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        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.15 2004.6.10
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                 はじめに


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  ●特別企画:中央大学での講演(2003年11月1日)
   〜小説が立ち上がるとき〜その3(全4回)
  ●連載:引用集第8回『ゴダール 映画史』奥村昭夫訳・筑摩書房  保坂和志
  ●連載:ねこちゃん話 vol.07・『みさきちゃん、小さくなる・前編』 まゆ子
  ●連載:「ミニラボ」vol.07:ミワノ
  ●連載:「そらめめ」  くま
  ●連載:極楽月記 vol08 「雅楽庵」がぶん@@
  ●連載:「お稽古の壺」その7  けいと 
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●特別企画:中央大学での講演(2003年11月1日)
 〜小説が立ち上がるとき〜その3(全4回)

保坂:いや、大変だからやるんですよ。
 それでね、友達と酒飲んでたり、編集者と話していたりすると、とにかく僕の小説っていうのは、事件が起きないとか、恋愛が起きないとかっていう、〜ない、〜ない、ばっかりで言われることが、まあ、昔よりは減ったとはいえ、相変わらず言われるわけですけど。で、友達と飲んでたりするときに、昔のね、女の子と付き合った話とか、うまくいかなかった話とか、それとかあの、助平な妄想の話とかしてると、そういうことを書いてくださいよ、とかって編集者が言うわけ。でもね、今のこうならなかったかもしれないっていう話っていうのは、書いてみるまで、どういう話を自分が考えようとしているのかが全くわからないんですよ。ていうか僕自身もわからないんだけど。で、それに対して、恋愛のドタバタとかっていうのは、飲み屋の話で通じちゃうわけじゃない。だから、みんなさ、飲み屋の話でも通じるような話が、まず面白くて、そういう話も書いて下さいよって言うんだけど、飲み屋の話で通じちゃったら、飲み屋の話でいいんだよ。小説なんかに書く必要ないわけですよ。で、僕が昔の女の子と付き合ったとか、うまくいかなくて振られたっていう話っていうのは僕としてはもう十分知ってるわけね。今更蒸し返したくないとか、そういうことじゃなくて、知ってることなんか書いてもしょうがないって思うの。ところがみんな、小説を読むっていうのはさ、まあみんなとは言わないけど、そういう飲み屋の話程度で通じるような小説が面白い小説だと思ってるっていうか、そういうものが小説だと思っているわけで、それは全然違うんですよ。そういうのが、たぶん話としては、欲望とか願望に関わる、そういう次元のことだと思うんだけど。
それで、糸井重里さんのやってる、「ほぼ日新聞」(「ほぼ日刊イトイ新聞」)ていうインターネットのホームページで、最近ちょくちょくちょくちょくインタビュー受けてるんだけど、また今回もインタビュー、来週ぐらいから更新されると思うんだけど、その中でも言ってんだけど、この間、ものすごく好い天気で、近所の羽根木公園まで散歩して、最初羽根木公園まで行くつもりなくて、ただ近所を当てもなく行こうと思ったんだけど、やっぱりこの近所で一番、うちの周りで一番綺麗なのはとりあえず、当面、羽根木公園かなと思って、羽根木公園行って、10月の空っていうのはほんとにあの、どーんって、ほんとに抜けるようにっていう言葉通りに、も、どーんっと高いの。それで、羽根木公園には百合の木っていう、英語でチューリップツリーって言うんだけど、日本語では百合のような木、英語ではチューリップのような木っていう、北米原産の木があって、それはもうマンションの五階ぐらいにどーっと伸びていく巨木なんだけど、も、簡単に欅なんか追い越しちゃうんだけど、どんどんどんどん伸びてきて、で、その百合の木が、葉っぱが黄色くなりかけてて、4、5日経って行ったらもうほとんど黄色になっちゃってたんだよね、それが。で、それをこうやってこう見上げてると、もう、ほんとに、ああ、もう、なんていいんだろうって。で、これを見てると、これ、ほんとに再現できないって思う。この風景も再現できないし、ここにいる気持ちも再現できなくて。で、例えば、こうカーッとほんとに青空ってことは日が当たってるっていうことだから、背中とかが遠赤外線効果でぽかぽか暖まってるんだけど、そういう言葉で言っても全然意味ないでしょ。「私は遠赤外線効果に包まれて抜けるような青空を見て」とかって言ったってまったく意味ないわけで。で、それのほうが、その全然言えない、言葉で言えないけれども、でもこれをもう一度再現したいって、違うものにはなるかもしれないけど、同質のものとか似たものとか近いものは、作れるかもしれない、っていうのでやる方が全然大事じゃない。書くっていうことにとって。それっていうのは…、で、こうわーっとこう抜けるような空見てるとやっぱりどっかで悲しくなってくるのね。その悲しいってのは別に、ほんとにこう日常生活レベルにいう悲しいって言うのとは全然違ってて、やっぱりこう存在そのものの有限性みたいな悲しさって言うか。
