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        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.08 2003.11.10
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                                        はじめに
                                       
 10日遅れの配信となったメルマガ「カンバセイション・ピース」8号です。

 遅れた理由はよくわかりませんが、「遅れよう」とか「遅れたい」と思って作って
いるわけではないことだけはご承知ください。

 前号が調べてみたらやっぱり5日遅れの配信で、つまり規則正しく35日で1回の
配信は守っているということにもなりますが、それはともかく、前号からこの号まで
のあいだに、管理人がぶんの引っ越しがあり、「さよならがぶがぶ荘」と「ホームペ
ージ3周年」と「保坂和志の誕生日」を三つ合わせた集まりが10月14日(火)に
あって、平日の昼間にもかかわらず、枡野浩一君、くまさん、ミメオ・ミメイ夫妻、
遠藤君が参加してくれました。

 そのときにみんながしゃべったことを、今回のメルマガに収録するつもりだったの
ですが、話が盛り上がりすぎて散漫になってしまい、その場に居合わせなかった人達
にはとてもその雰囲気を伝えられないと思い、掲載はとりやめることにしました。す
いません。似た雰囲気を味わいたい人は、『カンバセイション・ピース』の68ペー
ジから76ページあたりを読んでください。

 それで、みんなで食事をしてから、がぶがぶ荘に行ったわけですが、これは凄い!

 きっとがぶんが最後のレポートみたいな写真をここに載せるでしょうが(載せなかっ
たりして)、とにかく凄い。一言で言ったら、“ホームレスのテントの中”ですが、
きっと誰もホームレスのテントの中なんか見たことないんだから、概念としてわかる
つもりでも、実際に見ないことにはホント、何もわからないと思います。

 そう言う私自身、ホームレスのテントの中は見たことないんだから、あのがぶがぶ
荘を“ホームレスのテントの中”なんて譬えをしたらホームレスのテントに失礼かも
しれません。いや、きっと、たぶん失礼なんだと思います。写真では視覚にしか訴え
かけないけど、実際に中に踏み込んだら、五感すべてに訴えかけてきて、五感すべて
が悲鳴をあげた、というか、むせて咳こんだ、というか、シャッターを下ろしたがっ
た、というか………。なにしろ凄かった。さよなら、がぶがぶ荘! 感動をありがと
う!! 2度と入りたくない!!!

 

 

 そういうわけで、無事引っ越しが終わり、いまではがぶんも健康で安全な基本的人
権が守られた生活を送っていることと思います。

 さてそれで、しばらく前に私・保坂和志が掲示板でぼやいた「『カンバセイション
・ピース』の感想がない」ですが、ぼやきに答えて送ってくれました。送ってくれた
人の了解を得られた分だけ、ここに掲載します。

 そのとき、「いい感想を送ってくれた人には、ホームページ特製Tシャツをプレゼ
ント」と書いたので、誰に差し上げるかというと……。

 だねかさんと、さかいさんです。

 さかいさんの感想は、感想として送られたものではなくて、掲示板に書かれたもの
です。かつて、このホームページを始めたばっかりの頃、メール小説『ヒサの旋律の
鳴りわたる』の感想を募集したことがあります。ちなみにメール小説『ヒサの旋律の
鳴りわたる』は、いまでもまだ販売していますが、それはともかく、「感想をくださ
い」と言っているのに、「批評」がきてしまう。−−とはいえ、今回はほとんど「感
想」ばかりでしたが。

 その中で、だねかさんと、さかいさんを選んだ理由は、「最も感想だったから」で
す。−−これは保坂の私見による判断ですが。

 「ください」と言って、もらっておいて、文句つけるみたいですが、そううつもり
じゃなくて一般論として、文章を書くという行為にとって、「感想」より「批評」の
方が書きやすいのではないかと思います。感想というのは「読んでいる時間の中で感
じていること」で、批評というのは「読み終わった時点で振り返ること」、という風
に私は大ざっぱに分けることにしています。

 そういう「感想」でもたいていは、「読み終わってから」書くものだろうけど、
「読んでいる時間」に戻ろうという意志のある・なしで違いが出るのではないかと思
います。

 「保坂がそこにこだわる理由がわからない」と感じる人もたくさんいるのではない
かと思いますが、しょっちゅういろいろなところで繰り返しているように、「小説と
は読む時間の中にしかない」からです。「批評」より「感想」が書きにくいのは、
「批評」より「感想」が高度だからではありません。いま、「感想」より「批評」が
高度だという思い込みをみんなが持っていて、ついつい「感想を持つ」より「批評を
書く」ように読書の頭を使ってしまっているのです。

 

 

 ところで感想をひじょうに書きやすい小説家が何人か(何人も?)います。アマゾ
ンを見ると一目瞭然で、10、20とレビューが並んでいます。しかしそこに書かれ
ている感想のほとんどは、「その本を読む前から誰でも持っている感想」です。「流
通しやすい感想」とも「書きやすい感想」ともいえます。みんなが事前に持っている
感想ソフトにはめて書いているわけです。

 いまたくさん売れている小説のほとんどはそういうものです。

 感想文を求めていながら矛盾しているみたいなことを言いますが、「いい小説は感
想が出にくい」ものです(私ひとりのことじゃなくて、アマゾンにレビューが載って
いない小説家がいっぱいいます)。感想とは、「その面白さが説明つかない」ところ
から始まるはずだからです。−−しかしこれは「声なき声」になってしまう。その声
をなんとかして聞こえるものにしなければ、「感想を持ちにくい小説」がどんどん埋
もれていってしまう。

