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メールマガジン:カンバセイション・ピース
vol.11 2004.1.31
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はじめに
哲学は何の役に立つのかと常々そう思っていたところ、たらば書房で「哲学は何の役
に立つのか」という新書の本があったのでついつい買ってしまったら、定価740円
でそれに消費税がついて、レシートの合計金額のところにくっきりと777、わーや
った、大事にとっとこ!
ということで役に立ったような気になっているところですが、本はまだ読んでいませ
ん。
えー、著者は西研+佐藤幹夫、、んー、どっちも知らん。発行は洋泉社、、知らん。
なーんにも知らんけど、きっと誰かは知ってて、えー、有名じゃん、とかほざくかも。
まとにかく、きっとそのうち本当の役にたつことでしょうとも。
◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
●連載:『引用集』第4回 ラデツキー行進曲 保坂和志
●連載:「ねこちゃん話・『副丸の大好物はなに?後編』 vol.03」 まゆ子
●連載:「そらめめ」 くま
●連載:極楽月記 vol04 「TOKO&ドラム缶」がぶん@@
●連載:「お稽古の壺」その5:けいと
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●連載:『引用集』第4回 ラデツキー行進曲 保坂和志
今回はちゃんと引用します。今回は、私たちにはほとんど馴染みのない、オースト
リア人でドイツ語で書いたヨーゼフ・ロート(1894〜1939)の『ラデツキー
行進曲』です。「ラデツキー行進曲」というのは実際にある行進曲で、聞けば誰もが
「ああ、これか」と思うほど有名な曲だけれど、そんなことより「ヨーゼフ・ロート
って、どこの人?」と訊かれたとして面倒くさいのは、ロートの生まれた1894年
と今とでは国境が違っていて(そもそも「国」の概念自体が違っているんだろうけど)
、正式に国名を書くと、「オーストリア−ハンガリー二重帝国」とかいうことになる
そうです。
そして、その1894年という生まれは、カフカの1883年、ジェイムズ・ジョ
イスとバージニア・ウルフの1882年よりも遅いことになる。−−このカフカ、ジ
ョイス、ウルフの生まれは、私にとっては非常に重要な目印で、私はすべての作家と
哲学者を、この3人より前の生まれなのか後の生まれなのかとチェックしてしまう。
カフカ、ジョイスと比べてウルフは、忘れられがちで、いまでは翻訳もほとんどみ
すず書房の作品集でしか手に入らないけれど、ウルフはものすごく重要な作家で、世
界の中心で愛を叫んだり、背中を蹴ったり、蛇にピアスをしたりする小説を読む人の
100人に1人が、そっちの方に流れてくれれば、日本の出版状況も変わるんだろう
けれど、出版に関わっている人たちがだいたいウルフなんか読まない(というか、読
んでも面白さを全然理解できない)人たちなんだから、愛を叫ぶのだけがいいと思っ
ているような小説でも何でも、とにかく読書というものの入口にやってきた読者を奥
に誘い込む仕掛けがどこにもなく、読者はひたすら薄い表面だけを漂うことになる。
人生の浪費だと思うんだけど、資本主義社会というのは本質的にそういうものでしか
ないのだろうか。
『生きる歓び』のあとがきでもちらっと書いたけれど、たとえばクラシックの演奏
会で、演奏者がステージに登場したときに会場にいる誰一人として、演奏者に敬意を
払わずに、べちゃべちゃしゃべっていたらクラシックのコンサートなんて成り立たな
くなってしまう。現在の出版にはそういうところがあって、会場で静かに待つことを
知らない人にもわかるようなものしか流通しない傾向が、がんがん加速しつつある。
文学とか小説とかにほんの少しも敬意も持たずに、「あたしにわかるような話を読
ませてよ」という態度だけで読めるようなものなんて、ろくなものじゃない。しかし、
ほんの20年前までは、出版する側の人間は、自分もろくろく理解していないものを
あがめたてまつって、読者に不必要な敬意を強要していたようなところもある。某有
名編集者なんて、ハスミシゲヒコという有名な著者の前で、ペッコンペッコンのコメ
ツキバッタ状態だった。「いやー、ハスミさんの書くのは難しくて、僕なんかにはわ
からないですからぁぁ(ペッコンペッコン)」程度、低すぎだよね。そんなに難しい
