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        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.07 2003.10.05
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           <<サヨナラがぶがぶ荘特集号>>
                 
                 はじめに
拝啓
初秋の候、がぶん宅は立ち退き差し押さえの季節となりましたが、皆様方におかれま
してはご清祥のこととお慶び申し上げます。
というわけで、HP作管理者である、がぶん@@がガチンコで立ち退きを迫られとい
うか法的な決定を受け、おまけに差し押さえまでされたんですから、もはやHPやメ
ルマガどころの騒ぎじゃないとお思いでしょうが、いやいやそんなことにめげる私で
はありませんので、どうかご安心ください。
話は変わりますけど、その当時日本最長老だった泉重千代さんが、「好きな女性のタ
イプは?」ときかれて、「年上のひとです」と答えた、という話には大笑いしました。
話は戻りますけど、今月は都合があって、誰にどんな都合があったのかはよく分かり
ませんが、メルマガ配信が5日ほど遅れてしまいました。どうもすみません。
おわびのしるしといってはなんですが、いつもより面白くしましたので、どうぞサヨ
ナラがぶがぶ荘特集号をお楽しみ下さい。(がぶん@@)
                              敬具
追伸
やっぱりTシャツ売れないじゃんか、ちっ!

◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
    
  ●特別企画:世田谷文学館での朗読会(2003年6月21日)その3(最終回)
  ●特集:サヨナラがぶがぶ荘
     :▼「REAL ROCK CHRONICLE」 第4回」 保坂和志
     :▼「ひとりではとっても入れない場所」けいと
     :▼「口では言えないほど、、、いっぱい詰まってる」  がぶん@@
     :▼連載:稲村月記vol.30「強制執行&差し押さえ」
  ●ランダム連載:動く絵「ミニラボ」vol.02 ミワノ
  ●ランダム連載:「そらめめ」vol.02 くま
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                募集します!             
     ・メルマガ版ピナンポ原稿:小説・エッセイ・論評・詩歌など
      枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
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     ・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを! 
              gabun@k-hosaka.com
  保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com
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■特別企画:世田谷文学館での朗読会(2003年6月21日)その3(最終回)

書き出したら、この中で途中から何度も出てくるテルトゥリアヌスっていう人がいて、
テルトゥリアヌスの「神の子が死んだということはありえないがゆえに疑いがない事
実である。葬られたあとに復活したということが信じられないことであるがゆえに確
実である。」という言葉を発見しまして、繰り返しますと、「神の子が死んだという
ことはありえないがゆえに疑いがない事実である。葬られたあとに復活したというこ
とが信じられないことであるがゆえに確実である」。

だから、「ありえないがゆえに真実であり、信じられないがゆえに確実である」って
いうその言い方に感動しまして、これはどこで探したかといいますと、エドガー・ア
ラン・ポオの「べレニス」という短編がありまして、ポオだから短編は当たり前なの
ですが、「べレニス」を古本屋の店頭で200円で世界文学全集を売っていて、僕は
古本屋で100円か200円で世界文学全集を買うのが好きで、ポオを読んでいたら
見つけたんです。で、訳が吉田健一だったんです。創元推理文庫にもはいっています
けれど、その中の「べレニス」は大岡昇平訳で、一度フランス語訳になったのをもう
一度訳しているんですけど、こっちの大岡昇平訳を読んだら、こうは感じなかった。
間延びした訳っていうか、論理の強引さが感じられなかった訳だったんで、わかんな
かったと思うんです。テルトゥリアヌスは「不合理ゆえに我信ず」そういうことも言
った人で、西暦200年前後で、テルトゥリアヌスなんて名前を知っている人は周り
にいなかったんだけど、一人だけいたんです。これがなんと、『季節の記憶』の和歌
山の蝦乃木くんのモデルになったタダくんっていう奴で、世界人類を平和にしたい宗
教を日々模索しているタダくんという人間がテルトゥリアヌス知ってたんですよ。

テルトゥリアヌスっていうのは原理主義者の思想的中核らしいんですよね。今世界中
にある原理主義の。きっとこの矛盾の力の中に原理主義の何かがある。だからテルト
ゥリアヌスのこの言葉「ありえないがゆえに真実であり、信じられないがゆえに確実
である」っていう言い方を聴いたときに、矛盾自体がもっている力の、言葉に論理の
段差が、ガクッてできるっていうか、エネルギーがうーんって起き上がってくるよう
な感じがしたんです。この言い方に。小説で何かを伝えようとするときに丁寧にリア
ルに、ある程度リアリスティックに書いて言葉を尽くしていくっていう方法だけじゃ
なくて、この強引さっていうのは圧倒的な魅力だなと思ったんですね。

テルトゥリアヌスのこの言葉が言葉の最先端にある最も過激な言葉で、で、もう一方
が、僕は空耳の多い子どもで、これから朗読しようとする箇所に出てきますけど、—
—朗読がたどり着けばですが——、空耳が多いっていうのはどういうことかというと、
言葉と音というのが未分化の状態なんですね。聞き間違いじゃなくて空耳ね。聞き間
違いというのは言葉の中の言葉の像が、言葉の輪郭が未分化の状態が聞き間違いで、
空耳は人の言葉と音が一緒、音が混乱するというか、換気扇のカラカラ回る音を聴い
て誰かが喋っているように感じるという友達がいまして、友達っていうのは、樫村晴
香という僕に哲学をいろいろ教えてくれた人で、彼が換気扇の音を人が喋っているよ
うに聞こえてしようがないらしいんです。僕はすみません、くだらない話をして申し
わけないんですけど、酒飲んでオシッコ長い時間出るでしょ。そうするとね、人が喋
っているように聞こえてしようがないんです。じょぼじょぼじょぼ・・・していると
「なんとかでなんとかでなんとかで・・・」って、実はそういう喋り方をする知り合
いが一人いるんですけど、それは言っちゃまずい。特に女の人だから、「あんたの喋
り方は、僕が酔っ払ってオシッコしているときの音とそっくりだ」なんていったら、
むちゃむちゃ傷つきますよね。

