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 世間の夏休みも浩介の会社の夏休みも妻の夏休みもそんな感じで、まあ終わってみればあっという間に過ぎていて、ついでに由香里まで早々にこっちに戻ってきて、私たちはいままでどおりの生活を再開することになったのだけれど、三、四日もすると綾子と森中と由香里は集まると、奈緒子姉が見たという風呂場の床に映った女の人のことばかりを話しているみたいだった。私がしゃべったのではないのだから浩介がしゃべったに決まっているが、浩介も従姉兄三人のキャラクターを面白がって綾子と森中にしゃべっている最中に何気なくあの話をしてしまっただけで、反応の大きさに呆れていて、
「あいつら、怪談の世代なんだよね」
 と私に言った。
 浩介たちがいた会社には「研修室」というのが三つあって、それを使った日は仕事が終わった九時すぎに部屋ごとに忘れ物や煙草の火の不始末がないかというようなことを見回っていたそうなのだが、綾子たちより三、四歳年上の女の子が新入社員で入ってきたときに、「C」の部屋の裏のストックに子どもの影が見えたと騒ぎはじめたと言うのだ。当時すでに三十をすぎていた浩介たちは、「退屈まかせにバカなことを考えた」と思っていたのだが、二十代前半の十人くらいはどうも本気にしているらしかった。
「でも、あいつらの本気っていうのが、だいたい本気なのか冗談なのかわからないじゃない。
 わかる? この感じ」
 と、浩介は定位置になっている床の間の柱によりかかってブルースのフレーズをギターで弾きながら言った。私から見て浩介の左側が床の間で右側は書院造り風の違い棚になっていて、文庫本が並んだり詰まったりしている。陽差しはもちろんまだまだカンカンだけれど、ここ数日は午後になると風が吹くようになったので二階にいると私にはこれでちょうどいい。浩介ももうこの暑さをふつうと感じているようだった。
「まあな」
 と私はいちおう答えてみたけれどこの感じを正確に言葉で説明するのは難しいし、私はそのときに浩介の会社に居合わせたわけでもない。それで「まあな」という私の答えの響きが曖昧だったせいか、浩介は私がわかっていないと解釈して話をつづけた。
「幼稚って、言ったらそれまでなんだけどね。もうちょっと言うとね、感情と思考の結びつき方が違ってるってことだと思うんだよ。
『あ、面白い』って思っちゃうと、嘘でもでまかせでもダイレクトに普通の思考回路に流れ込んで、逆に普通の思考回路に入るべきものでも、『面白い』って感情がともなわないと、形だけしか憶えないっていうかさあ、全然身につかないっていうか、そういう感じなんだよね。
 だから、怪談みたいのが『あ、面白い』って、それだけで、本気みたいに広まっちゃうんだよ」
【「で、その話はどうなったんだよ」
「どうなったんだろうねえ。
 忘れた」
 私が笑うと、「でも一時期はけっこう大変だったんだよ」と、浩介は言った。】(【 】の部分は赤の斜線で消してあります)
「それでその話はどうなったんだ」と私がつづきを訊くと、浩介はあっさり「忘れた」と言った。
 忘れたからと言っても一週間とかそこらで簡単に消えたわけではなくて、半年ぐらい本気で怖がっていた女の子たちがいて、それまで男女問わず一人でやっていた見回りを女の子たちのときは仕事もないのに友達が残って三人くらいで一緒に見回りをしたりして、もうホントにバカバカしくて、バカバカしすぎてきっと忘れてしまったんだと浩介が言い、そのとき綾子と森中はどうだったんだと訊くと、二人はまだいなかったと答えた。「C」の研修室の裏のストックに子どもの影が見えるという話は、その後も新入社員が入ってくるたびに出ないわけではなかったけれど、一時期がすぎてしまえばただの笑い話になっていて、もう誰も本気にしなくなっていて、
「本気でしゃべったことしか伝わらないんだよね」
 と浩介が言った。
 それは本当にそうで、目撃した人間が目撃したときの気持ちをリアルに持っているあいだにしゃべる話というのは、不思議な感応力のような感染力のようなものを持っている。聞く側はしゃべっている人間の話の内容を言葉で理解してリアリティを感じているわけではなくて、しゃべっている人間の気持ちをそのまま受けとめて、それを感じているように見える。しゃべっている人間の何がそうさせているのかと言って、語調とか身ぶり手ぶりとか瞳の輝きとか瞳孔の開き具合とかと、合理的に部分を分析していってもたぶん説明しきれなくて、神秘的な説明をしたがる人だったら、「目撃者は”場”の空気をそのまま持ち込む」というようなことを言うかもしれないけれど、私はそういう風に説明したいとは思わなくて、ただ「合理的な説明では尽せない」とだけ思う。
 これは私がいつも考えていることで、ここで私はこういうことをしゃべらなかったし、しゃべらなくても浩介も私のしゃべりそうなことはまあだいたいわかっている。それを浩介が肯定するか否定するかはまた別の話だけれどそれで私が、
「でもどうして、あいつら、おれの前だとしないんだろう」
 と言うと、
「怖がってんだよ」
 と、浩介が間をあけずに答えてきた。
「なんだよ、それは」
「まあ、『遠慮してる』って言ってもいいけどね。
 いちおう、あんた小説家だから、小説家の先生の前で、そういう子どもっぽい素朴な話をしたら、何か言われると思ってるんだよね」
