≪『カンバセイション・ピース』(初稿)A・Bパ ターンについて≫
これは発表された『カンバセイション・ピース』の5章に相当する部分で、書いた時期が2002年の夏頃なのですでに記憶があやふやですが、4章のあとの展 開に行き詰まった証拠が、これから順次発表していくA・B2通りの初稿です。すでにこのサイトで発表している『カンバセイション・ピース』(初稿)の (8)までは、決定稿とあんまり変わっていないのですが、その後、AB2回原稿を破棄し、3回目に書いたものが、決定稿となったわけです。


『カンバセイション・ピース』(初稿)B パターン(その1)

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 夏の終わりが八月の末や九月のはじめに来るのは早すぎるけれど、その頃に必ず一度はたった数時間のうちにそれまでと空気がガラッと入れかわって、いっぺんに二月ぐらい季節が進んでしまったみたいに、はっとするくらいの冷気に包まれた朝や夜があるもので、そのときにもう夏も終わるんだなといったんは思いを あらたにすることになっているのだけれど、この年はそういうはっとする朝や夜がないまま九月が過ぎた。
 実際に何か忘れられないようなことが起こった夏なんて一度か二度しか記憶にないけれど、それでも夏が終わると思うとすぐ目の前にあった願いがかなえられなかったようなむなしさに既視感のように襲われることになっていたはずだったのに、ここ二、三十年のうちに年間の平均気温が上がった上がったともっぱら言 われるのをあまりに即物的に証明するように、暑い日がこんなに長くつづくとそういう気持ちも沸いてこないで、ただ涼しくなるのを待つばかりで、妻も朝出かけるときと帰ってきたときには必ず「暑くてヤんなっちゃう」と言っていて、
「こんなに暑いのに、オリンピックの選手は偉いわよね」
 と、ボケたことを言うからシドニーは季節が逆だと私は言った。
 地理がわからないというのはすごいもので、妻には時差がないのに季節が逆になる理屈が全然わからないらしく、「だってアトランタのときは気温四十度なん て言ってたじゃない」と反論してきて、由香里もア然とするしかなかったのだけれど、それはともかく、私と妻が涼しくなるのばかりを待っていたのは気候が変 わって夏がダラダラ長くなったことよりも、やっぱりそれに耐えられなくなった私と妻の年令のせいらしく、九月十一日に後期の授業が始まった由香里がTシャ ツが汗でしめりながらも「夏が終わった」と感じるのは仕方ないとしても、森中も午後の傾いた陽がもろに射す二階の窓の敷居に腰掛けてアロハシャツでだらだ ら汗を流しながら「もう夏も終わっちゃいますよ」と、居合わせた誰にでも文句を言うように言っていたし、綾子も真夏と同じ肩の紐をハサミで切ったらストン と地面まで落ちてしまいそうなワンピース一枚でタオル地のハンカチをいつも手に持って首や脇の下の汗を拭きながら、話の途中で不意に空を見て「夏と空が違 うよね」なんて言って、夏が過ぎていくのが名残り惜しそうだった。
 それで私より三つ年下の浩介はどうしていたのかと言うと、
「どんなに引っ張ってもいつか夏は終わることになってるんだよ」
 と言っていたのだけれど、それはもちろん無知な森中や綾子に自然の摂理を教えようというような意図からでは全然なくて、夏が終わったら秋と冬の服が必要 になるからだった。
 私や妻の理恵に何度か話しているように浩介はいまさら離婚しようとかいまここで離婚しようとは思っていなくて、その証拠に八月の旧盆のときにはすごく手 間のかかるやり方で奥さんと子ども二人を奥さんの実家のある群馬まで送り迎えもした。五月には夏の服をこっちに持って来るときに、ちゃんとそれまで着てい た服を家に持って帰っていた。というか五月六月くらいはまだ月に二、三度は家に帰っているようなことを言っていたが(本当はそうではなかったのかもしれな いが)、とにかくそういう曖昧なことをつづけているうちにどんどん家に帰りにくくなった。
 人間というのは、目の前に困ったことがあるときちんと困るけれど、その問題がいっこうに好転していなくても当面関係を持たないで済んでいたら、そんな問 題などはじめからまったくなかったかのようにしていることができるようになっていて、服の入れ替えがそろそろ必要になってくるのにつれて、また問題に直面 することになったというわけだったが、八月のあのときにはただ手間と時間を面倒くさがっていただけにしか見えなかった浩介が、あれから一ヵ月半たつあいだ に何が起こったのか、森中や綾子や由香里にもはっきりわかるくらいに困っていた。