そういう音と声が未分化な状態が空耳。空耳は子供が多いんだけど、それは子供が言
葉というものを完全にわがものにしていないっていうか、逆なんですね。「言葉を取
得する」じゃなくて「言葉の中に入っていく」わけであって。人間ってすごく自分が
主体になれるって思っているから、「言葉を身につける」って言うんだけど、入って
いくだけなんですよ。子供は、言葉の中に入りきれていないから音が声に聞こえたり
したりしてしまう。音と声が分かれていない、それはテルトゥリアヌスの言葉の一番
対極にある言葉で、それが今のところ考えている言葉の両端で、日常言語というのは、
その途中にあるあいまい領域というか温厚な音。書きながら、最終章で「なんてすご
いんだ!」と自分で思ったのは、小説の中で両端が結構くっついたような気がするか
らなんです。

あのときはほんとうに大変だったんですよ。言い訳してるわけじゃないんだけど、年
末で。「ない」と「ある」というのがあったとしたら、「ない」と「ある」の両方作
り出すもとがあるはずで、もとを見るっていうのはどういうことだってずっと考えて
いたから。僕は大体昼間の12時半くらいから冬は日没までが仕事時間だから、日没
までに仕事が終わっているのが僕の仕事時間だから、1日4時間くらいなんだけど、
そのときだけは、毎日ずっと考えていて、最後の章のその部分から出たあたりはほん
とにほっとして、大晦日と三賀日にかかっていたから、今年は三賀日も仕事をしたん
です。

この小説を書き出すときに、三人称にしようか一人称にしようか、っていうことも今
回は考えて、でも三人称だと意味ないんですよね。一人称だから見えない空間が見え
るっていうことが意味があるわけで、三人称で、彼が部屋のなかにいて、外の風景が
見えたって書いても、三人称で書いたら全然意味ないわけですよ。それは、書く前の
段階で気がついて、意味がないから一人称にしたんだけれど、書き終わるくらいにな
って気がついたことというのは、三人称を書けるということは作家の、俗にいう「神
の視点」という簡単なことではないんじゃないかっていうことなんです。そういう見
渡せる視点が作家の中に、書き手の中に内包されているということは、作家が「私」
という一人称で書いても、その視点は内包されているはずだと考えたんです。

三人称というのは、すごく限定された視点で、書き手の視点の広がりをきちんと伝え
るには実は三人称ではなくて一人称の方なのではないか、一人称の方こそ神の視点の
ようなものが内包される可能性があるんじゃないかということを書きながら考えて、
今も考えているんですね。

 
時間がなくなっちゃうので朗読会なので、あまり読みたくないんですけれども読みま
す。

最初は導入のすぐのところで、私と妻と三匹の猫が、伯母さんが死んで、死んだ世田
谷のうちに住むことになりました。その家はとても広い家です。こう書くと近所のと
んかつ屋のおばさんが「保坂さんて伯母さんの家に住んでいらしたのね」と言ってく
れるんですけれど、それは違います。その家というのは、語り手の私が幼稚園のとき
に2年間住んでいたことのある家です。伯父さんと伯母さんには4人の子供、女男女
男という4人きょうだいがいて、もともと語り手の私の家族がここに居候、間借りし
ていたんですね。間借りしていた時代は伯父さん・伯母さんこどもが1、2、3、4
人に私と母と生まれたばかりの弟と、父は船乗りなので基本的にはいないんで9人だ
った。

それは実は僕の子ども時代のことでもあって、母の山梨の実家にいたんです。僕は産
院ではなく、まさにそこの座敷で生まれたんですけれど、そのときにはおじいちゃん、
おばあちゃん、伯父さん、伯母さん、それからいとこが3人、僕とうちの母と妹が生
まれて11人。本当は生まれてから3歳と10ヶ月までずっといて、この設定の中で
そのあとですよね。4歳5歳くらいのときにここに住んでいたということになってい
るんだけど、子供時代によく遊びに来ていたし、伯母さんが死んで、伯父さんがその
前に死んでいて、跡取のいとこが広島に会社の仕事で出向になっちゃったんで、家が
空っぽになっちゃうんで、そこにお前住んでくれ、ということで私と妻と3匹の猫が
行くようになった。そこへ会社をやっている浩介という友だちが、2人の若い子と一
緒にここの家に会社ごと持ち込んじゃった。

そういう話なんだけれど、僕が生まれた母の実家の建物もほぼ部分的に一部違うとこ
ろもあるんですけれど、モデルに使っているんですね。本当は実際の建物はモデルに
したくない感じで、前に住んでいた借家に2階を載せて、そこでやろうとしてみて、
それも書いたんですよ。2000年の10月に書き出して、年明けの2月はじめくらいまで
それで書いていたんですけれど、失敗はそれだけの理由じゃないんですけれども、眺
めの問題もあって、前に住んでいた借家の南北を逆にしたんです。前に住んでいた借
家というのは、入って左側が南なんだけど、それでは具合が悪いんで、右側を南にし
て建物を全部反転させたから、そういうことってとても難しくて書いていて混乱しち
ゃうんですよ。右に曲がる、左に曲がる階段がどっち側か全然わかんなくなっちゃう。
ものすごいストレスになったんでそれはやめて、母の実家にしようと2月に思った。