わけないじゃん。おまえが馬鹿なだけじゃん。
つまらない話はこれぐらいにして、『ラデツキー行進曲』です。
これはトロッタ家三代にわたる話で、ソルフェリーノの戦いで皇帝フランツ・ヨー
ゼフを身を挺して助けたのが一代目。それによって一代目が男爵の位を与えられる(
だから一代目を「ソルフェリーノの英雄」と呼ぶ)。二代目は一代目のおかげで郡長
になる。エリート・コースという言い方ともちょっと違うけれど、男爵としてお定ま
りのコースを歩いて自然と郡長に収まっただけで、彼にはとりたてて取り柄はない、
というかとりたてて語るべき内面もない。
話の中心は軍人として、当面の職業を与えられ、いずれは親と同じ人生を歩むだろ
う三代目なのだが、三代目もまた親に似て取り柄がない。内面もない。人妻と愛人関
係になったり、ちょっとした親友をうしなったりする話がつづくわけだけれど、オー
ストリア−ハンガリー帝国が無事につづいていたら、三代目もまた二代目同様、凡庸
な人生を送れたのだろうが、三代目は第一次世界大戦に巻き込まれる。ヨーロッパに
とって、第一次世界大戦というのは旧世界の崩壊で、第一次世界大戦とともに帝国も
皇帝もトロッタ家も滅ぶ(といっても、当時は「第二次」のない「世界大戦」。人類
が−−といっても「ヨーロッパが」ということだけど−−初めて経験する「世界大戦」
という意味での「世界大戦」が、いまでいう「第一次世界大戦」だった)。
−−というのが、この話のあらすじ。戦場で三代目が死に、その知らせによって、
二代目に内面が生まれる。それには悲痛なものがあって、現代人はみんな、二代目が
人生の最後に知ったその悲痛な内面を抱えて生きている、とも言える。
なんて、まとめとしてはきれいすぎるけれど、内面とは、そういうものだ。内面を
相対化する視点がないかぎり、小説は滅びる。内面と格闘するのはいいだろうけど、
内面の中で格闘しててもしょうがない。
ヨーゼフ・ロートは入手が難しい小説家ではあるけれど、『ラデツキー行進曲』
(柏原兵三訳)は、「筑摩世界文学大系」の第63巻に入っていて、これはまだ絶版
にはなっていないはず。それから、白水社uブックスに『聖なる酔っぱらいの伝説』
というのが入っていて、私はまだ読んでないけど、読んだ人はたいてい感動している。
それから、アマゾンで調べると、オフィス鳥影社(旧「鳥影社」)というところから、
全4巻の作品集が出ている。
私はほかに『果てしなき逃走』というのしか読んでないけれど、設定が大きい話の
割に盛り上がりがなく、なんだかたらたらとつづき、そろそろ退屈する頃……と思っ
ているうちに、面白さに引き込まれている、という変な面白さで、今年はロートをも
しかしたら手に入るかぎる全部読むかもしれないなあ、とか思っています。
引用した箇所は、どれもたぶん共通点が、比喩が使われているということ。その比
喩の使い方というかあり方が変わっている。
普通に日本人の小説で使われる比喩というのは、ふだんの会話の域を出ないという
か、同一平面から形や雰囲気が似たものを持ってくるという、つまり(1)写実的に
対象を明確にするための比喩か(2)書き手(ないし主人公)の気分を読者と共有す
るための比喩か、のどちらかで、違和感でなく滑らかさを目指す比喩であることがほ
とんどで、当然説明的なんだけど、ここで引用する比喩は、強引に別の世界を接ぎ木
する感じ、とでも言えばいいか……。まあ読んでみてください。引用箇所で、普通は
「。」がくるところで「、」が打たれているところがありますが、それは訳文がそう
なっているからで、打ち間違いではありません。
カフカもこの種の比喩はたまに使って、私も『明け方の猫』の中で、記憶するかぎ
り2カ所、たしかひとつは、古い日本家屋目指して進んでいくときに、「不安に鼓舞
されるように」という言い方をして、もうひとつは、窓枠に爪がささって抜けなくな
っているときにカラスが来て、「恐怖心に背中をわしづかみにされた」というような
書き方をしていて、抽象概念や気分が実体化される感じが、カフカともこれから引用
するロートとも似ていなくもないと思うんだけど、というか、その2カ所ははっきり
カフカ風に書いたんだけど……、まあ読んでみてください。
毎年、夏の休暇には、祖父と孫との無言の会話が行なわれた。死者は何一つとして
秘密を洩らさなかった。少年は何も聞かなかった。年ごとにその肖像は色あせ、彼岸
的になってゆくように見えた、あたかもソルフェリーノの英雄がもう一度あの世へ行
くかのように、あたかもおのれの追憶の品を自分のほうへゆっくりとたぐり寄せてい
るかのように、あたかも、黒い額縁の中から白いカンバスが、肖像画よりももっと押