「そんなに帰りたくないんだったら、スーツぐらい買っちゃえばいいじゃないですか。
 コナカとか青山とか行けば、一九八○円で売ってるじゃないですか」
「森中、おまえ一九八○円のスーツ着てるのか」
「やっぱりねえ」
「バカ言わないでくださいよ。いくらおれだって、そんな貧乏じゃないですよ。困りますよ。だいたいスーツ一着一九八○円なんて、オープンのときの客寄せに 決まってんじゃないですか。いくらおれだって、そんなオトリ広告にだまされたりしませんよ。でも、ホントに買うヤツがいるから困りますよ。だいたいねえ ――」
「おまえは『困る』の意味を間違って使ってる」
「困ったことないからね」綾子が言った。
「ありますよ。困ったことぐらいあるに決まってるじゃないですか。だから一九八○円はもののたとえじゃないですか。たとえばの話ですよ。
 だいたい、離婚するでもない、別居するでもない、社長はただだらだらぐずぐずうち家に帰るのを一日伸ばしにしてるだけじゃないですか。
 ガングロとかヤマンバの女子高生が友達のうち家に泊まり込んでるのと一緒じゃないですか。このあいだもテレビでやってましたよ。父親が娘の居場所にカメ ラと一緒に入ってくんだけど、娘は友達の部屋でもう一人といて、ドアに机かなんかバリケードみたいにして立てちゃって、『出てけッ、出てけッ』なんて手拍 子打って騒いじゃってて、心配してる父親がバカそのものでしたよ。
 あいつら風呂にも入んないで、三日も四日も友達の部屋でゲームしたりケータイいじったりしてて、もうどうしようもないっすよ。
 風呂に入らないでしょ。(と、森中は指を折って数えはじめた)化粧はあれでしょ。香水つけてるでしょ。厚底ブーツで足がくさいでしょ。四重苦ですよ。四 重苦。もう部屋の中のニオイったらすごいもんですよね。絶対」
「森中、話がそれてるよ」私は言った。
「それてなんかないっすよ、全然。だから社長がやってるのはコギャルと一緒なんですよ。
 マイクロソフトの話だって、『じゃあおまえ進めればァ』だもん」
「口真似するなよ」浩介が言った。
「しますよ。うち家のことどうすんですかって訊くと、『どーしよーかア』でしょ。
 で、マイクロソフトやっていいですねって訊いても、『いいよォ。おまえがやりたけりゃア』でしょ。
 だんだん内田さんに似てきたんだよな」
 そこで珍しく綾子が爆笑したから、
「笑うと調子にのるからやめろよ」私は言った。
「だって、そうだもん」
「ねッ、そうですよね。一年前はこうじゃなかったですよね。ここに引っ越すっていきなり言うからおれたちがなんでそんなところに引っ越すんですかって言う と、『もう決めちゃったから』って。ちゃんと決断してましたよね」
「決断……」
「決断ですよ。それもいきなり。社長にもそういう時代があったんですよ。いまなんか何言っても、『どーしよーかア』『じゃあやればァ』『うーんと ねェ、……』ばっかりじゃないですか」
「男の四十代は難しいんだよ」私は言った。
「なんすか、それ。更年期っすか」
「そんなようなもんだよ」
「マジっすか?」
 と言って、森中は立ち上がり、敷居をまたぎこして二歩三歩と畳の敷いてあるところに入ってきたが、すぐに向きを変えて元のところに戻った。不思議な反応 をするやつだと思って私が浩介を見ると、浩介が「汗でパンツがケツにくっついたんだろ」と言ったのだけれど、森中がこんなにしつこく浩介を責めるまで私は 浩介の変化を薄々にしか感じていなかった。
 というか、最近私は浩介といるのが前と比べてずいぶん居心地がいいように感じはじめていて、それをたんに一緒にいる時間が増えたのでお互いがテンポを合 わせやすくなっただけだぐらいに考えていたのだけれど、森中に浩介の変化を指摘されてみると、三十代半ばの頃に五、六才年上の知り合いとしゃべっていたと きの気分にちかいことに気がついた。あの頃私はわりとひんぱんに実家のある鎌倉に帰っていて、鎌倉で五、六才年上の小さな店をやったり一人で仕事をしたり している、ちょうどいまの浩介と同じぐらいだった彼らは、共通して諦観というか手づまりというか、このままでいいとは思っていないがだからといって何か打 開策があるわけではなく、三十才ぐらいだったらそういう現状に対して持っていた焦りみたいなものが出てこなくて……という、そういう雰囲気の全体が寛容さ に転化したような感じだった。