母の実家にしようと思ったら、一週間から10日間くらい、毎晩母の実家の夢見るん
ですよね。その夢っていうのが、ばかばかしいんだけど座敷が釣堀になっていたり、
座敷と居間で野球をやって僕がピッチャーで、こんな広いところでやばいなと思って
いたら、横浜ベイスターズのショートの石井琢郎がやってきて「大丈夫、ちゃんと守
ってやるから」という夢とか、とにかくね、毎晩毎晩そんな感じでそこを舞台にした
夢を見るほどで。とにかくそこに浩介くんというのが、森中というのと沢井綾子とい
う2人を連れてここの家にやってきます。その会社の仕事というのが、生涯学習を文
化庁主催で全国で地域の生涯学習の担当者を集めてやるセミナーとかがありまして、
それの仕込みをやるっていう仕事と、あとは2000年の夏のことですからホームページ
の作成代行をしていて、こんな仕事いつまでも続かないよと、森中くんは気にしてい
て、浩介くんの方はあまりそういうこと考えたくないんで、「まあ、いいよ」ってい
う感じでずっと続いていく、それでこのプリントは森中くんが2階に上がってくると
ころです。

 「そんなことを考えていたら…(朗読)」(単行本37ページ4行目蚊ら)

何でかっていうと敷居をまたぐと、ミケっていう猫がその人の足の甲を噛むからなん
です。森中は噛まれたくないから、絶対にこの敷居をまたがない。

「北の窓の…(朗読)」

 ま、こんなところで。森中くんというのは、2月にちょうど書き出したときに、友
 達の所へ行ったら中原昌也っていう小説家が来てまして、中原がすごいこういう喋
 り方をするんですね。「何ですか保坂さん」。それで、中原の感じとそれからほか
 に「池袋ウエストゲートパーク」の長瀬智也がやったマコト役や「ハンドク」で長
 瀬智也がやった役の「えっ? 俺?」みたいなね、そういう人のイメージなんです
 ね。

で中原クンにもそのあとのパーティーで言われたんですけど、「保坂さんてなんです
か、小説読んでいたらおとなしい人だと思ってたけれど、全然違うじゃないですか」
って言われたんで、その感じちゃんとを出さなきゃと、極力出すように心がけている
んですけれど、評論家の人たちはわからないんです。こうやって森中みたいなキャラ
クターを書くっていうことは、そういうものが僕の中にあるっていうことですよ。な
きゃ、書けないんですよ。やっぱり。

それでね長崎俊一っていう映画監督の「映子、夜になれ」っていう映画に大学の終わ
りごろ5,6年だったと思うけど、に出て、僕の役は革ジャン来ているチンピラの役だ
ったんだけど、僕の役を見ていてチンピラが出ているんだと思った人がいて、僕より
年下だったんたけど、彼が僕のうちに遊びに来て、「なに? 何でこの人のうちにこ
んなに本があるの? 何でこんなに本持っているの? もしかしてこの人チンピラじ
ゃなかったの?」って。もともと僕はそういう人間だったんだけど、書くとなるとダ
ラダラするのが わりあい性に合ってたんで、「ぜんぜんイメージ違うじゃないです
か」って言われがちになったんです。

次の部分は庭の水撒きをするところで、3章のところなんですけれど、全体は6章に
なっていて、この小説って書きながら、ずーっとうまく書けている感じがしなかった
んですよ。それで、2000年の10月に書き出して、2001年の2月に書き直して最初から
やり直して2001年の7月に庭の水撒きのシーンを書いていたんですけど、3章のここ書
いて「あ、これでいけるかもしれない」と思った。1章、2章はかなり、大幅に書き直
したんですけれど、庭の水撒きのところは、あまり書き直してないんですよ。

でもなんでこんなことするのかなって。朗読したって意味ないじゃんと思うんですけ
どね。森中君の喋り方のイメージは伝えていったほうがいいんだけど、これ読んでも
しようがないだろうし、読んでいてきっと飽きるだろうと思うんで、これでやめます。

「鉢植に水〜(朗読)」(単行本182ページ8行目)

こういうのって、書くときにはわかりやすいと思っているんですけれどね、多分音読
でなく、黙読していても何を言いたいのかわからないと思うんですよね。小さくて数
が多いから花の表面積が多いっていうことか、そうじゃなくて単純に数が多いから雌
しべの数が多いからっていうことか、何のことかって、つまり金木犀の香が強い理由
を考えているわけですが、わからないですよね。

で、続き読みます。

「金木犀〜(朗読)」(単行本186ページ7行目)

で、ここから水を撒きながら「私」が喋る話というのは、子供時代にこんなことを考
えていたというのは殆ど本当の話、僕のことです。ただ、高校2年で不登校になって
この家にこもったというのはそれは全然ウソです。で、なんでこんなこと書いたかっ
ていうと、書きながらね、この語り手がこんなにこの家に執着する、っていうか、こ
の家のことを一生懸命考える理由が、ただ子供時代に2年間この家に住んでその後夏
休み冬休みによくに遊びに来たっていうだけでは理由にならないような気がして、不
登校を入れてみたんですけど、そういうことじゃなくて、結局フィクションとしてき
ちんと立ち上がれば、そういうことはあまり考えなくてもいいんじゃないかな、と。

で、そういうことだけを気にする評論家みたいな人たちっているんですよね。「なん
でこの人は2年しか住んでいないのにこの家にこんなに愛着を持つのか」なんて。
「それはあなたが小説を楽しんでないだけでしょ。楽しんでいることだけを語ればい
いじゃないか」って。

