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        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.14 2004.5.10
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                 はじめに
                  
またまた配信が遅れて申し訳ない限りですが、連休が挟まったために、、、なんて言
っても、がぶん個人はここ40年ほど連休と関係ない生活をしているわけでして、結
局いつものずぼらで遅れた次第です。
ところで最近のがぶんは写真をいっぱい使って文章が少ない。よーするにてきとーに
ごまかしているのではないかという党内批判がございまして、ついでに国保未納の事
実と合わせて勝手に猛省し、未納はともかく文章のほうはなんとかしようと、今回は
写真なしの文章だけというスタイルにいたしました。そのため、ホサカ、けいと、の
原稿に加えかなり長いメルマガになっちゃいましたが、どうぞ最後までお読み下さる
ようよろしくお願いいたします。(がぶん)

◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
  ●連載:引用集第8回『失われた時を求めて』 保坂和志
  ●連載:「ねこちゃん話・『インベーダー猫のお名前は?』 vol.06」 まゆ子
  ●連載:「ミニラボ」vol.06:ミワノ
  ●連載:「そらめめ」  くま
  ●連載:極楽月記 vol07 「五月の思い出、じゃなくて…」がぶん@@
  ●連載:「お稽古の壺」その6  けいと 
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      枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
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     ・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを! 
              gabun@k-hosaka.com
  保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com

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●連載 引用集第8回『失われた時を求めて』 保坂和志

 今回はプルーストです。もう何も説明することはない『失われた時を求めて』なん
 だけど、全篇を通して読んだことのある人はあんまりいないと思うので説明をした
 らキリがないので、だからやっぱり説明はしません。
 この小説で私が一番感動した場面は、ゲルマント公爵夫人という、まだ十代の主人
 公の「私」が憧れる人の場面で、ゲルマント公爵夫人がオペラ座に入って来たとこ
 ろ。
 「私」はすでに2階席の最前列に着席していて、社交界の人達が着飾って集まって
 くるのを眺めている。で、だいたいみんなが集まって、席に着いた頃に、社交界の
 中心人物たるゲルマント公爵夫人が、場内の注目を一身に浴びながら入ってくる。
 彼女は着席すると、ゆっくりとまわりを見回し、いま自分がいるオペラ座に誰が来
 ているかをざっと確認してゆく。
彼女の視界に「私」が捕らえられたそのとき、彼女が「私」に向かって軽く手を挙げ
て、にこりと笑うのだが、そこを読んでいた私=保坂に、映像では絶対に現わすこと
のできない、映像のイデアのような、美のイデアのような、ゲルマント公爵夫人の顔
が、浮かんだ、のではなくて、ほとんど暴力的にと言ってもいいくらい、突然飛び込
んできて、もうなんと言うか、私はしばらく呆然としてしまいました。

 「すげえ、、、あんなきれいな人、見たことない、、、、」
 と、思いつつ、その映像はまったく何もない。
 フィリップ・K・ディックが好きな模造記憶だって、模造された視覚や聴覚が備わ
 っているものだけど、〈あれ〉は全然映像を伴わず、「世界で一番美しい女性」と
 いう概念があったとして、それが言葉でなく、映像の根源のようなものとして頭の
 芯に直撃する。——こういう風に書くと、どうしても大袈裟でみんなの失笑を買っ
 てしまいかねないけど、本当だからしょうがない。信じてよ、そういうことがある
 んだから、実際。
 で、その箇所を引用しようと思いはしたのですが、ページの隅が折ってあるその場
 面のあたりをいくら探しても、もう私の頭が直撃されることはない。プルーストっ
 て、「一場面」って言ってもその一場面が長くて10ページから20ページくらい
 あるんだから読んで探すのが大変なんだから。
 『失われた時を求めて』の「私」って、ものすごく惚れってぽい人で、熱烈に好き
 になっていくんだけれど、ある時、だいたい些細なことをきっかけにして、ふーー
 っと熱が引いて、ただ引くだけじゃなくて、それまで好きだった人のことを、「な
 んであんな女を好きになったんだろう」とか、けちょんけちょんに言い始める。
 「私」が好きになったので最も有名なのはアルベルチーヌで、アルベルチーヌだけ
 で3巻(だったかな)も費やしているんだけど、一途に憧れる書き方が一番感情移
 入させられてしまうのはゲルマント公爵夫人で、つまり、オペラ座でゲルマント公
 爵夫人に手を振ってもらう場面で、読者は「私」と一緒に憧れる気持ちが最高潮に
 盛り上がっているわけです。
 それはその後、「私」の気持ちが冷めたことを知っているから、もう一度同じ場面
 を読んでも、〈あれ〉が私の頭を直撃しないわけではなくて、あの場面に至るまで
 ゲルマント公爵夫人の容貌・スタイル・仕種……そういうすべてが長編小説一冊分
 くらい延々と書かれていて、その果てにあの場面にくるから〈あれ〉の直撃があっ
 たわけで、あそこだけを抜き出して引用しても〈あれ〉は来ないわけで、みんなか
 ら「なんだ」と言われるのがオチなので、そこは引用しません。やっぱり小説って、
 実際に読まなくちゃ、時間をかけて読まなくちゃ。