 いまの出版が、すべての本が公平に横一線の状態で売られ始めて、販売に応じて正
しく補充されているわけではないのは、みなさん理解していると思います(最初から、
部数が違うし、新聞広告の大きさも違う)。

 実情は、「感想をいいやすい小説」が出版社の目に止まり、それが前に出てくるの
です。だから、「感想をいいやすい小説」が実売以上に前に出て、「感想をいいにく
い小説」は実売以下になってしまう。それを変えるためには、出版社を啓蒙しなけれ
ばならないわけですが、なんのかんの言いながらまだまだ現状で利益を得ている出版
社が態度を変えることは期待できない。

 しかし送り手側だけの問題にしないで(この言い方はすごく市民運動とかみたいで
すが)、読者も少しは動いたり表明したりしないと、「声なき声」はただ黙殺される
だけだと思う。一番いいのは、「声なき声」を正しく測定する方法を開発することで
すが、それは無理というものでしょう。少しのアクションは必要だと思うのです。

 そういうわけで、たぶんしばらくは新しい小説を書かない私としては、

(1)「感想がいいにくい小説こそがいい小説なんだ」という了解を広く浸透させる。

(2)「声なき声」に働きかけて、少しでもその声が聞こえるようにする。

 −−以上のふたつの活動をしていきたいと考えています。

 今月のメルマガの挨拶でした。(保坂和志)
 
             がぶん@@からもひとこと
                
メルマガこんなに遅れた理由はやっぱり引っ越しのせいです、ごめん。
それと、がぶがぶ荘なんかもう忘れちゃって、次いこ次! ってことで、あそこはな
かったことにします。
簡単ですがご挨拶にかえてむにゃむにゃ…。

◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
    
  ●特別企画:小説「カンバセイション・ピース」感想文集
  ●新連載:「引用集」第一回  保坂和志
  ●ランダム連載:へなちょこ研究者の日常「サケを釣る」:よ
  ●新連載:極楽月記 vol01「ここからまた始まる、前編」 がぶん@@
  ●連載:<ひなたBOOKの栞> BOOK10:けいと
        「赤い蝋燭と人魚」  文・小川未明 絵・酒井駒子 (偕成社)
       
**************************************
                募集します!          
     ・メルマガ版ピナンポ原稿:小説・エッセイ・論評・詩歌など
      枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
     ・猫遊録掲載ネコ写真jpegでお願いします(3枚まで)    
     ・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを! 
              gabun@k-hosaka.com
  保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com
**************************************

■特別企画:小説・カンバセイション・ピース感想文集
         こちらでまとめてご紹介します
               ↓
http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.08/kanso.html
______________________________END______

●新連載「引用集」第一回 保坂和志

当メルマガを始めて以来、なんやかやと連載をやりかけては続かないということをす
でに繰り返してきましたが、今月から、『引用集』を連載しようと、思います。これ
も続くかどうかわかりませんが、以前から私が一番やりたかったことの一つでありま
す。

人によっては、「引用なんかダメだよ。ちゃんと自分で書け」と思うかもしれません
が、私自身の考えを書くよりも、自分が読んで、線を引いたり、ページの隅を折った
りした箇所の方が、何倍も読む価値があると思います(しかし、ウェブ上で公開され
る文章は、「読む価値」でなく、別の価値によって、書かれて、公開されていること
も否定できないんだけど)。

読むことは個人的な行為なんだけど、線を引いたり、ページの隅を折ったりした箇所
を公開することは、読むという行為が別の様相を呈するのではないか……。などと能
書きはともかく、私はとにかく『引用集』をやってみたかった。私はワープロの入力
が遅いので、引用集を入力するのはけっこう手間です。などと言い訳はともかく、私
はとにかく『引用集』をやってみたかった。

しかし小説の引用は、そこまでの流れをまったく知らない人にとっては、案外読みや
すくないかもしれません。でも、勘弁してください。もしかりにわかりにくくても、
我慢して読んでください。

 

ところで、『書きあぐねている人のための小説入門』が草思社から発売になりました。
このホームページで、かつて2度やりかけて頓挫した、「小説論」を「書き方」に絞っ
てまとめた本です。あとがきでも書いていますが、自分で字で書いてしまうと、厳密
になりすぎて全然話が進まないので、しゃべって、それを編集者に構成してもらって、
その後、言い足りないところを埋めていく、という方法をとったのですが、しゃべる
内容というのはどうしても雑で、結局半分ぐらい書き直しになってしまいました。が、
とにかく構成だけはできているので(私は構成がひじょうに苦手なのです)、私は枠
が決まっている中で書いたために、無事仕上げることができたというわけです。

『書きあぐねている人のための小説入門』のコンセプトというか、最大の強調点は、
「自由に書くのが一番いい」ということを言っていることです。

しかし、自由に書くのが一番難しい。何故なら、みんな小説を書こうとした途端に、
“小説らしく見える文章”“小説らしく見える言葉遣い”に染まってしまうから。も
ちろん、登場人物や筋もそう。そういうもの(つまり、表面的な“小説らしさ”)を
全部取り払うための、発想の転換というか、思考のトレーニングというか、それが全
体を通じて書かれているわけです。

10月22日の夜、どこにも宣伝も打っていないのに、アマゾンで突然30位にラン
クされ、26日あたりにアマゾンでは売り始められられたみたいですが、その日はな
んと28位! 『カンバセイション・ピース』の最高位を発売前に超えてしまいまし
た。さあ、このメルマガの配信日には何位にランクされているでしょうか。
ちなみに新聞広告は、11月1日でした。

では、『引用集』の本編を始めます。

 