朗読って、喋るより全然疲れるんですよね。このへんとか痛くなるし、やっぱり嫌で
すね。そんなわけで、朗読は終わりにさせていただきたいと思います。

とにかく、視覚障害者用のテープというのを図書館で作ったり、販売している会社も
ありまして、僕の本も朗読されて送られてくるんだけど、いつも違うなと思うのは、
朗読が丁寧に読まれすぎている。耳から聴くから丁寧でなければしょうがない、と思
うんだけと、もっと雑に読んでほしい、もっとがしゃがしゃ読んでほしいと。でも朗
読してほしいとは思ってなくて、実は今単行本のゲラ刷りが出てまして、その直しを
していて、ちょっとだけ何箇所が読んでみたんです。半ページくらい。ここいこうか
なって。するとね、眼だとふーって読み飛ばされる可能性があるんで、ある程度注意
するように強めに書いているところがあって、それを朗読すると思うと、それがわざ
とらしくなっちゃうんですよ。ちょっと注意を喚起するために強めに書いたことがす
ごいわざとらしく見えるんで。僕そういうところは朗読に使わなかった。わざわざ自
分の小説の欠点をそういうところでさらす必要はないだろう。だいたい、そんな細か
い欠点なんて問題にされないすごい小説なんだから。でも、森中みたいな極端なのは
OK。

たまたま朗読した2箇所が森中と私、綾子と私、の2人しかいない場面なんだけど、
この小説は極力3人以上の人がひとつの空間にいるようにして書いていったんですよ
ね。小説っていうのは2人よりも3人のほうがぐっと手間がかかるんですよね。書い
ているときに手間がかかるっていうのはものすごい大事なことなんですよね。嫌なん
だけど、手間かけて自分の力を一所懸命ふりしぼらないと、何か出てこないわけで、
ふりしぼらないで書けてしまったら、結局小説を書く前と書いた後の自分を比べて何
も成長がないわけだから、書く必要もないし、そんなものを読んでもらう必要もない
わけだから、とにかく僕はひたすら小説を書くときにはいかにして自分に負荷がかか
るかそれだけを考えて書いているような感じなんです。とにかく面倒くさがり屋だし、
物は片付けないし、会社にいた頃は毎朝遅刻していたし、社会生活上は欠点が多いん
ですけど、ものごとに打ち込むことだけは真面目なところがあるんですよね。自分で
言うのも変だけど。と、これを締めの言葉にさせていただきたいと思います。

で、何か質問ありますか。いいですか。

サイン会もしますが、あそこ(文学館ロビー)の本は売っているのかな、でも、もし、
あそこの本を買って7月末に『カンバセイション・ピース』を買うお金がなくなりそ
うだったら、買わずに『カンバセイション・ピース』を買ってください。

僕の小説の中で何を読んでほしいですかっていわれたら、『プレーンソング』『季節
の記憶』と『猫に時間の流れる』と『残響』なんです。「読まなくてもいいよ」と思
う本もありますから。ちんたらした感じが好きな人は『プレーンソング』と『季節の
記憶』、もうちょっとタイトな感じが好きな人は『猫に時間の流れる』か『残響』っ
てことになっています。

そういう僕の個人史の流れのなかでの『カンバセイション・ピース』、これは、読ま
なくてもいいなんて口がさけても言わない。「いや作家なんてしょせん何とかだから
」なんてことを作家が言うってことは、エリート意識の裏返しだと思うんですよ。僕
は「俺はちゃんとしたことをやっているんだ」と。

この間もね、銀行で、「保坂さんて職業欄が文筆業なんですけど、小説家ですか」っ
て、20代後半の、銀行員にはめずらしく誠実な男の子で、彼が、「そういう世界にう
とくて、保坂さんて純文学の小説なんですか」。「ええまあ」って。「純文学って、
どんな小説なんですか。純文学って、哲学のようなものなんですか」って。「まあ特
に僕はそう言われがちだけどね」。「僕は読むとしてもミステリーしか読まなくて、
全然わからないんですけど」って。

銀行っていうのは偏差値の高い人が行くところですよ。その人が、「僕は純文学全然
読まない」そんな人しか企業で働いていないんだから、日本の企業も大成するわけな
いやって思うんだけれど。そういうところの人に言おうと思った答えが偶然そのとき
出てきて、「どんな小説書かれるんですか」っていうから、「あなた達が定年になっ
て仕事をしなくなったら何をしていいかわからなくなるでしょ。そういう事態に直面
している人たちがいろんなことを考える話」って。いい答えになってなかったな。も
っといい答えだったんだけど。とにかく働いて実業をしていると誤解している人たち
に、小説家はもっと対等に「あなたたちが仕事をして考えないですませていることを
考えるのが我々の仕事なんだ。あなたたちは仕事をしていることで、考えることを避
けているんだ」、ということをきちんと言って、企業で働いている人たちとちゃんと
戦わないと、——ほらね戦うの好きでしょ——、小説がちゃんと読まれなくなる。

でもね、その銀行員がすごく大事なことを言いまして、「僕はミステリーみたいなも
のしか読まないから」っていうことは、ミステリー作家の方は「人生を書いた」「哲
学を書いた」と思っているけれど、読者の方はミステリーなんかにはない、って言っ
ているんです、そこで。で、それだけ。

どうもありがとうございました。

______________________________END______

●特集:サヨナラがぶがぶ荘

 ▼REAL ROCK CHRONICLE 第4回   保坂和志

 第1回は深夜放送で出合ったオリジナル・キャストの『ミスター・マンデイ』を書
 き、第2回でショッキング・ブルーの『悲しき鉄道員』を書いて、いよいよ中学2
 年(1970年)の9月に「ミュージック・ライフ」という雑誌を買ったところか
 ら、私の本当のロックの日々が始まる。

 初めて買った「ミュージック・ライフ」には、最初のページにジャニス・ジョップ
 リンの追悼グラビアが載っていたのだが、ジャニスという歌手が絶叫しているその
 写真がどうしても女に見えず、「ジャニスなんて名前は女に決まってるはずなのに、
 これはいったいどういうことだ……」と悩み、はじめて買ったその「ミュージック
 ・ライフ」をぼろぼろになるまで読んだりもしたのだけれど、、、、8月は忙しく
 てゆっくりそれを思い出すことができなくて、アイアン・バタフライにまつわる話
 を書いたわけですが、9月もやっぱり忙しくて、「ミュージック・ライフ」にまつ
 わる記憶は、ゆっくり思い出せないまま、時が過ぎてしまいました。

 しかし思うんだけど、こういう縛りのない「連載」では、やっぱり気持ちがきちん
 とそれに向かっている状態のときに、そのことを書くべきなんじゃないか?