 つまり私はかつて自分より年上の人たちの中に見ていたのと同じものを、十年たって年下の浩介に見ていたということらしかった。三十になっても四十になっ てもスラリとした二十代前半の女性を見ると、そういうお姉さんのことを「いいなあ」と思って見ていた高校生の頃の気分に戻ってしまうのと同じような、ある いは英樹兄や奈緒子姉たちの前にいると自分がせいぜい中学生で止まってしまうのと同じような、年令を持たない自己イメージというか年令をいくつも持ってい る自己イメージというのが人といるときにたえず心の底で息づいているということなのだろうけれど、ところで鎌倉の年上の人たちの寛容さが十年たった今どう なっているのかと言うと、あの頃ほどではない。
 理由はたぶん体力によるもので、四十ぐらいだったら毎日人と会っていても疲れなかったものが、五十にちかづくとそういうわけにはいかなくなって会う相手 を少しずつ限るようになってくる。チャーちゃんが白血病を発病して、熱が高くて食欲もなかったところに検査のために脊髄の液まで取られて、いつでも機嫌が よくて私や妻から離れなかったのが急に一人で家具の陰なんかにかくれていたがることが多くなって、手でさわられるだけでもうっとうしそうに「うぅ……」と なかば威嚇するように唸っていたようなことまであって、あれ以来「いつも機嫌がいいっていうのは健康で体力があったからこそできることだったんだね」と妻 が言うようになったけれど、機嫌のよさと体力の関係はきっとそのまま人間にもあてはまる。
 鎌倉の人たちの寛容さが小さくなったといっても、それで気難しくなったわけではなくて、たまに会えばいまでも愛想よくしゃべったり飲んだりするけれど、 十年前のようにひんぱんに人と会わなくなった分だけ、手づまりの自分のことを噛みしめているような時間の積み重ねがにじみ出ている。会社に勤めて管理職に なっていたり、昔のような家族の中での父親として振る舞わなければならなかったとしたら、自分の内面の手づまりを隠すために気難しくなるしかないのかもし れないが、彼らのように会社にも属さず奥さんも働いているような場合には、自分はもうこうでしかないんだという自覚だけが強く出てきているように見える。
 単純に年令だけで区切るわけにはいかないのは当然だし鎌倉の人たちが中高年の標準と考えるにはだいぶ無理もあるが、それでも目安にはなって、彼らにあて はめてみれば私は四十あたりではじまる寛容さの中期か後期にいて、浩介は入口にいる。十代でも二十代でも年令とともに考え方や性格が変わることぐらいは考 えるものでまあたいていはその変化を怖れるわけだけれど、現実の四十才がこういう風になるとは考えない。
 それで森中には浩介や私がただのらくらしているようにしか見えなくて、私が、
「しかし森中こそどういう大人になるんだろうなあ」
 と言うと、「どういう大人になったっていいじゃないですか」と、当然森中は言い返してきた。
「大人ぐらい誰だってなりますよ。ていうか、もうとっくに大人になってますよ。そうやって話をはぐらかさないでくださいよ。
 大人っていうか、オヤジでしょ。オヤジなんかに死んでもなりませんよ」
「でもなるんだよね」
 と、浩介が森中ではなくて私に向かって言った。
「ここの猫だって、ミケみたいにピョンピョンとびはねて内田さんの足にまとわりついてばっかりいるようなのが、いつかクーやココみたいになるんだよね。そ んなの想像できないもんねえ」
 綾子は黙っていたが、それでも全然聞いていなかったわけではなくて、伸ばした脚の爪の先を見ながら「くっ」と笑った。綾子のうしろの北の窓の出っぱりに 寝ていたミケは思いがけないところで自分の名前が呼ばれたので、「くぅ……」と小さく鳴いて起きあがり、綾子の脚のところでごろんと横になって、ワンピー スの裾をカーテンにじゃれるように手でひっかけたり噛んだりしはじめて、「こらこら」と綾子に抱き上げられた。
「こんなやつと一緒にしないでくださいよ」
「人間の方が猫より業が深いからな」