ドストエフスキーの『未成年』は『カラマーゾフの兄弟』の前に書かれた小説だ。他
の作品と比べて「起伏に乏しい」とか「劇的でない」などと評されることが多く、読
者も少ないために現在、文庫では入手することができなくて、唯一、「新潮世界文学」
という、分厚いシリーズにだけ収録されている。

この「新潮世界文学」(全49巻)というシリーズはしかし優秀で、トーマス・マン
の『ブデンブローグ家の人々』とかジッドの『背徳者』『法王庁の抜穴』などの主だっ
た作品とか、ちくま文庫でも結局絶版になってしまったチェーホフの小説群とか、思
いがけないくらいいろいろな作品をこのシリーズで読むことができる。一冊が700
ページ前後の2段組みで持つのに重く、値段もだいたい4000円ぐらいと、買うの
にも読むのにも手頃ではないが、諦めていた作品を見つけられる可能性がかなりある
し、この分量で4000円というのは決して高くはない。ついでに言うと古本屋の店
頭のワゴンなんかでけっこう売られていたりして、そういうときには300円とか5
00円だったりする。

それはともかく、私も『未成年』はずうっと未読だったのだが、『カンバセイション
・ピース』を書いていた2001年の11月から02年の1月にかけて、たてつづけ
に2度通して読んだ。理由は、面白かったから。

やっぱり私は劇的な話より劇的でない話の方が好きらしく、この『未成年』と全然似
ていない例ではあるけれど、庄司薫の『薫くんシリーズ』にしても、一番ちんたらし
ている『さよなら快傑黒頭巾』が一番面白いと感じて、数年前にちょっと必要があっ
て『薫くんシリーズ』の4作を通読したときにも、『さよなら快傑黒頭巾』の停滞し
た感じには胸がワクワクときめいたものだった。同じように小津安二郎の映画でも
『秋刀魚の味』の停滞した感じが一番ググッときて、熱い胸騒ぎが起こる。

「熱い胸騒ぎ」といえばサザンオールスターズを思い出すが、桑田が考えた「潮風の
香りのする変質者」というのはおかしい。何度聞いても笑ってしまう。全然関係ない
話で、すいません。

話をもどして『未成年』だけれど、ここで引用した、主人公の戸籍上の父親でいまは
巡礼をしているマカール・イワーノヴィチの考え方は、『カンバセイション・ピース』
の綾子に投影されている。読者の興味をそらさないために、小説の中で並んでいる順
にはしたがわず、一番面白いマカール・イワーノヴィチの台詞からはじめることにし
ます。

文章を書き写しながら気がついたんだけど、昔(というのは1960〜70年代)の
文章は(翻訳にかぎるかもしれないが)いまよりひらがな表記が多い。ワープロの普
及と関係しているのだろうか。次回はフォークナーの『サートリス』(1965年発
行)の予定ですが、これもひらがな表記が多い。ワープロの普及ということでなく、
漢語は漢字、大和言葉はひらがな、という原則が守られていたということなのだろう
か。

出典は、新潮世界文学版・ドストエフスキー『未成年』工藤精一郎訳・1968年発
行。

 

「秘密とはなにかというのかね? すべてが秘密だよ、おまえ、すべてに神の秘密が
宿っているのだよ。一本一本の木にも、一本一本の雑草にも、この秘密がかくされて
いるのだよ。小鳥がうたうのも、数知れぬ星が夜空にちかちか光っているのも−−み
んな同じように秘密なのだよ。だが、いちばん大きな秘密は−−人間の魂をあの世で
待ち受けているものにあるのだよ。これがいちばん大きな秘密なのだよ、おまえ!」
(マカール・イワーノヴィチの台詞 428ページ)

 

「ばかなことだよ、お祈りをしないのは。お祈りはいいものだよ、心がさわやかにな
る、眠る前にも、朝起きたときにも、夜中にもふっと目がさめたときにも。これはお
まえによく言っておくよ。夏の、七月のことだったが、わしらはボゴロードスキー修
道院のお祭りにまにあうように急いでいた。近付くにつれて、しだいに人々がくわわっ
て、しまいにはあらまし二百人ほどにもふくれ上がった。みんなアニキイとグリゴー
リイ両聖者のありがたいご遺体を拝もうと思って急いでいるのだよ。わしらはみんな
野宿をした。わしは朝早く目をさました、みんなまだ眠っていたし、お日さまもまだ
森のかげから顔を出さなかった。わしは礼拝して、まわりを見まわすと、思わず溜息
をついた。どこを見てもなんという神々しさだろう! ひっそりとしずかで、空気が
ふんわりと軽やかで。草が生えている−−生えるがいい、神の草よ、小鳥がうたって
いる−−うたうがいい、神の小鳥よ、母の胸に抱かれて子供がピーッと泣いた−−お
お、神の恵みあれ、小さな人間よ、幸福に育つがいい、みどり子よ! そしてわたし
はそのときはじめて、生まれてからはじめて、こうした恵みをすっかり自分の中にしっ
かりとおさめたような気がした……わしはまた横になって、なんとも言えないさわや
かな気持ちで眠ったものだった。世の中はいいものだよ、おまえ! わしは病気がす
こしよくなったら、春のお祭りにまた出かけようと思っているのだよ。秘密というけ
ど、いっそそのほうがいいのだよ。ふしぎで、おそろしい気がする、するとそのおそ
れというのが心の喜びにつながるのだよ、『主よ、すべては汝のうちにあり、われも
汝のうちに入らん、主よ、われを受けたまえ!』不平を言ってはいけないよ、秘密で
あれば、それだけよけいに美しいのだよ」と彼は感動につつまれてつけくわえた。
(同じくマカール・イワーノヴィチの台詞 432ページ)

 
 