それで、そういえばって言ってあとで気がついたんだけど、『カンバセイション・ピース』の最終章っていうのは、風邪で寝ている「私」が青い空の下で考えてるのね。風邪で寝ている「私」が窓の外を、子供の手を引いてる若いお母さんの声で「きれいなお空ね」って言ったときに、この「きれいなお空ね」という言葉が去年死んだ人にも言ってるかもしれないし、とにかく死んだ人に向かって言っているのかもしれない、とかっていうようなことを考えることから、その最終章に、わーって考えることが始まるその起点にもやっぱりなってたんですけど。だから、そういう計算てのもない。だいたい、そういう風にしたくて10月に風邪で寝かせたわけじゃないんだから。横浜ベイスターズのローズが引退する日に合わせただけなんで(笑)。偶然そういうことが始まったんですけど、で、その、そういう有限性みたいな感じってのは、見てる感じっていうのに、その悲しいって思うのはその存在の有限性とかっっていうのはあるのかもしれないし、あるいは、僕がこう今思ってるときに、誰にもそれが伝えられてない。でも同時にあの、そういうのを思ってるときに、あの日に道歩きながらずっと、こう、頭ん中で結構誰かと会話してるのね。で、その誰かっていうのが、誰かってのが、ま、今は奥さんでもいいんだけど、恋人だって、生涯でファムファタールのようにものすごく好きになった恋人だっていう言い方を簡単にしちゃう人はそういう小説が書けるんだけど、そんなことじゃないんだよね。そういうふうに一人で「あーいいな」とかって思ってるときに、とか、一人で旅行に行って、そういう「あーいいな」って景色見ながら、なんかこう頭の中で誰かと会話しているような、それが、なんかそういうソフトが、ソフトが勝手に動くから対話ってものも起きたのかもしれないっていう感じがするの。人間ってのは対話をするから、そういう、で、恋人がいるからこう、いい風景の中で語りかけたりするっていうふうに安易に思うんだけど、そうじゃなくて、もともと、なんか、こう感じたときに誰かと架空の対話をしだすような、ソフトができてんじゃないのかと思う。それは動物にはなくて人間にしかないものです。それでその中に言葉がはまり込んで、それは同時にできるんだけど。人間が会話をするようになったり、そこに、そういう空席に、恋人がぽんと入ってきたり、恋人というものになる女の人がぽんと入ってきたりするだけで、本当は、そういうことがこうずうっとからからからからまわっているっていうか、そういう感じの方が、全然、具体的な誰か一人に話しかけてるっていうような話を書くよりもはるかに大事だと思うんだよね、っていうのが僕の小説観なんだけど。
中河内:現実、言葉にはちょっと表しがたい現実に直面したときに、それをどうにかしてそれに近づけていこうと努力していく、そのプロセスというか過程の上で小説が作られて、書かれているということですね。
保坂:そうですね。
中河内:はい。で、ちょっとその対話の、今、頭の中で誰かと対話しているっていうところが繋がってこなかったんですけど。
保坂:それが?
中河内:現実を何とか言葉にしようっていうところまではわかったんですけど。
保坂:うん。
中河内:で、その対話するというところと。
保坂:っていうか、そもそも完全に繋がってなきゃ、繋がってないんですよ。
中河内:ん?
保坂:二つ言ったんだ、そしたら。
中河内:二つ。
保坂:二つを言ったんだ、きっと、そしたら。でも繋がってると思うんすけどね。それは、歌の歌詞とメロディーのようなもので。
中河内:いい景色を見てるときに頭の中で誰かに語りかけようとしている、それが、まあ小説を書いて誰かに伝えようとしている。
保坂:あ、全然。
中河内:そういうわけではない。
保坂:そんな単純なことっていうか、そういうすぐ繋がるものではなくて。
中河内:そこまでは繋がってない、直接。
保坂:そういうものがあったときに、それは、普通に言う飲み屋では通じるレベルの欲望・願望次元の小説っていうのはすぐにそのソフトを指して恋人との対話ってしたがっちゃうんだけど、そうではないんだ。もっとそれよりも、本当はそういうソフトがあるんであって、恋人がいるんじゃないっていうようなことを小説で書きたいとなると…、っていうのが私の話。そういう話。わかった?
中河内:はい。
保坂:僕のね、長い友達で、先生でもある樫村晴香という男も保坂の話は飛躍が多くてよくわからないって言うから、しょうがないのかもしれません。もともと話すことのプロではないですから。そればっかりは。
中河内:抽象的な誰かに語りかけているとして対話をしているっていうことが、さっき最初におっしゃっていたその小説の言葉にはなんか音楽性があるっていうことと…。
保坂:それとも関係ない気がする。
中河内:ちょっと違う。
保坂:まあ全部関係はしているけど、それであるっていうことではない、です。
中河内:っていうわけではない。
保坂:気にしてます、それ?
中河内:(笑)
保坂:でもね、本当に、誰か好きになるともう間違いなくそのソフトはばーっと動き出しちゃうのね。それでみんな気がつくんだけど、好きな相手なんかいなくてもね、それ動くの。今も動きますよ、だから。それで、前に、僕のストーカーが居たときに、その人はね、旅行マニアなのね。ストーカーって、まあ軽度のストーカーなんだけど。旅行マニアで、もう本当にどっこにでも、いっつも旅行してるんだけど、旅先から二日に3通、手紙・絵葉書が届く。それで、それを読んだときに、本当に、今僕が羽根木公園とかでこういう風景見てるとか、本当に自分が旅行したときに、こう一人で行って、こんなことを考えているってようなことのそのまんまが、全部保坂さんに対する語りかけっていうことで手紙が出来ているのね。それを見たときに、それがヒントどころか直接に感じたんだけど、あ、人を好きになった状態っていうのは本当に俺もこういう風になってるなーとは思った。だからって言って同情はしませんけど、もちろん。
中河内:(笑)
