≪『カンバセイション・ピース』
(初稿)A・Bパターンについて≫

これは発表された『カンバセイション・ピース』の5章に相当する部分で、書いた時期が2002年の夏頃なのですでに記憶があやふやですが、4章のあとの展 開に行き詰まった証拠が、これから順次発表していくA・B2通りの初稿です。すでにこのサイトで発表している『カンバセイション・ピース』(初稿)の (8)までは、決定稿とあんまり変わっていないのですが、その後、AB2回原稿を破棄し、3回目に書いたものが、決定稿となったわけです。


『カンバセイション・ピース』
(初稿)A パターン(その1)



 九月になっても暑さは変わらなかったけれど、雨が二、三日おきに三回降って、それを境に庭の奥まで水を撒きにいかなくなった。八月のあいだ朝と夕方に毎 日やっていて、やっているあいだは楽しいと思っていたはずだったのに、いったん途絶えてしまうと、午前中も夕方も水撒きのことなんか全然思い出さず、昼間 とか夜の関係ないときに「やっぱりたまには撒かなくちゃな」と思ったりするだけで、それも次に何かをしたり考えたりするときれいさっぱり消えてなくなって いた。
 それでも綾子が気にかけていて、朝出てきたときとか、会社に使っている座敷とそのまわりを簡単に掃除したあととかに、「水撒きした?」と言ったり、夕方 に「水撒きしなくていいの?」と言ったりしてくれて、私も「そうそう」という感じで、立ち上がるのだけれど、私のあとを追ってミケが階段を降りてきてその 相手をしたり、水を撒く前にオシッコをしたり、冷蔵庫から麦茶を出して飲んだりすると、水撒きに出るだめに立ち上がったことを忘れている。それですぐにま た綾子と顔を合わせれば思い出すのだろうが、そのあとに十分、二十分と空白の時間が生まれる。「空白」といったって、まったく何もせずに台所とか廊下で石 のようにつっ立っているはずはないが、具体的に何をしてたのかとなると、誰かがつけてそのままになっていたテレビを見ていたとか、北の廊下の隅に積み重ね てあった本を(そういう本の山が家じゅうにある)何の気なしに手にとってパラパラめくったページから十ページぐらい読んでいたとか、座敷にいる森中と目が 合ってしゃべっていたとか、風呂場の前の北側の窓から外を見ていたというようなことのどれかで、一日の行動を割り出すと、そういう空白がいくつもある。
 そんなときに見たテレビで緑内障の疑似映像みたいな画像を映していたことがあって、緑内障は網膜に盲点のように光を感知しない部分ができてそれが少しず つ広がる病気なのだが、目は二つあるから片方の視野に盲点が広がってももう片方の視野が盲点を補ってしまうから、視野の三分の一とか半分とかまで欠けるま で盲点が広がっていることに気がつかないのだという話で、それを見ながら「おれの空白の時間みたいだなあ」なんて思っているその時間が結局抜け落ちてい る。
 それはともかく、水を撒きにいくと言って結局何もしないで戻って、綾子に「水撒きは?」と訊かれて、「あ、いけない」と答えるときには面倒くさくなって いる。そういう私の行動パターンに、綾子はあきれ、いつまでもあきれててもしょうがないと思って、綾子が自分で撒きに出るようになって、水を撒いている音 が庭から聞こえてくるから、綾子の相手をしにいこうかと思って、二階から降りていくと、そこでまたミケが私の足に絡みついてきたり、北の廊下でゆかりと 会ってひと言ふた言しゃべったりしているあいだに、元々の目的をまたも忘れているのだが、綾子の水撒きの方も私のように時間をかけたものではないので、 ちょっとぐずぐずしているうちに終わって戻ってきてしまう。それで私が「早いな」と言うと、綾子が玄関でなくて縁側から上がりながら、
「だって、内田さんみたいにいろいろ味わったりすることないからさ」
 と言った。
「味わう?」
「味わってたじゃない。この木はここに手をかけて、あっちに足をかけて登った、とか、これはモミではなくてヒノキでもなくて、サワラって言ったっけ? (「うん」と私は言った)そのサワラで、一見全部同じに見えるんだけど、モミの葉っぱはああでこうで、ヒノキの葉っぱはああでこうで、とか、なんだかず うっとしゃべってたじゃない」
「それは綾子がいたからで、ひとりでしゃべるわけないじゃないか」
「でも、ひとりでもすごく時間かけてたってことは、何か考えてたってことでしょ」
