○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
        
        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.17 2005.02.22
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

                 はじめに
                 
このごろよく見るんだけど、鎌倉の海の色が信じられないようなエメラルドクリーン
をしていて、今日、海岸沿いをバイクで走りながら、感嘆の声をあげてしまいました。
見たことないけど、きっと沖縄とか、ハワイの海の色みたいなんだと思う。信じられ
ないといえば、先週末、6年生の次女の隣のクラスの男の子が、棒の先にバッジみたい
なのをとりつけて、それを、ストーブで熱くして、クラスメイトの顔にくっつけて、
くっつけられた子の顔の皮が火傷でずるっとむけるという事件があったの。
やられた子の親は、「相手も悪気があった訳じゃないし」とかって言って、そんなに
怒ってないのね。なぜかというと、おおごとにして、めだつとはずがしいからという
ことなの。ばっかみたい!そういう腑抜けたこと言ってるから子どもが図に乗ってと
んでもないことが起こるのよ!やった子は陰で、「映画で見たことを、おもしろそう
だから真似してみた」って言ってて、その上、ひとりやってみたらうまくいったから、
もうひとりやって、結局ふたりの男の子の顔に火傷をおわせてるんだよ。
ご挨拶らしくなくて、ごめんなさいね。(けいと)

◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆

 ●ねこちゃん話 その8 「みさきちゃん小さくなる:前と中の間編」 まゆ子
 ●連載:極楽月記 vol.09「それでは、お言葉に甘えまして、私から事故紹介させ
  ていただきます」 がぶん@@
 ●連載:<ひなたBOOKの栞>BOOK13:けいと
  「むく鳥のゆめ」  浜田廣介 作  網中いづる 絵  (集英社)
 ●「そらめめ」 くま
 ●小説「カンバセイションピース」初稿:その7      保坂和志

**************************************
               
                募集します!          
     ・メルマガ版ピナンポ原稿:小説・エッセイ・論評・詩歌など
      枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
     ・猫遊録掲載ネコ写真jpegでお願いします(3枚まで)    
     ・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを! 
              gabun@k-hosaka.com
  保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com

**************************************

●ねこちゃん話 その8 「みさきちゃん小さくなる:前と中の間編」 まゆ子
   こちらからどうぞ
       ↓
http://www.k-hosaka.com/nekobana/08/nekobana08.html

************************************************END*************************

●連載:極楽月記 vol.09「それでは、お言葉に甘えまして、私から事故紹介させ
             ていただきます」     がぶん@@
             
、、、というわけで、時系列に沿って交通事故体験のお話をさせていただきます。
まずは赤ちゃんだったころ、といっても赤ちゃんだったのは弟のがじん君で、ぼくは
中一だった思う。がじんが「ドライブちゅれてってくだちゃい!」、っていうような
目つきをした気がしたので、ボクはもちろん無免許でしたが、こっそり父の車でドラ
イブに出かけちゃったんです。なぜか運転はできたんですね。バブバブとか言ってる
がじんを助手席に置いてそのまま辺りを一周してきただけなんですけど、途中ちょっ
とブレーキを踏んだつもりが、やっぱりそこはまだあどけない中一なもんで、かなり
の急ブレーキになってしまい、がじんが座席からゴロンとダッシュボードの下のほう
に転げ落ち、ギャギャー泣き始めちゃったんです。ボクはあわててがじんを拾い上げ、
涙と砂ぼこりでぐしゃぐしゃになっている顔を自分のTシャツの裾でゴシゴシこすり、
、、それでもしばらく泣きやまなかったんですけど、体をあっちこっち確かめてもど
うやらケガはしていない様子でほっとして、また走り出しました。今度は落っこちな
いように左腕で押さえながら慎重に慎重に片手運転、するとがじんはもう笑い始めて、
、、いやぁハッピーエンドでよかったよかった。えー、それでおしまいです。ま、事
故ってのはがじんが転げ落ちたってことでして、拡大解釈すればこれも交通事故みた
いなもんですから。でも、帰ってから両親にえらく怒られたことを覚えてます。でも
でも、がじんはきっと何にも覚えてないよねぇ。
次に、ボクが中二の時に実家の目の前の国道1号線でバイクに跳ねられたこともあり
ますが、結果、左手の小指の骨の亀裂骨折で済んだだけで、それ以上面白い話になり
ませんのでこれはこれでおしまい。
さて、ボクが24歳くらいの頃ですが人をひき殺しそうになったことがあります。
真夜中の国道を100キロくらいのスピードで走っていて、不意に真正面を横切る人
を発見。そこで急ブレーキをかけながら思い切ってハンドルを左に切ったんですが、
ほんとにギリギリで、その人の持っていたセカンドバックを右のサイドミラーで引き
ちぎり、ボクの車はそのままガードレールに突っ込んでしまいました。新車だった車
は全損でしたが、私もその人(婦人)もケガひとつしませんでした。もっともそのご
婦人はセカンドバッグの持ち手を引きちぎられたんで、ちょっと腕が痛いとか言って
ましたけど。それはともかく、直前までまったく人影に気づかなかったんです。なぜ
なら、その人は通夜帰りの喪服(洋装)姿で、上から下まで真っ黒だったんですよね。
まったく真夜中のカラスみたいなもんだぞ、あぶないじゃないか! 
それから、ボクが30歳くらいの頃だったでしょうか、これは本当に死んじゃったか
も知れないという事故もあります。もっとも死んじゃったかも知れなかったのは、運
転していたボクというより、特に助手席に座っていた夏掘君という同級生兼、当時の
仕事上の同僚です。それもやっぱり夜中で、今度は街燈のない道を120キロくらい
で飛ばしていました。藤沢の田舎のほうの工場地帯で直線道路でしたが、その道路の
左脇(といっても道路自体があまり広くないので、たぶん道路幅の半分近くを占めて
いたと思う)に、20トン車くらいのバカでかいトラックが無灯火で駐車していたん
です。二人でなんかのことで大笑いしながら走っていて、まったくそのトラックの存
在に気がつかなかったんです。気づいたのはボクじゃなく助手席の夏堀君で「あ〜〜
〜〜っ!!」と叫び、それで気づいた時には、もうトラックの後尾は目前に迫ってお
り、あわててブレーキを踏みながらハンドルを右に切ったんですけど、やっぱり間に
合いませんでした。ボクたちの車はトラックの後尾にかなりの速度で突っ込んでしま
いました。その瞬間ものすごい衝撃を感じました。それもそのはずトラックの右角の
ケツがボンネットの上部を砕きながら、そのままフロントガラスを突き破り、助手席
の背もたれを突き破ったところで止まったんです。ボクの顔から15センチくらい真
横にトラックの右側のボディーが見え、とっさに「あっ、夏堀君は死んじゃった」と
思いました。ところが彼は、奇跡的にというか反応素早くというか、助手席のフロア
に体を丸めるように沈み込んでいて、彼の頭上すれすれにトラックのボディの底面が
ありました。で、なんと夏堀君も私もまったくの無傷。でもやっぱり車は全損でした。
いやぁものすごい衝突だったのだと後から思ったんですが、こっちの車は普通の乗用
車で、相手は超大型車。だもんで、トラックのボディと道路のすき間に、こっちの車
が滑り込むというかガチャとハマるような格好で止まったんですね。もうちょっとト
ラックの車高が低いか、こっちの車高が高かったらそれはもう完全にアウトだったと
思います。で、事故直後、そのハマッちゃった車がとれなくて大騒ぎだったのを覚え
てます。幸いエンジンはまだ生きていて思いきりバックするんだけれど全然動かず。
で、夏堀君がもうめちゃくちゃになってるボンネットの上に乗って体重を掛けながら
上下に飛び跳ね、その荷重でわずかにこちらの車の車高が下がるすきに、ギギギッと
引き抜くことが出来たってわけです。でも動いたのはそこまでで、車はやっぱり全損
でした。
さて、30歳過ぎてから中型バイクの免許をとったんですが、転倒はたぶん4〜5回
だと思います。おかげさまで打撲以上のケガはありませんが、つまらないことでかか
とのお肉が、つまりかかとがとれそうになったことはあります。なんのことはありま
せん、ラフロードバイクのキックスタータをゴム草履のまま踏み下ろして、いわゆる
ケッチン喰らったんです。不思議なことにただ痺れているだけで全然痛くないんです
が、見るとそれはもう悲惨、バックリ傷口が広がり血は出放題、、あ、かかと取れち
ゃうと思い、あわてて手で押さえたことを覚えています。たぶん20針くらい縫った
と思います。
あとは、雪の日にわざわざ原チャリで出かけるような微冒険家なボクなもんで、何度
か滑って転んでます。特に鎌倉山から七里ヶ浜住宅地に抜ける一方通行の急坂は雨が
降っただけで滑るくらいなもんで、雪とくりゃあそりゃまあよく滑る滑る。倒れたま
ま原チャリと一緒に20メートル以上は滑り落ちたと思います。相変わらずケガはし
ませんでしたが、ダウンジャケットが全損でした。
というわけですが、、ついこないだの原チャリもらい事故は、かなり久しぶりの事故
だった思います。
ただあれほど頭に来た事故はありません。直線道路を普通に走っていただけで、急に
車が飛び出し、ボクの左足とバイクのボディにぶつかったんです。ですからボクは気
づくヒマもないわけで、進路変更もしていないしブレーキもかけていません。でもっ
てその衝撃で当然転倒したわけなのですが、なんと、その相手の運転車は、「私は関
係ありません。ぶつけていませんから。あなたが勝手に転んだんじゃありませんか!
 いいがかりはよして下さい」っていうんです。もちろん検証にやってきた警察官に
 もそう言ってるんです。
ふざけたヤツです。警察官は彼女に向かってこういいます。「接触しようましまいが、
あなたの車が原因でバイクが転倒したことは確かなんです。それだけでもう関係ない
とは言えないんです。あたなは立派な加害者になるんです」
しばらくして、缶コーヒーを買っていると、その彼女がやってきて、隣に亭主だと名
乗る男もどこからか駆けつけてきていて、ボクに謝りたいという。おそらく警察に諭
されたんでしょうが。
ボクは断りました。
「謝ってなんか欲しくないね。だって、あなたは自分は接触したつもりがないし、本
当は関係ないと思っているじゃないの。そんなヤツに謝られてなにがうれしいのよ」
といってボクはその場を立ち去りました。警察官は何度も「本当に病院に行かなくて
いいんですか?」と尋ねたけど、「いいんです、めんどくさいから」と断り、「それ
じゃ人身事故扱いになりませんから、警察のほうではなにもできませんよ」という言
葉も「はいはいけっこうです」と受け流した。
結局、その相手のダンナと話をし、バイクを修理するということだけで話をつけて帰
って来た。
その夜、電話が鳴り、出るとそのダンナ。どうしても女房が謝りたいというので、、
、と。
「さっきは生意気な口を聞いてすみませんでした」
「もういいよ」
「じゃ、バイクを直すってことだけでよろしいんすか」
「ああ、そうして」
「どうもすみませんでした、、、ところで、高瀬さんは昭和38年生まれなんですっ
てね?」
「ん? なに言ってんのあんた」
「いえ、私が39年生まれなもんで、同じくらいの年だったんだって」
「オレは昭和25年生まれの55歳だよ、いったい誰に聞いたのそんなことよ、どう
見たってそうは見えないだろがよ」
「えー、そうですよねぇ。でも、お巡りさんがそう言ってたもんで」
「なにをバカなことを、、免許証にちゃんと書いてあるし」
、、、、、、で、そんなこんなを話してると、、、、
「私、生まれも育ちも腰越で、昔ッからやってるKっていう畳屋の娘なんですよ」
なんて、聞いてもいない関係ない話をし出した。
そればかりか、腰越近辺に住む人たちの話まで、、、。
で、、、腰越はヤクザが多くて、、という話になぜか至り、、、
「Mさんっていう同い年ぐらいのヤクザの親分さんがいて、今でも時々連絡とりあっ
たりしてて、、、。」
「なにっ、Mだ? そりゃオレの弟の兄弟分だけど、、、、」
「えっ、、なに、、Mさんの友達の高瀬くんなら知ってるけど、、えっ、、高瀬さん
て、、あの高瀬くんのお兄さんなんですか? マジですかぁぁ?」
「なんだよあんた、雅人(まさと=がじん)知ってるのか?」
「はい、高瀬くんのことは中学生ぐらいの時から知ってます」
「まじかよっ!、、ってこっちが聞きたい!」
「まじですっ」
「あらら」
、、、、、、、、、、となんか変な具合になりました。
というわけでまあ、生きている限り交通事故の危険は避けられないわけで、やっぱり
「人生はからだに悪い」という結論が出ました。
みなさん、「人生はあなたの健康を損なうおそれがありますので、生き過ぎに注意し
ましょう!
死に際マナーを守りましょう」