 「知ってるかな、おまえは」と彼は今の話をつづけるように、また言いだした、「
この世の人間の記憶には限度というものがあることを? 記憶の限度は人間に百年ま
でと定められているのだよ。死んでから百年は、まだ子供やら、生前に顔を見たこと
のある孫たちやらが、おぼえているが、その先は彼の思い出がつづくとしても、ただ
口先と頭の中だけのことだよ。だって彼の生前の顔を見た者は誰もいなくなってしま
うのだからな。そして墓に雑草がしげり、墓石はこけにおおわれて、みんなに忘れら
れてしまう、やがて名前まで忘れられて、ごくわずかな人びとの記憶にしかのこらな
くなる−−なにそれでいいのだよ!忘れてしまうがいい、かわいい子供たち、だがわ
しは、墓の下からでもおまえたちを愛してあげるよ。かわいい子供たち、わしは土の
下からおまえたちのにぎやかな声を聞くよ、命日にお墓におまいりに来てくれるおま
えたちの足音を聞くよ。今のうちせいぜいお日さまの光をあびて、生の喜びを味わい
なさい、わしはおまえたちのことを神に祈ってあげるよ、おまえたちの夢の中にきて
上げるよ……死後も同じように愛してあげるよ!」(同じくマカール・イワーノヴィ
チの台詞 433ページ)

 

 歩き疲れと、考え疲れで、夜ももう七時をまわったころ、ようやくセミョーノフス
 キー連隊のそばまでたどり着いたときには、わたしは実にいやな気分だった。もう
 あたりはすっかり暗くなって、空模様ががらりと変わっていた。空気は乾いていた
 が、毒々しい、鋭い、例の忌まわしいペテルブルグの風が起って、わたしの背に吹
 きつけ、あたりいちめんに埃や砂をまき上げた。労働や勤めからせかせかとわが家
 へ急ぐ大衆の、無数の陰気な顔々! どの顔にも自分の暗い心配ごとが刻まれてい
 て、これだけの群衆の中に、おそらく、みんなを結びあわせるような共通の考えは、
 一つもありそうにない! (92ページ)

 

いったいに朝というものは、ペテルブルグの朝もその例外ではないが、人の心に覚醒
作用をあたえるものである。燃えるような夜の妄想が、朝の光と冷気の訪れとともに、
すっかり蒸発してしまうことがある。わたし自身もときどき朝になって、つい今しが
たすぎたばかりの夜の夢想や、ときには行動を思い出して、恥ずかしくなり、自分を
叱りつけることがあった。それはさて、ついでだからここでちょっとことわっておく
が、わたしは地球上でもっとも散文的に見えるかもしれぬこのペテルブルグの朝を−
−ほとんど世界でもっともファンタスチックなものと考えているのである。これはわ
たしの個人的な見解、というよりはむしろ印象であるが、わたしはこれを固持する。
このようなじめじめした、しめっぽい、霧深いペテルブルグの朝にこそ、プーシキン
の『スペードの女王』のゲルマン某の奇怪な夢想が(これは稀に見る偉大な創造で、
完全にペテルブルグ人の一典型−−ペテルブルグ時代の一つのタイプである)、ます
ます強化されるにちがいない、とわたしは思うのである。わたしは幾度となく、この
霧の中で、奇妙な、しかも執拗な夢想にとりつかれた。

『どうだろう、この霧が散って上空へ消えて行くとき、それとともにこのじめじめし
た、つるつるすべる都会全体も、霧につつまれたまま上空へはこび去られ、煙のよう
に消えてしまって、あとはフィンランド湾の沼沢地がのこり、その真ん中に、申し訳
に、疲れきって火のような息をはいている馬にまたがった青銅の騎士だけが、ポツン
とのこるのではなかろうか?』

 どうしても、わたしは自分の感じをうまく言いあらわせない、というのはそれがみ
な夢想であり、結局は詩であり、したがって、たわごとだからである。それにもかか
わらず、わたしは一つのこれはもうまったく無意味な疑問に、しばしばとりつかれて
きたし、今もとりつかれるのである。『ああしてみんなあくせくと走りまわっている
が、もしかしたら、こんなものはみな誰かの夢で、ここにはほんものの生きた人間な
んか一人もいないし、現実の行為などひとつもないのではなかろうか? そしてそう
した夢を見ていた誰かが、ひょいと目をさましたら−−すべてがとたんに消え失せて
しまうのではなかろうか?』(165ページ)

 

 しかしその考えをつきつめていく時間がわたしにはなかった。わたしの頭の中には
クラフトがわだかまっていた。彼がわたしをそれほど極度に苦しめたというのではな
かったが、それでもやはりわたしは心底までゆさぶられた。ともあれ、足を折ったと
か名誉を失ったとか、愛するものに死なれたとか、そうした他人の不幸を見ていささ
か満足をおぼえるような普通の人間的感情、このありふれた卑劣な優越感があとかた
もなく消えて、別な、きわめて純粋な感情、つまりクラフトの死を悼み悲しみ、同情
と言えるかどうかは知らないが、なにか強い善良な感情が、わたしの胸に生まれたの
である。そしてこのことにもわたしは満足であった。ある重大な知らせに心底から完
全にゆさぶられて、それが本当を言えば、他のもろもろの感情をおしつぶし、いっさ
いの無関係な、特に些細な考えを追いはらってしまうのが当然と思われるようなとき
に、かえってたくさんの無関係な考えがちらちら浮かぶのは、なんともふしぎなこと
である。それどころか、些細な考えほど逆に這いこんで来るのだ。これもおぼえてい
るが、かなり感傷的な神経のおののきがしだいにわたしの全身にみなぎりわたって、
それがしばらくつづき、家へもどってヴェルシーロフと話し合っているあいだも消え
なかったのである。(ヴェルシーロフは主人公アルカージイの実父 クラフトのこと
はよく憶えていないが、社会主義運動のサークルのようなところにいた男で、「わた
し」にとって非常に重要な手紙を持っていたのだが、ピストルで自殺してしまった。
 192ページ)