保坂:共感するなあ、とかって言ってさあ、その子を好きになるとかってそういうことはないんだけど。本当に、そういうもん、そうだなーと思って。それから、なんかこう好きな女の子がいる時期とか、あー、あの状態になってるなとかってほんと思うもんね。でも、好きな女の子がいるっていう話は、やっぱりそこまでだと思うんだよね。やっぱり自分が、どうして恋愛とか事件とかっていうのを書きたがらないんじゃなくて、最初から書くことを忘れているかっていう、書くような気が働かないかっていうことは、それはやっぱり考える。その、恋愛の、恋愛小説のネタっていうふうにはまったく考えないけど、なぜ自分が恋愛を書こうとしないのかっていうことは、やっぱり考えるのね。で、ていう疑問からそういうことは考えるんだけど。でまあ、僕にとってはそういうのってのは全然たいしたことじゃないっていう気がするんだけど。でね、僕が言われるのは、事件が起きない、恋愛が起きない、それから政治性がないとか社会性がないってことを言われるんだけど。ところがね、僕の小説よりも社会性がない小説っていうのはいっぱいあるのね。それで、恋愛についても、僕が今言ったその頭の中で動き出しちゃう語りかけのソフトっていうのは、そこに特定の個人が入れば恋愛っていうものが起きるっていうことだとすると、僕は小説の中で結構その語りかけのソフトってのは小説で使ってるわけ。僕がそれを使ってるから、恋愛が起きないっていうことに皆気がつくわけ。その語りかけソフトを使ってるから恋愛が起きないことを気がつくわけ。だから、『大地の子』を読んでて恋愛が起きないってことには気がつかないんだよ。『大地の子』は、そのソフトを使ってないからなの。っていうことは、保坂の小説に、保坂の小説には社会性がないっていうのも、実は社会性がないことに気がつくっていうことは、社会性があるんだよ。社会性と触れ合ってるんだよね。社会性が、ここが動き出せば社会性になるっていうようなものをなんか使ってるんだよね。
中河内:だからないことに気づく。
保坂:気づく。わざとそこが空いてるんだと思うんですよ。
中河内:それは、空かせてる、わけではない。
保坂:そこはね、自分ではよくわからないんだけれども、ただ、『文藝』っていう雑誌で三回だけ対談した水越真紀さんっていうのが、彼女は非常に社会性の、っていうか政治的なことを考えるのが好きな人っていうことになってんだけど、彼女の政治性とか社会性っていうのはすごいインチキであるっていうことがすごくよくわかる。だから、僕のが、その社会的な働きかけとか政治的な働きかけってのはたくさんしてるわけ。普段はね。普段って言うか、彼女が、今、彼女30代後半だけど、デモに行くの結構流行ってるでしょ。イラン戦争、あ、イラク戦争。
中河内:イラク戦争。
保坂:じゃなく、その前。9.11のときから、あの報復行動のときからデモが流行り出したでしょ。でもさ、そうじゃなくて、デモっていうのは、デモ行くっていうことはさ、まさしくデモンストレーションであって、政治性って問題じゃなんだよね。彼女と三田格って音楽評論家は夫婦なんだけど、二人ともすごくそういう政治的なように書くんだけど、自分たちのライターとしての地位向上しないことには無関心っていうか、ライターとしての地位の向上っていうのを考えないわけ。だから僕は、今さ、小説なんて何の意味があるんだっていう、すごくくだらない考え方がさ、社会で支配的になってるのに対して、その小説の意味とかっていうのを一生懸命言うってのは、これは社会的・政治的働きかけなんだよ。
中河内:(笑)
保坂:世間の人がみんな、小説っていうのは事件が起きたり恋愛が起きたりするもんだって思っているところで、何にも起きない小説を書いて、それで、その小説を売るようにするっていうのは、それが一番社会的政治的な働きかけなんだよ、ていうことなんですね、僕の。全然話それちゃったんですけど。恋愛の話からでたんですけどね。
中河内:まあ、えっとそろそろ。時間が。
保坂:そろそろ?え?あ、一時間しゃべって30分(質問)か。
中河内:そうです。
保坂:あ、ごめん、ごめん。それで、もう一個だけ言っとくと、中学の頃から、だいたい皆がね、大きな誤解が始まるんだけど、頭がいいっていうことは疑うことだっていう、ものを疑うことができることが頭の良さだっていうふうになんか中学生ぐらいから思いだすっていうか、そういうモードに入ってきちゃうのね。ところが、本当に頭がいいっていうか、本当に考えるっていうことは、信じることなんだよね。ものごとを肯定することができるっていうか、だから、哲学とか神学の流れで懐疑主義なんてたいした事なくて、やっぱり神がいるっていうことを一生懸命考えた聖アウグスティヌスとトマス・アクィナスっていうのが、もう、このアウグスティヌスが西暦2世紀ぐらいで、トマス・アクィナスが、あ、もっとか、アウグスティヌスは、あーでもキリストの後だもんね、そう、ごめん、2世紀ぐらいで、トマス・アクィナスが13世紀とか14世紀だけど、それもきちんと残ってるでしょ。それはもう20世紀になっても残ってるし、たぶんもっとずっと残ってて。疑うなんてのは、本当に中学生程度の頭でも出来るのよ。中学生程度の、ちょっと、世の中に論理的思考っていうものがあるんだって知ったときから、疑うことっていうのは出来るようになるんだけど、信じるっていうのは、その疑うっていう、つまらない頭の働き方をもう一度乗り越えて、ぐっとこう、向かうことだから、信じることの方が頭がいいのかどうかはわかんないけど、頭を使うことなのね。それで、そっちじゃないと創作ってのは出来ない。小説書くってことはできないわけ。疑う程度で批評っていうのはできるんだけど。小説書くのと対等に、ちゃんと小説を順番に読むっていう、その枠組みじゃなくて、こう小説の中に流れているダイナミズムを読むってのは、書くのと同等の行為である、ということです。ていうようなことでいいです、はい。以上です。