*************************************************END***********************

●連載:<ひなたBOOKの栞>BOOK13  けいと

「むく鳥のゆめ」  浜田廣介 作  網中いづる 絵  (集英社)
小学生のころ、学校から家に帰る途中で、道端に小さな宇宙人のお人形が落ちていた
ので拾ったら、妙にぬるぬるしてて、なんだろうこれ?と思ったとたんにそれが動い
たので、びっくりしたことがある。結局、それは生まれたばかりで、巣から落ちたら
しい小鳥だったんだけれど、うちに帰るまでに、動かなくなってしまって、途中で会っ
た知合いのおねえちゃんに「その鳥のあかちゃん、死んじゃってるよ」と言われたの
で、近くの空き地でうめてあげた。
北海道に住んでいた子ども時代には、巣から落ちたからすのあかちゃんを兄が拾って
きたこともあった。結局、何年たっても飛ぶことはできなかったけれど、「おはよう」
と言葉を話すほどに成長したし、怪我をしたタカを父が助けて、生肉しか食べないの
で大変だったけれど、数カ月育て、森に返してやったことがある。それに、獣医だっ
たおじいちゃんの部屋には、白いふくろうの剥製があって、怖いけど、とても綺麗で
いつも見にいってたし、川の真ん中にたっている白鷺をみつけると、必ず、感激で胸
がどきどきして目が離せなくなるくらい。きっと、わたしと鳥とは縁があるんじゃな
いかなと、思っている。
そういえば、こんなこと書いてたら急に思い出したんだけれど、中三のとき、はじめ
て両思いになった男の子からラブレターをもらったんだけど、その当時で、わたしは、
身長は165センチはあったし、かなりしっかりとした体格の剣道ひとすじの健康的な
女子だったんだけど、その手紙の中に「うちで飼っているセキセイインコのぴーちゃ
んを見ると、佐々木さん(わたしの旧姓)を思い出します」と書かれていて、あまり
にも予想外の言葉だったのでものすごく恥ずかしい気持になったことがあった。
それにしても鳥の名前って、うまい具合だなって思う。「ほおじろ」とか「おながど
り」なんてまったくそのまま名は体を表わしてるし、「ぶっぽうそう」の啼き方って
ほんとにぶっぽそーぶっぽそーって聞こえてくるし、「ちゃぼ」とか「あひる」もな
んだか、ひょうきんなイメージそのまま。とりわけ、「むく鳥」って名前の響きがい
い、ほっとする名前だと思う。
「むく鳥のゆめ」というと、思い出すことがある。
小学校の4年か5年の時だったと思う。ちょうど本が好きになりはじめたころで、「赤
毛のアン」シリーズとか、「若草物語」をはじめとするオルコットが書いたものを、
小学校の図書室で毎日のように借りて読んでいた。そこで、いつも一緒だったのが、
おかっぱ頭で、細い切れ長の二重の目もとがいつもうるんでいるような大人っぽい雰
囲気のまちこちゃんだった。まちこちゃんもかなり本を借りていたようだったので、
心のどこかで、ちょっとだけ競争してるような気持がしていたと思う。まちこちゃん
はわたしの家の前に住んでいたんだけれど、そんなに仲がよかったわけでもなかった
し、話した記憶も、ほとんどなかった。
ある時、突然、まちこちゃんのおかあさんが病気で亡くなった。父とまちこちゃんの
お父さんは同じ職場だったので、わたしの両親が、病気になったまちこちゃんのおか
あさんのことを心配そうにいつも話していた。御葬式の日、まちこちゃんはひとりで
家の前にしゃがんで、釘で土の上に絵を書いていた。わたしは、今でもあの時のまち
こちゃんの姿が目にやきついて離れないんだけれど、まちこちゃんはなんだか、ちっ
とも悲しそうな顔をしてなくて、もちろん涙も流していなくて、わたしは子ども心に、
訳もなくものすごくほっとしたことを覚えている。
でも、そのあと、しばらくして図書室で「ひろすけ童話」を借りたら、図書カードに
まちこちゃんの名前があった。それで、その中の「むく鳥のゆめ」を読んだら、なん
だかまちこちゃんと重なって、涙が出てとまらなくなったんだけれど、図書カードの
日付けがまちこちゃんのおかあさんが死んだ日よりずっと前だったので、やっぱり、
なんとなくほっとした。
昨年末に集英社から出版されたこの「むく鳥のゆめ」を読んで、久しぶりにまちこちゃ
んのことを思い出した。思えば、あの時、わたしが読んだ「むく鳥のゆめ」は絵がつ
いてないものだったんだけれど、網中いづるの絵を見て、気づいた。むく鳥の絵がま
ちこちゃんのイメージそのままで、特に表紙のあっけらかんと無表情な顔つきがそっ
くりだった。それにしても、心のこもった絵だなーと思う。あざやかなのに素朴な色
合い、こんな風に物語を絵にできたらどんなにいいだろう。ちょっとせつない物語は、
こんな具合に描いてくれるのがいいんだよね、と誰かに言いたくなりました。
ほんとに、ほんとに、なんて可愛いピンク色の表紙なんだろう。