 と言いながら、綾子はタオル地のハンカチで額や髪の生え際や首筋の汗を拭いた。九月半ばになっても暑さは相変わらずで、綾子は真夏と同じ、肩の紐を切っ たら地面までストンと落っこちてしまうようなワンピース一枚だった。
「まあな」
 と私は言ったけれど、綾子が想像するように何かをちゃんと考えているわけではない。しかし、水を撒くというのはいちおうはっきりした行動だから、それ自 体が「空白」ということもないし、そのあいだに考えていることも、まあ「空白」というものでもないのだろう。それより、会話の最中の綾子の注意の途絶え方 の方がよっぽど変だから、「綾子こそふだん何考えてんだ」と言うと、
「あたしはあんまり何も考えないから、すぐ撒いてきて終わっちゃう」
 と言った。
「そうじゃなくて、ふだんだよ」
「最近、猫が来てるよ」
 綾子は関係ない話をはじめた。しかしこの話の方が大事なので、「どこに」と私は訊いた。
「あそこのちょっと奥の(と、綾子は縁側の網戸を開けてからだを乗りだして指さした)、シュロとか名前がわからないって言ってた木とか、その辺。
 昔ここで飼ってた猫のお墓の石とか置いてある辺のニオイかいだりしてたけど、関係ないよね」
 綾子がしゃべりおわると、私は網戸を閉めた。猫を飼っていると、外に出ないようにすぐに閉める。それはもうなかば自動化した動きになっている。そして、
「いまさらニオイなんかしないだろ」
 と言った。
 まさか猫の魂がそのあたりをふらついていることもないだろうと言おうとしたけれど、綾子が怖がると思ったのでやめた。
「そうじゃなくって、前に内田さん、ちょうどあの辺でどっかの猫が子猫産んだことがあるって言ってたじゃない」
「だから何?」
「また産んだりしないよね」
 それとニオイがどう関係あるんだと思ったけれど、訊いてもしょうがないと思った。表面的なことはどうであれ、綾子は綾子で何かいろいろ連想して、その猫 が子猫を産むかもしれないと思ったのだ。
「産んだら困るな」私は言った。
「飼っちゃえば」
「いっぺんに三匹も四匹も産まれんだぞ」
「そうよね」
 綾子は網戸に顔を押しつけるようにして、シュロと名前のわかっていない木のある方を見ていた。そうしていると座敷=会社でパソコンをいじっていた森中 が、席にすわったまま、
「子猫が産まれたら、ベニヤか何かで小屋でも作ってやればいいじゃないですか」
 と言ってきた。
「いきなり何だよ」
「いきなりじゃないですよ。ここにいたら全部聞こえるに決まってんじゃないですか」
「そのいきなりじゃなくて、森中おまえ猫なんか全然かわいがったりしないじゃないか」
「子猫とか子犬は別ですよ。
 かわいいじゃないですか」
 私は笑い出してしまった。森中が子猫をかわいいという取り合わせが、ものすごく似合わなかったからだが、「笑わないでくださいよ」と言うと、今度は居間 のテーブルにいたゆかりが笑い出した。ゆかりは今日の授業の予習をしていたのだ。奥にちゃんと自分の部屋があるから最初のうちはそこで勉強していたが、六 月あたりからだんだん居間でやるのが増えて、九月になって後期がはじまってからは、ここでばかりやっている。
「人のこと笑ってないでちゃんと勉強してろよ」
 森中が言うと、ゆかりは「はぁい……」とつまらなそうに返事した。綾子は台所から麦茶を持ってきて、ゆかりの隣りにすわって、ゆかりのテキストをちらっ とのぞきこんで、「英語やってるんだ」と言ったが、「フランス語ですよ」と言われて、縁側にいる私を見てちょろっと舌を出した。テレビではオリンピックの 水泳が映っていたが誰も見ていなかった。
「子猫はかわいいじゃないですか」
 森中が笑われる前の話に戻し、私は「そんなこと、よく知ってる」と言った。
「でも、かわいいって言ったって、すぐ大きくなるんだぞ。そのときはどうするんだよ」
「どうするって、大人になったらほっとけばいいじゃないですか」
「おまえねえ」
 私が言うより先に、「そんなことしてたら野良猫がどんどん増えちゃうじゃない」と、ゆかりが言った。
「じゃあ、もし子猫が産まれたら、どうするんですか。ほっといたら、あんなにかわいいのを見殺しにすることになるじゃないですか」
「でも森中さんは子猫のうちしかかわいがってあげないってことじゃない」
「野良猫に生まれたんだから、せめて子猫のうちぐらいかわいがってやったっていいじゃないですか」
「そういう無責任な考え方が野良猫を増やすんだってば」