 

 わたしが息をきらして、せかせかとしゃべっているあいだ、彼(ヴェルシーロフ)
は手紙を受取った手を宙に浮かしたまま、注意深くわたしの言うのを聞いていた。わ
たしはクラフトの自殺を知らせたとき、その効果を見ようとして、目に特に注意をこ
めて彼の顔を凝視した。ところがどうだろう?−−この知らせが毛筋ほどの感銘も彼
にあたえなかったのである。彼は眉さえもうごかさなかった。それどころか、わたし
が言葉を切ったのを見ると、彼は、決してはなしたことのない、黒いリボンのついた、
例の柄付眼鏡をとり出して、手を蝋燭のそばへもっていき、ちらと署名へ目をやって
から、鋭い眼光でやおら行を追いはじめたのである。この傲慢な非情さにわたしがど
れほどの屈辱をおぼえたか、わたしは言いあらわせない。彼はクラフトをよく知って
いるはずであった。くわえて、なんといってもこのような異常な知らせではないか!
だから、わたしとしては、当然、それが効果を生むことを期待したわけである。三十
秒ほど待って、手紙が長いものであることを見てとると、わたしはくるりと背を向け
て、客間を出た。(ヴェルシーロフは「心に偉大な思想と悪魔を持つ」と形容されて
いるが、とにかくしょっちゅう予想外の反応をする。マカール・イワーノヴィチの発
言も、「学のない老いぼれの言いそうなことだ」と一蹴する。  194ページ)

 

 ……そして彼女らにも自分にも無性に腹が立って、胸がむかむかした。わたしはな
にかで自分を叱りつけて、ほかのことを考えようとつとめた、すると『隣室の娘との
件で、なぜおれはヴェルシーロフにすこしの怒りも感じないのか?』という考えが不
意にわたしの頭に来た。わたしの見方では、彼が演じたのは色魔の役割であって、ち
ょっとつまみ食いをするためにここを訪れたことは、信じて疑わなかったが、そのこ
と自体はわたしを憤激させなかった。彼をそういう人間として以外には想像できない
とさえ、わたしには思われた、そしてわたしは彼が恥をかかされたのを、実際に小気
味よいと思っていたが、しかし彼を責めていなかった。わたしにとって重大なのはそ
んなことではなかった。わたしが重視したのは、わたしが隣室の娘と入って行ったと
き、彼があれほどの憎悪の目でわたしをにらんだという事実なのである。彼はこれま
でにあのような目でわたしをにらんだことは一度もなかった。『ついに彼は真剣にぼ
くを見たぞ!』と思うと、わたしは胸がじーんとなった。おお、もしわたしが彼を愛
していなかったら、彼の憎悪をこれほど喜びはしなかったろう!(206ページ)

 
 
「わしはこう思ったんだよ、アルカージイ」と彼(ヴェルシーロフ)は考えこむよう
にしずかな微笑をうかべながら言いだした。「もう戦いはおわり、闘争はおさまった。
呪詛と、土くれと、口笛のあとから、気味わるいほどの静寂がおそって来た。そして
人々は望みどおりに、一人ぼっちになった。以前の偉大な思想は彼らを見すてた。そ
れまで彼らを養い、そしてあたためてきた偉大な力の泉が、クロード・ローランの絵
のあの荘厳な招く夕陽のように、去ろうとしている、しかもそれがもはや人類の最後
の日のようであった。すると人々が不意に、完全に一人ぼっちにとりのこされたこと
をさとって、急に深い孤独におそわれたのだ。なあ、アルカージイよ、わしは人間が
恩を忘れて、ばかになってしまうなどとは、どうしても考えることができなかった。
孤独になった人々はすぐにまえよりもいっそう緊密に、いっそう愛情をこめて、互い
に身体をよせあうにちがいない。今はもう彼らだけがお互いにとってすべてなのだと
さとって、手を結びあうにちがいない。不滅の偉大な理想が消えてしまったのだから、
なにかそれにかわるものを見つけなければならない。そこで不滅なるものに注がれて
いたそれまでのありあまる愛が、自然に、世界に、人々に、すべての草木に向けられ
ることになるだろう。彼らは大地と生活を際限なく愛するようになろう、そしてその
うちにしだいに、もう以前の愛とはちがう特別の愛によって、限りある自分の生命の
はかなさを自覚してゆくにちがいない。彼らは以前は想像もしなかったような現象や
神秘を、自然の中にみとめたり、発見したりするようになるだろう、というのは愛す
る者が愛の対象を見るまったく新しい目で自然を見るからだよ。彼らは目がさめた思
いで、生命の日が短く、しかもそれらが彼らにのこされたすべてであることを自覚し
て、急いで互いに接吻しあい、急いで愛しあうようになるだろう。彼らは互いに互い
のためにはたらきあい、そして各人が万人にすべてをあたえて、それを幸福と思うよ
うになるだろう。一人一人の子供が、地上のすべての人々が−−自分の父であり話で
あると知り、そして感じるようになるだろう。『たとい明日がわたしの最後の日でも
かまわない』と各人が沈み行く太陽をながめながら考えるにちがいない、『同じこと
だ、わたしが死んでも、彼らがのこる。そして彼らのあとに彼らの子供たちがのこる。
そして彼らのあとには彼らの子供たちがのこるんだ』。そして彼らがのこるだろうと
いう考えが、たえず互いに愛しあい、案じあっているうちに、あの世でのめぐりあい
という思想にかわっていくはずだ。……」(570ページ)