*************************************************END***********************
●「そらめめ」 くま

 私は出産から二か月たつので三月から仕事復帰です。
ウチの会社、産休も育休もない自由業同然の扱いなので無給状態が三か月続いてました。
四月から入園できるかもしれない保育園まで(今審査待ちなのです)
ほんとはせめて三月いっぱい休みたいところなのですが…。
女ってたいへんだったんですのね、、、

      こちらからどうぞ
          ↓
http://www.alles.or.jp/~takako9/sorameme050221/sorameme_top.html

*************************************************END***********************

●小説「カンバセイションピース」初稿:その7
                                 保坂和志

 それにしても世界というのはどうしてこうも多くの植物や動物を作り出し、同じ種
でもいちいち姿を違える必要があるのかと、私は庭の水を撒くたびに考えてしまうの
だったが、【だからといってこの世界の奥に、物理のE=mc2という簡素でその簡素
さが美しいとされている式があってそれで終わりとか、遺伝子のATCGのような還
元可能なシンプルな要素を発見すればそれで何かがわかるという考え方を期待してい
るわけでは全然なかった。】(【 】の部分は赤の斜線で消し)それと同じことが人
間の心にもあてはまって、綾子と由香里で怖さの感じ方が全然違っているように、妻
の理恵も当然違っていて、由香里にはこれが一番不可解に見えていたはずだった。と
いうのも由香里が風呂場の女の人の話を持ち出したりすると、「あんたバカじゃない
の」と蹴散らすように否定するくせに、自分では夜中に自動販売機にジュースを買い
に行ったら取り出し口からヌッと人の手が突き出ていて「まずい」と思って帰ってき
たことがあったとか、夏の夕方五時頃の明るい時間に裏道を歩いていたら五メートル
くらいうしろの三階建ての窓くらいの高さに小さな円盤が浮かんでいて、それが五百
メートルくらいずっうとついて来たというような話を平気な顔ですることがあって、
八月末の日曜日に夕食のあとで焼酎をのみながらのんびりしているときも、何日ぶり
かで由香里が風呂場の女の人についての新しい解釈をしゃべりはじめると、妻は「ま
だそんなこと言ってるの」と言って、由香里の話をさえぎった。
「そんなことちっとも珍しくないのよ。
 あたしが小学校一年のときに隣りのおばあちゃんが死んだんだけどね。告別式の日
にあんたのおばあちゃんとかが近くのお寺に行ってて、あたしが建て替える前の古い
家の縁側で油粘土っていうので一人で遊んでるときに、ふっと隣りの庭を見たら、そ
のおばあちゃんが浴衣で花壇のあいだを歩いてたのよ。こんな経験はあたしだけじゃ
なくて幼稚園ぐらいの子どもが砂場で遊んでたらとっくに死んでるおじいちゃんがあ
らわれて、しばらく孫と話しをして帰っていったとか、その手の話はいくらでもある
んだから」
 この話を聞くのはたしか二度目で、他の自動販売機や円盤の話と同じようにはじめ
て聞いたときも今回も私は少しも「ゾーッ」としなかった。妻の心霊現象めいた話は
少しも怖くないのが特徴で、由香里も私と同じようにまるっきり怖がっていなかった
けれど、当然それで納得できるわけがなくて、
「ねえ、なんでそういうこと、おばさんは何とも思わないの?」と言った。
「だから、世の中いろんなことがあるってことなのよ」
 妻の素っ気なさすぎる返答に笑っていると、由香里は私を見て、
「内田さんはどう思うんですか」
 と言った。
「どう思うって、理恵の経験したことだから——」
「だって、内田さんはいつも何にでもいろいろ説明つけるでしょ。だからこれについ
て『どう思うんですか』って、——」
 私は苦笑した。外からは「リー」と「ジー」を重ね合わせたような高圧電線の変圧
器から聞こえる音のような虫の声が、途切れなく聞こえていた。クーとココは縁側で
寝そべっていて、ココの頭をクーがさかんになめていた。ミケはさっき階上から降り
てきて(そのたびに私は階上で何を見たり聞いたりして感じていたんだろうと思う)、
テレビの上に乗ったり、隣りの部屋のパソコンの脇に置いてあったボール
 ペンを落としたりして私の注意を引きはじめた。遊びたいという合図なので、
「理恵のことはねえ」
 と、私はミケの相手をするために立ち上がりながら言った。ミケと遊ぶための、鳥の
羽を糸で垂らした桿が縁側との境いの鴨居に隠してあるのだ。
「夫婦っていうのは、一緒にいるのが長くなると、由香里みたいにいちいち疑問に思
ったりしなくなるものらしいんだよ。
 そんなことより、『今日は機嫌がいいな』って、当面の状況を把握して満足したり、
『体調はどうだろう』って気にかけたりって、即物的でかつ、安定した関係が問題と
されるようになるんだよ。由香里だってお母さんとはそういうもんだろ?」
「バカね。違うからこうしてうち家に来ちゃったんじゃないの」
「でも、お母さんの心の深いところまで真剣に考えたことなんかないだろ? あくま
でも由香里の心に映るお母さんがどうかってことで、純子さんその人じゃないだろ?
 それは」
「そんなこと言ったら恋愛だって何だって全部そうじゃないの」
「そんなことないよ。恋愛っていうのは、何日も何日も、いちんちじゅーっ、その人
のことを考えることだから、親のこと考えるのとわけが違うよ。
 だからおれも恋愛の期間に理恵のことをものすごーくいっぱい考えたから、基本ソ
 フトが完成してて、もういちいち考えなくていいんだよ」
「よく言うよ」と理恵はこっちを見ないで鴨居のあたりに目をやったまま言った。
「ホントの話じゃんか」と私は言ったけれど、本当は「それゆえ考えてもわからない
と思うことは考えなくなった」というのをつけ加えなければならない。
「でも恋愛って、何日その人のことを考えようが結局幻想を見てるんだよね」
 理恵の視線の先には桜が満開の道の写真があったけれど、理恵は写真に何が写って
いるなんてことは今さら考えていなかっただろう。しかしもし額の中の写真が他の写
真にすり替わっていたら、「アレ?」と気がくつはずだから、視線による認知という
のはおもしろいものだと思った。
 しかしところで、恋愛が結局相手の幻想しか見ていないなんて月並みなことを言う
ときは機嫌が悪いときと決まっていて、私は理恵が最初から機嫌が悪かったのか、そ
れとも由香里の質問に対して夫婦という言い逃れみたいな理屈を並べたからなのかと
考えてみたけれど、とにかく機嫌が悪いときには触れないのが一番だと思って、私は
居間と北側の畳のスペースの境いの敷居をまたぐような位置で、鳥の羽のついた桿を
振り回したり、羽を畳の上でチョンチョン跳ねさせたりしてミケを遊ばせはじめたの
だけれど、理恵の言い方は由香里にとって教育的でないと思ったので、理恵からの反
発を面倒だと思いながらも私は言った。
「わからないことは知っていることに比例して増えるものだから、知っていることが
少ないあいだはわからないことも少ない。
 幻想を見ているっていうのはそういう意味なんだけど、相手のことっていうのは知
れば知るほど、自分のことがわからないのと同じ意味でわからなくなってくる。てい
うことは、幻想を見ていた時間が終わるとメッキが剥げて下にあるシンチュウがあら
われるつまりつまらない実像があらわれるっていうような単純なことじゃなくて、幻
想が消えるとわからないことが出てくるっていうことで、わかっているイコール幻想、
実像イコールわからない、という言い方もできるわけだけど、まあそれも哲学かぶれ
の若造が染まりやすい詭弁みたいなものだな」私はこうしてついしゃべりすぎてしま
うのだけれど、理恵は相変わらず鴨居の額に入った写真のあたりに目をやったまま黙
っていた。綾子が黙っているのとは全然意味が違うその無言が不穏といえば不穏だっ
たけれど、現実に言葉で反発されるよりも不穏でも無言の方がましというのがまた夫
婦らしい関係で、由香里が何かしゃべるのを期待して促すように私が見ると、私のそ
ういう表情を理解したのかそれとももともとしゃべるタイミングを待っていたのか、
とにかく、
「でもどうしておばさんは、そういうことを『あたり前』とか『よくある』で終わら
せちゃうの」
 と、話を元にもどし、理恵はまたも「ホントにもう」と、舌打ちでもしそうな調子
で言ったが、実際に舌打ちしていたら空気はもっと不穏になっただろう。
「この世界は普通の人が作ってるってことが、わかってないのよね。あんたは。
 占い師とか霊能者とかが突然出てきて、それまで積み上げた決定をくつがえすとか
、許されないでしょ? 古代の政治だって、神官やシャーマンがいたって言っても、
組織はちゃんと普通の人間で構成してたでしょ? 普通じゃない変わったことって、