 すごいことだと思う。テキスト化された小説がほとんど一瞬にして、送られたり、
 コピーされたりしてしまえる時代に、「読む」だけは、一瞬ではできない。『失わ
 れた時を求めて』のような小説になると、どんなに読むのが速い人でも、1ヵ月は
 かかる。私は6ヵ月以上かかったと思う。それも正味の長さということで、カレン
 ダー上の長さでは、途中でいろいろ他を読んでしまうから、大きく空白があく期間
 があって、2年とか3年とかかかっている。
 で、引用したのは、第5部『囚われの女』の中で、ヴァントゥイユという何年か前
 に死んだ作曲家の未発表曲を「私」がサロンで聞く場面。曲の描写や印象は全体で
 はこの10倍くらい書かれている。小説全体の中でも白眉の箇所ではないかと思う
 のですが、これもやっぱり、いわゆる〈流れの中での得点〉みたいなもので、ここ
 だけを抜き出すと、大袈裟な感は拭えない、、、が、それでもここを引用すること
 にしました。
 私が引用した訳は、新潮社版の30年くらい昔からある、今でも書店に行くと、外
 国文学の棚の上で、箱に入って全巻セットで売られている『失われた時を求めて』
 で、訳者は伊吹武彦です。新潮社版は個人訳ではなくていろんな人の集合。本当は
 引用部分には、一カ所も段落がありません。でもそれじゃああんまりにもべたーっ
 としてしまうので、適当に段落を入れました。では、引用です。