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●連載:引用集 第8回『ゴダール 映画史』奥村昭夫訳・筑摩書房 保坂和志

 前回、「引用集第8回」となっていましたが、「第7回」の間違いでした。そういうわけで、今回が正しい第8回で、ついに私の『聖書』のような『映画史』です。
適当な小説が思い浮かばなかった。というのもひとつの理由ではありますが、もっと大きな理由は、「『映画史』を忘れていたことに気がついた」です。しかし、引用する箇所を探していて、案外引用しにくいことに気がつきました。
 それは一見、エッセイのようにたらたらとしゃべっているようでいて、じつは、全体が緊密に結び付いていることの証拠なのではないかと思いますが、そうでなかったら私の『聖書』になるわけない。
 私は『プレーンソング』を90年の秋に出版したときに、出版業界の旧弊な販売態度をあたらめて体験しました。外から見ていて「もう全然ダメだな」とは思っていたけれど、自分の本が出版されてみて、そんなレベルをはるかに超えてダメなことを知りました。たとえば出版不況といわれるけど、その主たる尺度のひとつは、宮本輝・林真理子・渡辺淳一etc.5万から10万部売れる作家の本が、全体として1割落ちたり2割落ちたりしているというのが、彼らの論拠であって、5千部から1万部あたりの、まっとうな読者を持っている作家の小説を、ひとつひとつきちんと売ろうとして売れなくなったからなのでは全然ない(そのへんの地味(!)な本については正しく計測できていない)という、現代社会で許されないドンブリ勘定がまかり通っているわけです。
 10万部の小説と5千部の小説は、最初から出版者の営業の人間の偏見によって区分けされていて、「10万部売らなければならない宣伝」と「5千部でいい宣伝」という風に分けられてしまうから、よっぽどの幸運にでも恵まれないかぎり、5千部の作家が1万部のラインを超えることはできない。
 そういうわけで、「こりゃあ、いよいよサラリーマンは辞められないな」と思って、会社勤めをつづけていたわけですが、93年に入ってセゾン・グループでもリストラが始まり、会社に残っている社員は忙しくなるばっかり。「打ち合わせ」と称して簡単に会社を抜け出しにくい雰囲気もできつつあって、このままいたら小説が書けなくなると思った。
 で、私は会社を辞めるわけですが、出版のヒエラルキーの中にいたのでは、小説だけで食っていくことができない。で、そこから私は10万部と5千部で露骨に宣伝量が別れてしまうヒエラルキーの外に読者を開拓するように、エッセイなんかで直接・間接にそれを訴える戦略(?)をとることにしたわけですが、そういう発想の元になっているのが『ゴダール 映画史』なのではないかと思う。
 他にも好きな本はいくつかあるけれど(そんなに沢山はないんだけど)、書く中身とそれを取り囲む状況の両方に対して助けになってくれた本は、これしかないんじゃないかと思う。では、引用します。例によって、段落が少ない箇所は読みやすくするために、適宜、改行してあります。