テレビ的におもしろく目を引きやすいけど、そんなものでは何も作ることもできない
し、運営することもできないのよ。あんたももう大学生なんだからそれくらいのこと、
考えなさいよ。
 こら、クー、やめなさい」
 縁側でさっきまでココを母猫みたいになめていたクーが、なめる気持ちが高じてコ
コの首筋に咬みついてココがおこって、二匹でとっくみあいがはじまったので、私が
二匹のあいだに割って入った。クーとココにはよくあることで、かわいがるのと遊ぶ
のと性衝動が猫の中では混然としているらしく(人間もそうだが)クーはまだやり足
りなくて、私をはさんだココに飛びかかる隙をうかがい、ココはやられた気持ちがお
さまらずに「ウゥウゥ」うなり声をあげていた。ミケは三匹の中では際立って活発で
遊び好きだけれど、クーやココのような突飛な暴力性がまったくないので(チャーち
ゃんもそうだった)低い姿勢になって、警戒の印の耳をひっぱって、北の畳のスペー
スから様子をうかがっていた。理恵の話を聞いて、理恵の不機嫌の発端が私ではなく
て、由香里の風呂場の話だったらしいことがわかって、離れて様子をうかがっている
ミケのように私は一安心したけれど、由香里は、
「それでおばさんのそういう話は全然怖くないんだ」
 と言った。
「どういうことよ」
「え? だからさあ、霊能者がすごいこと言ったとするでしょ。それを聞いた人がゾ
ーッとなったり、びっくりしたりしたら霊能者のペースにはまっちゃうでしょ。
 だからおばさんはわざと『そんなの全然たいした話じゃない』って言うために、怖
くないように話すの」
「そうか。おれは心霊現象っていうのは、ことさら怖くしゃべる人は本当は経験して
なくて実際に経験しちゃうと怖くないってことなんだと思ってた」
 クーとココが落ち着いたので私はまたミケを鳥の羽で遊ばせていたけれど、理恵は
「そういうことじゃないのよ」と言った。
「そんなのは全部デ・ジャ・ヴュや臨死体験と一緒で、脳の中の処理が間違って起こ
ることなのよ」
 私は妻の理恵までが「脳の中の処理」なんて言葉づかいをするのを聞いて、時代の
変化を感じた。二年くらい前はこういう言葉を使うのはもっぱら私で、そのたび妻は
うっとうしそうな顔をしたものだった。それはともかく由香里は、理恵おばさんの脳
内処理説が聞こえていないみたいに、
「心霊現象ってさあ、なんて言ったらいいかわかんないんだけど」
 と、本当にもどかしそうな顔になって適切な言葉が出てこないことをいまここにい
る二人に伝えようとした。由香里が言葉を考えているあいだ、理恵は焼酎のグラスに
コン、コンと氷を二つ入れ、私は北の畳のスペースでミケを鳥の羽に向かってとびあ
がらせていた。
「本当に見ちゃうより、いるかいないかわからない方が怖いと思うんだけど、そうい
うことじゃなくて、——。
 心って本当はもっとすごく大きなものでしょ。
 内田さんがさっき言ったみたく、すぐにわかったと思うのは心の小さい使い方で、
全部を使って知ろうとするとたいていのものがわからなくなるって、あたしも思うの
ね」
 理恵を見ると、理恵は親のような顔で由香里がさらにつづきを話すのを待っていた。
もっとも本当の親子だったらこんな話はしないだろうから、これは二人が親子ではな
いことの証明でもあった。それならどういう関係だったらこういうしゃべり方と聞き
方をするんだろうと思ったけれど、それはたぶん「関係」の問題ではなくて雰囲気か
話の流れの問題だった。
「前に内田さんが、人間は、臓器移植みたく人間を機械の部品のように説明すると機
械のように見えるけど、動物行動学で説明すると動物行動学に全部あてはまるように
見えるって言ってたけど——。ねえ、言ってましたよねえ」
 私は鳥の羽を振りまわしながら「言ったよ」と言った。
「人間は、説明する道具で、どんな風にもそれらしく見えちゃうってことだと思うん
ですけど、じゃあ、何にも道具を使わないで説明したら、人間ってどういうことにな
るんだと思うんです」
【「風呂場の話がそこまで行くか」
 と私が言うと、由香里が「茶化さないでください」と言い、私も「茶化してないよ」
と言った。】(【 】の部分は赤の斜線で消し)
 妻の顔はなんとも言えなく複雑な表情になっていて、脳内処理で強引に片づけよう
としたことを軽く後悔しているともとれたけれど、即断は禁物だった。夫婦というの
は浮気をしたら激怒され、怠惰にしていたら叱られ、落ちこんでいたら励まされると
いう実際的な行為の継続で、心の中を恋人のように忖度するものではないのだ。
「だから?」
 と妻の理恵が、喧嘩腰でもなく柔らかくもない、あんまり抑揚のない口調でつづき
を訊くと、由香里は、
「え? それだけ」
 と言った。
「風呂場の話がそこまで行くか」
「茶化さないでください」
「茶化してないよ」
「お風呂場の話はどうでもいいから、もうちょっとわかるように言ってくれない?」
 理恵に言われて由香里がまたこっちを見ることになるのだが、私も由香里の言いた
いことを理解できていたわけではなかった。それで私は、「おれもわからなかったけ
ど、由香里が言葉で説明できないことを感じていることはよくわかった」と言った。
「そのまんまじゃないの」
「だから、由香里は風呂場の話をきっかけにして、人間とか世界についての何かを抱
えはじめたってことだよ」
「だからそのまんまじゃないの。
 あなたって、ホントに曖昧なことを曖昧なままにしておくわよね」
「取り柄と欠点は同じものだからな」
「昔からこうだったの?」
 由香里が訊くと妻は「もう忘れた」と言った。恋愛というのは一日中好きな相手の
ことを考えつづけてしまうものだけれど、妻の理恵にも私に対してそういう時期があ
ったということがいまとなっては実感が持てなくなっているのが夫婦だなと私は思っ
た。恋愛だけで別れてしまった女の子たちなら、私のことを一日中考えていただろう
といまになっても思えるのに、夫婦となるとそういう気持ちを風化させてしまう力が
働きはじめる。もっともこれは夫婦にかぎらず人生全般に言えることで、映画だって
音楽だって十代や二十代のように面白いとも思わなくなったし興奮もしなくなった。
いま私が若い子を好きになって突然恋愛がはじまったとしたら、しばらくは熱中する
だろうけれど二十代の頃のようにはのめり込まないだろう。死の床にある病人にカン
フル剤を射って一時的に元気にするようなものだという比喩は、極端でわかりやすす
ぎるために違っているけれど、とにかく夫婦に象徴されるような若い頃の気持ちを風
化させてしまう力の方に私はずっと関心がある。というか、そうありたいと思ってい
る。本当にそれしかないじゃないかと思う。
 私は、
「なるべく小さな幸せと
 なるべく小さな不幸せ
 なるべくいっぱいあつめよう」
 と、声に出して歌った。
「誰の歌だっけ」と由香里が言うので「ブルーハーツ」と答えた。
「さだまさしがこんなの歌ったらゲッて思うけど、ブルーハーツが歌ったところがミ
ソだよな」
「どう違うの?」
「せつなさのあるなしだよ」
「どっちがせつなさがあるの?」
「ブルーハーツに決まってんじゃんか」
 クーが縁側で「アーン、アーン」というような声で網戸ごしに外に向かって鳴いた。
ココを相手に悪ふざけしたのを止められて、退屈で外に向かって別の遊び相手の猫で
も呼んでいるみたいな鳴き方だったが、それもすぐにあきて、テーブルにポンッと乗
って、理恵の真正面に座わって顎を撫でさせた。
「『なるべく小さな幸せ』って、こういうこと?」と由香里が言うから、「違う」と
私は言った。
「あれは幸せと不幸せの区別なんかどうでもよくなったヤツの歌なんだよ」
「ホント?」という顔で由香里が妻を見ると、妻は、
「この人の勝手な解釈だから、本気にしちゃダメよ」
 と言った。
「ああいうガチャガチャした若い子にすぐに才能の幻想を見て簡単にだまされるんだ
から、おじさんだよね」
 今夜の妻は「幻想」という言葉が好きらしかった。すでに酔っているので思考は同
じパターンのくり返しになるのだ。
「ねえ、でもその歌といままでの話は、どこでどうつながってるんですか」
 由香里が切れ長で黒目がちの目でキリッという感じで私を見つめてきて、私は、
「何にもつながってなんかないよ」
 と言った。もちろんウソで本当は夫婦の話の方とつながっているのだけれど、由香
里は、
「なんだ、あたし、人間と世界との何かを抱えはじめた人の歌なのかと思って、ちょ
っといろいろ考えたのに、損しちゃった」
 と言い、妻は「だからこの人の話をマトモに聞いちゃダメよ」と言っていたけれど、
私は階下だけでは遊びの調子の出ないミケを階段に誘って階段の途中で、鳥の羽の糸
をいっぱいに伸ばして、上へ下へと振りまわしてミケを何往復も上下に走らせた。こ
っちに来ると、庭の奥に近づくので虫の鳴く音が居間よりもずっと大きく、二階の窓
を通して上からも聞こえてきて、せつなくなった。夏の終わりの虫の声は子どもの頃
からの刷り込みで、それを聞くだけでせつなくなってしまう。十代や二十代の頃にせ
つなくなるような夏があったのかとかそういうことではなくて、夏の終わりはただせ
つないと思う。