 「連載をしよう」と考えた理由は、この逆で、縛りのない媒体だからこそ、きちん
 と枠のあることを枠の中で書いていこうと考えていたわけだけれど、その枠がいま
 のところ私の気持ちにとって、書こうという推進力として機能していない。そうい
 うわけで、いっそのこと、 REAL ROCK CHRONICLE というタ
 イトルのままで、何でもそのつど書いていって、たまにロックの個人史にもどった
 りするのはどうか?

 そういうわけで今回は、ロックと関係のないことを書くことにしますが、じつは今
 は、「書きたいこと」それ自体がない。

 7月30日に『カンバセイション・ピース』が発売になり、私はその宣伝のための
 トークをしたり、取材を受けたりを続けました。しかしそれと平行して、「小説の
 書き方」の本を作っていて、8月半ばから9月半ばまでは、1回目にあがってきた
 原稿を直して、それがもう一度出てきたときにまた直して、途中休みの1週間とか
 はあったものの、それがけっこうずうっと続いていて、つまり働きつづけていたわ
 けです。8月は『カンバセイション・ピース』を書いていた去年も一昨年も、暑す
 ぎて仕事を休んでいたくらいで、8月に仕事をしたなんて、たぶん98年に朝日新
 聞に『もうひとつの季節』を連載していたとき以来だと思う。98年も冷夏とまで
 は言わないが、雨の多い8月だった。

 その「小説の書き方」の本を、私はこのあいだまで『小説神髄』と呼んでいたので
 すが、最終的には『書きあぐねている人のための小説入門』というタイトルになり
 ました。この本は草思社から発売で、中間に1人、大学1年のときからのつきあい
 の編集者が入っているので、私は書いて直すだけ。いつもだと造本のこととかデザ
 インのこととか、発売時期とか、いろいろなことに関わらなければならないんだけ
 ど、今回は版元と友人の編集者に任せきりにすることができるので、とても助かる。

 発売は10月下旬です。正確な発売日はまだ知りません。内容はもちろん「小説の
 書き方」です。「小説の書き方の本」はいろいろ出回っていますが、現役の小説家
 が書いた「小説の書き方の本」は、私のこれと高橋源一郎が岩波新書から出したも
 のぐらいしかありません。

 先日も創作学校のサマースクールの講師で呼ばれていって、セミナーのあとの懇親
 会で、「保坂先生は長いセンテンスを書かれますが、私が通っている創作講座の先
 生は、『文章は簡潔にしろ』と言うんですが、、、」みたいな質問をしてくる人が
 いて、私は「その先生って、小説家なの? あなたが読んで面白いと思うような小
 説を書いてるの?」と、言いました。

 いまや、「小説の書き方の本」というのがひとつのジャンルと化しているんだけど、
 読んだ人が実際に書けるようになる本なんて、ひとつもない。だって、小説をちゃ
 んと書いたことのない人が書いてるんだから。小説を書くというのは非常に特殊な
 行為で、書いたことのない人には絶対に(!)わからない。世の中には外から観察
 するだけで「だいたいのところ」だけでなく、「本質的なこと」まで理解可能な、
 作業・動作・行為……がいろいろあるけれど、小説はそんなものではない。

 小説を書くときに小説家は何を考えているのか? どういう時間が持続しているの
 か?

 小説を書いたことのない人は、出来上がった小説しか見ないから、結局、小説の出
 来具合しか問題にすることができない。しかし、小説を書くということは、出来の
 良し悪しにこだわることではなくて、書きながら考えたことを、書きつつある小説
 の中に入れていくことなのだ。

 小説家にとって小説を書くことが、人生を生きることなのだから、小説とは書きな
 がら自分自身が成長することのできるものでなければならない。出来具合なんて、
 副次的な問題でしかない。しかし、「出来具合なんて、副次的な問題でしかない」
 という小説観を持つことで、小説に新しいものが生まれてくる。

 小説家を目指す人が小説を書けない理由は、技術が不足しているからではなくて、
 技術に頼ろうとしているからだ。小説に必要なことは技術ではなくて、「小説とは
 何か」を問いつづけることだ。

 −−というようなことを、『書きあぐねている人のための小説入門』という本の中
 で私は繰り返し強調しているわけですが、この本を書いていた(仕上げていた)た
 めに私は8月9月と働くことになってしまって、今ようやくそれから解放されたた
 めに、今はとにかく何もしたくなくて、このメルマガでも書くことがない、空白状
 態なわけです。

 

 なんてことを書いていたら、高瀬がぶんさんの家に裁判所の人がどかどかと入って
 きて、家財道具を差し押さえられ、がぶんさんは20数年(だったかな)住みつづ
 けたあの家から出なければならなくなってしまいました。それについては、がぶん
 さん自身の「いなむら月記」(第30回)を読んでください。今回のメルマガの目
 玉です。