 それに私は、少なくとも頭のなかでは、自分の気に入らないやり方での照明を押しつけられるのはいやだと決めていました。それにまた、「ぼくは照明の技術にくわしくないから、そうしたときは、《いや、これまでのとは違ったことをすべきだよ》などと言わざるをえないだろう」と考えていました。つまり、特別なことはなにもしないでいようとしたわけです。そしてこうしたやり方は、今でもまだ、私の原則となっています。私が思うに、こうしたやり方はより単純なやり方で、しかも、これまでのとは違ったなにかをすることを可能にするやり方です。
 つまり、こうしたやり方は、自分がしたいと思うことではなく、自分にできることをすることを可能にするやり方だということです。あるいはまた、自分にできることを手がかりにして自分がしたいと思うことをしたり、不可能なことをしようと夢見るのでは全然なく、自分が手にしているものをもとにして自分がしたいと思うことをしたりすることを可能にするやり方だということです。
 かりに五千万フランの金があり、照明の手段がないとすれば、ひとはその金をつかい、照明なしで映画をつくるでしょう。そしてほかの問題が生じれば、自分にできることをし、自分がなにをしたがっているのかを考えようとするでしょう。私が思うに、この映画(『勝手にしやがれ』)の成功はこうしたやり方のなかにこそあったのです。私はいつも、こうしたやり方をとってきました。この映画は、本物の成功をおさめ、金をかせいだ私の唯一の映画です。(38ページ)


 (『勝手にしやがれ』は)つないでみると、二時間十五分から三十分くらいの長さになったのです。そのままではプロデューサーに渡すことはできません。契約によって、一時間三十分以内の長さにおさめることが決められていたのです。
 だから私は、よくおぼえていますが、あの例の、今ではコマーシャル・フィルムでよくつかわれている編集のやり方を考え出し、そのやり方で映画を短くしてゆきました。つまり、すべてのカットを細かく検討し、映画のリズムはくずすまいとしながら、切れるものはすべて切っていったのです。
 たとえば車のなかのベルモンドとセバーグのあるシークェンスは、はじめ、まずベルモンドがしゃべるカット、ぜついでセバーグがしゃべるカットといったように、切り返しの形でつないでありました。そして私は編集嬢と緒に、——そのシークェンスもやはり短くしなければならないわけで——その二人のそれぞれのカットを少しずつ縮めるよりもむしろ、それらのカットのなかからいくつかのカットを行きあたりばったりに選んでつないでいったのです。つまり、《二人のそれぞれのカットを少しずつ縮めていくつもの短いカットをつなげるよりもむしろ、どちらかのカットをすべて排除して一挙に四分間短縮し、ついで残ったカットを、あたかもワンカットで撮影されたかのように、次々につないでゆこう》というわけです。そして、ベルモンドとセバーグのどちらを残すかはくじ引きで決めることにし、その結果セバーグが残ったわけです…… 
 こうしたやり方は、よりよいやり方だともよりわるいやり方だとも言えません。要は、自分にできることをするということです。ひとはポケットに四フランしかもっていないときは、その四フランで食べてゆこうとします。失業者はみなそうだし、金持ちにしてもそうです。ロックフェラーは、自分がもっている四十億フランで自分にできることをするのです。それが現実というものです。
 ひとは自分にできることをするのであって、自分がしたいと思うことをするわけじゃないのです。あるいはまた、自分がもっている力をもとにして、自分がしたいと思うことをするのです。自分の映画を一時間三十分の長さにおさめなければならないのなら、歎き悲しみながら、《いや、俺は少しも短くしないぞ〉と言って頑張るよりはむしろ、短くしなければならないという現実を——ほかから強制されたものとしてではなく——認めるべきなのです。それというのも、リズムというのぼ、ある制約と、ある一定の時間のなかでその制約を自分のものにしようとすることのなかから生まれるからです。リズムというのは、スタイルから……制約とのぶつかりあいのなかでつくりあげられるスタイルから生まれるのです。
 牢獄からの脱出を考えても、そこにはさまざまのスタイルがあることがわかります。たとえばフィデル・カストロは、牢獄から脱出したあと、ある与えられた時間のなかで、ある一定のスタイルをもって……ある一定のリズムとある一定の制約をもって、ハバナに上陸してのけました。彼は《バチスタは六万の兵士をもっていて、そいつらが俺を入江のなかで待ちかまえている。だから俺は、俺の命令に従う二十五万の兵士を獲得し、百五十年後に上陸することにする》などとは言わなかったのです。ひとつの制約があったわけです。そしてそうした制約こそが、スタイルとリズムをつくり出すのです。だからといって、制約に屈従することが必要だと言おうとしているわけじゃ少しもありません。必要なのは、反対に、自分に力と柔軟性をつけるということです。そしてリズムというのは、自分が柔軟性をもって活動できる場所から生まれるのです。(45ページ)