「そういうことか」と言って私が、自分が腰掛けている位置から見える、窓の東側の端で揺れているサワラとキンモクセイに目をやると、「本当はおれよりあんたの方がそういう話に向いてるんだけどね」と浩介が笑った。傾きはじめた陽差しが窓の外に付いている手すりに強くあたっていたけれど、風が吹き抜けているので、暑くてどうしようもないというほどではなかった。そんなことを見ながら私が黙っていると、浩介が、
「ほら」
 と言った。
「そうやって外見たりしてると、すっげえ仏頂面になってるって、自分でわかってた?」
「ある程度は」と私は言った。いつも意識しているわけではないけれど、一人で机に向かっているときに自分が無愛想な顔をしていることはよく感じる。話の途中で気持ちが窓の外にそれるのは綾子の病気のような癖だけれど、そのときの綾子の顔を見ても、無愛想とか仏頂面とかとは感じない。
【「とともに、顔ってそうなるんだよ」と私が言うと、浩介は笑って、
「物書きだからなんじゃないの」と言った。
「それであいつらはどこまで本気なんだよ」
「ていうか、あんたこそどこまで信じてるかが知りたいね。
 けっこう信じてんじゃないの?」
「風呂場の話なんかはどうでもいいけどさあ」】(【 】の部分は赤の斜線で消してあります)
 その違いは自覚しているが、仏頂面の感じが相手をどんな気分にさせるのかはわからなかったので、
「でも陰険には見えないだろ?」
 と言うと、浩介は「見えないよ」とあっさり笑ってから、
「けっこう気にしちゃった?」
 と言った。
「少しはな。やっぱ陰険だったらヤバイよな」
「まあそんなにひどくはないよ。ふだんしゃべってるときとの落差ってこともあるしね」
 それで安心したというのもちょっと単純だけれど、私は話を戻して、綾子と森中と由香里の三人のうちで誰が一番この話を本気にしてるんだと訊いた。浩介は「難しいねえ」と言って、両手をギターから話して肘を九十度に折り曲げたまま両腕を後ろにそらせ、それから首をコキッ、コキッと鳴らすようにリズミカルに左右に傾けた。
「単純に怖がってるのは綾子だよね。何しろあいつは昼間だって一人でにいられないくらいなんだから。
 怖いと思うということは信じてるっていう一番の証明だけど、綾子みたいに怖いタイプは話を蒸し返しもしないから、綾子みたいな子だけだったら話はすぐに消えていくよね。もっとも、心の中にくすぶるってことはあるけどさ。
 一番ふつうの意味で信じてるのは由香里だね。芸能人とかで『なにこいつ?』って思うくらい、幽霊とか狐憑きとかの話を信じてるのがいるじゃない。由香里って、そういう感じだよね」
 私は相槌を打った。おばさんにあたる妻の理恵はそういう話をハナからバカにして受けつけないし、理恵の姉さんつまり由香里のお母さんだって同じなのに、由香里は無邪気に疑いもせずに信じている。浩介はつづけた。
「でも不思議だと思わない? あんなに信じてるのに、なんにも怖くないんだよね。奥の部屋で一人で寝起きするくらいだしね。あの子だったら古いさびれた旅館の離れにだって一人で泊まれるよ。
 信じるっていうか、ふつうに『ある』と思ってるっていうのはああいうことなのかねえ」
「綾子とすべてにおいて正反対だよな」と私は言った。
「もしかしたら、どっちかは信じてないってことなのかもしれないよな」
「おれもそう思うけど、おれは信じてない人間の方がやっぱり怖いんだと思う」と浩介が言った。
「ま、とにかく話を切り出すのはいつも由香里で、綾子は毎回嫌がってるんだけど、嫌だったら外でも二階にでも行けばいいと思うんだけど、いるんだよね。
 で、わかんないのが森中だよ。
『そんなのウソに決まってんじゃん』って言ってるくせに、五秒後には、本当はその霊は天井に出ててそれが写像みたいに拡大投影されて床に大きく浮かびあがったんじゃないかとか、その霊はものすごいスピードで当時このあたりを回遊してて、速く動く物体はけっこう大きく見えることがあるから奈緒子さんに大きく見えた気がしたんだとか、バカなアタマで仮説を立てちゃあ、『でも死んだ人間がみんな霊になってたら地球上は霊であふれる』って言ってみたり、おれの友達が地縛霊を見たときには、もっとふつうに暗闇にぬって、立ってたと言ったかと思うと、おれに向かって、
『だいたいなんで幽霊って、目撃者によってタイプが違うんですかあ。おかしいじゃないですか』
 って言ってみたりね」
 最後の森中の口真似を訊いているうちに私は一気にバカバカしくなってしまった。それで私が笑っていると、
「で一体、内田さん、あんたこそどこまで信じてるのさ。
 おれはそれが一番知りたいね」
 と浩介が私に言った。
「けっこう信じてんじゃないの?」
「風呂場の話なんかはどうでもいいけどさあ」
「『どうでもいいけどさあ』それから、何なの」と浩介は私の口真似をしながら、つづきを催促した。
「夏になると必ずテレビで、心霊現象とか恐怖体験とか、やるだろ?
 最近じゃあ、心霊写真に映ってる霊が何を考えてるかとか、この霊はこの人に悪意をもってるかどうかとかって、読みとる人とか出てるだろ?」
「知らないよ、そんなやつ」
「風呂場の話なんかたいしたことないけど、聞いた瞬間にバーッて全身に鳥肌が立つくらいの怖い話ってあるだろ?」
「そんなのいくらでもあるさ」
「あと、御巣鷹山に遺族と一緒にお坊さんが登っていってお経唱えたりするだろ?
