◆◇◆寝言戯言 1 「ちくま」2010年2月号◆◇◆

 毎日明け方、二度か三度猫に起こされる。
 老猫になって、人間と同じように睡眠がうまくいかなくなり、明け方何度も起きてしまうらしいのだ。そして私や妻を階段の下から、絶叫にちかい大声で叫んで起こす。私と妻が寝ているのは二階で、ジジは二年前までは私と妻の間に川の字になって毎晩眠り、私や妻の寝るのが遅くなっても、時間がくればひとりでさっさと階段をのぼって寝て待っていたのに、去年の冬あたりから私たちと一緒に寝ず、一階のリビングで眠るようになっていた。というか眠れないからひんぱんに騒いで私たちを起こす。眠りがおかしくなったから一階にいるようになったのか、二階にあがっていって眠るその呼吸をジジの体が忘れてしまったから眠りがおかしくなったのか、因果関係はわからないがとにかくいまジジは毎日明け方、何度も階段の下から大声をあげて私たちを起こし、下から大声をあげても私たちが起きなければ上まで駆けあがってきて、部屋の外でギャーギャー叫ぶ。部屋は和室で半間の襖の引き戸で、ジジと花ちゃんがいつでも出入りできるように全開してある。特にジジがこうなってからは、いつまたジジが二年前までと同じように和室で私たちと一緒に眠りたくなったとしても、その戸が閉ざされていることのないように全開してある。だからジジの叫び声は丸々筒ぬけによく聞こえる。
 夏まで老猫といえばペチャだった。ペチャは二十二歳だったが、ペチャが死んだ三日後にはジジも二十歳になった。もっとも十二年前に死んだチャーちゃんを含めて、うちでは猫は四匹とも拾った猫だから正確な誕生日はわからないが、あたらずといえども遠からずだ。
 私と妻は年が明けてから「ペチャとジジふたりそろって二十歳以上なんてすごいね。」と、あまりに何度も言っていたものだから、ジジの誕生日の八月二十九日が来るまでペチャが頑張って生きてるんだとしたらどうしよう。ペチャはもう八月二十日をすぎたあたりから、これ以上生きていても大変なだけだ。苦しいとか辛いとかは言いたくないから大変としか二人で言わなかったが、二十日をすぎたあたりから生きているのがひどく大変な状態になり、たとえばもし仮りにここで奇跡を起こしてペチャを完治させてやると言われても死に向かっているこの状態をいずれいつかはもう一度繰り返さなければならないのだから、もう奇跡はいらないと思うようになったくらいで、そんな状態でペチャがジジの誕生日の二十九日まで頑張ろうとしているのだとしたらどうしよう。と、心配になったけれど、ペチャのかすかにつづいていた息は八月二十六日の夕方に終わった。
 つまりジジも立派な老猫で、人間もそうだが年をとると体の恒常性=ホメオスタシスがとても弱くなり、外界と皮膚と脂肪で距てられている体の内側が隔壁が機能せず気象の変化にさらされているというか、翻弄されていて、低気圧、前線、寒気の南下、逆に気温の急激な上昇などで体調がひどく崩れ、その前兆のときは夜から朝まで一晩中眠らずに大声で鳴きつづける。
「猫もそんなになるのかねえ。」
 と、つまり猫にもそんな高級なこと複雑なことが起こるものなのかねえと、私の説は猫をかいかぶりすぎだみたいな言い方をする人がいるが、聴覚だって嗅覚だって、すべてが猫の方が人間よりも敏感なんだから、人間に起こることが猫に起こらないと考える方がおかしい。
 人間との性能の比較はどうでもいい。特に季節の変わり目など、季節が変わるということは日本を取り巻く大気が入れ替わるということであり、夏の太平洋高気圧が去って冬の大陸性高気圧に入れ替わる境い目には前線があり、それがしばらく日本上空で北へいったり南へいったりして、そのあいだほとんど毎日ジジは気象に翻弄され、そんなにもろに翻弄されていたらジジは消耗してしまうから、獣医師から興奮した神経がしずまるように鎮静剤か、睡眠薬みたいな一日中うとうとしているような薬をもらうことにして、そして実際それをもらい、その薬をネットで調べてみると抗うつ薬だった。
 ジジは興奮して一晩中眠るに眠れない。そういうときは食事もきちんと摂れない。水ばっかり飲みたがり、ジジが欲するまま水を与えたりしていたら、水の飲みすぎでドバーッと吐いてしまう。だから水も我慢させるのだが、ジジは「ミズーッ!!」と、ギャーッ! アオーッ! と絶叫する。そういう興奮状態がしずまるように処方してくれた薬が抗うつ効果とは。まるで元気がビンビンになるみたいなところが、逆なんじゃないの? 不思議な気が最初はしたが、興奮そして絶叫というのは、不安の表出でもある。気持ちの動揺、大揺れ、制御不能状態と言う方がもっといい。漢方薬に詳しい人に同じ効果の漢方薬がないか訊いたらあった。
