第六回

よく通る場所に新しい珈琲屋さんができていた。珈琲屋さんというと、珈琲豆を売る店とか、喫茶店でも、ちょっと渋めの落ち着いて暗めの店内を想像してしまうかもしれないけれど、そこは、シンプルモダンで光が溢れて、明るい雰囲気。店の前におかれた鉢植えのレモンの木が、まるで、つくりもののように綺麗でジャスミンのような白い花があふれるほどついているし、可愛い青い実も何個かなっていて、とても気になる店なのだけれど、コーヒーを飲む習慣のないわたしにとっては、なかなか入ることができず、でも、今日、思いきって行ってみた。感じのいい若いご主人がひとりでやっている狭いお店で、コーヒーの他にフレッシュジュースやパンなんかもあって、わたしは、レモンジュースをたのんだ。見てる前で、レモン一個をきゅーっとしぼって、氷のはいった小さなコップに、はちみつを添えてだしてくれたんだけれど、ほんとに、すごく美味しかった。生ジュースは自分でつくるより、人に作って出してもらった方がうんと美味しい気がするんだけれど、お客のひとりが言うのには、ここのコーヒー豆はもちろん、くだものやはちみつ、パンもご主人が特別にセレクトしたこだわりのものばかりなんだそう。
「前の鉢植え、レモンなんですか」と聞いてみたら、「あ、あれは、レモンじゃなくてレモンライムなんです」というこたえ。レモンとライムを交配させたやつということ。それで、よくよく見てたら、その鉢植えは、うちの庭にある木と同じということに気がついた。5年前に植木屋さんが、レモンの木ということで、植えていったんだけれど、なっている実も色も形も、やっはり、どこか実際のレモンとは違っていて、すだちでもない、ライムでもないし、やっぱり、レモンでもない、ということで、わからずじまいでいたんだけれど、それはレモンライムだったのだ。わかって、ほんとに、ほっとした。花とか、木の名前は、知らずにいても困ることもないのだけれど、知った瞬間に、なんともいえない充実したいい気持になる。
わたしは、庭の手入れはへたくそなんだけれど、花や木を見るのが大好きで、衝動的に買ってしまうものでいちばん多いのが鉢植えのお花だったりする。よその家の庭でも特に気に入った花をみつけると、次の年もおぼえていて、時期がくるとその場所にわざわざ見に行ったりするくらい。だから、まあ、花の名前も、けっこうよく知っているほうだと思うんだけれど、それでも、お茶で使われる茶花に関しては、ほんとにお粗末な知識しかない。雑草のようなものも多いんだけれど、「これは今はもう、なかなか見ることもできなくなったもので」なんて、先生たちがとってもありがたがるようなものも、名前すら聞いたことなかったりする。
お茶では、5月から10月までを風炉、11月から4月までが炉の季節となり、今の季節は初風炉(しょぶろ)といって、茶室の雰囲気ががらっと変わる。花も先月までは椿が多かったりしたのが、若葉が初々しいような花が多くなる感じ。こないだ床の間にいけられていたのは、「大山蓮華(おおやまれんげ)」という花で「茶花の王様」なんだそう。花の形は、名前からもわかるように、開くと蓮のようで、それは、つぼみだったので白い小さな卵のようで福々しくて気品があって、素敵な花だったけど、これも実物を見たのは初めてだった。
今月のはじめに、北鎌倉の「みのわ」という葛きりのお店のお茶室を借り切って、茶花のお稽古があった。花は今回は先生が用意してくれるということだったので、持っていかなかったけど、前回は自分でもってくるように、ということだったので、それも、「庭にはえてるものとか通りで見かけた雑草みたいなものとか、なんでもかまいませんから」と言う言葉を真に受けて、ほんとに、そうしたら、そんなのは、わたしだけだった。みんなは、紀ノ国屋の花屋に注文したりしてちゃんとしたものを用意していて、ビニール袋に入れた雑草をもっていたわたしは、ちょっと恥ずかしかったけど、先生は、その中にあったうちのそばの遊歩道の脇に長いこと枯れずにさいていた白い花がついた雑草を見て「これ、いいわね」とうれしそうにいってくれたので、よかったけど。