 音楽ははじまった。私は何を演奏しているかわからず、未知の国にある思いがし 
た。
 この曲をどこに位置させたらよいのだろう。私はどういう作曲者の作品のなかにい
 るのだろう。私はそれを知りたいと願ったが、手近にきく人もいないので、私はい
 つも読みかえしている『千一夜物語』のなかの人物にでもなりたいと思った。あの
 物語には、迷いごとのあるとき精霊やうっとりするほど美しい乙女が不意に出現し、
 他人には見えないが迷っている主人公にははっきり見え、知りたいと願っているこ
 とをぴたりと教えてくれるのである。
 ところがそのとき、私はちょうどそのような、ありがたい魔法の訪れを受けた。知
 らぬとばかり信じこんでいた国、じつははじめての方角からはいっていったのだが、
 とある道を曲ってふと別の道へ出ると、その道のこまかいところまでがかねてから
 なじみがあり、ただいつもはその方角から来たことはなかっただけだ、というよう
 なとき、人はよくこんなふうに考える。「なんだ。これはX君の家の庭木戸へ行く
 小径じゃないか。ここはX君の家からたった二分のところだ」しかもX君の家の娘
 が実際そこにいる。私が通るのを見て挨拶に来たのだ。
 ちょうどそれと同じように、私は突然、私にとっては新しいこの曲の途中で、ヴァ
 ントゥイユのソナタのただなかにいる自分を認めたのである。例の短い楽句は乙女
 よりもあでやかに、銀色につつまれ飾られて、ショールのように軽く柔らかな、か
 がやかしい響きをしたたらせつつ、新しい装いながらそれと明らかな姿で私のほう
 へやってきた。
 この楽句にめぐりあった私の喜びは、それが私に話しかけるときのなじみぶかい、
 納得させるような、飾り気ない調子によっていっそう強められた。しかもそれは、
 燦然たる美しい玉虫色をかがやかせてもいるのである。もっともこの場合、その意
 味するところはただ私に道を教えることにあった。しかもその道は例のソナタヘ通
 ずる道ではなかった。というのは、それはヴァントゥイユの未発表の曲で、プログ
 ラムの簡単な説明によると——このプログラムは音楽を聞きながらたえず手にして
 いるべきだった——曲のこの部分で、あることをほのめかすために、ヴァントゥイ
 ユが戯れに、しばらくこの楽句を出してきたものにすぎなかった。
 楽句は、こうして呼びだされるとすぐまた消えてしまい、私はまたもや未知の世界
 に帰った。しかしいまや私は、この世界が、ヴァントゥイユが創造しようとは考え
 だにおよばなかった世界であることを知った。そしてすべてのことがそれを私に確
 証してやまなかった。私にはすでに知りつくされた世界であるあのソナタに飽きた
 私が、それにおとらず美しい、しかも違ったほかの世界を想像しようと試みたとき、
 私はただ、いわゆる天国を、地上のそれと共通の牧場や花や川で充たす詩人たちと
 同じことをしているにすぎなかった。
 いま私の前にあるものは、例のソナタが、もし私がそれを知らない場合、私に与え
 ただろうと同じほど強い喜びを感じさせた。したがって、同じほど美しく、しかも
 それは別物だったのである。ソナタのほうが、小ゆりのような、田園のあけぼのに
 向ってひらけ、かろやかな清浄さを小枝にわけて、白ゼラニウムの上にしつらえた、
 ひなびたすいかずらの棚の、軽いながらも手ごたえのある茂みにすがりつくのにひ
 きかえて、この新作品は、海面のように平たくなめらかな面のうえに、早くも緋色
 にそまったあらしの朝、限りない真空のなか、酸っぽい沈黙のただなかにはじまる。
 そしてこの未知の世界は、黎明の薔薇色のなかで、しだいに私の前に築かれてゆく
 ために、静寂と夜のなかから引き出された。こんなにまで新しい赤色、あのやさし
 い、田園風の素朴なソナタにはまったく見られない赤色は、まるで暁のように、空
 全体を神秘な希望に染めあげる。そして早〈も一つの歌が大気をつんざいた。
 七音の歌、夢にも知らぬ歌、私がかつて想像したすべてのもの、想像しえたかもし
 れないすべてのものとは似ても似つかぬ歌である。霊妙であってしかも叫ぶような
 歌。ソナタのなかにある鳩の鳴声ではなくて、大気を裂くような歌、曲の初めがそ
 のなかに溺れていた、あの緋色のニュアンスとひとしく強烈な歌、玄妙な鶏の鳴声、
 永遠の朝の微妙な、しかも尖鋭な呼び声のような歌だった。雨に洗われ、電気をは
 らんだ冷たい大気——草木の生い茂ったけがれないあのソナタの世界とは遠くへだ
 たった世界にあり、質も違えば気圧も異なるこの大気——は、刻々に移り変り、「
 黎明」の緋色の約束をしだいに消してゆく。しかも真昼が来ると、焼けつくような
 つかのまの日照りのなかで、その約束は重々しい幸福となって果されるかのように
 思われた。ひなびた、ほとんど粗野なといってもよい幸福、そこにはいんいんと激
 しく鳴りわたる鐘のふるえが、(それはコンブレの教会前広場を熱気で燃えあがら
 せたあの鐘の音に似ていた。あの音をいくたびか聞いたに相違ないヴァントゥイユ
 は、ちょうどそこを作曲するとき、パレットの上、自分の手近にある絵具のように、
 その鐘の音を思い出したのであろう)重厚な歓びを具体化しているように思われた。
 じつをいえば、この歓喜のモチーフは美的見地からすると私には気に入らず、醜い
 くらいに感じられた。そこのリズムは苦しげに足をひきずっている。何か騒音をた
 てるだけで、たとえばテーブルを箸で適当に叩いただけでその本質のほとんどすべ
 てをまねることができるくらいである。私にはヴァントゥイユがそこのところで霊
 感を失ったように感じられた。したがって私もまたその部分で、いささか注意力を
 なくしてしまったのである。
(しかしこれで終わるわけではなくて、演奏はまだまだ続き、「私」の気持ちもふた
たび盛り上がっていく)

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●連載:「ねこちゃん話・『インベーダー猫のお名前は?』 vol.06」  まゆ子
   こちらからどうぞ
       ↓
http://www.k-hosaka.com/nekobana/06/nekobana06.html

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●連載:「ミニラボ」vol.06  ミワノ
   こちらからどうぞ
       ↓
http://miwano.easter.ne.jp/mini-lab6.html

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●連載:「そらめめ」  くま
   こちらからどうぞ
       ↓
http://www.alles.or.jp/~takako9/sorameme040510/sorameme_top.html