 八月の終わりは横浜ベイスターズは甲子園からナゴヤドームと遠征で、横浜に戻っ
てきたときには九月になっていた。その間、前川は二軍の試合を見に、横須賀スタジ
アムに行ったり、所沢の西武ドームまで行ったりして、「ガラ空きだった」という西
武ドームの二軍の試合を見ながら、キャッチャーの谷繁の近所に住んでいるという高
校生ぐらいの女の子と知り合いになって、二時間半の退屈な試合のあいだじゅう(二
軍の試合は緊張感がなくて本当に退屈だが前川はそれでもやっぱり行く)、谷繁がそ
の女の子に日頃話しているらしい来シーズンのベイスターズの情報を聞いてきて、そ
れを私は横浜スタジアムのライトスタンドで聞くことになった。横浜の攻撃中はメガ
ホン叩いて選手の歌を歌わなければならないし、かりに自分が歌わなくてもまわりの
音がうるさくて聞こえないので、聞くのは当然広島の攻撃のあいだだ。
「権藤は今シーズンかぎりで、森の監督就任は決まりだってさ」
「いいじゃないか」と私は言った。
「大洋ファンは森きらってるよな。【山下大輔待望論が根強くあるじゃんか。おお、
大ちゃん頼むぞって」
「あいつなんか大バカだぞ」】(【 】の部分は青の一本線で消し)
 先発は小宮山でランナーを出しながらも一、二回は零点に抑えていた。しかしコー
ナーぎりぎりに投げると主審がストライクにとらない。そうすると、
「こら、杉永、八百長してんじゃねえぞ。大洋クビになったのがそんなに悔しいか」
と野次がとぶ。
 主審の杉永はかつてドラフト一位で大洋ホエールズに指名された投手だった。外野
スタンドにいても百メートル以上離れた投球のストライク、ボールはたいていわかる。
純粋に視力でわかるのか、バッターの微妙な動きでわかるのか、ピッチャーからキャ
ッチャーまでの軌道全体でわかるのか、それとももっと別の球場全体の何かでわかる
のか、とにかくわかる。鳥の編隊がいっせいに方向転換したり、ホタルの群れがいっ
せいに点滅したりするのと同じ何かが働いているのかもしれない。前川の谷繁情報は
さらにつづく。
「谷繁、佐伯、波留の三人が仲良くて、選手会長の石井琢郎とは仲が悪くて、石井と
仲がいいのは斎藤隆一人なんだって。わかりやすいよな」
 私は合槌を打った。どうわかりやすいかと言えば、三人が関西人だからで、おとと
しの優勝のビールかけのときに三人が特に目立っていたのをすぐに思い出すけれど、
かりに谷繁と石井と金城が仲がいいと聞いても、前川も私も「わかりやすい」とか「
そうだろうな」とか言っているだろう。
 ワンアウトから東出がフォアボールで出て、森笠の三塁ゴロがゲッツーにならずに
一塁がセーフ。金城がもっと早くさばいていればゲッツーだった。
「やっぱり金城の守備はもたつく」
 次の金本を私は嫌いではない。横浜の選手になって心から声援を送りたいと思う選
手の一人だ。金本が打席に立つとレフトスタンドで応援団がラッパでファンファーレ
を鳴らす。ヤクルトでは稲葉のときに、ファンファーレを鳴らす。そして横浜では佐
伯のときにファンファーレを鳴らす。ファンファーレが鳴りはじめる瞬間が特別バカ
バカしくてたまらなくいいが、成績以上にファンに好かれる選手がどの球団にもいる
ものなのだ。だからといって金本に横浜スタジアムで打ってほしくはないが、金本の
当たりはライトフェンスに直撃し、一塁から森笠がホームイン。クッションボールを
必死に素早く処理して、セカンドに投げる中根の後ろ姿には心打たれる。中根は打つ
ときも思いっきり振り、守っているときも思いっきり球を追う。私と前川は同時に、
「中根はいいな」
 と言った。今年の中根は特別いい。私と前川はもう何度「中根はいいな」と言った
か知れない。レフトスタンドでは広島ファンが「大判小判がざっくざっく、ざっくざ
く」という『花咲じいさん』を「今日も広島はざっくざっくざっくざく」とかいう歌
詞にかえた歌を歌っていた。広島は点を取るとこれを歌う。
「この歌、ゼッタイださいよな」
 谷繁に言わせると、今年の鈴木尚典と川村の不調の原因は、二人を野手キャプテン
と投手キャプテンにさせたからで、やっぱり指名した石井琢郎が悪いってことになる
んだよな。鈴木尚典と川村は一番キャプテンに向かない性格なのに、石井琢郎が自分
一人でチームをまとめるのがつらいからって、野手キャプテンと投手キャプテンなん
ていうのを作ったんだけど、大失敗だって」
【「そういう話を聞くとやっぱり古田は偉いな」
「古田はプレイイングマネージャーになるっていう噂もあるんだぜ」
「それも谷繁情報か」
「これは別」】(【 】の部分は赤Xで消し)
 五番のロペスはいい当たりだったが上がりすぎてレフトフライでチェンジ。
【「キャッチャーっていうとなんでいつも古田ばっかりなんだって、谷繁はよくおこ
るんだって」
「あたり前だよ。古田とじゃ格が違う」
「オリンピックでも古田がダメなら谷繁とは誰も言わないもんな。でも】(【 】の
部分は赤Xで消し)谷繁は将来自分が監督になると本気で思ってるらしいんだよな」
「無理だよ」
「やっぱり石井琢郎だよな」
「ローズだよ」
 と私が言ったところで、最前列の通路に応援団のリーダーが出てきて、三回裏の応
援の三三七拍子がはじまった。シャンシャンシャン「ヘイッ!」シャンシャンシャン
「ヘイッ!」シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン「ヘイッ!」。シャンシ
ャンシャン「ヘイッ!」シャンシャンシャン「ヘイッ!」シャンシャンシャンシャン
シャンシャンシャン「ヘイッ!」。シャンシャンシャン「ヘイッ!」シャンシャンシ
ャン「ヘイッ!」シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン「ヘイッ!」。
 三三七拍子がおわるとリーダーが手をY字に開いて声を上げる。リーダーが何を言
っているかなんてちゃんと聞いているのなんか一人もいないけれど、この日の席は近
くて、打順も下位で盛り上がりに欠けていたので、
「さあ、ここから反撃を期待して、
 かっとばせぇ、こぉまぁだぁ」と言っているのが聞こえた。
 駒田の歌は、
「白い流れ星 大きく舞い上げろ
 さえたホームラン 見せてよ駒田」
 だ。しかし今年の駒田にはもうほとんど誰も期待していない。この歌が歌われてい
る中で本当に大きく弧を描くホームランを打ったような時代が駒田にもかつてはあっ
たのだ。応援のトランペットと太鼓とみんながメガホンを叩く音と声の氾濫の中で、
前川が私の耳元に顔を近づけて、何か言った。私が聞き返すとさっきより大きい声で、
「最大の谷繁情報」
 と言った。私は顔をグラウンドに向けたまま、「何だッ」と言って、自分から前川
の方に体を傾けた。前川が右手を口にそえて、
「ローズは今シーズンかぎりで引退」
 と言い、私は前川を見て、キスをするくらい顔を近づけて、