「そんなこと言ったって、もうお腹の中にいたらどうするんですか。ベニヤで小屋でも作ってやるしかないじゃないですか」
 二人の話はまったく噛み合っていなかったが、森中の言葉づかいからすると、ゆかりよりもその向こうにいる私に向かってしゃべっているつもりなのかもしれ なかった。それを意識してかそうでないのかわからないが、綾子はもう話に関わっていないような顔になっていて、自分の机に行ってノートパソコンの電源を入 れた。私はといえば「もうお腹の中にいたらどうするんですか」という森中の言葉に驚いていた。人間がいまここで何をしゃべっていようが、綾子の見た猫のお 腹に子猫がもういたらそれはいるのだし、いなければいない。しかしいまここではそれを知りようがない。だいたい綾子が見た猫がメスなのかオスなのかもわ かっていない。だから子猫がいる可能性はかなり少ない。しかしとにかく、いたらいる。だから私は、
「いたら困るよな」
 と言った。
「え? お腹の子猫ですか? いたらかわいがってやりましょうよ。かわいいんだから」
「ホント、無責任なんだから」
 ゆかりは抗議したが、森中の言い方が私は気楽な風を吹かせているような気がした。
 生き物と関わることが気楽なだけではいられないのは確かだけれど、猫の寿命を五年か十年くらいのものだと思って、自由に出入りさせておいて、そのうちに もし帰ってこなくなったら、「帰ってこなくなっちゃったねえ」なんて言い合って、それで済ませていた時代がこの家にもあった。いったん「無責任」だと思っ てしまったら、もう二度とそんな飼い方はできないが、「それが普通」だと思っていた時代があった(人間の勝手な言い分だが)。
 家で飼っている猫は最初のクー以来、ココもチャーちゃんもミケもみんな捨てられていたのを拾った猫で、あのときに拾われなかったら死んでいたかもしれな い。生まれて間もない子猫は死んだら死んだでそれまでなんだろうけれど、拾われれば猫は一匹一匹それぞれ違った個性を持った猫に育つ。今年で十三歳のクー が私の机にのぼってきて、クーの顎の下あたりを撫でていると、八十七年の四月に妻の理恵がこのクーを拾わなかったら、こういうことがなかったんだと思う。 子どもの頃に、もし自分が生まれていなかったらいったいどういうことになったんだろうと考えて、わけがわからなくなったことが何度もあったけれど、クーの 顎の下を撫でているときに感じる気持ちはそれと同じもので、大人になっても、これについての考えはまったく一歩も前に進んでいない。こうして生きていると いろいろなことがあって、楽しいこともそうでないこともひっくるめてやっぱり楽しい。でも子猫で死んでしまったらそれが何もなかった……。子どもの頃にた だわけがわからなくなった状態が、いくらか対象化できるようになっただけで、内実はまったく変わっていない。そしてただクーが自分の目の前にいてくれるこ とにしみじみする。
 ゆかりは森中との言い合いに特にかた形をつけようとはせず、時間になったので、パタンといつもよりはっきりと音をさせてテキストと辞書を閉じて、学校に 行った。私は、ゆかりが出たあとすぐに、
「いたらそのとき考えよう。
 でも、子猫がいないことを祈るよ」
 と言って階上に行った。

 居間と座敷の裏にあたる北の廊下は暗いけれど、階段のところになると思わず「いいなあ」と声に出したくなるような明るさだった。特に九月に入って太陽が 低くなったために午前中は、階段の下の廊下の、二階までずうっと吹き抜けみたいになっている壁の高いところにあるガラス窓から惜しみなく光が射し込んでい る。いつか英樹兄が階段の下に立って、この明るい空間を見上げていたことがあったけれど、伯父も伯母も同じ場所に立ち止まってこの空間を見回していたこと があった。
 ロッド・スチュアートに、「この暑い昼下がりに何もすることがなくて、僕は君のことを考えながら階段にすわっている」という歌詞の歌があって、高校一年 のときにその歌を聴きながら思い浮かべていた階段は、鎌倉の実家の階段ではなくてこの階段だった気がする。
 その階段をのぼりながら、つい今しがた「祈るよ」という言葉を自分が使っていたことに気がついた。
 みんな、自分で何も具体的な手助けをしないときに、気安く「祈ってます」と言う。それが嫌いで私は極力具体的な方策を考えるか、そうでなければ何も言わ ないことにしているのに、こういうときについうっかり「祈る」なんて言ってしまう。古代の思想や社会のことは詳しくも何ともないけれど、祈りというのは犠 牲と引き換えにしていたことのはずで、「祈る」なんて気安く言ってしまうぐらいだったら、森中みたいに無責任でも何でも、子猫のためにベニヤで一時しのぎ の雨よけでも作ってやる方がいいと思う。