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●連載:極楽月記 vol07 がぶん@@

「五月の思い出、じゃなくて、五月で思い出したことから始まる話」

さて五月。五月と言えばゴールデンウィーク。そういえばいまだにNHKニュースは
「大型連休」と言っているのに笑った。最近はNHKでも他の番組だとへーきで「ゴ
ールデンウィーク」って言うのだけれど、ちょっと前まではやっぱりNGワードだっ
た。理由は「ゴールデンウィーク」という言葉は朝日新聞社が発明したオリジナル商
品だからだそうだ。へ〜へ〜へ〜(3へ〜)
そして、五月といえば「鯉のぼり」。
そこで思い出したことがひとつある。ずっと前、藤沢の実家にがぶ姉夫婦が住んでい
たころのこと。ボクはたまたま遊びに行っていたんだけど、なんでだったか一人で留
守番状態になった。そのとき電話がかかってきた。
「もしもしこいのぼりですが、Y(がぶ姉夫のこと)さんはいらっしゃいますか?」
珍しい名前だなぁと思いつつ、
「は? コイノボリさんですか?」
と聞き返したら、
「いや、トヨノボリと申します」
ボクはまたそこでびっくりして、まさかとは思いつつ、
「あのぅ、トヨノボリさんと申しますと、あのプロレスラーの豊登さんですか?」
「はいはいそうです。その豊登(トヨノボリ)です」
「ひえ〜……」
、、、で、そのあとどう受け答えしたのかはよく覚えていない。
豊登と言えば力道山の一番弟子で、馬場や猪木の兄弟子に当たる人であり、怪力豊登
と言われ、リングに上がると脇の下をパカパカ鳴らす意味不明の特殊効果攻撃で、そ
れはそれは外国人レスラーをビビらせたものだった。それに匹敵するのはグレイトト
ーゴーの、やっぱり意味不明の両肩ピクピク攻撃ぐらいのものだったと記憶している。
それはさておき、そんな人がなぜYさんに? と思ったが、つまるところ友達だった
のである。
そうそう、そんなことを書いているうちにこれから書こうとしていることもたった今
決まった。
Yさんのこと、つまりヤッさんのお話。これはもう大変な人で、まじー!? と唸る
色々面白い話があるのだけれど、もったいないので今回はその一部にしときます。あ、それでまた思い出したけど、いつだったかヤッさんとがぶ姉とホサカと4人で新宿でご飯食べたことがあったっけ。
ま、とにかく。
ヤッさんはそもそも格闘家だった。正確に言うと、明治学院大学の合気道部の出身で、大学卒業と同時に単身アメリカに渡り今で言うところの異種格闘技の実践者になったのである。でもって一度も負けたことはない(本人談)そうで、武者修行の末、結局デトロイトで合気道道場を開くことになる。そこには色々な分野の人が弟子入りしてきたそうで、その中には「ごんぶと」のCMに出ているあのスチーブン・セガール(CIA出身のアクション映画俳優)もいたのだと。
そんな具合に、アメリカ政府関係者や軍隊関係者もかなり弟子入りしてきたこともあ
って、結局、ヤッさんはアメリカ陸軍の兵隊たち専門に合気道を教える立場となり、
その後、軍部の要請もあって、フィリピン駐留のアメリカ軍兵士たちを指導するため
にフィリピンに渡った。すると今度は、当時のフィリピン政府(マルコス政権)から
声がかかり、フィリピンの軍関係者たちが教わりに来るようになり、、、それからう
んぬんかんぬんあって、ついにはマルコス大統領本人と親しい間柄になった。思えば
ヤッさんとマルコスのツーショット写真が腐るほど残っていたけれど、がぶ姉はすで
にヤッさんと離婚しちゃってるんで、燃やしでもしたからしら。
そしてヤッさんはマルコスの息子であるボンボン・マルコス(本名)とフィリピンで
会社を興す。この会社はフィリピン進出をはかる日本企業とフィリピン政府を結びつ
ける、言わばフィクサー会社で、かなりアヤシイ雰囲気だった。実際、こんなところ
にも国益を私有化するマルコスファミリーの腐敗体質が現れてるのがよくわかる。
ヤッさんは時々日本に帰ってくるのだが(この時はもうがぶ姉の夫であった)、マル
コスファミリーの面々も時々は日本にやって来ることもあった。マルコスファミリー
だけじゃなく軍のお偉いさんも来たことがあって、軍顧問だったか大将だったか、と
にかくその人はけっこうなおじいちゃんだったけど、その時はなぜかがぶんファミリ
ー全員で出迎え、おばあちゃんもまだ元気だったし、みんな一緒に鎌倉山の雷亭(お
そば屋)に連れて行ったっけな。その当時おばあちゃんはもう90歳を越えていて、
歳を言ったらそのお偉いさんびっくりしちゃって、フィリピンじゃ平均寿命は50歳
くらいです、、、と。
さて、それはともかく、マルコスファミリーの面々が来る時はというと、ボクとかが