 アイディア(あるいは「観念」)というのは私にとって…… 私はきわめて多くのアイディアをもっています。それに私が思うに、ほかの人たちもやはり、多くのアイディアをもっているはずです。でもほかの人たちは、そのことをはっきりとは示そうとしません。私がごくわずかの人たちとごくわずかの関係しかもつことができないのはそのためです……
 アイディアというのは肉体の一部分で、どれもみな現実的なものです。ひとが自分のアイディアにしたがって手を動かすとき……労働者がフォードの車体のボルトを締めようとするときであれ、自分が愛している女の肩を愛撫しようとするときであれ、あるいはまた、小切手を手にとろうとするときであれ、それらのアイディアはどれもみな、運動に属しているのです。
 私にはよく、自分の肉体をむしろ、自分の外部にあるものとみなそうとすることがあります。そしてその場合、私の外部にあるもののすべてが私の肉体となり、世界はむしろ、私の外皮、私の境界となります。また肉体は、それ自体としては、私の内側にあることも外側にあることもできます。あるいはまた、同時に内側と外側にあることもできます。ところが、人々がわれわれの頭のなかに、自分の肉体と呼ばれるものは自分の内側にあるものであり、自分の外側にあるものは自分の肉体には属さないという考え方をつめこんだのです。
 でも実際は、自分の外側にあるものも自分の肉体に属していて、だから、自分の外側にあるものはどれも、自分の肉体との関係でしか動かすことができません。それでも人々は、こう言ってよければ、自分の内側にあるものを、自分の外側にあるものよりもずっと自分に属していると考えているのです…… うまく言えませんが、でもそうなのです。アイディアというのは、なんなら知的なものとみなすことも大いに可能ですが、でも私には、アイディアというものと、そのほかの、人々がアイディアとは呼ばないものとの間に違いがあるとは思えません。アイディアという概念には反対概念がないのです。だから、アイディアはいたるところに入りこむのです。
 アイディアというのは物質的なものじゃありません。それでも、肉体がアイディアのひとつの契機(モーメント)いあるのと同様に。アイディアは肉体のひとつの契機なのです。(79ページ)


 しゃべることについてはどうかと言えば、彼は大いにしゃべります。というのも、おしゃべりはどこにも印刷(アンプリメ—英語のimprintのことだと思う(保坂))されないからです。映画の世界では、人々はしゃべることのためにしゃべるのです! 映画の世界の連中は、実生活をおくっているほかの人たちよりもずっとよくしゃべります。なぜなら、人々は実生活においては、労働によって制限を加えられているからです。生徒は教室ではしゃべる権利を与えられていません。労働者も工場では同じです。学生もほとんど与えられておらず、秘書はまったく与えられていません。だから、映画の世界の連中はみな、特権的な地位にいるわけです。俳優も演出家も、大いにしゃべっています。しゃべりやめることがないのです!
 連中に《しゃべってばかりいないで撮影しろよ》と言っても……だめです。最近もそうしたことを言ったことがあるのですが、結果はとんでもないことになりました。一緒に仕事をしていたカメラマンたちに、《テーマをひとつずつ与えるから、それをもとにしてカットをいくつか撮ってきてくれ。それによって、新しいタイプのこれこれの機材を試すこともできるわけだし……》と言い、それらのカットに対して規定どおりのギャラを払おうとしたのですが、結果はとんでもないことになりました……その試みは中止せざるをえなくなりました。かれらには、なにかに関心をもっということができないのです。そうした場合、かれらは自分で映画をつくることになるわけですが、それはだれにでもできることじゃないのです。
 アマチュアはどうかと言えば、かれらは多くのカットを撮り、それによってコダックをもうけさせています。でもかれらは、いつもひとつのカットしか撮りません。かれらはバカンスに出かけたときとかクリスマスのときとか子供が生まれたときとかに、それぞれカットをひとつずつ撮ります。かれらは決して、そのカットのあとで別のカットを撮るということをしません。とすると、かれらはそのひとつのカットを撮ることによってなにを求めているのでしょう? もっとも、それはアマチュアにとっては、ごく当然のことなのでしょう。でもプロの場合は、私に言わせれば、当然のことじゃありません。それに、プロはアマチュアよりももっと撮らないわけで、だから、私の敵は映画のプロたちなのです。私はアマチュアに対しては少なくとも——そのアマチュアが私の映画を見、それに興味をもったことがあるとすれば——、《それにしても、君はあのカットを撮ったあと、なぜ別のカットを撮ろうとしなかったんだ?》と聞くことができます。少なくとも、映画に関するきわめて現実的な会話をかわすことができるわけです。またそれによって相手は、別のカットを撮ることの必要性は、物語をつくりたいという欲求からくるのだということを理解したりするわけです。そして相手が物語を必要としていなければ、こちらも別のカットを撮ることを求めたりはしないわけです…… だれもが映画をつくる必要はありません。でもつくるべき人たちに対しては、つくるよう求めてもいいのです。(117ページ)