 もっとも、もともとがぶんさんは、去年ぐらいから「引っ越ししなきゃあ」と言い
 つづけていたわけで、“外圧”によって、重い腰がついに上がったわけで、裁判所
 が来てくれたのは、考えようによっては喜ばしいことでもあります。差し押えの紙
 を貼っていった“家財道具”も実際にはすでに壊れて使えなくなっている物ばっか
 りなので、大変ではありません。

 でも、やっぱり長く住みつづけた家と別れるんだから、それなりの感慨はあるだろ
 うと思う。

 そういうわけで引っ越しを目前にして、「がぶがぶ荘」と、家に名前を突然つけて
 しまったわけですが(私が勝手に)、ここ2年ぐらいは、朽ち果てつつある「がぶ
 がぶ荘」の姿を見るのが怖くて、「がぶがぶ荘」に寄り付かなかった私だって、こ
 れでお別れかと思うと感慨はあります。

 

 もともと僕ががぶんさんと知り合ったのは、本屋のたらば書房の伊藤さんを介して
 のことでした。

 はじめてがぶんさんと会ったのは、確か93年の11月のことで、そのとき伊藤さ
 んはがぶんさんの家の隣に住んでいた。伊藤さんの家も古い日本家屋で、畳がぶか
 ぶか波打っていて、やっぱりがぶんさんと同じように玄関にはいつも鍵が掛かって
 いなくて、伊藤さんが留守のあいだに勝手に友達が上がり込んだりしていた。

 その伊藤さんがイッチャンを拾ったのは90年だっただろうか。それとももうちょ
 っとあとだっただろうか。

 そう、あの、近所中の人達みんなに可愛がられて、このホームページでもアイドル
 だった猫のイッチャンは、もともと「がぶがぶ荘」の隣の伊藤さんちの猫だった。
 伊藤さんが昼間仕事しているあいだ、イッチャンは裏の山とか近所を歩き回ってい
 た。このホームページを探せば、がぶんさんがイッチャンたちと裏の道で遊んでい
 る写真が出てくるはずだけれど、僕が伊藤さんと裏の道を歩いていたときも、伊藤
 さんが「イッチャーン」と呼んだら、イッチャンは「にゃあ、にゃあ」返事をしな
 がら山から出てきて、伊藤さんと一緒に裏の道を走ったりした。

 イッチャンは伊藤さんに飼われていた頃から何日も帰ってこないことがよくあって、
 そういうとき伊藤さんは、

「隣の家にも猫が4、5匹ぐらいいるんだよ。

 イッチャンは、喧嘩は弱いから、隣の家の猫に追いかけられたりして、帰ってくる
 タイミングが難しいんだよ」

 なんて言ったりしていた。

 でも、その後、がぶんさんちに引き取られて他の猫と一緒に住んだんだから、伊藤
 さんの推測は的外れだったわけだけれど、それはともかく、93年の11月くらい
 のある晩、伊藤さんの家に、ヨコスカ・シネクラブの筑間さんとか、彫金をやって
 る伊藤夫婦とか、笠智衆の家のお嫁さんで最晩年の笠智衆さんの世話をしていた笠
 智子さんとか、その他いろいろ集まって飲んでしゃべっているときに、

「隣の高瀬さんも呼んでみようか」

 という話になって、がぶんさんと奥さん(元妻ですね)が夜の11時頃に来たのが、
 がぶんさんとのつきあいの始まりで、そのときがぶんさんはいきなり「湘南の地名
 の由来とその歴史」を延々としゃべった。

 つきあいが始まったからといっていきなり翌日から遊びに行くようになったわけじ
 ゃなくて、僕が初めて「がぶがぶ荘」に行ったのは94年の夏だったと思う。『猫
 に時間の流れる』の単行本が出たばっかりで、それにサインをしたから、この時期
 は間違いない。

 もっとも、僕は行ったことがなくても、伊藤さんとがぶんさんのつきあいはすでに
 始まっていて、イッチャンもすでに「がぶがぶ荘」に引き取られていた。伊藤さん
 の家が取り壊されることになって、94年の2月(だったはず)にもう少し奥まで
 行ったアパートに引っ越すことになり(徒歩5分くらいだけど)、近所にすっかり
 居ついてしまったイッチャンは、もともと「がぶがぶ荘」にもちょくちょく出入り
 していたみたいだったので、高瀬家に託すことになったのだった。

 僕が初めて「がぶがぶ荘」の中に入ったとき、がぶんさんは湘南のタウン誌だった
 かフリー・ペーパーだったかの編集をしていて、「がぶがぶ荘」には若い人が4人
 くらいいた。居間の中央のテーブルのまわりにみんながいたのだけれど、テーブル
 の上にはイッチャンが寝ていた。イッチャンは変な偏食で、ドライフードとリスし
 か食べないから、テーブルの上にいても食べ物にはまったく関心を示さない。僕は
 初めて「がぶがぶ荘」に来た記念に襖に名前と電話番号と猫の絵を描いた。

 「がぶがぶ荘」は古かったけれど、朽ちてはいなかった。なかなか居心地がよくて、
 夏に初めて行ったそのときから秋〜冬へと僕はけっこう何度も行って、がぶんさん
 から量子力学の話なんかを長々と聞かされたりして、それが『季節の記憶』の松井
 さんのイメージのひとつへと成長していく。『季節の記憶』を書き出したのは94
 年10月末だったから、短期間に僕はずいぶん「がぶがぶ荘」に行ったことになる。
 あれがなかったら『季節の記憶』は書かれなかった。

 96年の鎌倉の花火大会のときには、みんなで集まって、終わった後に全員で「が
 ぶがぶ荘」までたらんたらんと歩いて行った。木田元先生夫妻、僕と妻のみっちゃ
 ん、みっちゃんの友達のむいちゃんと万里さんと万里さんのダンナのテツさん、伊
 藤さんとよく山に登っていた松本さん、逗子の元保(もとやす)さん、……まだ他
 にもいたか忘れたが、伊藤さんはいなかった。とにかくこれだけの人数にがぶん夫
 婦も当然いるんだから、最低で11人。あの居間に11人が入っても、「がぶがぶ
 荘」は床が抜けたりしなかった。