じんとかが一日運転手させられたりするのだった。
藤沢(当時ボクはそこに住んでいた)から自前の軽四輪に乗って神田(ヤッさんが所
属していた某会社の事務所があった)まで行き、そこでなんと銀色に輝くロールスロ
イスのオープンカーに乗り換え、成田空港まで出迎えに行くというのがパターン。笑
うのは、そのロールスロイス。ヤッさんはそんな車持ってるわけないので、ヤッさん
のボスに借りて行くのだけれど、途中でガソリンとオイルが切れかかり、ガソリンス
タンドに寄って補給し始めたら、これが入る入る入る入る、、オイルとガソリン合わ
せて3万円くらい入っちゃって、ヤッさん顔面蒼白。
「いやぁ、けっこう入るねぇこの車」
と余裕をかましていたけれど、頬がちょっとピクピクしてた。
で、ボクが出迎えたのはマルコスの娘婿で名前は忘れたけど、スペイン系の大金持ち。
つまり、ヤッさんは、そういうたぐいの人と付き合うために、それなりの見栄をはる
必要があったあというわけ。
それから暫くして、こんどはマルコスの息子のボンボン(確か今はフィリピンの或る
州の州知事かなんかしている)が日本にお忍びでやってくることになったのだけれど、あいにくボクは都合がつかず、しかたないんでがじんを行かせることにした。
当時のがじんはもう最初の結婚をしていたけれど、まだばりばりの愚連隊(死語?)
で、出かける前日にロールスを受け渡されると、そりゃあもういい気になって、オー
プンカーにしたまま自分と女房と悪仲間を乗せて、人込み目指してわざわざ藤沢のイ
トーヨーカ堂の前に乗りつけ、、パンツとシャツ二枚買ってくる、、、なんていう始
末。
さておき、後日がじんにボンボンの様子を尋ねると、、。
「あの日はボンボン一人じゃなくてSPみたいな人も3人くらい一緒に来てたけど、
車は別で、こっちはヤッさんとボンボンとSP一人乗せて、結局最後に行ったところ
は川崎のソープ。で、その夜は、ソープからホテルに移って、ボクとSPたちは相部
屋で、ボンボンは女と一緒に泊まった」
「ほー、で、ヤッさんは?」
「ん〜〜、それは知らない。でも朝はロビーにもういたな」
「あやし〜〜〜」
ま、そんなヤッさんだったが、ご存知の通りフィリピンでアキノ氏が射殺されて以降、マルコスファミリーも凋落の一途。それじゃさぞやヤッさんも大変だろう、、、と思ったのだけれど、なんのことはない、ヤッさんはアキノ夫婦ともけっこう仲がよかったのだ。ヤッさん曰く、マルコスもアキノも地方の金持ちってだけで、大して思想が変わるわけじゃない。
そして、アキノ氏がまだフィリピンで投獄されていたころのことだけれど…。
石原慎太郎がアキノ氏に会いたくてフィリピンに行こうとしたのだが、入国をやんわ
り拒否されたことがあった。それはあからさまにアキノ支持を表明していたために、
マルコスから個人的に嫌われてしまっていたからだ。そのときヤッさんは力を発揮!
石原慎太郎を連れてフィリピンへ。そして、獄中のアキノ自身にはさすがに会えな
かったが、アキノ宅へ行き、のちの大統領アキノ夫人に会わせることだけはできたという。
でもヤッっさんもさすがにマルコスに遠慮して、こっそりと連れていったつもりだっ
たそうだが、翌日、マルコス大統領と直接会った時に、
「君は昨日イシハラをミセスアキノのところへ連れていったそうだね」
と、含み笑いをしながらイヤミまじりに言われたそうで、行動を見張られている怖さ
をつくづく感じたという話だった。
で、つまるところマルコス政権は例の革命でオシマイになった。そのマルコスは最後
はハワイで息を引き取ったが、そのお葬式にももちろん出席したヤッさんは、ため息
まじりにこう言っていた。
「いやぁ、それにしても残酷なもんだよな。あれほどマルコスに群がっていた日本企
業のやつら、だれ一人として見かけなかった」
そんなこんなでヤッさんやっぱりフィリピンへの足も遠くなり、しばらく日本に滞在
しているなと思った矢先、夕方のニュースをたまたま見るとヤッさんが写ってるじゃ
ありませんか。しかも隣にはレーガン元アメリカ大統領夫人、その隣には杉良太郎。
ま、杉良太郎は分かる。前からけっこう親しい間柄で、なんでか知らないけど杉良太
郎ブラジル公演にも一緒について回ったくらいだからだ。しか〜し! レレレのおば
さんじゃないけど、レーガン夫人ってちょっとあんた! 
ふむふむ、説明を聞いててよく分かった。番組では「麻薬撲滅運動」を特集していて、レーガン夫人が世界麻薬撲滅運動協会(たぶんこんな名称)の理事長で、杉良太郎がその日本支部長だそうで(なんでよっ!)、で、ヤッさんも理事の一人だとか。それにしてもまあ、なんとも多彩な人脈を持ち主だこと。
……ヤッさん自身の話は、とりあえずこれでおしまい。