 それから、引っ越しをするときに方位を気にする人とか家相を気にする人とか普通だし、若い子たちは占いがやたら好きだし」
「占いとか、あんた、嫌いじゃん」
「だからおれ個人の問題じゃなくてだよ。
 あと、ヨーロッパなんかだと人体自然発火なんていうのもあるし——」
「なんだよ、それ」
「よく知らないけど、人間の身体が突然燃え出す現象があるらしいんだよ。
 それから、ポルターガイストが自分んの中にいて、しょっちゅう物を隠すなんてことを真顔でしゃべってた編集者もいたりするし——」
「だから何が言いたいんだよ。
 もう並べる例がメチャクチャじゃんか」
 浩介はそろそろあきれてきたらしくて、ギターの音が大きくなったけれど、
「不思議だなあって、思うんだよ」と私は言った。
「不思議じゃねえよ。ちっとも」
「現象のことじゃなくてだよ。
 人間のアタマの構造が百年や二百年で変わるわけないのに、急にそういうものを信じなくなっちゃったわけだろ? アインシュタインが相対性理論を発見したからって、人間の目に光が有限の速度で進むところが見えるようになったわけじゃないだろ?
 ふつうに生活して世界を見ている分にはニュートン物理学でじゅうぶんなわけで、ニュートン物理学で宇宙のすべてが説明できると考えられていた時代っていうのは、世間では心霊現象がみちあふれてたわけで、コナン・ドイルでさえ妖精の写真をまじめに信じたくらいで——」
「ていうか、コナン・ドイルだからでしょ?」
 それにしてもここでニュートン物理学とアインシュタインを持ち出してくるとは、さすがのおれでも展開が読めなかったと、浩介は議論放棄の雰囲気だったけれど、私は調子にのってしゃべりつづけた。
「ほおっておくと、人間っていうのは心霊現象みたいなのを作り出すような感受性でずうっと世界を見てきたはずなのに、『科学の時代』とか言って、その感受性がたったの百年くらいでどこに行っちゃったんだと思うんだよ。
 だから風呂場の話でもポルスターガイストでも占いでも、おれが信じるとか信じないじゃなくて、人間の長い歴史で心霊現象の範囲で解釈されてきたのと同じ現象はいまでもいろいろあるわけで、その中で、土葬の墓場の火の玉みたいに『リンが燃える』ってはっきり科学的に説明されるものは整理されたとしても、説明がつかないから整理しちゃあいけないものまで『非科学的』とか『心霊現象なんかは存在しない』っていう予断をもって整理しちゃったら、本来の科学の精神に反してるわけで——」
 と、私がそこで一息つくと、浩介が「そんなことじゃなくて、そういう世界が全然なくなっちゃったら、死んだ猫が完全に”無”になっちゃうってことをあんたの無意識は言いたいわけなんだよね」と思いがけないことを言ってきた。
「チャーちゃんかあ」
 私はいまこうして見えている窓からの眺めが、チャーちゃんの病状がどうしようもなくなって死ぬことを事実として受け入れざるをえなくなったときに見た風景と同じものであるかのような気分で外を見ながら浩介がチャーちゃんのことをちゃんと考慮に入れてくれていたことにたわいもなく感激してしまった。そして、チャーちゃんが死んで一月くらいたったときに浩介と酒を飲みながら、「チャーちゃんが死んだ瞬間に、おれはチャーちゃんがいつか生まれかわって、もう一度おれの前にあらわれることをありありと実感したね。あの感じはおまえを見て『浩介だ』と思うくらい間違いようのないものだったよ」と言ったことを思い出したけれど、その実感だったはずのものはいまとなっては私自身あまりにあやふやで、まるでキリストの再来を信じることができなくなってしまった宗教者みたいだと思った。
 私の心霊現象への関心が、浩介の言うようにはチャーちゃんのことと結びついているとは思わないけれど、チャーちゃんが死んで最初の一年間くらいはそれこそ何を考えていてもチャーちゃんのことと結びつけていたものが、いまのような話をチャーちゃんのことを思い出さないまますることがあたり前になってしまった自分が、チャーちゃんと遠いところにいるようになってしまったと感じた。チャーちゃんのことが忘れられず、毎日悲しくて悲しくてしょうがなかった頃にはチャーちゃんはいつも私の近くにいて、悲しみというものが近さの感覚を喚び起こすという心の作用に気がついて、キリスト教徒はキリストが十字架にかけられているところを形にしてつねに持ち歩くようにしているのではないかというようなことも考えたものだった。
 私は病気にかかってから死ぬまでのチャーちゃんの姿は一枚も写真に撮らなかったし、もし撮っていたとしても、前足に点滴の針をいつでも射せるようにしているリュウビシンを入れて包帯を巻いているような姿は痛々しくて、まるでチャーちゃんのあのときの苦痛を永遠に凍結するようでかわいそうで見ることができないだろうけれど、十字架にかけられたキリストの像は二千年間も背負いつづけることができているわけでそれだけでキリストというのは特別な存在だというようなことも思ったものだった。
「チャーちゃんかあ」と言って黙ってしまった私の顔が、さっき浩介が言ったような仏頂面でないとリアルに感じられていると、森中がドン、ドンと足音を立てながら上がってきて、
「やっぱ階上は暑いですねえ」
 と言いながら、暑い二階の中でも一番暑い南の窓に腰掛けて、
「うちでも、ホームページなんてしみったれたこと言ってないで、マイクロソフトあたりとつるんで、社内ドメインの設計のコンサルティングでもやりましょうよ」
 と、例によって前置きをすっとばして言いたいことを言い出した。北の窓で寝ていたミケは森中の足音で目を覚ましたけれど、森中が腰掛けた頃にはすでに目をとじて眠りのつづきに戻っていた。
「そんなデカい声で言わなくてもいいよ」