し黙って、子孫をじっと見下ろすような、ときが来るにちがいないとでもいうように。
(197ページ下段 祖父=一代目、孫=三代目)
まだ彼の肌には死んだ夫人の愛撫する手の感触が残っていた、そして彼自身の温か
い手には彼女の冷たい乳房の記憶が残されていた。そして目を閉ざすと、彼女の愛に
満ち足りた顔に宿った至福の倦怠、開いた赤い口、歯の白い輝き、物憂げに曲げられ
た腕、躰のどの線にもある満ち足りた夢と幸福な眠りの漠とした名残りが見えた。今
は蛆虫が乳房や太股の上を這いまわり、青みがかった腐敗が顔を浸食していることだ
ろう。分解の恐ろしい映像が青年の目に強く浮かび上がれば上がるほど、その映像は
彼の情熱を激しく燃え立たせた。その情熱は、死者たちが消えてしまったあの冥界の
不可解な無限の中にまで燃え上がってゆきそうだった。(200ページ中段〜下段)
郡長は腕を息子の腕の下に入れた。初めてカール・ヨーゼフは父の骨と皮ばかりの
腕を胸に感じた。暗灰色の光沢のある革手袋に包まれた父の手は軽く曲げられ、信頼
しきってカール・ヨーゼフの制服の紺の袖の上にやすらっていた。その手が、骨と皮
ばかりなのに、怒りをこめて、糊のきいたカフスをかたかたいわせながら、警告し、
注意したり、尖った指でそっと書類をめくったりでき、あるいは抽出(ひきだし)を
荒々しく押し込み、もう永遠に鍵を掛けてしまったのかと信じられるほど断乎として
鍵をぬいてしまったりする手と同じ手なのだった。その手がその手の主人の思うとお
りにならないときには、いかにもじれったそうにテーブルの端をたたき、部屋の中に
何か厄介なことが起こったりすると、窓ガラスをたたく手なのであった。この手が、
誰かが家の中で何かを怠ったりすると、痩せた人差し指をあげたり、また沈黙の、け
っして聞かれないような拳を固めたり、やさしく額のあたりにやすらったり、用心深
く鼻眼鏡をはずしたり、軽く葡萄酒のグラスに巻きついたり、黒いヴァージニア葉巻
きを愛撫しながら口元に運んだりするのであった。(203ページ上段〜中段 カー
ル・ヨーゼフ=三代目)
背後に彼はオヌフリイの長靴の音を聞きつけた。少尉は、従卒に追い越されないよ
うに、急いで歩いた。しかしオヌフリイも歩みを速めた。それで二人は、寂しい、硬
い、反響する道路を、相前後して、歩いていった。オヌフリイにとって、彼の主人た
る少尉に追いつくことが、明らかに嬉しいのであった。カール・ヨーゼフは立ち止ま
って待ってやった。オヌフリイは月光の中で明らかに伸びをした、彼は大きくなった
ように見えた、主人に逢うための新しい力を星からもらい受けるかのように、頭を星
のほうに上げていた。不意に彼は足と同じリズムで手も動かし始めた。手でも空気を
踏んでいるかのようだった。(215ページ下段 少尉=カール・ヨーゼフ=三代目、
オヌフリイ=従卒)
当時は、いつ何時(なんどき)でも、皇帝がその狭い黒い額縁の中から出て来るこ
とがありうるように見えたのだった。しかししだいに大元帥陛下は、切手や貨幣で見
せている、無関心な、当たり前の、珍しくもない顔をするようになった。彼の像は、
神が自分自身に供する奇妙な類いの犠牲(いけにえ)のように、将校集会所の壁に懸
かっていた……彼の瞳は−−以前は夏の休暇の空を思い出させたものだったが−−今
では硬い青磁でできていた。(219ページ下段)
本書に報告されているような出来事が起こった大戦前の当時においては、人の生き
死にということは、まだどうでもよいことではなかった。もしも誰かが地上の人間た
ちの群れから消されると、死者を忘れさせるために、すぐにほかの誰かがかわりをつ
とめるというわけにはゆかないで、死者が欠けたあとには、ぽっかりと穴が開いて、
彼の没落を遠くで見ていた人も、近くで見ていた人も、その穴を見るたびに、すぐに
黙りこんでしまうのだった。もし家事が一軒の家を通りの家並みから奪ってしまうと、
その家事跡はそれからずっと長いあいだ空いたままであった。なぜかというと左官た
ちはゆっくりと慎重に仕事をしたし、近隣の人々も、たまに通りかかった人々も、そ
の空地を認めると、消え失せた家の姿や壁などを思い出したからである。当時は万事
かこんな調子だったのだ! 成長するものはすべて、成長するための時間をたっぷり
と必要としたのだ。そして没落するものはすべて、忘れられてしまうために長い時間
を必要としたのである。しかしいったん存在したものはすべて、その痕跡を残してい
ったのであった、そして今日人々がすみやかに断乎として忘れ去る能力によって生き