 射し込む光と釣り合わないことを考えていると思いながら、階段をあがりきって部屋に入りかけると、
「また愛想のない顔になってるよ」
 と浩介が言ってきた。
「わかってるよ」
 浩介は床の間の柱に寄りかかるいつもの姿勢だったけれど、手に持っていたのはギターでなくて企画書か何かだった。
「浩介だって、どうせおれがあがってくるまで、おんなじ顔してたんだよ」
「おれの場合は嫌いな仕事なんだからしょうがない。あんたは別」
 私が綾子の定位置の北側の窓の上の鴨居あたりから、無愛想な顔をした二人の中年男を眺めているような気分になっていると、
「ねえ、ヒモになりたいって、本気で思ったことある?」
 と浩介が言った。
「ない」
 私の即答がおかしかったのか、浩介は笑い、私は「なんでだよ」と訊き返した。
「文部省の仕事してると、作業量に見合わない報酬をもらうから、ヒモになったような気がするんだってことに気がついたんだよ。
 役所って変でさあ、経費の項目が人件費しかなくて、講師以外は一律日当七万円なんだよね。ここ来る前に生涯学習のビデオ教材を仕込んだときも、スタジオ 代とかカメラ使用料って項目をたてられないから、それを全部一日七万円の人件費に換算して、『多めにのせといてください』だもんね」
「労働に対する正当なリスペクトがないな、それは」
「だろ? ヒモを養ってるようなもんだよ。
 で、それで嫌な気分になる。
 ということは、おれはヒモに向かないんだって」
 私は無愛想な顔のまま、笑うというか鼻でクッと息を吐いた。鼻で笑うという表現があるが私はバカにしたわけではない。それで、
「ヒモっていうか、たかりだよな」
 と言うと、浩介が、
「たかりは文部省だから、おれはその孫請けだよね」
 と言った。下請けではなく孫請けなのは、文部省と浩介のあいだに一人、大学の先生が入っているからなのだが、どうも浩介が直接の打ち合わせもしているら しかった。
 それはともかく大学生の頃なんかは、早くから銀行とか商社とか官僚とかを目指して「優」をたくさん取ったり自分で勉強したりしているやつ以外は、みんな 働きたいなんて本気で考えていないわけで、働かないで済む方法といったらヒモぐらいしか思いつかないからヒモになったら格好いいだろうと思う。そんなうま い話はなかなかないから普通は就職するけれど、二十代のうちに一度か二度は気前のいい女性と知り合って、デートすれば全部持ってもらってついでに服でも買 い与えてくれるというようなささやかなヒモを経験することになるのだけれど、そういう苦労のない相手にはありがたみを感じないことになっていて、二股かけ て他の女の子とつき合う。それでバレればいいんだけれど、何故かバレない信頼のされ方が重荷になると同時に罪悪感にもなってきて、「ああ、これを何とも思 えない自分はヒモには向かないんだな」と思う。だからやっぱり愛は努力して金も使って困難を克服して、築いて維持していくものなんだ、と私が言うと、
「なんで急に一般論みたいなしゃべり方するわけ?」
 と浩介が言った。
「私の女性経験なんて特別なはずないから一般論にしてみました」
「一度か二度って言わなかった?」
「言ったよ」
「一度はあるかもしれないけど、二度はないよね」
「どうでもいいんだよ」と私は言った。
「そんなの、長い人生からみたら、一度も二度も、限りなくゼロにちかい誤差の範囲内なんだから」
「でもそれでさっきみたいに『ない』って、即答できるように変われるんだから、誤差じゃないよ」
「とにかく、たいした努力もしないで不当にえられる報酬はありがたみがないわけで、浩介の場合はいやーな気持ちになるってことが言いたいわけだろ」
 浩介は「だね」とひとこと言って、ごろんと仰向けに寝っころがった。
「その半分の報酬でいいから中身のある労働をして、正当な対価がほしいと思っているのに、いまや労働は不当に高いか不当に低いかのどっちかになっている」
 と、私はつづけたけれど、浩介は企画書を読んでいるだけで、返事をしなかった。



(以上、406頁1行目から424頁7行目まで)



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