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●ランダム連載:へなちょこ研究者の日常「サケを釣る」:よ

 保坂さんにこの前のつづきをと言われ、切片を切りながら、風呂に入りながら、パ
 チンコをしながらウンウンと考え続け、知恵熱が出るかと思った。と思ったら、辞
 書によれば知恵熱とは頭の使いすぎで出る熱のことではなく、生後数ヶ月の乳児が
 出す熱のことをいうらしい。辞書を引いておいて良かった。ひとつ賢くなった。
 そもそもウンウン考えたところで妙案が出るわけでも無し。この前の続きというの
 はつまり「個体が死んだらその記憶は失われてしまうのに、どうしてヒトはこの世
 界がどうなっているのかを知りたがるんだろう」というような感じ(←曖昧表現)
 のことで、あれこれ考えていると、いいじゃん、そんなことドウだって。と投げや
 りな気分になる。だいたい考えることでこれまで分からなかった何かが分かること
 があるんだろうか。わたしが考えるときにそのための材料となるモノはわたしがこ
 れまで得てきた経験と知識の記憶であって、材料が限られているのだからその材料
 をもとに生み出すことができる考えだって限られているはずで、だから外からの新
 しい経験や知識なしにこれ以上いくら考えてみたところで今まで以上のことを思い
 つくとは思えない。というのは、たぶんジャガイモと人参と玉ねぎがあったらカレ
 ーしか思いつかない、というような自分の発想の貧困さを棚に上げた言い訳で、カ
 レールウじゃない調味料と混ぜたり他の食材を加えたりしたら違う料理になるのだ
 ろう。と、それこそこれまでのわたしの経験と知識から予測はできるけれど、それ
 でも他の調理法を思いつかないのは料理の経験が少なくて応用が利かないからに違
 いなくて、かといって考えが浮かばないのは考える経験が少ないからだとそこから
 類推していいものなのか。もっとも、近頃わたしが考えることから遠ざかっていた
 ことは事実で、6月ごろから8月までは週末は決まってオットと二人でパチンコに
 出かけ、8月からは毎週末いろいろな理由でどこかに外泊し、もちろん週末ばかり
 が考える時間ではないし、どこに出かけたって考えることはできるはずだから、こ
 れもやっぱり言い訳だ。

 8月から続いた外泊イベントの中でも最大のイベントは北海道の忠類川でのサケ釣
 りだった。忠類川でのサケ釣りは2度目で、1度目は2年前の9月のはじめ頃で、
 忠類川には8月から9月はじめにカラフトマスが遡上してきて9月の中頃からシロ
 ザケが遡上しはじめるから2年前に釣った魚はカラフトマスで、今回はシロザケを
 釣りたくて9月の中旬に週末&有給休暇を利用して出掛けた。釣り旅行に出掛ける
 前に何とは無しに忠類川のホームページをチェックすると、今年は冷夏で山の実り
 が少なかったせいなのか「例年になくヒグマの出没が相次いでいます。」とあって、
 なんかイヤな予感がした。というのは嘘で、イヤだなあとは思ったけれど予感はし
 なかった。予感はしなかったのだけれど中標津空港に昼前に着いてその日の午後に
 さっそく釣りに行ったものの、同行のオットとその友人はさっそくカラフトマスを
 釣ってわたしはボウズ(何で一匹も釣れないことをボウズというのだろう)で、そ
 の次の日。ヒグマの出没が多いから例年より30分遅い5時半からしか川に入れな
 いので5時半に間に合うように管理棟で手続きをして、管理棟のおじさんの合図で
 わたしたちを含めて20人くらいだっただろうか? 散り散りに川に向かい、川は
 2年前とは渓相がすっかり変わっていたけれどわたしたちは2年前にお気に入りだ
 ったポイント辺りで釣りをしていたら、まだ釣りをはじめて間もないというのに更
 に上流に行っていた人たちが降りてきて、わたしたちに教えてくれた。「すぐ上流
 にクマがいる。」それは親切にありがとう。わたしたちが釣りをしていたホンの1
 00メートルくらい上流に真っ黒いヒグマがいたらしい。わたしたちは釣り道具を
 慌ててバッグに詰めて、クマ避けの鈴を鳴らしつつ、笛を吹きつつ、下流に下った。
 それでもこの釣りのために何ヶ月も前から計画をたてて有給休暇を取って来ている
 のだし、この次はいつ来られるのか分からないし、川を目の前にして釣りをしない
 わけにはいかないのでしばらく下流に下ったところで良さそうなポイントを見つけ
 てまた釣りをはじめた。笛を吹きつつ。後ろの草むらを気にしつつ。したら、オッ
 トが言った。「クマがいる。」オットが指を差す方向を見ると確かに黒くてでっか
 い物体が推定200メートルくらい先にある土手の草むらの陰にあって、眼を凝ら
 してよく見るとその一部分がまるで首のように上下に揺れている。これはヤバいん
 ではないの。人からクマがいたと聞くのと自分で見るのとは違う。わたしたちはま
 た慌てて釣り道具をまとめると川を下りながら、途中で出会った釣り人たちに「上
 流にクマがいました」と伝えながら、管理棟のおじさんのところまでクマが出たこ
 とを伝えに行った。伝えた。おじさんは興奮気味のわたしたちの言葉にも何ら慌て
 ることなく「それは向こう岸にいたの?こっち側にいたの?」というような意味の
 ことを地元の言葉で言ったので、わたしたちは「向こう側です」と答えた。「そり
 ゃ、牛だよ。牛。」・・・は? おじさんによると、川の向こう側には真っ黒い牛
 がたくさんいて、東京辺りから来た釣り人がしょっちゅうそれをクマと見間違える
 らしい。おじさんは川の向こう岸に黒い牛がたくさんいる理由も話してくれたよう
 だったけれどそれは訛りが難しくて聞き取れなかった。おじさんの言葉が今ひとつ
 理解できなかったのが不安だったのだけれど、おじさんがアレを牛というのだから
 アレは牛に間違いない。というか、それは牛だった。おじさんに衝撃の事実を告げ
 られてから気を取り直してまた最初のポイントに戻って釣りをしていたら、また上
 流から釣り人が降りてきて「そこに子連れのクマがいる」というので今度は勇気を
 もってその黒い物体をじぃーっと見ていたらその黒い物体はおもむろに歩き出した
 のだけれど、第一にその歩き方が牛だった。その後をついて歩き出した黒い物体も
 子グマというよりは子牛だった。それにその後もその黒い2頭の後ろから、出るわ
 出るわ。クマの大群。。の訳はなくて、それはどうみても牛の群れだった。