ているように、当時の人々は思い出によって生きていたのである。(246ページ上
段 カール・ヨーゼフの隊の中で決闘があって、二人の人間がともに死んだ。そのあ
とに書かれている文章)
墓地の大きな、灰色の、広く開け放たれた門の前には、三つの死体がぶら下がって
いた、まん中には髭をたくわえた司祭が、その両側には砂色のジャケツを着た二人の
農夫が、動かない足に粗織りの靭皮の靴をはいて。まん中に吊りさがっている司祭の
黒い僧衣の長い裾は靴にまで達していた。そしてときどき夜風が司祭の足を動かすと、
黙りこくってしまった鐘のものいわぬ舌のようにその足はまわりの僧衣にぶつかって、
音を出すわけでもないのに、響きわたるように思われた。(372ページ下段 第一
次世界大戦が始まり、それで殺された司祭たち)
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●連載:「ねこちゃん話・『副丸の大好物はなに?後編』 vol.03」 まゆ子
こちらからどうぞ
↓
http://www.k-hosaka.com/nekobana/03/nekobana3.html
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●連載:「そらめめ」 くま
こちらからどうぞ
↓
http://www.alles.or.jp/~takako9/sorameme040130/sorameme_top.html
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●連載:極楽月記 vol.04「TOKOとドラム缶」 がぶん@@
1月9日、渋谷パルコのライブハウス「クワトロ」で、ニューヨークからやってきた
男2人女1人のバンド「ENON(イーノン)」のライブがあった。で、がぶ姉やらけい
と夫妻やらと一緒に出かけて行った。なんとまあ雰囲気に合わない団体だこととお思
いでしょうが、しょうがないんです。このバンドの女の子「TOKO(とうこ)」は、何
を隠そう隠さないけど、がぶ姉の娘なんですから。
この続きは↓で
http://www.k-hosaka.com/gokuraku/gokuraku04/gokuraku04.html
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●連載:「お稽古の壺」その5:けいと
こないだ、初釜があり、ちょっとおめかしして行ってきました(ちなみに初釜とは、
新年早々に行なわれ、家元がお弟子さんを集めて盛大に開く、一月のもっとも代表的
なお茶会)。「おめかし」と、一言で言っても、それは、なんだかんだと、気を使わ
ねばならないような決まりごともあるような感じなので、先輩たちに聞いてみた。
「うちの先生はうるさいこと言わないから、なに着ていっても大丈夫だけど、どんな
にいいものでも紡(つむぎ)みたいな普段使いのものはやめておいたほうがいいわよ。
牛首の絵羽くらいなら、まあいいかしらね」
また、違う人は、
「なんでもいいのよ。でも、せっかくの初釜だし、若いんだから(50才くらいまで
は若いほうなのよ)、華やかなものにしておきなさい。先生も、喜ばれるわよ。訪問
着とか付け下げ、色無地でもいいし、紋付ならなおいいわねえ」
とかアドバイスしてくれて、話せば話すほど、めんどうくさくなりそうだったので、
聞くのはそのくらいにしておいた。
初釜に限らず、年に何度か開かれるお茶会は、いつも、通っている長谷のお茶室とは
違う場所で、準備も含めてあわただしく行なわれるので、わたしとしてはあんまりす
きじゃない。濃茶、薄茶、点心の席も、たくさんの人達が、順番に、その部屋にびっ
しりつめこまれて、お菓子はたしかに、いいいものが出るので、おいしいけれど、な
んだか、全然味わえない感じ。お茶も、陰でたてたものが出されるし、それはたいて
い、あわも少なくてちょっと冷えてるしね。それでも、若いお嬢様たち、とくに、う
ちの先生は、新橋の芸者衆にお茶を教えているので、そういった筋の方たちのおめか
し姿は、やっぱりいいもので、着てる着物はもちろんだけど、着こなしとか、立ち居
振舞なんかが、やっぱりちょっと普通と違ってなんとなく色っぽいので、見てるだけ
でうれしくなってくる。そういえば、明治の噺家のインタビュー集で、「唾玉集(だ
ぎょくしゅう)」という本に芸者の事がかかれてる箇所があるんだけど、むかしの芸
者は襦袢を重ねて来るのは野暮だ、というので、どんな上等なものでも、素肌に着た
んだって。
この本、ものすごくおもしろくて、話っぷりがいいのね、待ち合い茶屋についてのく