で、あと特筆すべきは、そのロールスロイスの所有者であるヤッさんのボス。ちなみ
にここではA氏としておこう。この人がまた摩訶不思議な人物で、もう笑っちゃう。
といっても現在もまだご存命中なのでそんなに笑うとちょっとやばいので、その片鱗
をほんのちょっぴりだけ紹介するにとどめる。
ボクが最初にA氏にあったのは神田のA氏の事務所だった。ヤッさんの口利きで2千
万円ほど借りに行ったときのこと。もちろんボク個人ではなく故がぶ父が経営する会
社の借金。でも父は行かずボクが代わりに行った。
事務所の前で待ってると、靖国通りを、遠くから例のオープンカーがこちらに向かっ
てやってきた。近づいてきて分かったのだが、運転しているのはスゲー露出度の高い
ドレスを来た金髪美女(イギリス人)。ついで、後ろの座席から降りてきたのは、真
っ白のスーツに真っ黒なワイシャツ真っ白なネクタイをしたスキンヘッドにサングラ
ス、おまけに手にはステンレス製のアタッシュケース、もう劇画の登場人物そのもの
のような男。それだけじゃなく、腕を組んでもう一人、なんと運転していた美女とほ
とんど同じ顔をした派手美女…。その背の高い二人(実は双子で、二人とも秘書との
こと)に左右を固められて歩く姿は、ほとんどつかまった宇宙人ヤクザのようだった。
秘書ったって彼女たちいったい何ができるのよ、ん、英語はできるか、、、…とにか
くもう、悪ふざけとか思えない、わけわかんない光景です。
ちなみに事務所といっても、大きなビルの一部で、その大きなビル全体はA氏の正業
の会社。これは全くまともな企業で或るかたーい業界でのシェアーが日本で3本の指
に入るほど。でもって、裏業の古美術輸入販売業の展示場と事務所がそのビルの一階
にある。ヤッさんはだいたい日本にいるときはその事務所の責任者としてそこにいる
のだ。で、事務所の中に入り、待たされること30分。その事務所っていうのがまた
不気味。部屋全体がとにかく薄暗いのだが、フロア一面に見るからに高そうな骨董品
がズラリ。中には大人ほどの背丈のあるガラスケースに入った東南アジアの仏像のよ
うなものがあって、その仏像のまわりには、一万円札がたぶん500枚くらい無造作
にちりばめられているから、こりゃまたえぐいインテリア感覚。
しばらくすると、薄暗い中からA氏一人がおもむろに登場。目の前にどっかと座ると、
誰が操作したのかいきなり目の前のテーブルの中央あたりにスポットライトが当てら
れ、そこに生身の現金2000万円をボコッ! という感じで置き、
「高瀬さん、はいこれ2000万円ちょうどあります」
「はっ、はい」
きゃーーーーこわいーーーーー(と思いつつ、結局うちの会社倒産してその借金踏み
倒しちゃったけど、これを読んでいないことを祈る)。
その漫画のようなA氏、その格好から分かるように、梶山一騎とか、その弟とか、黒
崎道場長(格闘家のボス)とかのお友達で、、、、おかげでその後頻繁に日本で行わ
れるようになった異種格闘技戦をリングサイドで見ることができたってわけ(実はこ
こで初めて豊登とも話がつながる)。それで試合が終わると梶山一騎を始めA氏を含
め柄の悪い連中がぞろぞろとリングに上がるのだよ、これが最悪。
で、そんなあやし過ぎる人物なものだだから、やっぱりというか、或るとき某大手企
業を恐喝したとかで捕まって2年ほど実刑を喰らったりしてボクは納得。そんなこと
もあって正業の方の社長職も弟に譲って自らは会長におさまり、その後しばらく名前
も聞かないなぁ、なんて思っていたら、今度は思いも寄らない場面で登場してきたの
だ。これにはボクもびっくりびっくりあんぐりあんぐり。
その当時、一連のオーム事件が一応おさまり、事件の総括みたいなNHKのドキュメ
ント番組を見ていたら、なんとA氏が出演しているではないか。しかし、ずいぶんと
風ぼうも前とは変っていて、サムエのようなものをきて、なんだか隠居じじいのよう。
もちろん美人秘書なんていない、、で、なぜA氏が登場していたのかというと、、、。
オーム事件の真っただ中にあって、麻原ショーコーが初めてマスコミ(テレビ)に出
演したのはNHKだったのだが、その出演をとりまとめたのが、なんとそのA氏だったと
いうのである。その功労者という立場での登場だったのだ。しかしやっぱりそうだろうが、番組ではA氏に恐喝の犯罪歴があることなど知ってか知らずか、これっぽっちも触れなかった。
しかしまー、ショーコーさんまで友達だったとは、、、、なんだかすげーおっさんで
ある。
あのおっさんの言ったひとこと今でも鮮明に覚えている。
「税務署なんかこわくねぇよ。日本刀振り回せば帰っちゃうしな」
ははは、、、そりゃ帰るわ、一旦ね。
以上、、書き切れないまま突然話は終わる!、、一旦ね。