 サケ釣りの方は結局、クマ騒動(牛騒動?)の後にカラフトマスを一匹釣ってボウ
 ズを免れ、次の日は念願のシロザケのしかもメスだったのを掛けたのだけれど取り
 込む直前にバラして(=逃がして)しまってメスのシロザケ一匹を使って「はらこ
 飯」を作る計画は来年に持ち越しになった。そしてわたしの思惑も空しく、サケ釣
 り体験を書いた文章と「個体が死んだらその記憶は失われてしまうのに、どうして
 ヒトはこの世界がどうなっているのかを知りたがるんだろう」という問いはちっと
 も結びつく気配がない。ていうか、わたしは忠類川のサケ釣りにおけるクマ騒動を
 (書きたかったけれど)書こうと思ったわけではなくて、忠類川のサケ釣りに対す
 る「恐怖心」を書こうと思ったのだった。つまり、忠類川は普段わたしが行くよう
 な渓流と比べてずっと流れが速い。しかも川の最下流域だから川幅が広くて渓流で
 あれば避けて渡るような深さのところも渡らないと釣りが出来ない。ヒグマが出る
 ことがある、、らしい。2年前にはじめて忠類川に行ったときにも川を渡るのが相
 当怖かったし、今となっては誰も信じてくれなさそうだけれどもそのときヒグマの
 ものらしい足跡も見た。わたしは怖がりなので危険なところにはなるべく近づきた
 くないのだけれど、それでもわたしが忠類川に向かうのはどうしてなのか。百聞は
 一見に如かずという諺を思い出すまでもなく(見るのと体験するのとはちょっと違
 うけれど)体験しなければ分からないものが世の中にはたくさんあって、だからわ
 たしは恐怖心を克服して忠類川に向かうんじゃないだろうか。サケを釣りたいから。
 その川に入りたいから。そしてそういう「体験をしたがる」ことも「この世界がど
 うなっているのかを知りたがる」ことの一つだろうと思ったから、それを考えるこ
 とが問いに答えることへのヒントとなると思ったのだった。
 でも結局のところわたしはそれよりもクマ騒動を書きたいという欲求に従ってしま
 った。こういう笑い話を人に話したいと思うそのエネルギーというか、そういう心
 の動きは結構ヒトに一般的なように思うのだけれど、そういう心の働きはヒトが生
 きるためにはちっとも必要がないような気がする。それに比べたら「知りたい」と
 思う心のほうがヒトが生きるのにずっと役に立つに違いない。それでもヒトが役に
 も立たない笑い話を人に話したがるのは、たぶん、人と「楽しい」感情を共有した
 いからじゃないかと思うのだけれど、その「楽しい」だってやっぱり「個体が死ん
 だらその記憶は失われてしまう」のに、わたしたちは「知りたい」し「話したい」。
 死んだら記憶が失われてしまうのにそれでも知りたかったり話したかったりすると
 いうことは、つまり、逆に考えれば(?)知ったり話したりすることにとって死ん
 で記憶がなくなってしまうことは大して重要ではないということなのだろうか。。
 なんか、何が言いたいのか自分でも(ますます)よく分からなくなってきた。よく
 分からないけれど、それじゃあ何が重要なのか。と問われれば、やっぱり分からな
 いからハナシはこの文章を書き始めたところから一歩も進んでないかもしれない。
 やっぱり何か新しい材料か調理法を仕込まないと先には進まないのかもしれない。
 帰ってカレーでも食べよう。。

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●新連載:極楽月記 vol01「ここからまた始まる、前編」 がぶん@@

今月からは「稲村月記」変じて、「極楽月記」となりました。
そりゃそうだ、もう稲村じゃなくて極楽寺に住んでるんだから。
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●連載:<ひなたBOOKの栞> BOOK10:けいと

「赤い蝋燭と人魚」  文・小川未明 絵・酒井駒子 (偕成社)