 ヨクカンサンカチンピハンゲだ。切る場所は、ヨクカンサン、カ、チンピ、ハンゲ。チンピは陳皮、ハンゲは半夏。そしてヨクカンサンは抑肝散で、カは加。漢方でいう"肝"の体質を抑えるという意味なんだろう。漢方薬局に電話して、こっちが「ヨクカン、、サンカ、、、チン、」なんてもたもたしゃべっていると、向こうが「トウキョウトッキョキョカキョク」のようにすらすらとフォローしてくれる。これがまた効能が不眠や神経症と並んで、幼児の夜泣き、疳の虫で、つまりは抗不安作用ということだった。
 不安でくよくよしている人に、「元気出せよ。」と言ったりすることになっているわけだが、必要なことは元気でなく落ち着きつまり動揺の解消だった。という理屈がわかれば少しも奇異な感じはしないのだが、ジジの絶叫を抑える薬イコール不安を解消する薬、なのだったらそれは元気を出す薬じゃないか? という理屈を一人で組み立てたときにはずいぶん変な感じがしたものだ。が、いったん別の回路がつながれば、「いったいどこが奇異だったんだ?」となる。変なものだ。

 それで去年から私は寝不足でない日の方が少ない。ジジがいよいよ明け方騒いで大変になったのは夏の終わりからつまりペチャが死んでからなのだが、ペチャがいたあいだはおもにペチャが明け方大騒ぎしていたのだった。しかしペチャが騒がない朝はたいていジジが騒いでいた、すでに。
 それで私はカフェインドロップという、読んで字のとおりのカフェインのかたまりをなめるのだが、これがけっこうよく効く。のだが、
「胃が悪いくせにカフェインドロップなんて、とんでもない!」と、医者におこられ、私だってそれくらいはわかっている。カフェインドロップをあまり何日もつづけてなめていると胃が痛くなってくるその因果関係はじゅうぶん承知している。
 寝不足で頭が働いていなければ仕事ができない。寝不足を補おうとしてカフェインドロップをなめると胃が痛くなる。もちろん寝不足にもいろいろ度合いがある。それまでいちいち説明しているとキリがない。だからひとくくりに寝不足ということにしておくが、寝不足で頭が働いていない状態で仕事をするにはどうしたらいいか? 寝不足状態で私は仕事をするしかない。
 若いということはたいしたことだった。三十代の頃だったら寝不足でも二日酔いでも風邪をひいていてもまわりがいろいろ音がしてうるさくても、小説を書くことができた。会社を打ち合わせと称して抜け出し、池袋から山手線で二駅で内回りなら高田馬場、外回りなら巣鴨に着き、そこから歩いてちょっとのところにあるあんまりうるさくなく、あんまり客がいっぱいでもない喫茶店に入って、注文を取りにくるまでにテーブルに書きかけの原稿用紙を広げ、
「コーヒーください。」と言ったあとにはもうつづきを書きはじめていたが、いまはもうそんなことは全然できない。家の中で音楽をかけず、ただ黙って昨日まで書いたところを眺めるのだが、早くても三十分、ひどいときにはつづきがはじまるのに三時間かかる。
 が、もちろんそれは頭の中でそれまでの流れを反芻したり、これから書くことをいちおう考えたり、実際に書くといちおう考えたこととほとんど違うことにもなるのだが、それでもやっぱり何も考えずにははじめられない。小説あるいは広く文章というのは人それぞれ程度はあるだろうが、流れを外に取り出して視覚化することができず、結局は頭の中であれこれ組み立てたりいじったりするしかない。若いうちはそういうことを苦もなくやっているから、自分がやっていることが視覚化できない、暗いところで水の流れに耳を澄ますような、かなり神経を集中する作業だということに気づかなかったが、四十代になるとだんだんとそれが意識して努力しないとできない作業になってくる。しかも老猫と同じように、体は恒常性が弱まっているから、寝不足、二日酔い、風邪うんぬんの影響をモロに受け、さらには私は天気が悪いと頭の中がどんよりして動かない。妻はそういうときひどい頭痛になり、
「あたしと同じようにジジも頭が痛いのかなあ。」と言っているが、頭痛にならないだけ私はマシだが、仕事にはならない。
 しかしこの、寝不足で頭が働かなかったり、天気が悪くてどんよりしたりしている状態が、いずれ普段の状態になっていくのではないか? 六十代半ばか七十代あたりからかわからないが、いつかはいままでのような頭の中でいろいろやることは、体調万全の日でもできなくなるのではないか? なるだろう。