 と私は言った。言ってから気がついたのだが、仏教は人間の自由意志やそれに類したことを否定してきたのかもしれない。しかしこういうことは私が気がつく 前にいろんな人が言っていることだし、私自信はじめて気がついたわけでもない。何度も読んでは忘れ、気がついては忘れるのだろうが、きっとそのうちに何か と結びついて少しは自分らしい考えになるのだなんて思っていると、森中が文句のついでに、
「猫にパソコンできないじゃないですか」
 と言い、浩介が「おまえはパソコンしかできない」と言ったのだけれど、
「いいこと言いますねえ」と、森中が予想外の返事をした。
「おれもじつはそう思ってたんですよ。パソコンの業界にいるやつらってパソコンしかできないじゃないですか。あんなやつらがどうして金持ちになったりする んだって思いますよね。やっぱり人間は農業やったり漁業やったりして、地道にちゃんと食べ物の確保からはじめないといけないっすよ」
 という森中の飛躍した話をいちいち追ってみても仕方なくて、それから浩介が秋から冬への服をどうしたのかというと、三日たっても四日たってもやっぱり取 りに行かずに「まずいよねえ」とか「もう行かなくちゃあ」とかばっかり言っていて、夜食事のあとで、
「じゃあ、あたしが一緒についていってあげるよ」
 と妻の理恵が言い出した。
「それはやっぱりまずいよねえ」
 浩介が苦笑しながら私に言った。
「じゃあ、この人に一緒に行ってもらいなさいよ」
 今度は私は「それもなあ……」と答えた。
「それも何よ」
「一緒に行ったらおおごと大事になっちゃうだろ?」
「そんなことないわよ。女同士だったら、きっと絶対そうしてると思うよ」
「浩介はいまこの状態を噛みしめてるところなんだから、自分でなんとかするよ」
「だから何にもなんとかしてないじゃない」
 妻がいちいち切り返すのがおかしくて、由香里は私を見ながら目だけで笑っていた。
「あたしは浩介君のことより奥さんと娘さんのこと考えてるのよ。浩介君がここで何をどれだけ噛みしめていようが、そんなこと何にも奥さんには伝わらない じゃない。
 別の女つくってると思ってるかもしれないし、服や荷物を全部置いたまんまもう帰ってこないつもりだと思ってるかもしれないじゃない。そんなの、かわいそ うだと思わないの?」
「いちいち理にかなっている」
 と、浩介が言ったが、それで何か決断したようには全然聞こえなくて、また由香里が目だけで笑った。妻は次の言葉を探しているのか、それとももうこれ以上 しゃべる気がなくなってしまったのか(もっともそれは考えにくいが)、そこで黙り、話のなりゆきをおもしろそうに聞いていた由香里も含めて、四人で少しの あいだ黙ってしまったのだけれど、そのうちに浩介が私を見て、
「全部投げ出したいと思ったことない?」
 と言った。
「おまえ、こんなときにそういうこと言うか」
 由香里は浩介の言葉に一瞬目を丸くして、私の返答にまた目で笑ったが、妻は「男の人って、ホント、ナルシシストなんだから」と言った。私は返事をつづけ た。つづけるしかない。
「投げ出したいと思ったことはないけど、ある朝目が覚めたらゼーンブ夢で、中学生か高校生に戻ってるってことがありえないのかって、感じたことは一時期 ちょくちょくあったな」
「一時期って?」と妻が訊いて、
「チャーちゃんが死んだあとしばらくだよ」と私は答えた【。しかし本当は、チャーちゃんが死んだあとの落ち込みからそれなりに立ち直った頃のことで、死ん だあとにはそういう気がきいたことさえ思いつかなかった。】(【 】の部分は赤の斜線で消し)のだけれど、
「そうじゃなくて、猫とは全然関係ないときじゃないの?」
 と浩介が言った。
「そうやって、すぐに自分に引きつけるなよ」
「ま、いいけどさ。『ゼーンブ夢でしたッ!』とか『投げ出したい』とかって、リアルなんだよね」
「奥さんがかわいそ」
 妻がおこっている調子でなく、テーブルのあたりを見つめてポツリと言ったので、かえってズシンときた。
「奥さんは一人で考えているのに、浩介君とかこの人は他人事みたいにぺちゃくちゃしゃべってて」
「そんなタマじゃないんだよね」
「どんなタマだって、行動起こす気もない人たちにああだこうだしゃべられてるのが、無責任で残酷だって、あたしは言ってるの」
 今度は二人でシュンとしてしまった。


(以上、406頁1行目から424頁4行目まで)



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