茶花の稽古の時は、先生が用意してくれたいろんな種類の「花入れ」を適当に選んで、また、花も様々な種類が入っているバケツからすきなものを選んでもってきて、思い思いにいけて、それを先生にみてもらって、なおしてもらったり、お花のことをいろいろ教えていただくのだ。茶花のお稽古に来る人達は、わたしが通っている曜日以外の人達も大勢いるので、知らない顔も多く、そういうところでいけるのは、はじめはちょっと緊張したりもするんだけれど、それでも、かわいらしい花をみつけてきて、どの花入れにいけようかな、などと考えてる時には、もうそんな気緊張感はみじんもなくなっている。
わたしは、数年前に、北条政子ゆかりの安養院という寺の小さな池の蓮の花を見てから、蓮が大好きになって、しかも匂いが芳しくて、言葉で言い表せないほどいいものって、こういうのなんじゃないかなーと思う。ちなみに安養院という名前は政子の戒名なんだって。蓮の花がすきなせいなのか、茶花で使われる花の中でも、わたしが特に気に入った花の名前は蓮の名前がつくものが多い。「大山蓮華」もそうだけれど、
「蓮華升麻(れんげしょうま)」は、楚々とした何気ない花で大好き。茎がすーっと伸びて先のほうに着く花は紫を帯びた白色で、うつむきぎみに咲く小さい花のかたちが蓮に似ているのでそういう名前がついたんだそう。茎が長いのでゆらゆらっとゆれると、なんとも風情がある。花もかわいいいんだけれど、蕾みはころんとした実のようなまんまるで、開きかけた花の姿は、ちょっとかまきりの足を思い出す。もともと「升麻」というのは、乾燥して、薬に使われたそうなのだけれど、「蓮華升麻」のほかに「泡盛升麻」「鳥足升麻」「晒菜升麻(さらしなしょうま)」「類葉升麻」というように何種類もあって、どれも、茶花にはよく使われる。
今回は、最初に細長い竹籠でいけた。いけやすそうなものを何種類か選んでもってきて、その中の二種類いれたところで、先生がきて、「あ、もう、これで、いいわよ。これ以上花の種類ふやさないほうがいいわね」と言って、形をちょいちょいと整えて、
「いい感じね、これここの床の間にあうわよ」といってまず、さらっと、一回目終了。
そこで、先生が「じゃあ、お茶でも一服どうぞ」というので、盆だてをしてるとなりの部屋でお茶をいただいていたら、わたしよりずっと長いこと習っている先輩が「ここの床の間のお花誰の?」と言うので、「わたしです」というと、「あら、まさか、もうこれで終わりじゃないわよね、そんなはずないわよね、これじゃあ、中途半端だわよ。お茶飲んだらはやく仕上げてしまいなさい」と言われちゃって、あんまり、自信たっぷりにいうので、先生に見てもらいました、とも言えず、ちょうど、先生はそこに居なかったので、あーよかった、と思いながらまた、やりなおすことにした。それを、またなおすのもなんなので、違う花でいけなおそうと、全部とりはずしているところに、またその先輩がやってきて、「あら、やりなおすところ?だったら、この花使うといいわよ」と言って、バケツに入っている花の中でも、いちばん大きな枝振りのオレンジ色の山ツツジをもってきたのだ。これだけはどうにもいけられそうにないな、と思う程、趣味じゃない花だったんだけれど、その先輩は「いい花でしょ、これわたし好きなのよ」と言うのだから、ほんとに、ひとぞれぞれ好みって違うものですよね。30分ほどその花と格闘してたら、先生が来て「枝振りがよすぎるわね」といって、思いきりよく、6割くらい枝をおとすと、驚く程、竹籠に映えてよくなった。先輩がまたやってきて、「なんで、こんなに枝おとしたのよ」て言ったらどうしよう、
と思ってみまわしたら、庭で帰り支度してるところでほっとしました。
 

END