その5(最終回)
聞き手:けいと

ほさか■うん、で、こうじゃない書き出しを何種類かしてて、うまくいかなくて、それで、ここで、最初にきて、あ、この章(最終章)はこれだって、きてね、それで、第一段階が始まって、ここからどんどんどんどん急傾斜になていくんだよね。

 けいと■それで、今まで、書いてたの、忘れちゃってる感じ、だよね。

 ほさか■うーん、ある程度ね、忘れちゃってますよって言われれば、そうかなーって感じになっちゃうわな。

 けいと■一冊の本を通して読む感じと、こんな風に、雑誌で発表されるのを、期間をおきながら読むのとでは、ちょっと違うよね。だから人によっては、全部出てからじゃないと読まないって人もいるじゃない。一回、期間を分けてちょっとずつ、その文章に出合っちゃうと、もう二度と、つながったひとつの小説の中でのその文章と、はじめて出会うという体験はできないじゃない、だから、そうやって、出合ってたらどうだったんだろうとかって思ったりもするよね。

 ほさか■でもそれはさ、飛び飛びに出合ったことがさ、まさに、この同時代なんだから。2002年の7月から2003年の4月までに、ここにいないとさ、その、飛び飛びに出合うということもできなかったんだから。そりゃ、やっぱり、ラッキーなんだよ。

 けいと■そういえば、その都度、ホームページの掲示板でも、なにかしら、ちょっと書いてたよね。

 ほさか■ま、あんまり書かないようにしてたけどね。

 けいと■何気なくは感じたわよね。じゃさ、しばらくは小説は書かないの?

 ほさか■おれ、結局ネタためても、ためたネタでは書かないからさ。でも、たまんないと書かないっていうのもあるからねえ。うーん、しばらくは書かないと思うんだけど、ただ、やっぱり、書いてたいっていうのも、あるんだよね。やっぱり、もともとは小説書くの、好きだから小説家になったわけだからさ。だから、そのほんとの暇つぶしで、なんか短い面白気な話でも書こうかなーなんて思ったりしててさ。

 けいと■えー。ほんと?わあ、楽しみだね。暇つぶしなの?

 ほさか■うん、たとえばね、現実世界では、人間の寿命が70年で、猫の寿命が15年から20年じゃん。その逆の星があるとかさ、、、。寿命は逆なんだけど、人間と猫の力関係なんかは全然変わってなくて、人間が猫をかってやってて、猫は猫で、今とは、変わってないんだけどさ、あの、ただ寿命だけが逆転してる。

 けいと■おもしろそう、子ども向けでもいいかも。

 ほさか■はは、うん。あ、童話も書かなきゃいけないんだ。

 けいと■え、そうなの?あ、そういえば、ずーーと前にそんなこと言ってたよね。

 ほさか■うん、チャーちゃんの話ね。

 けいと■えー、はやく書いてよ。

 ほさか■それはね、筋だけはあるんだけど、わけてうまく言うのがなかなか大変なんだよね。

 がぶん■そういえば、前にほさかが言ってたこと覚えてるんだけどさ。なんか、小説発表するって時にはさ、スタイルとして違ってないとだめなんだよ。たとえば、一個目の小説発表するでしょ。で、二個目の時はさ、少なくとも、一個目とは完全に違うなにかがさ、なんか、新しい形じゃないとだめで、その都度、実験なんだよ。そういうなにか新しいものが思いつかないと、書く意味がないんだよ、ほさかにとっては。

 けいと■やっぱ、攻撃的だよねー。

 ほさか■うん、それはすっごい攻撃的だよ。

 けいと■だって、同じようなもの書いて、売れればいいってのとは、絶対ちがうもんね。毎回必ず、なんかあるよね。実際、同じようなの書いて出せば、読む方ってそれに、慣れるじゃない。慣れたり、共感するのってちょっと気持いいから、もっと読みたくなって買うんだよね。

 がぶん■それが大衆文学なんじゃないの。

 ほさか■たださ、ほんとに、筋のない書き方ってね、その、おれと小説との関係とか、おれと登場人物との関係とかさ、その都度、おれの小説観とかを変えていかないと、、、、まったく同じことをくり返しやってたら、もう、絶対飽きられてるよ。

 けいと■あ、そうかな。

 ほさか■筋なさ過ぎだからね。続編、、、まあ続続編までくらいはいいかもしれないけどね。くりかえしはできないよ。

 がぶん■そいういえばさ。このあいだ表紙のさ、、、、、。
(ここからずっと、雑談、、ヤフーで、ほさかのサイン本売ろうとか、、、)

 がぶん■で、もう終わり?

 ほさか■いや、まだだよ。

 がぶん■じゃあさ、今後の小説のこととかさ、

 ほさか■そういうのしゃべってたんだよ、さっきから。

 がぶん■もっとふくらませて。

 ほさか■あのー、たとえば、レインマンのダスティン・ホフマンが、障害があるがゆえに、別の能力がひらかれちゃったわけでしょ。で、そういう障害って、いろいろあって、失読症っていって、目では読めなくて人から読んでもらわないと、言葉を理解できない人っていうのが、いるんだけど、実はトム・クルーズも、そうでさ、『トップガン』の。

 がぶん■トムクルーズそうなの?

 ほさか■そうなの。みっちゃん(妻)の知り合いに、失読症調べてる人がいて、あと、小説家の『ガ−プの世界』のジョン・アービングも、そう。

 がぶん、けいと■えーーー!!