「しょうがないじゃないですかぁ。これが地声なんだから。人の欠点をあげつらってないでちゃんと話を聞いてくださいよ。社員にばっか仕事させて自分はギター弾いて内田さんとぐだぐだしゃべってるだけなんだから——」
「人を顎でしゃくるな」と、今度は私が言った。
「いいじゃないですかぁ、そういう癖なんだから。クライアントと会ってるときなんかにはしないんだから黙っててくださいよ。いまは大事な話してんですから、内田さんには(と、今度は顎でしゃくらなかった)どうせわからない話だろうけど、まじめな話なんだから横槍入れないでくださいよ。だから社内ドメインなんですよ。
 ウィンドウズ2000になるとドメインの作り方が新しくなるから、コンサルティングの稼ぎどきなんですよ。だからうちも便乗してやりましょうよ」
「階下でそんな話してたのか」
「違いますよ。ちゃんとホームページ作ってましたよ。余計な写真とか送ってくるから画像の読み取りに三十分もかかっちゃいましたけど。沢井さんだってちゃんと地味に働いてますよ。由香里だって横でちゃんとインターネットやって遊んでますよ。え? いいじゃないですか。ちゃんとですよ。そのうちに役に立つかもしれないんだから、いいじゃないですか。
 そんなことより自分の方こそ、つまらないことは全部こっちにふって、階上でギター弾いてるだけなんだから。こっちの身にもなってくださいよ。変なオヤジとか話の通じない若造とばっかりしゃべってんですから。ホームページ作成なんて、もう未来がないじゃないですか。未来が。十年くらい前のワープロ入力代行業と一緒ですよ。あと二、三年で誰でもできるようになってるじゃないですか。
 そんなことしてちゃダメですよ。ビル・ゲイツとつるまなきゃ、未来がないですよ。ビル・ゲイツなんかどんどん新しいバージョン出すから、この世にコンピュータがあるかぎり、食いっぱぐれはないし、新しいのは向こうがどんどん作ってくれるわけだし——」
「森中、おまえまた誰かに入れ知恵されてきただろ」
「入れ知恵なんかされてないですよ。まあ、友達に聞いてきたのは本当だけど。おれなんかより全然アタマ悪かったヤツが、『コンサルティング』とか言ってやれちゃってんですから。『おれは虫の中じゃあエビが一番好きだ』なんて言うようなヤツだったんですから。エビとかカニとか全部虫だと思って食ってたようなヤツなんですから。あいつと比べたらおれなんか全然モンダイないですよ」
「おまえは性格にモンダイがある」
 私は笑ってしまったが、森中は「こんなとこで笑わないでくださいよ」と真顔で言い返した。森中はエビの話もそこで人を笑わせたいとは思っていない。
「おれが性格モンダイあったって、ホームページの営業ぐらいできてるんだから、おんなじことじゃないですか。パソコンやってるヤツなんて、性格なんか、みんなモンダイあるに決まってますよ。ビル・ゲイツだって絶対、性格なんかモンダイあるに決まってますよ。アダルトチルドレンの典型ですよ。元祖オタクの現在アダルトチルドレンじゃないですか。あんなの、見りゃわかりますよ。見りゃあ。目がちょろちょろちょろちょろ動いて、小心者だって見え見えじゃないですか」
 森中は南の窓の縁に腰掛けていたから尻のあたりに陽が当たり、しゃべりつづける運動量といっしょになって、汗をだらだら流していた。おまけに風の通り道にいるから、こっちに森中の汗のニオイがまじった熱風が流れてくるみたいな気分だった。
「アメリカ人はすごく働くんだぞ」と浩介が言った。
「——日本のオッさんたちなんて、『忙しい、忙しい』って口じゃあ言ってるけど、結局アメリカ人みたいに働いてるわけじゃないんだよ。何のかんの言って、毎晩酒飲んでる時間があるじゃないか。
 マイクロソフトとなんかつるんだら、夜中でも働かなきゃなんないんだよ」
「何言ってんですか。アメリカ本社じゃないですよ。マイクロソフト・ジャパンですよ。日本支社ですよ。時差なんかないですよ」
「わかってるよ。それくらい。日本支社だってアメリカ並みに働いてるってことだよ。どうせ、つるましてなんかくれないだろうけど」
「くれますよ。文部省の仕事してんだからマイクロソフトだってだませますよ」
「バカ、役所の仕事してるってことは楽してるってことじゃないか。アメリカ資本はそんなに甘くないよ。
 働かない役所からカネもらって、足りないところを中小企業のオヤジからもらってるくらいが一番いいんだよ」
「野心がないんだよなあ。まったく」
 ここでまた私が笑うと、森中は「笑うような話じゃないじゃないですか」と真顔で言い、浩介は、
「おまえから、『野心』なんて言われたくない」と笑いながら言った。
「どうしてそうなんですか。従業員のことも少しは考えてくださいよ」
「じゃあ、今日から森中を、経営計画部長に任命しよう」
「何言ってんですか。全然関係ないじゃないですか」
「そんなことないさ。今日からおまえ部長なんだから、部長個人の判断でマイクロソフトでもどこでも仕事とってきていいよ。
 で、メドが立ちそうだったら新しい社員雇って、社員持ち株制にして将来的には株式を上場して、社員は株を売ってもうかる」
「いいですねえ」と、森中は相変わらずの真顔で言った。
「——そうなると、経理も沢井さんじゃ無理ですよね。ちゃんとした経理とか財務の専門職も雇って」
「綾子はこの会社の創設メンバーだから、それなりのポストを用意しとかなくちゃな」
「どんなポストですか」
「おまえは創設メンバーじゃないからね。言っとくけど」
「え?」
「だって森中は半年遅く来たじゃないか」
「五カ月ですよ。半年なんかじゃないですよ。
 生命保険だって、誕生日の前後半年は同じ年令に計算するんだから、いいんですよ」
「じゃあ五カ月も半年も同じじゃないか」
「そんなこと言ってるんじゃないですよ。
 お願いしますよ。おれも創設メンバーってことにしといてくださいよ」
「じゃあそうする」
「ああ、よかった」