 われわれは抽象のなかでコミュニケートすることはできません。それにわれわれは、金というものがはばをきかす社会に生きています。そしてそのために、人々は与えられた命令を実行したり、その命令を与えた隊長に有罪の宣告を下したりしています。まったくばかげたことをしているのです! 人々は発砲しろという命令を与えた隊長を戦争犯罪人として有罪にしたりしています。でもその隊長は、ある言葉を口にしただけなのです。言葉というのは少しも危険なものじゃないのです! 一方、発砲した者たち、発砲した数千の兵士はどうかと言えば、かれらは命令を実行(エグゼキュテ)しただけです。それによってだれかを処刑(エグゼキュテ)したことも確かですが、でもかれらは命令を実行しただけなのです……命令に従っただけなのです……人々はこうしたことをすることによってなにを守ろうとしているのでしょう? 命令に従うという行為を守ろうとしているのです。もっとも、人々がごく短い期間、命令に背くという行為を守ろうとすることもよくあります。なぜなら、しばらくのあいだなら、命令に背くというのは楽しいことだからです。でもそのあとは……(128ページ)

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●連載:ねこちゃん話 vol.07・『みさきちゃん、小さくなる・前編』 まゆ子
   こちらからどうぞ
       ↓
http://www.k-hosaka.com/nekobana/07/nekobana07.html

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●連載:「ミニラボ」vol.06:ミワノ
 こちらからどうぞ
 http://miwano.easter.ne.jp/mini-lab7.html 
************************************************END************************ ●連載:「そらめめ」  くま
 こちらからどうぞ
 http://www.alles.or.jp/~takako9/sorameme040615/sorameme_top.html
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●連載:極楽月記 vol08 「雅楽庵」 がぶん@@

第二極楽荘の庭でドラム缶風呂の集いをしてからしばらく経つけれど、それだけじゃ物足りないってことで、庭の大改造に取り組んみました。
そしてつい最近完成したので、このスペースを「雅楽庵」と命名し、わびさびを楽しもうというわけです。
         つづきはここで
            ↓
http://www.k-hosaka.com/gokuraku/gokuraku08/gokuraku08.html