唐突だけど、わたしの子ども時代というのは、昭和30年代後半と40年代で、当時の
見せ物小屋って、かなり怖かった。そういう小屋は、秋祭りなどのいつもとは違う状
況で、いきなり、町外れに現れた。親に、絶対入っちゃいけないと言われていたから、
中に入ったことは一度もない。だから実際に、子どもの頃に、中の様子を見たことは
ないんだけれど、血の色とかが妙に生々しく描かれた看板とか、夕暮れ時の小屋のま
わりの景色や空気とかまでもが、ほんとに怖かった。
大人から、そんなもの全部いんちきなんだよとか、いくら言われていても、犬に育て
られた少女とか、頭が三つもある珍獣、からだがヘビで顔が人間のヘビ女とかでも、
もしかすると、ほんとにいるのかもしれないと考えたり、想像してたものだった。
別冊太陽の日本のこころ「見せ物はおもしろい」の特集号で幕末の「駱駝(らくだ)
の見せ物」の浮世絵を見たんだけれど、この絵がまたなんともへんちくりんで、すご
いのひとこと。機会があったら見て下さい。そのころ、駱駝だけじゃなくて、豹やト
ラ、象、やまあらしなども、見せ物として海を渡ってやってきて、大人気だったそう
だけれど、想像してみても、その当時の日本人にとっては、かなりショックに違いな
い。今なら、いくら珍しい動物でも、テレビや写真などで、だいたいは知っているか
ら、そんなに驚かないけれど、なんの予備知識もなく、いきなり実物の駱駝とか象を
見たら、形はもちろん大きさだけでも、ほんとに驚いちゃうよね。
そういえば、はじめて実物のサイを見た時、びっくりした。もちろん、サイの姿を知
らなかったわけじゃない。でも、柵越しだけど、こっちにむかって猛烈な勢いで走っ
てきたあの姿の恐怖は忘れられない。あの正面顔と、走ってる時のぼこぼこした肉体
が強烈だった(サイ君、失礼!)。もちろん、見せ物小屋じゃなくて動物園。考えて
みると、動物園っていうのも、いかがわしさはあんまりないけど、結局、見せ物小屋
だよね。
幕末から明治時代にかけては見せ物が最高の娯楽として盛り上がってたらしい。曲芸
や、珍しい動物、顔だけ人間(これは中国、上海あたりでも「野人の頭」とか言って、
けっこう有名な興業らしい)のようなインチキっぽいしかけものは、ちょっと聞いた
ことはあるけれど、全くの初耳だったのが、籠細工の見せ物。こういう細工見せ物っ
ていうのは、近世後期の興業の半分以上を占める見せ物の中心だったんだって。籠細
工というのは、歴史上の人物や、赤鬼や獅子などを籠仕立てで編んで作るのだけれど、
その大きさは数メートルから数十メートルくらいもある巨大なもの。大阪の一田庄七
郎がつくった釈迦涅槃像は29メートルもあったそうです。もちろん、実物で現存して
るものはないから、絵でしか見ることができないけど、歌舞伎などでも、籠細工の中
から、役者がでてくる仕掛けになったものなどがあったり、式亭三馬や、曲亭馬琴の
噺本の中にも籠細工を素材にしたものは、けっこう多く出てくるそう。
大人になってから、府中のお祭りで見せ物小屋に入ったことがある。これはわたしに
とって、はじめてのこと。その時の出し物は、ヘビを鼻から入れて口から出す女の人、
大きな水槽に入っている河童、半分が男で半分が女の形をした珍獣のミイラ、犬の貫
一お宮のお芝居。入り口で口上してたおばさんが、ヘビを口から出してたし、河童も
たぶん、そのおばさんだし、だって、最後に貫一役の犬を棒でつついていたのは、髪
の毛の濡れたそのおばさんだったもの。かなり、いい加減だけど、やっぱり、怖かっ
た。
そういえば、昔のサーカスっていうのも、今よりずっと、いかがわしい雰囲気だった。
誘拐されたら、サーカスに売られちゃうとか、そんな言い回しって、けっこう普通に
聞いた覚えがあるもの。近ごろの、幻想的な舞台みたいにおおがかりなサーカスには、
そんな雰囲気はこれっぽちもない感じでちょっと寂しいくらいだけどね。宮沢賢治の
「黄いろのトマト」に出てくる不思議な一行もあれはサーカスのひとたちだと思うん
だけれど。そもそも、この話、剥製の蜂雀が話したことだし、ペムぺリとネロという
兄妹も、正体不明だし、ポンテロ−ザというトマトもなにもかもがうそくさいんだけ
ど、あの埃っぽいサーカスの行列の場面はなんだかリアルで、だから、何度読んでも、
ほんとに胸がざわざわしちゃうんだよね。
去年、偕成社から出版された小川未明の「赤い蝋燭と人魚」、この本は、振り仮名と
漢字以外は、大正10年に出版されたままのものなんだけど、絵を書いた酒井駒子は
1966年生まれ。絵の不可思議なリアルさが話に合ってる。優しくて誠実な老夫婦が、
大事に育てた人魚の娘を、南の国からやってきた香具師(やし)の口車にのせられ、
欲に目がくらんで、売る約束をする。ちなみに、香具師とはテキヤのこと。とうとう、
香具師がやってきて、人魚を連れていくという場面。
「いつかの香具師がいよいよその夜、娘を連れにきたのです。大きな鉄格子のはまっ
た、四角な箱を車に乗せてきました。その箱の中には、かつて、虎や、獅子や、豹な
どを入れたことがあるのです。この優しい人魚も、やはり海の中の獣物(けだもの)
だというので、虎や、獅子と同じように取り扱おうとするのであります。もし、この
箱を娘が見たら、どんなにたまげたでありましょう。娘はそれとも知らずに、下を向
いて、絵を書いていました」
この場面だけは、怖くて怖くて、じっとたちどまって、子どもの頃見た、あの見せ物
小屋とか、サーカスに売られる子どものことなんかも想像してしまうのだ。そういう
思いだけは、全く成長しないまんま、わたしの中に残っているみたいです。

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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.08 2003.11.10配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
連絡先:0467-24-6573・070-5577-9987
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