◆◇◆リレーエッセイ「あの頃の本たち」◆◇◆
茫漠たるものの重要性

季刊「読書のいずみ」(大学生協連合)第97号2003年12月発行


 老荘、つまり『老子』と『荘子』はいまでも高校の漢文の教科書に載っているんだろうか。だいいち、いまでも高校で漢文の授業そのものがあるんだろうか。そこがわからないからどうも心許ないのたが、老荘は高校生ぐらいの、茫漠として焦点の定まらない時期には一番適切な、思考することの道案内だったと思う。高校から大学へとつづく学生時代というのは、何もしないことが一番いいのだ。

 アルバイトをして社会を知ったような気になったところで、所詮アルバイトが見える程度の社会でしかないし、いろいろ文章が書けるからといって、雑誌で記事を書いたり、ウェブでいろいろ発表してみたりしても、これも“所詮”二十年ぐらいしか生きていない人の知識と経験に基づく文章でしかない。

「自分が何をやっていいのかわからない」「自分には何が向いているのかわからない」「自分の中にあるものを形に表わす手段が見えてこない」……そういう気持ちをかかえた状態で本でも読んでいるのが、学生時代というもので、そういう時期は普通は学生時代ぐらいしかなくて、社会人になってしまったら、大金を積んでも得られない。

「普通は」と、わざわざ書いたのは、小説家というのは生涯それにちかい生活を送る人間のことだからだが、小説家でなくてもそういう生活をしているプータローが私のまわりにはたくさんいる。それはともかく、二十歳やそこらで表現できるものなんてたいしたものではない。それは「内篇」「外篇」「雑篇」という三部構成になっている『荘子』の最初(つまり「内篇」の最初)にある、「逍遙遊篇」という章の、「北の果ての暗い海に住んでいる大きな魚」のことを知っているとよくわかる。

 その大きな魚はやがて化身して「鵬(ほう−ルビ)」という鳥になるのだが、その大きさは幾千里あるのか計り知れず、飛び立つときには三千里にわたる水面をうち、つむじ風とともに羽ばたきながら、九万里の高さに上昇して、六ヵ月間飛びつづける。それを見て、ひぐらしと小鳩は、「のんびりしたことじゃないか」と言ってあざ笑うのだが、彼らはあっという間に死んでしまう。小さい者はスケールの大きい者を理解することなんてできないのだ。

 私には若い人たちがさかんに社会に出たがっているように見えて仕方ないのだが(もっとも私の高校・大学時代の三十年前もその傾向はあったが)、そんな性急な価値観は『荘子』のどこにも書いてない。『荘子』は短命より長寿を良しとし、戦いより平和を良しとし、劇的なことより穏やかなことを良しとする。だから当然、「夭折の美学」みたいなものは『荘子』からは絶対に導き出されないわけで、若い頃は「夭折」ということが格好よく見えてしまいがちなものだけれど、そういう価値観が決して普遍的でないことも『荘子』から感じることができる。

 

 それでところで、「読書」という行為のことだが、読書は情報を得るためにするものではない。「情報」でなく、広く「知識」と言い換えてもいい。つまり、読書は知識を得るためにするものではない。

 インターネットによって本の存在価値が薄れたという話をしたがる人が多いけれど、それは「情報」「知識」の次元の話だ。「うまい店」とかはインターネットで代用可能だし、映画やコンサートの情報だってインターネットがあれば雑誌はいらない。そういうものの最たるものが百科事典で、昔、日本では百科事典ブームというのがあって、十何巻もある百科事典が一家に一セット、応接間の本棚なんかに並べられていたものだった。まあ、インターネット以前に百科事典はすたれてしまったけれど、百科事典くらい「読書」と「知識を得る」ことの違いが形になっているものもない。

 読書とは長い時間を費やして、ひとりの作家の思考をたどることだ。それが何の役に立つかなんてことは大事な問題ではない。

 一冊の本を何日も時間をかけて読んでいくという行為は、視覚には絶対に還元されることのない思考というものが厳然とあるということが体に染みるように実感されることで、こればっかりは読書経験の貧弱な人には絶対に理解できない。人間を人間たらしめている抽象という次元は、参考書にあるような視覚イメージを使ったチャートとは全然別物で、言葉と心の中にある茫漠として視覚ともいえないイメージの中にしかない。

 それこそがまさに「北の果ての暗い海に住んでいる大きな魚」で、断片化されている情報や知識をどれだけ掻き集めても、読書によって醸成される抽象的な次元にはならない。 

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