だり。
「其の頃は、駿河町の亀の尾、日本橋の寿、芝では千歳と此三軒けァなかッたもので
す。外にも在ッったか知りませんが、此三軒が一番名うてでした。女を呼んで酒は飲
みましたが、今のように寝泊まりはしません。情人(いろ)でもこさえて出会をする
には、向島水神の八百松か植半、それから今は在りませんが、三囲の柏屋の云う意気
なお茶屋がありましたが其所へ行ッったもんです。居廻りや近所で会ふのは情夫(い
ろ)じゃァないと云ッてた位でした」
今じゃ、芸者も、お茶屋さんもめっきり減っちゃったみたいで、この本に書かれた感
じもとうになくなってしまったようだれど、新橋の吉兆のそばの黒塀のあたりを歩く
と、中はどんなだろーーとか思いながら、想像するだけです。
ところで、わたしが習ってる先生は、夏には、茶花を、冬はお香の稽古をしてくれる。
お香は12月にあって、大磯の料亭で行なわれたんだけど、ちょうどそこの板前さんが
お茶を習いにきてるので、お懐石料理まで御馳走になった。お香は「嗅ぐ」とは言わ
ず、「聞く」と言うのだけれど、香を嗅ぐ動作が手を耳に当てるふうに見えるのでそ
う言うんだって。
この時に聞いたお香は7種類。伽羅(きゃら)羅国(らこく)真南蛮(まなば)真那
加(まなか)佐曽羅(さそら)寸聞多羅(すもだら)新伽羅(しんきゃら)。
それで、「三夕香」と言って、その中の三種類を嗅ぎ分けるゲームのようなもの。聞
いたお香を三夕の歌になぞらえて、真南蛮が槙立山、佐曽羅が鴫立沢、新伽羅が浦苫
屋ってことで、これは新伽羅かなと思ったら、紙に浦苫屋って書くのです。どの香り
も口で説明するのはなかなかむずかしいんだけれど、佐曽羅は削りたての鉛筆の芯の
匂いがしました。わたしは古伽羅が好きかな。
茶花のお稽古は、真夏に明王院という古いお寺であったんだけれど、「家のまわりに
ある雑草をもってらっしゃい」というので、ほんとに、わたしの家の庭の雑草をもっ
ていったんだけれどね、やっぱり、あんまりだった。雑草と言えども、やはり、それ
は茶花に合う、今ではなかなかもうお目にかかれなくなっためずらしいものがいくつ
もあって、そういうのを、源氏山のハイキングコースとか、鎌倉山の人の庭とかから
みつけてくるのが醍醐味らしいのね。かわいらしい提灯のような風船葛(ふうせんか
ずら)や、風情のある杜鵑草(ほととぎす)や晒菜升麻(さらしなしょうま)われも
こう、今にも割れそうな玉紫陽花の蕾みなんかも、どこにでもありそうでなかなかな
いのです。
ところで、わたしは、今まで、茶花の他に華道と、フラワーアレンジメントを習った
ことがあるんだけれど、同じように花を活けるということでも、ほんとに違う。華道
は中学から大学まで習い、看板までとって、免許皆伝を通り越して、「なんとか教授」
とかいう免許まで持っているんだけど、今では、全然生かされていない。それなりに
一生懸命だったし、おもしろかったけれど、茶花をやってみて、思い返してみると、
華道はかなり、花に無理をさせる。一番美しく見えるように、針金を巻いたりして、
絶対自然ではありえない枝振りにかえてしまったり、全く水揚げできないような状態
にさせたり、乾燥させたり、他の色に染めたりすることだってあるんだもの。
フラワーアレンジメントは、イギリスで、ダイアナ妃の結婚式にブーケを作ったオリー
ブという人から習ったんだけれど。それはほんとかどうかわからない。だって英語の
説明だったから。オリーブはうちの近くで小さな花屋をやっていて、きさくで世話好
きの、かわいらしい太った女の人で、とにかく、教え方が大胆だった。一度、大真面
目で、きゅうりと玉葱を花と一緒に活けた時には、全然、変だった訳でもなかったけ
れどね、でも驚いたよ。
あ、それから全然関係ないけど、イギリスでヨガを習った時には、40才くらいの女性
の先生で、わたしよりからだが固いんだけれど、日本の小学生がはくようなブルーマ
姿で足をあげるので、目のやり場に困りました。そういう理由でうちの夫はヨガの教
室を休むようになったんだわ、けっこう繊細な夫です。
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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.11 2004.1.31配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
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