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●連載:「お稽古の壺」その6  けいと

よく通る場所に新しい珈琲屋さんができていた。珈琲屋さんというと、珈琲豆を売る
店とか、喫茶店でも、ちょっと渋めの落ち着いて暗めの店内を想像してしまうかもし
れないけれど、そこは、シンプルモダンで光が溢れて、明るい雰囲気。店の前におか
れた鉢植えのレモンの木が、まるで、つくりもののように綺麗でジャスミンのような
白い花があふれるほどついているし、可愛い青い実も何個かなっていて、とても気に
なる店なのだけれど、コーヒーを飲む習慣のないわたしにとっては、なかなか入るこ
とができず、でも、今日、思いきって行ってみた。感じのいい若いご主人がひとりで
やっている狭いお店で、コーヒーの他にフレッシュジュースやパンなんかもあって、
わたしは、レモンジュースをたのんだ。見てる前で、レモン一個をきゅーっとしぼっ
て、氷のはいった小さなコップに、はちみつを添えてだしてくれたんだけれど、ほん
とに、すごく美味しかった。生ジュースは自分でつくるより、人に作って出してもらった方がうんと美味しい気がするんだけれど、お客のひとりが言うのには、ここのコーヒー豆はもちろん、くだものやはちみつ、パンもご主人が特別にセレクトしたこだわりのものばかりなんだそう。
「前の鉢植え、レモンなんですか」と聞いてみたら、「あ、あれは、レモンじゃなく
てレモンライムなんです」というこたえ。レモンとライムを交配させたやつというこ
と。それで、よくよく見てたら、その鉢植えは、うちの庭にある木と同じということ
に気がついた。5年前に植木屋さんが、レモンの木ということで、植えていったんだ
けれど、なっている実も色も形も、やっはり、どこか実際のレモンとは違っていて、
すだちでもない、ライムでもないし、やっぱり、レモンでもない、ということで、わ
からずじまいでいたんだけれど、それはレモンライムだったのだ。わかって、ほんと
に、ほっとした。花とか、木の名前は、知らずにいても困ることもないのだけれど、
知った瞬間に、なんともいえない充実したいい気持になる。
わたしは、庭の手入れはへたくそなんだけれど、花や木を見るのが大好きで、衝動的
に買ってしまうものでいちばん多いのが鉢植えのお花だったりする。よその家の庭で
も特に気に入った花をみつけると、次の年もおぼえていて、時期がくるとその場所に
わざわざ見に行ったりするくらい。だから、まあ、花の名前も、けっこうよく知って
いるほうだと思うんだけれど、それでも、お茶で使われる茶花に関しては、ほんとに
お粗末な知識しかない。雑草のようなものも多いんだけれど、「これは今はもう、な
かなか見ることもできなくなったもので」なんて、先生たちがとってもありがたがる
ようなものも、名前すら聞いたことなかったりする。
お茶では、5月から10月までを風炉、11月から4月までが炉の季節となり、今の季節は
初風炉(しょぶろ)といって、茶室の雰囲気ががらっと変わる。花も先月までは椿が
多かったりしたのが、若葉が初々しいような花が多くなる感じ。こないだ床の間にい
けられていたのは、「大山蓮華(おおやまれんげ)」という花で「茶花の王様」なん
だそう。花の形は、名前からもわかるように、開くと蓮のようで、それは、つぼみだったので白い小さな卵のようで福々しくて気品があって、素敵な花だったけど、これも実物を見たのは初めてだった。
今月のはじめに、北鎌倉の「みのわ」という葛きりのお店のお茶室を借り切って、茶
花のお稽古があった。花は今回は先生が用意してくれるということだったので、持っ
ていかなかったけど、前回は自分でもってくるように、ということだったので、それ
も、「庭にはえてるものとか通りで見かけた雑草みたいなものとか、なんでもかまい
ませんから」と言う言葉を真に受けて、ほんとに、そうしたら、そんなのは、わたし
だけだった。みんなは、紀ノ国屋の花屋に注文したりしてちゃんとしたものを用意し
ていて、ビニール袋に入れた雑草をもっていたわたしは、ちょっと恥ずかしかったけ
ど、先生は、その中にあったうちのそばの遊歩道の脇に長いこと枯れずにさいていた
白い花がついた雑草を見て「これ、いいわね」とうれしそうにいってくれたので、よ