 そんなことを考えるために聴いていたわけではないが、しかし思えば聴いていたためにこういうことを考えるようになったのかもしれないのだが、オーネット・コールマンというジャズのおもにアルトサックスの奏者がいる。おもにというのは彼はトランペットを吹いたりバイオリンを弾いたりもするからで、たぶん「フリージャズ」という名前の命名者であり、命名だけなら評論家にもできるが、オーネット・コールマンはフリージャズの源流の一つとなった。
 ジャズといえば、マイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンだ。古いかもしれないが、ロックといえばストーンズとツェッペリンというのと同じようなことで、マイルス・デイヴィスはフリージャズが嫌だったが、コルトレーンはどんどんフリージャズに接近していった。そこにもう一人、エリック・ドルフィーというすごい人がいる。よく、「日本人はコルトレーンが好きだ。」と言われるが、同じ意味でエリック・ドルフィーはもっとすごい。ジャズを知らない人でもマイルスとコルトレーンという名前は知っているだろうが、ドルフィーはジャズをちゃんと聴く人しか名前を知らないが、ドルフィーのアドリブは馬のいななきみたいだ。何をどう褒めているのか知らない人にはまったくわからないが、知っている人は「馬のいななきかあ……。あれは、馬のいななきだったのかあ……。」と、もう何年も聴いていなくても、音が突如頭の中で鳴ってジーンとくるだろう。
 コルトレーンとドルフィーは何度も共演し、二人とも求道的な演奏をした。私が知るかぎり二人とオーネット・コールマンは共演していない。オーネット・コールマンはたら〜んとした演奏をした。私は一九七〇年代の半ば、大学生のときからジャズを聴くようになったのだが、長いことオーネット・コールマンの良さがわからなかった。今では一番多く聴くのがオーネット・コールマンと言ってもいいが、そうなったのはここ五、六年のことと言ってもいい。
 自分の行動の中で本人がわかっていることなんてじつにわずかなものだと思うのはこういうときで、思えば私は自分の仕事のやり方の一つのあり方をオーネット・コールマンを聴きながら考えていた。作品というのは、集中、持続、求心的運動によって作られる。
 あれ? これはすでに一度書いたんじゃないか? と思って、自分の手書きの原稿用紙をパラパラめくってみたがまだ書いてない。もっとも他のところでは、もうすでに一度か二度は書いた。同じことを書くと不快な反応をする人がいるが、その人たちは文脈でなく単語の同一性に反応している。その人たちは自分で何かを作ったことがない。完成形として提示される作品を、いいの悪いの言って遠巻きに見ているだけだ。自分で何かを作ってみればわかるが、同じところでつまずくし、何度も同じものと闘っているのを痛感する。それはおもに学校教育を通じて教え込まれたオーソドックスな文学観なり音楽観なり美術観のことだ。その人がどれだけオーソドックスなものに対して無関心と見えたり、最初っからオーソドックスなことがわかっていないように見えたりしても、本当に無関心だったりわかっていなかったりする人がいくつも作品を作ることは無理で、オーソドックスなものが足枷となっていると感じていない人はいない。だから闘う。それは際限のない繰り返しで、コンピュータのように一度情報を書き換えれば二度と古い情報は出てこない。なんて、人間の頭と体はそんなわけには全然いかない。
 で、オーネット・コールマンだが、彼はミュージシャンとしてのキャリアのごく初期から、非‐集中、非‐持続、拡散的運動による音楽ということを考えていたみたいなのだ。それは彼にも一九六二年のタウンホール・コンサートのThe Arkという歴史的名演があり、私はこのThe Arkはジャズ史上屈指の名演で、一秒の隙もないとさえ思うのだが、彼にとって音楽というのはそういうことで完成させるものではないのだ。
 もっとずっと力が抜けて、仲間と集まって、プーと吹く。おもにアルトサックスだから、ポォーかトゥォーと表記する方がいいかもしれないが、コルトレーンやドルフィーのように"一期一会"的な揺るぎのなさは目指さない。それは美学依存症というものだよ。聴く人の耳を自分だけに引きつけるんじゃなくて、聴いてる人も力が抜けて他の音も聞こえてしまう。だから当然他のことも考える。そういう演奏をやろうじゃないか。
 そんな演奏のどこがいいんだ? ストイックで揺るぎのない演奏の方がずっと優れている。そんなのは手抜きか負け犬根性だ。というのは、いま私には美学依存症の外に出ようとしない、ものすごく狭量な考えに思える。