 と言うと、森中は立ち上がって「もうホントに暑くてたまんないっすよ。カンベンしてくださいよ」と言いながら降りていってしまった。
「バカか」
 私は言った。
「何しに来たんだよ、あいつ」
 つづけて私が言うと、浩介が「麦茶でも持ってくるつもりが、その前にトイレに行こうとしたら、足が勝手に階段のぼっちゃって、麦茶はどこかに置きっぱなしになったとか、そんなところなんじゃないの」と言っていると、そのとおりで、森中と入れ換わりで綾子がお盆に麦茶を載せてやって来た。
「何がおかしいのよ」
 と笑われて、綾子が言うから私はわけを話した。綾子は自分の分と合わせて三つのグラスをお盆にのせたまま部屋の真ん中の折り畳み式のテーブルに置いて、定位置になっている北向きの窓の脇にもたれかかり、私がしゃべっているあいだはただミケを爪で軽くひっかいたりしているだけで、
「森中って、由香里ちゃんと話すときだけ、全然しゃべり方が違うのよ。
 お兄さんぶっちゃってるんだから、バカだよね」
 と言った。
「お兄さんぶるって、どういう感じ?」
「口じゃあ言えない」
「じゃあ、おれと浩介は、お兄さんぶってる森中のことを一生見れないわけだ」
 綾子はただ黙って、今度はさっき森中が腰掛けていたあたりから見える空を見ていた。ふつうだったら返事はしなくても、そのかわりの笑みぐらいは口許に浮かべて見せるものだが、私が、
「ということは、森中も仕事でよそに行けばそれなりの口のきき方をしてるってことだ」
 と言うと、浩介が「それは違う」と言って、
「なっ」
 と、綾子に同意を求めたが綾子はただ外を眺めていた。浩介は綾子の無反応にあきれた様子も見せず、私を見て、「あいつは上司でも誰でもあの調子だった」と言った。
「だから嫌われる相手には全然ダメだけど、おもしろがられると相当好かれるんだよ」
「その森中が由香里にだけしゃべり方が全然違うっていうのはどういうわけだよ」
 私が言うと、浩介が、
「恋愛だったりして」
 と、言ったけれど、
「まさか」
 と、綾子が言った。綾子の口調はわざわざ断定するときのような強さは何もなくて、たとえば頭の上を指して「何が見える?」と訊かれて、「空」とあたり前すぎることを無関心に答えるときのように無関心な「まさか」で、
「ホントにありえないって聞こえるな」
 と、私が言うと、綾子は前に伸ばした両足の爪のあたりを見ているだけだった。
 綾子のこの何とも言いがたく関心がどこにあるのか、いつそれてまた戻ってくるのかわからない態度を私は楽しみつつも、どうしてもまだ馴れることができないでいて、それがまたおもしろかったりするのだけれど、私と浩介がお互いの顔を見て、次に自分の爪先を見ている綾子を見て、またお互いの顔を見たりしているあいだに、綾子自身の自己イメージはどういう風になっているんだろうと思った。このあいだ私がこの家で一人で晩ごはんを食べながら、自分自身の姿を伯母のように感じたり伯父のように感じたりした自分の像のことで、こうして二階のこの部屋に三人の人間がいるあいだも、綾子の上の鴨居あたりから自分を含めた三人が見えているような気が全然しないわけではないのだけれど、そういう気分が綾子にはまるっきりないのではないかと思った。
 そうしていると今度は由香里が階段をトントンと、ちょっと猫のような軽い足音をたてて上がってきて、
「森中さん、うるさい」
 と言った。
「あたしがやること、横からいちいち口出したり手出したりするんだもん」
「ねっ」と綾子が私に言ったが、私はそれを聞いてクーとココの関係を連想した。クーが一歳半のときにココを拾って、クーはオスだけれどココのオシッコとウンチをなめて世話をして、はじめのそういう関係がクーとココの関係の基盤になってしまったせいか、クーはいまでも暇さえあればココのからだをなめてやっていて、普段はココもクーのしたいようにさせているのだけれど急にそれをうるさいと思うらしくて、前足でクーの顔を思いっきりひっぱたいてケンカがはじまったり、ココの気持ちが穏やかなときには事はケンカにまではいたらず、ココが一声威嚇するような声を出して、とっとこ太った胴を揺らして立ち去って、なめていたクーは一人残されたりする。クーはそのココを見送って、そのうちに手持ちぶさたをごまかすみたいに自分の前足をなめたりしはじめる。それは綾子が言うように、たしかに恋愛ではない。小学生が隣りにすわっている好きな女の子にあれこれちょっかい出すのには似ているかもしれないが、やっぱりそれも恋愛ではない。
 それが恋愛だというのなら、恋愛とは猫が身体をなめ合うようなものだとも、小学生が隣りの席の子に一日中ちょっかいを出すようなものだともいうことになって、恋愛とは動物の親しみの表現や子どもの関心の発露の延長にあるものということになってしまうのだけれど、それでいいのかどうか私にはわからない。つまり私は恋愛というものがどうしてもよくわからなくて、というか、人間の心というものがよくわからなくて、動物にあったものや子ども時代にあったものが大人になってなくなっているように見えるのはどうしてなのかと思う。人間の心の大半は動物からつづいているし、大人の心と同じものはほとんどすべて子どもにもある。
【しかし恋愛には必ずセックスが絡むわけでセックスを子どもは知らない。セックスをしてから別れるのと、セックスをするにいたる前に別れるのとでは、セックスをしてから別れる方が絶対につらいということを私は経験で知っている。私の二十代はそのつらさにずうっと悩まされていたようなものだった。セックスは猫が体をなめたり、小学生がちょっかい出したりすることの延長にあるようでいて、行為にともなう心と体の快感は全然違っていて、延長とはとても思えない。猫や犬に一年の特定の期間だけ、発情というプログラムが作動するように、セックスにともなう感情は日常に起こる喜怒哀楽や子どもがすでに持っている大人と同質の感情とは全然別系統の、特殊なプログラムなのではないかと思う。しかしその本来別系統の特殊なプログラムが人間の大人では、中心に居すわっているように見えることが多くなって、セックスに衝き動かされると人間はとんでもない策略を練ったりしはじめるから、もう本当に私にはわからなくなるのだけれど、】