かったけど。
茶花の稽古の時は、先生が用意してくれたいろんな種類の「花入れ」を適当に選んで、また、花も様々な種類が入っているバケツからすきなものを選んでもってきて、思い思いにいけて、それを先生にみてもらって、なおしてもらったり、お花のことをいろいろ教えていただくのだ。茶花のお稽古に来る人達は、わたしが通っている曜日以外の人達も大勢いるので、知らない顔も多く、そういうところでいけるのは、はじめはちょっと緊張したりもするんだけれど、それでも、かわいらしい花をみつけてきて、どの花入れにいけようかな、などと考えてる時には、もうそんな気緊張感はみじんもなくなっている。
わたしは、数年前に、北条政子ゆかりの安養院という寺の小さな池の蓮の花を見てか
ら、蓮が大好きになって、しかも匂いが芳しくて、言葉で言い表せないほどいいものって、こういうのなんじゃないかなーと思う。ちなみに安養院という名前は政子の戒名なんだって。蓮の花がすきなせいなのか、茶花で使われる花の中でも、わたしが特に気に入った花の名前は蓮の名前がつくものが多い。「大山蓮華」もそうだけれど、「蓮華升麻(れんげしょうま)」は、楚々とした何気ない花で大好き。茎がすーっと伸びて先のほうに着く花は紫を帯びた白色で、うつむきぎみに咲く小さい花のかたちが蓮に似ているのでそういう名前がついたんだそう。茎が長いのでゆらゆらっとゆれると、なんとも風情がある。花もかわいいいんだけれど、蕾みはころんとした実のようなまんまるで、開きかけた花の姿は、ちょっとかまきりの足を思い出す。もともと「升麻」というのは、乾燥して、薬に使われたそうなのだけれど、「蓮華升麻」のほかに「泡盛升麻」「鳥足升麻」「晒菜升麻(さらしなしょうま)」「類葉升麻」というように何種類もあって、どれも、茶花にはよく使われる。
今回は、最初に細長い竹籠でいけた。いけやすそうなものを何種類か選んでもってき
て、その中の二種類いれたところで、先生がきて、「あ、もう、これで、いいわよ。
これ以上花の種類ふやさないほうがいいわね」と言って、形をちょいちょいと整えて、
「いい感じね、これここの床の間にあうわよ」といってまず、さらっと、一回目終了。
そこで、先生が「じゃあ、お茶でも一服どうぞ」というので、盆だてをしてるとなり
の部屋でお茶をいただいていたら、わたしよりずっと長いこと習っている先輩が「こ
この床の間のお花誰の?」と言うので、「わたしです」というと、「あら、まさか、
もうこれで終わりじゃないわよね、そんなはずないわよね、これじゃあ、中途半端だ
わよ。お茶飲んだらはやく仕上げてしまいなさい」と言われちゃって、あんまり、自
信たっぷりにいうので、先生に見てもらいました、とも言えず、ちょうど、先生はそ
こに居なかったので、あーよかった、と思いながらまた、やりなおすことにした。そ
れを、またなおすのもなんなので、違う花でいけなおそうと、全部とりはずしている
ところに、またその先輩がやってきて、「あら、やりなおすところ?だったら、この
花使うといいわよ」と言って、バケツに入っている花の中でも、いちばん大きな枝振
りのオレンジ色の山ツツジをもってきたのだ。これだけはどうにもいけられそうにな
いな、と思う程、趣味じゃない花だったんだけれど、その先輩は「いい花でしょ、こ
れわたし好きなのよ」と言うのだから、ほんとに、ひとぞれぞれ好みって違うもので
すよね。30分ほどその花と格闘してたら、先生が来て「枝振りがよすぎるわね」といって、思いきりよく、6割くらい枝をおとすと、驚く程、竹籠に映えてよくなった。先輩がまたやってきて、「なんで、こんなに枝おとしたのよ」て言ったらどうしよう、と思ってみまわしたら、庭で帰り支度してるところでほっとしました。
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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.14 2004.5.10配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
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