◆◇◆秋の日暮れは……◆◇◆
神奈川新聞2007年9月17日(月)リレーエッセイ「木もれ日」



 気がついたらすっかり秋になっていた。ついこのあいだまで夜七時でもまだ明るかったのに、いまでは六時すぎに外に出ると、もうとっぷり日が暮れていて虫 がさかんに鳴いている。
 この時期がいちばん弱いと感じる人は私だけではないだろう。最近は地球温暖化で夏が暑すぎるから、あの暑さから逃れられたと思うとホッとする気持ちもあ るけれど、それでもやっぱり九月の日没の早さは嫌だ。思いがけなく早く日が暮れてしまった道を歩いていると、わけもなく心細くなったり淋しくなったり感傷 的になったりしてくる。これは本当にもう「わけもなく」で、実生活で悩みや心配があったりするわけでは全然ないのだが、しかしやっぱり遠いところに「わ け」はある。人間が自然の一部だということだ。
 話は少しずれるが、私は雨の日は眠くて頭がボーッとして仕事にならない。どれだけ眠っても、頭の中に靄がかかっていて、読む字と頭の中にあるはずの考え が結びつかない。低気圧か湿度かのどちらかが脳内物質の分泌か何かと関係しているに違いない。私の妻はもっと深刻で、低気圧が接近すると頭痛になる。雷の 直前もたいてい頭痛になる。
 妻のような「頭痛持ち」はけっこういっぱいいて、人それぞれに違いはあるにしても確実に天候と関係している。その天候というのも自分の頭の上の気圧の変 化とは限らなくて、フィリピン辺りに台風がいるときに必ず激しい頭痛になるという人までいる。こういう話を聞くと、人間というのは間違いなく地球を取り巻 く大気と繋がっていると思う。科学は自然と人間との繋がりをまだ全然解明できていない。「ナノテクノロジーとか偉そうなことを言ってないで、俺の頭痛を治 せよ」これはもう一人の頭痛持ちの友達の口癖だ。
 というわけで人間は大気とも繋がっているし、太陽の光とも繋がっている。秋の日暮れにわけもなく淋しくなったり感傷的になったりしてしまうのには、わけ がないわけではない。
 

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