「ホントかよ」
 と言った。駒田なんか見ている場合ではなかった。
「谷繁情報のまた聞きだよ。あくまでも。
 引退で、背番号23は欠番」
 去年のシーズン途中の、突然の引退発表を思い出した。こんな大事なことをどうし
て前川はすぐに言わなかったんだと思った。すべての横浜ファンはローズのファンで
あり、すべての横浜ファンが去年の途中から、「これがローズを見る最後のシーズン
か」と、毎試合万感こみあげる思いでローズの打席と守備を見たものだったが、引退
を撤回してくれたことで、今年どころか来年も再来年も、ずうっとローズがいてくれ
るものだと思っていた。またまた出てきたローズの引退話を否定したいという前川の
無意識の願望だったのだろうか。しかし思えば、私のローズへの過剰な思いも去年の
突然の引退発表が影響していたのかもしれない。駒田はぼてぼての一塁ゴロだったが、
ライトスタンドも特に失望はしなかったというかむしろ予想どおりで、次の谷繁にも
みんなあんまり期待はしていなかった。
 とはいえ、ライトスタンドでは谷繁元信の背番号8は鈴木尚典の背番号7と並んで
ユニホームを着ているファンの数が多くプラカードの数も多い。私は23のローズで、
前川は22の佐々木だ。いなくなった選手のユニホームを着つづけるのは前川にかぎ
らなくて、一着二万五千円のユニホームをそうそう何着も買えないし、いなくなった
選手のユニホームはもう販売しないので一種のステイタスでもある。手に入らなくな
ったユニホームなら着ないで大事にとっておけば価値が出るという考え方は球場に来
る人間の価値観ではない。球場に来るファンにとって大事なのは、ユニホームの価値
が出るのを待つことではなくて、着て応援することだ。
 三回裏の攻撃はあっさり三人で終わり、まわりの応援の音がなくなると私も前川も
ローズ引退の話のつづきをするのがはばかられる気持ちになっていて、私が、
「ホントかよ」
 とだけ言うと、
「あくまで谷繁情報だけどな」
 と「谷繁情報」という言葉を前川は何度もくり返した。
 欠番になるという話がついてるところがウソくさいと思った。佐々木の22番でさ
えも欠番にしない球団がそれをするというのがおかしいと思ったけれど、すべての横
浜ファンはローズの欠番を当然と理解するだろう。しかしいまスタンドでああだこう
だ言っていても仕方ない。だいたいスタンドにいるとあんまりああだこうだと考えな
くて、私は、
「おいおい、またボールかよ、杉永ァ」
 と、ホームベースの向こうに立っている主審に聞こえるはずのない野次を叫んだ。
小宮山の外角低めのスライダーはどうしてもストライクにとってもらえず、四回も朝
山がライト前ヒット西山フォアボールでランナーが二人出たが、一番の木村拓也でチ
ェンジ、しかし横浜も広島の先発のミンチーを相変わらず打てず、金城が内野安打で
やっと出たものの、鈴木尚典、ローズとポーン、ポーンと浅めの外野フライを打ち上
げて、前川の言うとおり「完全にミンチーのペース」だった。
 そして五回表に小宮山はついにつかまり、東出ライト前ヒット、森笠はセンターフ
ライだったが、金本が二打席連続のライトオーバーの二塁打で二点目。進軍ラッパに
つづいて「大判小判がざっくざっくざっくざく」の替え歌を歌って、それから「バン
ザーイ、バンザーイ、バンザーイ」。野球の応援は球団ごとに少しずつ違えてあるが
基本は同じなのだ。(この後【そしてロペスが、、、】から六行を赤の斜線で消して
あるが、同じ場面が次のp345Aに書かれているので入力せず)点をとった勢いで
つぎのロペスになるとレフトスタンドの「ロペス! ロペス!」の応援の声がさらに
大きくなった。「ロペス! ロペス!」と言いながら、半分が立ち、半分がしゃがみ、
また半分がしゃがみ、半分が立つ。シュプレヒコールに似ていて、私は広島のこの応
援が嫌いじゃない。ワールドカップのときのユーゴの応援を思い出す。「ユーゴ! 
ユーゴ!」と繰り返す声の、「ユー」が大地から湧き起こる地鳴りか風みたいだった。
立ったりしゃがんだりを繰り返すレフトスタンドの中で、点在するただすわっている
人間の姿がよくわかる。ということは、立ったりしゃがんだりしている人間も群れだ
けれど、一人一人もまた見えているということだ。そのロペスに三球目を投げたとき、
前川が思わず「あっ」と声を出してしまうくらい甘い球で、低い弾道でレフトスタン
ドの前から三列目ぐらいに飛びこんだ。ロペスがゆっくりベースを一周しているのを
見ながら私はトイレに立った。しょっちゅう来ていればこういう取り柄のない試合に
あたることだって当然ある。つづく六回もランナーを出して点をとられて、こっちの
投手がベタンコートから阿波野、さらに五十嵐へと交替して、そのたびに時間が延び
て気持ちがだらけ、守備のあいだはメガホンを叩いて応援することもないからビール
を飲む量が増え、トイレに行けばトイレからの列が長く伸びていて、外野スタンド裏
の、トイレと喫煙所と売店が一緒になった狭いスペースは煙草のけむりが気持ちのも
やもやがそのまま形になったみたいにたちこめているけれど、外野スタンドに来てい
る横浜ファンはだいたい球場通いの常連なので、たまにあるこういう試合を受け入れ
ていて、天井から下がっているモニターテレビを見上げながら「五十嵐ぃ、頼むよォ
、、、、」と口では言いつつも気持ちはただただだらける一方で、私はスタンドに戻
って前川と、
「阿波野、五十嵐じゃなくて、もっと若いのいないのかよ」
「谷口がいるんだけど、権藤が年寄りで頑固だからなかなか上げないし、上げても使
わないんだよ。斎藤明夫なんか何もしないしな」
「全然してねえよな」
「でも、シーレックスの遠藤もダメなんだよ」
「森でも誰でもいいから、早く誰かに替えてほしいよ。権藤じゃなきゃ誰でもいいよ」
 と、こんな話をしているのだけれど、【監督が権藤から森になるということは谷繁
情報が正しいということでローズがやめることも意味するが、そんなことまでは考え
ていない。】(【 】の部分は赤の一本線で消し)「大洋ホエールズのOB会が邪魔
なんだよ」と前川が言った。
「森就任もそこがネックになって、権藤の前に一度つぶされてるって言うだろ。大洋
ファンはバカが多いから相変わらず山下大輔監督待望論だしさ」
「OB会って土井だろ? 九八年の日本シリーズの第六戦の日に、OB会ゴルフコン
ペに行ってた」
「優勝してちゃんと涙流してたのは秋山だけだったな」
「松原は戻ってこれないしな」
「大洋ファンはなんか世論誘導されてて、山下大輔とは言うけど、松原とは言わない
んだよ」
 私と前川は、大洋ホエールズ・ファンだった過去を捨てて、ひたすら横浜ベイスタ
ーズ・ファンとして生きることに決めたのだ。森監督就任の話は夏前からぼつぼつ出
