
 とファックスを送ると、
「します」
 とだけ返事がくる。身だしなみが悪いとは言わないが、エキセントリックだ。私はその編集者ほどPさんとのつき合いはなかったが、
一度か二度、ファックスのやりとりがあった。そのときのPさんからのファックスを再現すると、こうだ。
「猫は今は様子見です。
 ファックスは故障ではありませんでした。
 あなたのご指摘のとおりでした。
 必要なら獣医紹介します。
 来週は火・水出張で留守します。
          P(名字のみ署名)」
 これがファックスでいきなり送られてくるとインパクトがある。私はPさんのファックスが故障したらしいと聞いて手紙で用件を書き、そのついでに猫の具合などもちょっと訊いてみたのだった。この箇条書きみたいな書き方はかなり変だ。文章を読み書きするのを生業としている人では破格といっていいのではないか。
 私は小さいときから詩に興味を持ったことがない(いやある。高校生のとき一年間だけ興味を持ったが、きれいさっぱり忘れた)というか、詩=韻文でなく散文が私の生涯のテーマだと言ってもいい。よく「詩のような文章だ」(または「詩的な表現だ」)という言い方があるが、そのときの詩とは、韻律とか響きのことであり、言葉の音楽性のことである。詩がそのようなものであるかぎり私は詩は関心がない。そのようなことはすべて散文でもできる。できるのだがそのような美意識から離脱(あるいは離反)する意志として散文は書かれるものだ。
 詩は何故ひんぱんに改行するのか? ひとつの答えは、韻律を明確にするためということだろう。五七五みたいな拍数とか、頭韻・脚韻をはっきりさせるためだ。しかしそれなら韻律にこだわらないはずの日本語の現代詩がなぜひんぱんに改行するのか? 韻律から離れた詩があるということは、詩の本質は韻律にはないということではないか? などということに私は興味がなかったのだが、このエキセントリックなファックスの文面など、文脈のことを考えているうちに突然その答えがわかってしまった。「答えがわかった」というのは学生根性でそのようなことを批評や書評でうかつにも書いている人がいたら私はその人を軽蔑するだろう。答えなどない。そんなものは必要ない。ただ自分としての見解の表明があるだけだ。で、その見解とは何か。
「だから」「しかし」「なぜなら」「そして」「一方」「とはいうものの」みたいな、文脈を明示する接続語を捨て、一つ一つの節を文脈という監視の下におかないためだ。すでに一度この連載で書いたことと同じことを私は書いているかもしれない。しかし同じことを二度書いたとすればその人(私のことだが)にとって二度書く必要があったのだ。認知症で同じことばかりしゃべる人がいるだろう。それはその人にはそれが大事だからだ。人はしゃべるときにはけっこう平気で同じことを繰り返す。文章でそれをよくないとするなら、それは文章から書き手の生理や身体性を消し去ることだ。文章はしゃべりと同じように未整理で取り止めがなくていい。それが嫌だと思う人は昭和の文人の名随筆でも読んでいればいい。
「だから」「しかし」などの接続語があることで、次につづく文が予想される。読者は安心感が得られるだけでなく、意味に対して予断が生まれる。
「素晴しい秋晴れだ。私は頭が痛い。」(1)
 これはどういうことか? もし、
「素晴しい秋晴れだから私は頭が痛い。」(2)
 という文があったら、読者はこの一見常識に反する文の、背景にある事情が説明されることを期待するだろう。接続語のない(1)ではその説明に対する期待まで打ち砕かれる。とまで言ったら言いすぎか。しかし(1)では語り手(発話者)である「私」自身がまだ事態の因果関係を把握できていない、出来事の発生の現場の感じがしないか? しない人もいるだろうがどっちでもいい。事態の推移に対して俯瞰的立場が取れないということは、順接も逆接も接続語の使いようがないということだ。
 前回話題にした司馬遼太郎の文章は改行が多く接続語が少ないことでけっこう知られているが、司馬遼太郎の場合は話が逆で、読者の予断の外に出ないから接続語を必要としない。そこには大いなる了解がある。了解とは監視のことだ。
 池部良の文章に私は監視を感じない。といってしゃべるように書いているのでもない。そういうのとは全然違う。しかし池部良がしゃべっているように感じることは間違いない。大スター池部良は何をどう書こうが池部良だが、池部良は大スターになる前、「おまえ、役者やってみないか。」と言われる前からすでにあのような池部良だったに違いない。
 大スターになった後となる前に断絶があるんだったらあのような文章は書けない。文章はもっとさもしく、自分が成功した理由とか成功以前の苦労話を書いただろう。もっとも池部良には「成功以前」という時代がないから、現在の自分のポジションを維持する苦労や心得の方が適当だが、池部良はそんなことも全然書かない。
 池部良のエッセイには子ども時代から青年時代にいたる災難みたいな話が続出するが、これがすべてカラッと爽快でしかも災難の原因はたいてい父親だ。ハーモニカの音色に憧れ、小遣いをせっせと貯めてようやくハーモニカを買い、庭の片隅でおそるおそる吹いてみたら、遠くのアトリエでその音を聞きつけた父親がダーッと走ってきて、良少年の手からハーモニカをもぎ取るや、地面に叩きつけて下駄でグシャグシャになるまで踏みつけた、なんてそのまま映画の場面になる。
 ベケット。『ゴドーを待ちながら』で有名なベケットは本来は小説家だが、ベケットは、
「あいつが立ち去るとわたしにはリンゴが三つあるいは四つ残されていた。いや、四つと思ったのはわたしが一つ食べた後のことで、それならあいつはわたしにリンゴを五つ残したことになるが、わたしは最初、三つあるいは四つ残されていたと言ったのだから、その三つが正しいのだとしたら、わたしが食べる前にはリンゴは四つだったことになる。」
 というような書き方をする。ただし今書いた例文は私の創作なので出典を捜してもどこにもないがよく似た箇所ならいっぱい見つかる。ベケットは極端な例だが現代作家はこのベケット的逡巡や曖昧さの響きを必ず持ち、物や事がズバッと書かれることがあまりない。特に池部良のエッセイのように五十年も六十年も場合によっては八十年も前の出来事ならなおさらだ。
 しかし池部良はいっさいためらわない。そのときテーブルの上にあったリンゴの数も相手の女性の着物の柄もすべてズバッと書く。ひとつには池部良が映画の人だったからだろう。スクリーンに映るリンゴは四つなら四つ、五つなら五つであり、四つか五つということはありえない。着物の柄も相手がしゃべった言葉も映画ではまさにそれでしかありえない。
 しかしそんなことを超えて、池部良は何をするにも逡巡のない人だったのではないか。物も事も心もいっさいブレずに、ズバッ、ズバッと進む。読者が想像するように私は一般に相当面倒くさいと評される現代文学しか読まず、それ以外の、たいていの人が「おもしろかった。」「一気に読んだ。」と褒める小説が退屈でくだらなくてしょうがない。十ページ読むのに三日かかろうが十日かかろうが苦にしない。それだって自分が小説を書くのより速いんだからある意味、楽でもある。前述のように現代文学は基本的に逡巡で成り立っている。描かれる世界は曖昧だ。それを愛しているんだから私はその外に出たいとは思わない。どれだけ歯切れがいい文章といわれる文章でも逡巡・曖昧の響きから自由ではないから、その歯切れのよさは私には逡巡・曖昧の不足としか感じられない。
 が、池部良の文章は別だ。読めばいきなり突風に吹き飛ばされ、すっきりする。こういう文章を書きたいと思う。自分とかけ離れたもう一方の極だ。