(【 】の部分は赤の斜線で消した上に「カット」と書いてあります)
 ところで由香里は、真ん中の折りたたみテーブルのところにすわって、森中がいちいち口を出して、そっちじゃなくてこっとだとかこっちじゃなくてそっちと言って、由香里のマウスをとりあげたりして、それがうるさいのもともかく、森中の大きな体から熱が出てるから暑くてたまらないというようなことを三人に訴えるようにしばらくしゃべってから、
「内田さん十日ぐらい目に、スプーン曲げの話したでしょ」と言い出した。「そうだっけ」と私は言った。聞いた話は新しい入力だから憶えているが、自分でしゃべった話は古い情報だからしゃべったということを忘れる。
「言ったの。スプーン曲げを信じない人はテレビ局のスタジオの中でもどこでも『曲げて見せろ』って言うけど、スプーン曲げにかぎらず一回しかできないことだってあるし、よっぽどコンディションがよくなかったらできないことっていうのがいっぱいあるんだから、みんなが見てる前で『もう一度やって見せろ』って言われて、それができなかったからと言ってスプーン曲げが嘘だと言うことにはならないって」
「それはいかにも私が言いそうなことで、しかも由香里が考えそうなことではないのだから、たしかに私が言ったのだろう」と言うと、浩介が「言った、言った。たしかに言った」と口を出してきて、私はでもそれはスプーン曲げの話をしたかったわけではないと言った。
「じゃあ何だったの?」
「それはきっと小説家という職業の話だったじゃないのか」と私は言った。
 つまり、私は小説家でいままで十年間小説を書いてきたけれど、これからもずうっと書いていけるという保証はどこにもない。実際いまは小説を書かずに別のことばっかりやっているわけだけれど、かりにいまが小説を書いている最中だとしても毎日同じように書けるわけではなくて、同じ場面を書いていたとしてもいろいろ考えが浮かぶ日と全然浮かばない日がある。という話がそのとき言いたかったことのメインの話題のはずで、そのついでに私はスプーン曲げの話を持ち出して、スプーン曲げというのはやっぱり特殊な能力なんだから、いつも曲げられるわけではないはずで、「超能力があるというんだったら、どんな条件でも曲げられなかったらおかしい」と言う人たちは、能力というのがいつも一定なわけではなくて、それを維持することがすごく難しいんだということを知らない人間なんだ、ということを言いたかったんだろうと私が言うと、
「そうかなあ」
 と浩介が笑って、「おれにも小説家の話じゃなくて、スプーン曲げの話に聞こえたけどね」と言った。
「じゃあ、スプーン曲げじゃなくて野球選手のスランプと好調の話にでもしておけばよかったんだな」
「おんなじじゃんよ」
「どこが?」
「喩え話を持ち出すときっていうのは、本題よりも喩え話の方にリアリティを感じてるもんなんだって話、内田さん、あんた得意じゃん。だから経営者を家康タイプ信長タイプ秀吉タイプにわけたがる人は、経営のことじゃなくて戦国武将のことをいつも考えるんだって。だからあんたは、自分が書けないときは『野球選手にもスランプはある』とか『スプーンだっていつも曲げられるわけじゃない』とか思ってるんだよ」
「いまの理屈わかった?」と私は由香里に訊いた。
「うん。
 内田さんが本気にしてなかったら、スプーン曲げの話なんか出してこないってことでしょ」
「まあそういうことだ」と私は由香里だけでなく浩介にも答えるような気分で言って、
「で、スプーン曲げがどうしたんだよ」と話を元に戻した。
「スプーン曲げのことじゃなくて」
「なんだよ」私は笑ってしまった。
「スプーン曲げの話したときに、『一回しか起きないことだってある』って言ったでしょ。
 何の話か忘れちゃったんだけど、内田さん、前にも、一回しか起きないからって言って一度も起きてないことと同じにしちゃいけないとか、一回起きたら一度も起きないことと全然違うとか、そういう話しましたよねえ」
「この人はしょっちゅうそんな話ばっかりしている」と横から浩介が言って、綾子に目をやった。綾子はさっき由香里が手渡してくれた麦茶のグラスを腰の左脇の畳に置いて、右手の人差指で寝ているミケの耳のつけ根や顎の下あたりをこちょこちょと撫でたり軽く掻いてやったりしていた。クーとココは襖の向こうの妻の部屋で一メートルくらいのくっつかず離れずの位置関係で寝ているはずだった。私は由香里が上がってきてからまたチャーちゃんのことを考えていなかったことに思いあたり、「一回しか起きないこと」というのをしゃべったときにチャーちゃんのことがアタマにあったのかどうかと思ってみた。話したこと自体は定かでないけれど、その話をしたときにはチャーちゃんのことを考えていたのだろうと思った。由香里の言うようなことを言ったかどうかまたもおぼえていなかったが浩介の言うとおりなのは間違っていないから私が頷くだけで何もしゃべらないでいると、由香里は話をつづけた。
「一回しか起きなかったことって、あとになってわかることで、そのときには二回目も三回目も起きるかどうかわからないってことが言いたかった。っていうわけじゃないんでしょ?」
「回数の問題じゃない」と私は言った。
 この世界には一度しかあらわれないことがある。というか、人間がいったい世界とどの程度かかわることができているのかという問題で、かりに世界ではひんぱんに起きているとしても、人間はそれを一度しか目撃できないと考えることだってできる、と私が言うと、