 もう今となっては10年も前になってしまうけれど、あの頃は、伊藤さんの家、高
 瀬さんの家と、わけのわからない人が住んでいて、わけのわからない友達が毎日・
 毎晩ぞろぞろ集まってきていた家が、偶然にも2軒並んで建っていたのだった。

 木田元先生がフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』を評して、「最後に残っ
 たのは茫々たる時間ばかり」と書いていたことがあったけれど、「がぶがぶ荘」も
 また、最後に残ったのは茫々たる時間の流ればかりだった……。

 なんてね。

 いったい何匹の猫たちが「がぶがぶ荘」の庭に埋まっているのかわからないけれど、
 骨が雨水に溶けて流れ去っていたとしても、がぶんさんの鼻歌はきっと聞こえてい
 るんだろう。

 なんてね。

 過ぎ去った時代の記憶は、賑やかに見えるものだけれど、これからまた10年も経
 ったら、今このときが賑やかな時に感じられるんだろうか。
 
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 ▼「ひとりではとっても入れない場所」    けいと
 
先日、がぶんさんが銀行のキャッシュディスペンサーで、お金を自分の口座に入れる
ところに、偶然いあわせました。それがものすごく時間がかっているので、どうした
のかなと思って近寄って見てみたら、画面に元奥さんのなまえがでてるの。
「なにやってるのー?」って聞くと、
「自分の口座にお金振り込むのに、振り込み人のぼくの電話番号を入れると、何回やっ
てもこれが出てきちゃうんだよ」って言うのね。がぶんさんが使ってるカードはここ
の銀行のものだし、変だなと思い「えー、自分の口座にお金入れるのに、本人が振り
込んでどうすんの。「預け入れ」の項目でお金入れるんだよ」って言うと、「なーん
だ、そうなの、いつも、お金入れる時、振り込みでしかやったことないからさ」って
ことで、やりかたを教えたら、あっという間に自分の口座にお金を入れることができ、
簡単なんだねーと喜んでいました。それにしても、別れて数年たった今でも、がぶん
さんが使ってる銀行のカードには、がぶがぶ荘の電話番号が元奥さんのなまえで登録
してあると言うことなんですね。
ということで、とんでもなく、こういうことは無知なのに、ネットバンキングでは残
高を調べたり、振り込んだりするのは、手早くするするやっちゃう。そういうがぶん
さんとはじめて会ったのは、1999年の春です。つまり今から、4年半前。そんなに遠
い昔のことじゃないでしょ。だからがぶがぶ荘にしても、がぶんさん本人や他の人達
に聞いたにぎやかな雰囲気はなくて、わたしが知ってるのはどちらかというと、寂し
いひとり暮らしの荒れ果てた佇まいの印象のほうが強い、がぶがぶ荘終焉の時代かな。
それでも、4年半とは思えない程いろんなことがあって、それはがぶがぶ荘にいるが
ぶんさんはいつも、なにかを巻き起こし、なにかに巻き込まれているせいかもしれな
いね。
はじめて会った時はまだ、わたしは鎌倉にひっこしたばかりで、ご近所のがぶんさん
ちに産まれたての子猫が二匹いると聞き及び、娘と一緒に見に行ったのでした。娘の
お絵書き教室の帰り途にいきなりよったので、がぶんさんもおどろいたと思うんだけ
ど、産まれたての子猫と聞くと、もういてもたってもいられなくなっちゃうもので、
、。あの時の子猫、ポコチョとゴマちゃんは、その6カ月後、別れた奥さんが連れて
いってしまったので、どんな大人猫になったのか、わからないんだけど、ほんとにか
わいい猫たちだった。
そういえば、わたしはがぶんさんの部屋で何匹の猫たちに出会ったんだろう。それも、
4年半の間にとうとう一匹もいなくなっちゃって、悲しい別れもいくつもあったもの
ね。「大変なんだよーー」と電話が来る時はほんとに大変な時で、イチやてんこちゃ
んがが死にそうだったり、ふくちゃんやふがちゃんが車にひかれたり、もうとんでも
ないことが起こってる時でした。
それにしても、あそこには悪霊でもすみついてたんじゃないかと思う程、怖く汚い所
でした。だから、ひとりではとっても入れない。保板に書き込んでくれる人達が遊び
にくる時だけが、あったかい雰囲気でした。特に、新潟からジンさんがくると、あの
部屋はパッと、明るくなり、優しい空気が流れていたな?。ジンさんはがぶんさんの
古いお友達で、時々、保板にも書き込んでくれるし、文集ピナンポの表紙をかいてく
れた人なんだけど、とってもいい人です。でも、がぶんさんはすごくいばってて、ま
るで亭主関白な夫と世話好きな妻みたいな感じ、食事作りも掃除も嫌がらず、にこに
こやってくれたので、がぶんさんはとっても気持良さそうでした。
ひとりではとっても入れない場所と書いたけど、そういえば、去年の冬の夜、思い立っ
て、がぶんさんの家の中にひとりで入ったことがあります。と言っても、中の奥の部
屋にはがぶんさんが寝てたんだけどね。その時がぶんさんは風邪をひいていて、それ
でも、電話ではいつものように上機嫌ながぶんさんだったからまあ心配してなかった
し、「風邪がうつるといけないからこなくていいよ」と言うので、差し入れもなんに
もしてない時だった、でも、やっぱり、大丈夫かな?ーと思って、様子を見に行った
のでした。久しぶりに入った部屋は、もう信じられないくらい散らかりまくっていて、
こんなにところにひとりで住んでたんだ、、と思うと動けなくなるくらいびっくりし
ました。パソコンの前の座椅子だけがなんとかすわれそうな場所だったので、そこに
座ってたらふくちゃんだったかな、がやってきて、にゃおにゃお鳴いてわたしの膝に
座るので、ほんとに、動けなくなってしばらくそこにいたら、急に、涙があふれてき
ちゃって、なんなんだろう、言葉にできないようなすごく寂しい孤独な気持になりま
した。
沢山の人や猫たちが、がぶがぶ荘を訪れ、賑やかに過ごしていたんだろうけど、やっ
ぱり、もうここは出なくちゃいけない場所なんだよーーとその時、強く感じて、その
時はそのまま、がぶんさんも起こさずにだまって家に戻って、ほさかさんにそのこと
を電話で話して、また泣いたんだよね。