ていて、そのたびに昔からの大洋ファンは「勝手にやるのが大洋なんだから、森みた
いな管理野球はイヤだ」と言う【けれど、前川と私は優勝できるチームを作れる監督
を待っている】。(【 】の部分は赤の一本線で消し)九八年に優勝して、あんなに
うれしかったのだから、優勝しなくても横浜らしい野球をやってくれればいいなんて
話は筋が通らない。こういう風にやられっぱなしの試合がたまにはあることもわかっ
ているけれど、接戦でもなんでも負けると前もってわかっていたらファンは絶対にそ
の日は来ない。六回表を終わって六対0だったけれど、そこで帰らずにファンがスタ
ンドに残っているのも「勝つかもしれない」とどこかで期待しているからだ。テレビ
を見ていたらもうチャンネルを替えている頃だろうが、スタンドにいればこの程度で
はまだあきらめない。球場に来ないでテレビだけ見ているなら「大洋らしく」「横浜
らしく」と言っていられるが、球場にしょっちゅう来ていたら、そんな悠長なことを
言う気分にはなれない。六回裏にノーアウトから代打の相川がレフト前ヒットを打ち、
石井琢郎がライト前ヒットでつないで、ライトスタンドは立ち上がった。シャンシャ
ンシャンヘイッ!シャンシャンシャンヘイッ!シャンシャンシャンシャン、、、、、
、ウーゥ、ヘイッ! ヘイッ! ヘイッ! ヘイッ! 今夜はじめてチャンスが来た。
バッターは三割七分で首位打者を独走している金城。金城五回コール。キンジョー、
キンジョー、キンジョー、キンジョー、キンジョー。それにつづいて金城の歌。
「見せてくれ見せてやれ超スーパープレーを
 ハマの風にのって男の意地を」
 しかし打率は高いが得点圏打率の低い金城はセカンドフライを打ち上げてワンアウ
ト。つづく鈴木尚典が打席に入る手前で二度三度と素振りをしているあいだに応援の
太鼓が一度鳴りやみ、その合間をぬって最上段に陣取っているハチマキアンチャンが
声を出す。
「タカノリー。タカノリ、タカノリ、タ、カ、ノ、リー」
「打て、尚典!」
 と、前川も叫ぶ。私も「尚典!」と叫んでいる。ライトスタンドからの声はただの
ざわめきにしか聞こえていないかもしれないが、そのざわめきは声援なのだ。林の中
でワンワン鳴り響く蝉の声は一匹の鳴き声とは全然違う。そして鈴木尚典の歌がはじ
まる。
「かけぬけるダイヤモンド、、、、」
 スタンドの歌は歌詞を知らなければ音程が幅を持った音のかたまりにしか聞こえな
いが、知っていればちゃんと言葉に聞こえる。だから鈴木尚典にもスタンドの歌は「
駆けぬけるダイヤモンド両手を高く上げ」と聞こえている。私たちは一人一人が声を
出して、鈴木尚典のために歌い、鈴木尚典はこのスタンドとグラウンドと野球それ自
体のために打つ。ピッチャーは打たれないために投げるのだが、それは打たれるため
に投げるのと同じことなのだ。優勝の年の巨人戦の十三対十二のサヨナラ勝ちの試合
では、ピッチャーもバッターも試合全体の大きな流れに飲み込まれた。ワン-ワンから
の三球目を鈴木尚典のバットは空を切ったが、鈴木尚典は打つためにスイングをした。
ピッチャーが投げるのとバッターがスイングをするのは二人が実現する一連の動作で、
私たちが歓声をあげるのもがっくりするのも一連の動作だ。野球の最も素晴らしい瞬
間がバットが空を切るときかボールを打ち返すときかは誰にもわからないが、ピッチ
ャーもバッターも未知のその瞬間にはまることを夢みつつも怖れ、自分のペースにひ
きいれようとする。ミンチーはアウトコースに一球外した。ということは次はインコ
ースに速い球か。見送ればボールになるくらいの低めの誘い球か。尚典が一番好きな
低めを内角にボールひとつ分外してつまらせる。歌を歌い、「かっとばせ尚典」とメ
ガホンを振り上げていても一球ごとにスタンドにいる私たちまでが考えている。むし
ろ歌を歌い、メガホンを振り上げる動作で考えが導かれているのかもしれない。習慣
化した思考は、テンポの中にいることで止まらずに動きつづける。内角低めの球に尚
典のバットは一瞬出かかったが止まった。が、キャッチャーが三塁塁審を指差すと、
アウトのポーズ。
「オーイ」
「なんだよ。振ってねえよ」
「権藤! 出て来て抗議しろ!」
 鈴木尚典はバッターボックスで、ここで止まったじゃないかと主審に動きを再現し
て見せ、三塁コーチの青山も寄っていくが監督の権藤が出てこない。ライトスタンド
は騒然となっているが権藤は出てこない。ボールひとつ分外すのもそれに出かかった
バットを止めるのもどちらも一連の動作の実現の疎外だけれど、監督が抗議に出るこ
とで形になる。「抗議しても一度決まった判定はくつがえらない。だから抗議しない」
という権藤の理屈は浅薄な理屈で、プレーヤーの士気にかかわることがわかってない。
監督の出てこない抗議はすぐに終わり、不満そうに帰っていく鈴木尚典の尻を、ロー
ズがポンと叩き、それによって流れが回復された。バッターボックスの中でガシッと
足を踏んばり、両手でぐっと一度バットをつき上げ、右手で一度股間にさわり、正中
線をやや越えるあたりで止めるゆっくりした粘っこい素振りを三回して、四十五度の
角度にバットをカチッと立ててかまえる。ピッチャーの投げる球を打ち返すという同
じ動作をこうも一人一人が違うプロセスで作り出す。与えられた同じ一つの課題を違
うプロセスで実行する。右中間にぐんぐん伸びてくるのがローズの弾道で、それこそ
がローズの個性だが個性が問題なんじゃない。野球はすべてのプロセスが得点に還元
され、勝ち負けだけが残る。伝説の名勝負や名選手なんていうのはテレビで野球を見
ている非当事者の言い逃れで、毎日の試合には勝ちか負けしかない。ピッチャーが投
げてバッターが打ち返す一連の動作の中にはそれぞれが練習した過去はあっても、伝
説も名勝負も歴史性もそんな未来から偽装された過去なんかありっこない。だからゆ
っくりした粘っこい素振りをするローズに、ライトスタンドは「ローズ」と声をかけ、
「カモン、ローズ、ビクトリー ハッスル、ボビー、ゴ、ゴー、ゴー」と歌う。ミン
チーが一塁にケン制球を投げ、ローズはバッターボックスから右足を外し、鎧を着た
ような胸に一度大きく息を吸い込み、両手でバットを前に突き上げ、股間に手をやっ
てサポーターを直し、三度粘っこい素振りをして、四十五度にバットをカチッとかま
える。唇の両端をギッとひいて左右の頬に大きな筋ができているのが見えるようだ。
ミンチーの外角低めのスライダーにローズのバットは遅れ気味に振り出され、キャッ
チャーミットに入る寸前でとらえ、ボールをとらえたバットは派手に振り抜かれず左
足の爪先のあたりで止められたが、ボールは右中間にぐんぐん伸びてきた。やっぱり
この瞬間がたまらない。九人の野手も塁上のランナーも打ったローズ自身も、ベンチ
もスタンドも、ここにいるすべての人が右中間に伸びるボールに導かれて動き、叫ぶ
のだ。