「その『世界』って、何なんだよ」
 と浩介が言った。
「世界は世界だよ」
「だって、そんなこと言い出したら、あんたの思う世界ではあらゆることが起きてることになっちゃうじゃないか」
「世界の法則は人間が決めたわけじゃないからな」と私は言った。
 もちろん世界にも法則はあるから、一度割れたコップがいつのまに元に戻っているというようなことはないだろう。しかしともかく、世界それ自体の法則と人間が経験や観察や洞察から導き出した人間に理解可能な世界の法則とは別だ。世界は複雑すぎて人間はそこから理解可能な側面だけを抜き出して、世界を理解したつもりになっているだけだと、そういう意味のことを私が言うと、
「話としてはおもしろいんだけど」
 と浩介が言うのと同時に、
「お風呂場の”一回だけ”はどういうことになるわけ?」
 と由香里が言い、すぐに綾子が、
「もー、その話は怖いんだから、やめてよ」
 と言った。
「ねえ、昼間でもそんなに怖いの?」
「昼間だって、夜に思い出したら同じことじゃない」
 綾子はこんなことをしゃべるときでもいまこの場に気持ちがないような調子だった。
 由香里はいまはじめて私に向かってこの話をしたことになるのだけれど、そういうことを意識している様子はなくて、さっきの浩介の、小説家である私のことを由香里たち三人が怖がっているという解釈もあやしいものだと思った。たんに三人がこれを話題にするタイミングと私がいるタイミングがズレていただけなのかもしれなくて、私はたしかにきのうまでの三日間は三日とも四時すぎになると横浜球場に出掛けていた。
「でも、奈緒子さんって人が見たあとでもこの家の人たちはふつうにしてたんでしょ」
 と、由香里がたぶん綾子の「怖いんだからやめてよ」にさらに答えるつもりで言った。
「奈緒子姉ちゃんのことだから誰も信じなかったんだよ」
 と私が言うと、浩介が「アハッ」と笑った。
「どうしてそれでおわっちゃうの?」
「だからそういう人たちなんだよ」と私が言うと、浩介はまた「アハハッ」と笑って、
「浩介の笑いがすべてを説明してるんだよ」
 と私は言ったのだけれど、由香里が全然納得していないので、私はさらに、
「物事を不思議に思って、確かめようとかきちんと調べようとか、そういうことを全然思わない家族なんだよな」
 と言った。
「でも調べるって言っても、どうやって調べられるわけ?」
「三十年以上前の話だからな」
「そうじゃなくて」と由香里が言った。
「一回しか起きないことだったら調べることなんかできないでしょ。
 そういうことを内田さんがどう考えてるのかって、あたしわかんなくて——」
「いいこと言うねえ」と私は言って、さっきの浩介の解釈はやっぱり本当かもしれないとまた考えを変えた。あんまり素朴なことを言ったらバカにされると思って、由香里は由香里なりに理論武装してこの話題を持ち出したのかもしれないということだけれど、それも偶然で、日が経つうちに考えが複雑になったそのタイミングでしゃべったのがたまたま今日だったということも当然考えられた。
 そんなことを考えて今度は綾子がすわっている方の北の窓から外を眺めていると、浩介が「ほらまた」と笑ったけれど、
「仏頂面じゃなかっただろ」
 と、私は答えた。自分がどういう顔つきをしているのか、この部屋に漂よう視線によって逐一把握できているみたいだった。私はそれをずうっと「見える」という言葉で考えてきたけれど、こういう気持ちの状態に「見える」という言葉は正しくないのかもしれないと思った。人間は思考の大半が視覚に起因しているために、たとえば方向感覚とか都市の建物の配置の把握のように、視覚だけではどうにもならないような思考のある様態のことをついつい「見える」と感じてしまうのだけれど、思考の「見る」ことによって成熟した部分が作動しているのだとしたら、それは当然「見える」とは違う。もちろん人間は自分の姿が見えているわけではないのだけれど、自己像にまつわるメカニズムは複雑なフィードバック機構に支えられている。
「いいこと言うねえじゃなくて、もっとちゃんと何か言ってください」
 と、由香里に促されて、私は、
「聖アウグスティヌスっていう、五世紀の哲学者がねえ、いいこと言ってんだよ」
 と言った。
「神っていうのは、見たり聞いたりできるものではない。かと言って、夢や幻覚のようなものの中で感じられるものではない。何故なら夢や幻覚で感じるのも、見たり聞いたりするときと同じ器官を使って感じるからで、そういう感覚器官を使わずに、神というのは精神そのもので知ろうとしなければいけない——て」
 浩介は音を出せずに左手の指でギターの弦だけを押さえていて、綾子は両手でワンピースの裾を引っぱりながら伸ばした両足の爪先に目をやっていた。由香里は真ん中の折りたたみ式のテーブルにすわって真っ直ぐに私を見上げていた。いつもは前髪で額が隠れているが、パソコンを見るときにじゃまなのでくま手を小さくしたようなピンクのクリップで頭の上に止めていて、そのために広いおでこがまるまる見えていた。
「どういうことなんですか?」
「だからね、見えるとか見えないとかは本質的な問題じゃないんだよ。近代の人は見えるか見えないかとか、確かめられるか確かめられないかっていうことにすごく価値を置きたがるんだけど、世界を理解しようとする態度はそれだけが唯一絶対じゃないってことなんだよな。
 真っ暗闇の中ではまわりにある物が何も見えないけど、物がなくなったわけじゃない。『見える』って言ってもいろんな次元があって、3Dの画像なんて普通にしてたってごちゃごちゃしたモザイクかなんかにしか見えない。
 オバケを見たとか心霊写真に何かが写ってるとかっていうのは、3D以前の一番普通の『見える』『見えない』の話でしかないわけで、人間の知覚のメカニズムと知覚とは別に実在する世界の両方についての論理があったうえで、その二つを結びつけるために『見える』っていう現象を置くような、そういう考え方をしないと意味がないんじゃないかって——」