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●連載:「お稽古の壺」その7  けいと

歌舞伎のこと

前回、衝動買いするもので多いのが植物と、書いたんだけど、先日、「ゆすらうめ」
という赤い実のついた木を衝動買いした。そのゆすらうめをみつけた日は、ちょうど、歌舞伎に行った日で、というか、正確に言うと、歌舞伎だと思って鎌倉芸術館に行った日なんだけど。朝から台風で風と雨が激しく降っていて、でかけるのは大変だなーと思いつつ、でも、勘九郎の名称最後の親子公演で、ずっとたのしみにしていたものだったので、流石に着物までは着なかったけれど、傘がとばされないようにふんばって歩いたり電車にのったり、電車に乗ったり、歩いたりしながら、ようやっと芸術館にたどりついた。でも、なんか変なんだよね、閑散としていて、全然人がいないので、もう、すでに、みんなはやばやと席についちゃってるのかしらーなどと思いながら、いやーな予感、そっとチケットをとりだしてみてみたら、やっぱり、的中、日にちが違ってたの、ほんとは、次の日。なんで、まちがっちゃったんだろうと、自分がまちがえたくせに、まるで、キツネにつままれたような気持になって、外にでたら、わたしとまったくおなじように、チケットを見て、苦々しい顔してる人がいて、なんだかわからないけど、もっと恥ずかしい気持になってしまった。
それから、帰る道すがらの花屋さんで、ゆすらうめをみつけたんだけれど、このゆす
らうめは、昔、北海道の獣医のおじいちゃんと一緒にすんでいたころ、庭にあった木
で、けっこう大きな木で、小さな真っ赤な実が数えきれない程、いっぱいついていた。
小さい頃はおやつ代わりにそれをとってはよく食べたんだけど、あまりに多いので、
おとうさんがそれを焼酎につけてお酒をつくったものだった。ひっこししてからも、
その「ゆすらうめ酒」は、おじいちゃんが作って送ってくれていて、まるで、ジュー
スのように甘そうで真っ赤なお酒は、すごく魅惑的だった。実そのものの味は覚えて
いないんだけれど、そのお酒の味は覚えていて、こうやって書いていても、その味が
口中に広がる感じ。
獣医のおじいちゃんは父の養父で、実際は父の母の兄で、早くに両親がなくなった父
はこのおじいちゃんを頼って北海道に渡ったと聞いたことがある。おじいちゃんは、
おしゃれな人で、毎日卵の黄身で、はげ頭を磨いていた。外出の時はステッキをもっ
て、山高帽をかぶっていた。馬のお産の時に、シッポがあたって、片目がつぶれてい
たので、ちょっと見はこわそうで、実際も、わたしの両親よりもきびしくて、しゃが
れ声でどなられると、それだけで涙がでたものだった。おじいちゃんは、寺門という
名字で、おばあちゃんは宮嶋で、おじいちゃんの家には、ふたつの表札がかかげてあって、そのころではめずらしい夫婦別姓だった。というか、もしかして結婚してなかったのかもしれない。どういう事情だったのかは、今でも、よくわからないのだけれど、後に、おばあちゃんの息子と言う人が、お金を借りにきて、そういう事実を知らなかったおじいちゃんをはじめ、うちの両親は驚いておおさわぎだったことがある。おばあちゃんはものすごく、強い人で、そのあたりの婦人会みたいのをまとめていて、いつも、近所の人達がお茶をのみに来ていて、大声で、おじいちゃんの悪口をしゃべっていた。わたしにも、「おじいちゃんが女の人の所に行ったら、すぐに教えなさい」と言っていて、わたしは、うんうんといってたけど、こわくていつもほんとうのことは言えないでいた。実際は、おじいちゃんは、たまにわたしをさそって、ものすごく早い時間に銭湯にいくんだけど、銭湯の帰りに、いつもいくお店があって、その小料理屋は閉まっているんだけれど、裏口から入って、茶の間みたいなところで、ほっそりとしたきれいなおばさんが待っていて、お酒とおいしそうなつまみを出してくれた。それ以上の事はなにも知らないけど、なんか、その料理屋の路地裏の雰囲気とか、部屋の中でむかいあって座っているおじいちゃんとよその女の人の穏やかな様子はよく覚えている。今思うと、やっぱり、「いい仲」だったんだろうなーなんて思う。
おじいちゃんが70才で、喉頭癌になったとき、おばあちゃんはさっさと、荷物をまと
めて出ていってしまった。それで、おじいちゃんが死んでから、うちにもどってきた
んだけれど、どうしても、おじいちゃんの仏壇がこわいらしく、毎晩うなされるので
うちに住めなくなり、ひとりで、老人ホームに入り、その何十年か後、100才の一月
一日の誕生日の朝、お雑煮の餅が咽につまって死んでしまった。ゆすらうめひとつで、いろんなこと思い出しちゃったなと、今考えていたら、実は、おじいちゃんは勘九郎のおとうさんの先代の勘三郎にそっくりで、そんなこともあって思い出したのかな。
ところで、ほんとうの公演の日、席について、ちょっとびっくりしちゃったのは、前
の日に、間違えてきちゃったらしいもうひとりの女の人がわたしの斜前の席だったっ
てこと。前の日と同じ山吹色の洋服で、茶髪を無造作にアップにして印象的だったの
で、気がついたんだけど、実は帰りに大船で買い物してぶらぶらしてから、鎌倉の駅
にもどってきて、もっとびっくりしたのは、その女の人が、わたしが乗ろうとしてい
た江ノ電の切符を買っていたこと。
それで、肝心の歌舞伎はというと、正確に言うとこんかいのは、舞踊公演なんだけど、おもしろかった。なんといっても親子三人でふさふさの獅子の頭の毛を振り回す最後は圧巻でどきどきわくわくしちゃった。五代目中村勘九郎が来年、十八代目中村勘三郎を襲名するので、勘九郎の名称はことし最後になる。大学院の時、修士論文が歌舞伎のしぐさと表情についてだったので、そのころは、ほんとに、よく見に行っていた。
はじめのうちは、安い三階の立ち見の学生席でみていたのだが、そのうちに清元の太
夫さんと知合いになり、その人がいうには、「死んだ彼女にそっくりだ」ということ
で、優遇してくれて、ただでいつもいい席でみせてもらい、楽屋や、馴染みの料理屋
につれていってくれたものだった。そのころ、まだ、青臭い勘九郎の「供奴」を見た
ことがある。今回は、勘九郎の息子の勘太郎がやったのだけれど、それが全然印象が
違うんだな。それにしても、勘九郎はほんとに、貫禄があって流石だった。予想以上
に感激。全部終わって、幕が降りて、しばらくして、勘九郎がでてきて、生の声で、
「はじめて、鎌倉でやりましたけれど、祖父が鎌倉に住んでいてあそびにきていたり
したので、そういうことをおもいだして、胸がいっぱいになりました」と言っていた。
そのあと、ちょうど、お茶のお稽古の時に、歌舞伎の話をしていたら、いつもお話す
る知り合いのおねえさんが団十郎の御贔屓さんで、新之助の市川海老蔵襲名披露の六
月大歌舞伎の「助六」の時に、御簾の中で、河東節を歌うらしく、チケットを何枚も
おさえてあるというので、こんど、見に行くことにした。
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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.15 2004.6.10配信
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