 ローズの右中間三塁打につづいて、いま一番胸を熱くさせる中根がレフト線をライナ
ーで抜ける二塁打を打って、六回裏に三点返し、七回表にまた一点取られて七対三にな
ったが、その裏に代打多村のツーランホームランで七対五。しかしまたまた八回表に二
点取られ、九対五になったが、九回裏に三点返して、なおもツーアウト二塁で中根だっ
たが見送ればボールという球を空振りして試合が終わった。時刻は十時四十五分で、も
しこれが逆転勝ちだったら終電の時間も考えずに祝杯をあげていたかもしれないけれど、
六回表までの六点差をぐんぐん追い上げてついに一歩届かなかったという展開は、三対
一ぐらいで勝つ試合よりも興奮の度合いは強いし、ローズの打席を五回も見ることがで
きて、そのうち三回がヒットで、と豪華なものだけれど負けは負けだからうれしくはな
くて、桜木町までの十分ちょっとの道の途中まで一緒の前川と歩きながらビールのロン
グ缶を自動販売機で買い、東横線の各停にすわってビールを飲んでいると、最後の最後
に狂喜できなかった気持ちがいつまでもくすぶっていて、くすぶっているその音が聞こ
えてくるようだった。九対0で負けるのも今夜のように一点差まで追い上げて両チーム
総動員でもう本当にたった一球が別の軌道を描いていたらどうなっていたかわからない
くらいの試合でも一敗は一敗としてカウントされるのが野球で、九対0と九対八を別々
にカウントするルールがあったとしたら、試合の内実を反映するかもしれないけれど、
反対に今夜のような盛り上がりは起こらないかもしれない。内実を無視して無粋にただ
勝ちか負けかだけをカウントするシステムだからこそこういう試合が実現して、球技は
ファインプレーもミスもすべてプロセスにかかわりなく点数に還元され、さらに点数の
合計が勝ちか負けかに一元化される。この一試合にかぎってみれば、もしかしたらミン
チーが七回裏に多村にツーランを打たれたことが勝因で、もしもミンチーが七回の攻撃
を0点に抑えていたら、広島の八回表の二点もなくて、八回裏もミンチーが投げていて
八回裏に横浜が連打していたかもしれない。そういう仮定を並べ出したらキリがなくて、
広島の勝因は一回表の先頭打者の木村拓也が小宮山の三球目のボール気味の球を空振り
したところにあって、あそこで木村拓也がボール気味の球を空振りしていなかったら今
夜の小宮山がその後、ボールと判定されつづける同じコースに投げなかったかもしれな
いなどといくらでもさかのぼってしまうことができるけれど、そういう仮定は意味がな
い。だからといってすべてが強固にガシッと組み合わされた運命で、いっさいの仮定に
は意味がなくて、エラーもタイムリーヒットもすべてが広島がこの試合を勝つためのプ
ロセスなのだとするのも同じだけ空疎な理屈で、勝因も敗因も必ずはっきりしたものが
いくつかあって、たとえばリリーフして打たれた阿波野や五十嵐をまた使ったらまた負
ける。もしこの試合が地球で最後の野球だったら、ファンも選手もつまらないプレーを
含めたすべてのプレーを文字どおりかけがえのない記憶として抱きしめるだろうが、現
実はそうではなくて明日も試合があり、その試合もまた勝ちか負けかがカウントされる。
三十六歳の阿波野なんかは間違いなく今シーズンかぎりで引退で、もしかしたら今夜の
いいところがひとつもなかった登板が現役最後のマウンドということになるのかも
しれないけれど、由香里の好きなというかおかされている「これが十代最後の友達との
旅行だからみんなで思いっきり青春しよう」式の、未来の追憶を先取りするような思考
なんか、勝ちか負けかの中では入り込む余地がなくて、今シーズンが終わって「ああ、
」あの日が最後の登板だったのか」と知らされたとしても、やっぱりただ腹立たしいだ
けだろう。
 野球の試合ひとつひとつ、プレーのひとつひとつにいつか回想しなければならないよ
うな意味を見ようとしていたら、球場は博物館みたいに辛気くさい顔と、もっともらし
い言葉で淀んだ場所になってしまうだろう。自分のチームの勝ち負けしか眼中にない無
理解なファンに囲まれた中で、【と目の前にいる敵に絶対に負けたくないと思う選手で
戦うのが野球で、明らかなミスジャッジとわかっても自分に有利なら黙っているような、
】(【 】の部分は赤の斜線で消し)王に世界記録の○○○号ホームランを打たれたこと
でだけ歴史に名前が残り、それがなかったら他に何の記録も残らない選手でもやっぱり
それを屈辱と感じるくらい、とにかく目の前の敵に絶対に負けたくないと感じることの
できる選手がやるのが野球なのだ。ホームに滑り込んだ選手の手が本当はボームベース
に触れていなくても審判が「セーフ」と言ってしまえば、相手がどれだけ抗議をしても
「触わった」と、自分に有利なことを言い通すのが選手というもので、そういう勝ち負
けに対する圧倒的な執着がなくなったらいいプレーができなくなるようなタイプの人間
が野球やサッカーの選手で、相手のファインプレーに拍手じゃなくて怒声を浴びせるよ
うな人間でなければ球場なんかに行かないし、相手側のファンの怒声を拍手と同じもの
と感じて喜々とするような人間だけが選手をつづけることができる。つまり負けた試合
の後はどんな試合でもおもしろくない。
 野球は大リーグ式の真っ向勝負が讃えられがちだけれど、そういう一元化した価値観
が通用するのもアメリカだけが突出しているからで、サッカーのように世界中に広がる
と、反則ギリギリのプレーやおもしろ味のない戦術もルールの中ですべて許されること
になって、勝ち負けという結果だけにこだわる気持ちがむしろ内実を多様にさせる。つ
まり負けた試合の後はどんな試合でもおもしろくない。勝ち負けだけだったらジャンケ
ンでもいい、大事なのはひとつひとつのプレーだという考えはむしろ衰退の道で、最後
に勝ち負けしか残らないと思うから本気になる。最後に勝ち負けしか残らないからこそ
試合ごとに違う中身が実現する。つまり負けた試合の後はどんな試合でもおもしろくな
い。こういう滅多にないくらい惜しい試合に居合わせてしまうと、悔しくて気持ちのや
り場がなくて、横浜ファンとして球場に来た自分にまた来るための根拠を与えるためな
のか(そんなものなくてもまた来るが)、テレビの前で「いい試合だった」と大人の感
想を口走る人間への反発なのか、とにかく私はビールのロング缶を飲み終わっても、空
の缶を少しずつ握りつぶしてペコペコ音をさせながら考えつづけていた。「長嶋茂雄と
いう時代のヒーローに国民は夢を託した」式の、つまらない社会生活の代償行為として
野球に熱中するという通俗な考えにも当然私は東横線の中で一人で反発した。そういう
考えも球場に行かない人間が思いついたもので、ファンは夢を託すなんて抽象的なこと
ではなくて、ファンとして試合に勝つために球場に行って試合に参加するのだ。この悔
しさはだから明日勝って晴らすしかない。試合に負けた悔しさは球場の外で晴らすこと
なんかできない。球場に行くのは社会生活の代償行為ではなくて私の生活の一部で、生
活の代償行為だったらこの負けを他の何かで埋め合わせることもできるかもしれないが、
生活の一部だから球場でしか晴らせない。
 ひとつひとつの試合はすべて違う内実を持っているのに、ただただ勝ちか負けかにカ
ウントされる。すべて違う内実を持っているといっても、ひとつひとつのプレーには、
右中間二塁打とかショートゴロとか外角低めのスライダーとか名前がついていて、名付
けようのないプレーが飛び出すわけではない。しかしローズの右中間二塁打と鈴木尚典
の右中間二塁打は軌道が違う。ローズの打球はゆっくりと高く上がり、鈴木尚典の打球
は低く鋭く飛んでゆく。しかしどちらもピッチャーの投げた球を打ち返すという目的の
産物であることに変わりない。

___________________________END_________
メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.17 2005.02.22配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
連絡先:0467-24-6573・070-5577-9987
_________________ALL END_________________