 由香里はだんだん難しい顔になりながらも私の話を理解しようとずうっと真っ直ぐに私を見つめていたけれど、浩介が「だから結局何が言いたいんだよ」と笑い出した。
「それじゃあもう完全に近代科学の否定だよ」
「否定じゃなくて、科学の限界の意識だよ」
「違うよ。『見える見えない』とか『確かめられるられない』とかと別の次元の世界が存在するなんて仮定は、完全に近代科学以前の神秘主義じゃない。実際に見えるかどうか以前に『その世界がある』って仮定しちゃってんだから、もう全然おかしいよ」
【じつはこういうきわめてまともな反論に私はきちんと答えられない。答えられない自分を自覚すると、さっき浩介が言ったとおり、チ】(【 】の部分は赤の斜線で消してあります)
「それはねえ——」
 と言って、私は答えに窮した。浩介の指摘はあまりにまっとうでもうほとんど反論の余地がないみたいに感じられて、いまここでは私にはこれ以上のことが思いつかなかった。しかしだからといって浩介のまともさに屈服してしまったわけではなくて、私は自分の考えがまだ全然まとまっていないというか、形になっていないというか、ビジョンがないというか、人に伝えるどころか自分が「つかんだ」と思えるインスピレーションの類いがまったくないというか、とにかく合理的な説明だけでは尽くせないことを語るのに必要なことを私自身がまだ何も手にしていないために結局浩介の拠って立つ論理や概念や用語と同じものしか持っていないということを実感したということなのだけれど、私が窮していると、
「だって、そういう別の世界ってあるんでしょ?」
 と、由香里があまりに素朴なことを言い出した。浩介は自分で答えずに私の答えをおもしろがって待っているように私を見た。私は由香里とその向こうにいる綾子もついでに見ながら、
「おれのいままでの話が、由香里が期待するような意味で、そういう世界とか現象が『ある』って、肯定してると誤解させたんだったら、ごめん」
 と言った。由香里は相変わらず真っ直ぐに私を見ながら目の表情だけで「どういうこと?」と語った。
「由香里はすごく軽い意味で『ある』とか『ない』とか言ってんだよ」と私は言った。
 由香里の目は大きくはないけれど縁がはっきりして切れ長でその奥に黒目がちの目があって、妻の理恵と同じだった。理恵とつき合いはじめてかれこれ十五年たつのでよくわかるのだが、この黒目がちの目は「純粋さ」という幻想をこちらに抱かせやすいのだけれど、内面と目の表情は関係ない。
「心霊現象があるとか超能力が『ある』とか言ったって、由香里の生活はそういうものが『ない』って言ってる人と全然変わらないわけだろ——」
「そんなことないんじゃないの?」
「あのね。
 百年前までか千年前までさかのぼるか知らないけど、先祖の霊とか恨んで死んだ人の霊とか極楽浄土とかが実在するってもっと本気で信じていた時代の人たちは、病気にかかったって医者よりも祈祷師にお祓いしてもらったりしていたわけだよ。
 そりゃあ今だって、どうしても治らないって言われると、お祓いしてもらったり、どこかの奇跡の水を汲んできたりするけど、いきなり医者にかからずにおまじないに頼る人たちとは、やっぱり全然違うわけじゃん。
『ある』っていうのは、そういう人たちが言うことで、由香里の思ってる『ある』は、なんて言うか、ふつうの世界にちょっと彩りをそえるだけの、アクセサリーみたいなものでしかないんだよ」
 私がそこまで言うと、浩介が「なんだよ。いきなりまともじゃないか」と言い、私は「しょうがねえじゃねえか」と言った。しかし由香里は納得しない顔で、
「じゃあなんで、さっきみたいにいろいろ難しいこと言って、あんなにこだわるんですか」
 と言ってきて、私は由香里を納得させられる簡単な言い方が見つけられなくて、まともに話すとなると私自身が何しろ何もつかんでいないのだから、ひどく長ったらしい言い訳しかできないと思って困っていると、浩介が、
「この叔父さんは、ああでもないこうでもないって、どんな問題でも否定もせず肯定もせず、珍しく肯定したかと思うとすぐにまた否定して——って、ずーっと考えてるのが趣味なんだよね」
 と、私の態度をからかったのだけれど、それが私には助け舟になって、
「叔母さんも同じこと言ってた」
 と、由香里は話の中身には納得しなくても私という人間のことは納得したらしかった。だからといってこれで由香里の話が終わるわけではなくて、由香里は依然、風呂場の床にあらわれた女の人の姿にこだわって、戦争の空襲で死んだ女の人の霊だったのかとか、心霊写真なんかでもいつも地縛霊が写るわけではなくて何かの調子で遠くの霊が一瞬引き寄せられることがあるらしいとか言っていたかと思うと、急に話がかわって「こっくりさん」の話をはじめて(私が「こっくりさん」なんかまだやるのかと驚くと浩介がだから今の子たちはなんでもありなんだよと言った)、一人ものすごく霊感の強い友達がいて、その子とやると怖くなるくらいに十円玉が動き回って、友達が失くした携帯の場所がわかったり、期末試験の出題箇所があたったりしたというような話をしたのだけれど、はじめに私から訊き質そうとしたときのような真剣さはどこにもなかったので、バラエティ番組のおしゃべり程度の雰囲気しかなかった。もっともその程度のおしゃべりでも綾子は「こっくりさん」という言葉が出るだけで、声に出さずに「もー」という口の形を作っていたことはいたけれど、陽がだいぶ傾いてきたので私は庭に水を撒きに出ることにした。

    【 以上225頁1行目から267頁15行目まで 】



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