 ほさか■意外な人が、いるんだよね。あのさ、だから、世の中に信じがたくたくさん、障害を持ってる人がいるわけ。ところが、はたから見てわかんないくらいに、普通の活動ができたり、、、、でも、普通に思ってる、インプットして、アウトプットする、それをつなぐ脳っていうのが、その関係が、普通じゃ全然ない人が山ほどいるわけで、そういう人達が見て感じて聞いてる世界って、きっと全部ちがうわけじゃん。その、全部違う人達の感じを、山盛り盛り込んで、その感じが、なんかね、ひとつの曼陀羅みたいになって、読んだ人に、全然別の世界像が重ね合わせられて、違う世界が感じられるような、そういう小説っていうのが次の理想なんだよね。

 けいと■ふーん、そうなの。

 ほさか■なんでそんなこと思ったかっていうと、もちろん、トム・クルーズが失読症っていう驚きもあるんだけど、盲人用に朗読テープってあるでしょ。で、それで、おれの小説が今までに、「この人の閾」とか「生きる歓び」とか、いくつか、朗読されててさ、、、もっと、人気者だったら、全作朗読されてんだけど(笑)、、、で、そういうテープが届けられてきて、自分の耳から聞いてみると、全くイメージ違うわけね。
特に、「東京画」ってさ、見えるものかなり丁寧に書いてる話なんで、見えるものを丁寧に書いてたのを、読むって、目で見ることじゃん。ところが、耳で聞くっていうのは、目使ってないことなんだよね。そうするとね、見るのと聞くのとでは、目の役割がね、そこで読んでる、聞いてる時の、視覚の果たしてる役割が違ってんだよ。見えるものを丁寧に書いてることは、目の見えない人にとっては困ることなんじゃないかと思いながらも、むしろ、いいことなのかなとも思うわけ。おれも、両方どっちかわかんないわけなのよ。実際、そういう人に聞いてみてもいいんだけど。

 がぶん■今言ってんのは、視覚が生まれつきない人?

 ほさか■そうそう。で、そういう経験もあって、盲人用朗読テープから、自分の小説、耳で聞いたらさ、予想もしない変な感じだったんだよ。「すっごい変」ってわけでもないけどさ。ギャップがさ、ちっちゃいけど、大きいんだよね。

 がぶん■目が全く見えない人にとっては、ブロッコリーのような山、って言うのは、わかりやすいよね(笑)。

 けいと■うん。山なんてさわれないけど、ブロッコリーは触れるものね。

 ほさか■うん、うん。だから、そうやってさ、、、、感覚の違いってことには、、、、ともかく、たとえば、目の見えない人にしてもさ、どういう人に出会うかで、こっちの印象も違ってしまうじゃん、それが問題なんだよ。だから、わざわざ探して、知り合おうとは思わないわけ。紹介してもらったりとか。

 がぶん■でも、そういう人の感覚も知りたいでしょ?

 ほさか■知りたいは知りたいけど。

 がぶん■知りたいけど、言葉でいくら聞いたって、理解しきれないよね。

 けいと■見えちゃってるから。

 ほさか■そうなんだよ。で、そういうこと、しゃべるの、得意な人も、きっといると思う。でも、そういうのが、またろくなもんじゃないはずなんだよ。たいてい。

 けいと■目が見えないで括られてたって、その中にはいっぱいいるからね。

 ほさか■いやー、いい人もいりゃ、悪い人もいるんだよ。目が見えるとか、見えないとか、関係ないから。まったく一緒だから。

ま、ちょと、もどすと、、、その。小説の一人称ってものがさ、わかった気がしたんだよね。小説の一人称も、生きてる人間の一人称もさ、一緒なんだけど、一人称ってさ、「わたしお腹が痛いの」とか、「わたし、こんなに辛いの、もっと、わたしのこと、注意して」っていう「わたし」のことじゃなくて、ほんとに、見たり聞いたり感じたりするものが、わたしに向かって入ってきて、また出ていく、、、、世界の中にいるだけなんだけど、「わたし」っていうのは。そのわたしが何か働きかけなくても、働きかけなんかなにもしなくても、とにかく、見たり聞いたりしてるだけで、充分、わたしなんだよね。

で、それ以上の何かを、能動的にやろうとすることが、失敗のような感じで、、、、で、それはまだ、書き終わったところで、ちらっと、思ったことで、ほんとに、まだ、人に口走るようなことじゃないんだけど。それは、きっとね、小説の一人称の「わたし」ってのが、普通に生きているわたしと同じことで、「わたしお腹痛いの」のわたしじゃない、そんなことじゃないんだよ。

そういうものが、こう、、、木は、雲は、見られることで、なにか意味があるのかっていう、、わたしが木を見て、、、、わたしがいなくても、木はあるんだけど、でも、木はわたしに見られることで、なにか意味っていうか、なにか作用を受けるのかっていう、、、、なんか、そういうことを考えるためのもんなんだよね、わたしってさ。だから、そのことと、さっきの、失読症とかの、入力出力が普通にいってないような人たちの感じてることってのが、きっと、次に書くことの、モチーフというかさ、なにかなんだろうね。

 けいと■なんか、いつもほさかさんの言うことって、なんか、投げ出されてる感じで、わかるとまではいかないんだけど、なにかを考えるきっかけみたいなものを与えられるんだよね。世界とか、フレームとかを感じさせられるような何かを考えるきっかけね。

 ほさか■うん。そんなわけで、今年は人前で、話すことも多そうなんで、世田谷文学館でしゃべったり、母校に行ったりね。はは。家の中では仕事しないで。。。。

 

(そのあと、だらだらと雑談しながら終わりました) 


END