がぶがぶ荘は、わたしにとって、振り返る程遠い昔の事じゃないから、なつかしい
とも思わないんだけど、でも、やっぱり、あの場所がなくなると思うと、少し、寂し
い気もするけれど、でもやっぱり、あーよかった、という感じ。だって、こんどの場
所は、がぶんさんがいつもご飯を食べる「マハロ」のご主人が世話してくれて、その
実のお兄ちゃんと仲間の植木屋と、バイトの若い男の子が住んでるところでね、ひっ
こしもみんな手伝ってくれるんだって。マハロのご主人はまだ若いんだけど、ほんと
に、おおらかな頼れる人で「これで、がぶんさんが風邪ひいたりしても安心っすよねー
」なんて言ってくれてるので安心です。

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 ▼「口では言えないほど、、、いっぱい詰まってる」  がぶん@@

この稲村の家に越してきたのは、今から15年くらい前(違うかもしれないが、気分
的に)だと思う。その前は藤沢の鵠沼海岸に住んでいて、そこも今回同様差し押さえ、
プラス競売という経緯をたどっての引っ越しだった。というといかにも悲惨に聞こえ
るかもしれないが、まったくそんなことはなく、今となっては…という前置きなんか
必要もなく、それはそれは楽しい思い出だ。
鵠沼海岸の家の場合、やってきた執行官はたった一人だった。ちょうどその時わが家
ではガレージセールを開催中で、40畳ほどもある居間は近所の主婦数十人が持ち寄
った衣類やら雑貨やら食器やらでゴチャゴチャしていた。客も数人いたが、その客に
交じって、なんだか地味なスーツを着た中年メガネ男が、あたりを窺うような素振り
であっちをうろうろこっちをうろうろ。ちょっと場違いなやつだと思っていたら、そ
れが裁判所から差し押さえにやって来た執行官だったわけで、まあまあお茶でもどう
ぞ、ついでに、よかったらなんか買ってって下さいと言ったら、なんだかホッとした
笑顔を浮かべてこう言った。
「いやぁ、ほんと助かりましたよ」
「なにがです?」
「いやね、今日ここにお伺いする前に2件ほど差し押さえの執行をしてきたんですが、
どちらの方も暗くなっちゃって…そりゃそうですよね、差し押さえですもの、こっち
も暗くなるんですよねぇ。その点お宅は明るくてよかった! ほんと、長いことこの
仕事してますが、こんな明るい家庭は初めてですよ。それじゃ、ちょっと見せてもら
いましょうかね」
と言うと、差し押さえ物件じゃなく、ガレージセールの商品を物色し始め、結局40
00円分の食器セットを買ってくれた。
それからいよいよお仕事に入ったのだが、こっちも差し押さえられるなんて初体験な
ものだから、きっと冷蔵庫とかタンスとかに赤い札を貼るに違いないと、ある種の期
待感をもって眺めていたのだが、結局そんなことは一切せず、なにやらちまちまとノ
ートに書き込むだけだった。よく覚えていないが、やっぱり今回のように差し押さえ
一覧みたいなものは置いていったのだろうと思う。
で、無事お仕事を終え、愛想よく帰って行った。それからしばらくして気づいたのだ
が、なんと彼はガレージセールで買った品物をそっくりそのまま置き忘れて行ってし
まったのだ。もうお金はもらってるのに。
結局彼はその品物を取りに戻って来ることはなかった。面倒くさかったのだろうか?
 いやそうじゃないだろう。途中で忘れ物に気づいたが、「ま、いいか、気分よかっ
たし、寄付しといたろ」とでも思ったに違いない。
その点、今回のがぶがぶ荘の差し押さえは実につまらなかった。全員がシャレのきか
なそうな男ばかり。執行官の平島という男は、決して態度は悪くないのだが、交通警
察官の対応と同じで、慇懃無礼な感じであった。稲村月記にも書いたが、ボクが写真
を撮ろうとしたときに、彼は「私にも肖像権というものがあるんですよ」と笑わずに
言った。それに対してボクは「ははは、ねぇよそんなもん」と乱暴にやりかえした。
普通、怒るよこんなこと言われたら。もちろんボクは肖像権なるものがないわけがな
いことを承知の上でそう言ったわけで、しかも、撮っちゃダメだというのに、勝手に
写真を撮り始め「訴えたらいいよ」とも言っているわけだが、それでも「訴えたりし
ませんけどね」と、笑いもせず怒りもせず、まぬけなほどに無感情な態度を崩さない。
なんだかとってもイヤな感じである。たぶん彼は、ボクに嫌がらせをされていると感
じたのだと思う。違うのに。
ボクはこの差し押さえとか強制執行とかいう、国家権力に裏打ちされた合法的な強行
手段に対し、少しでも反抗してやろう、という負け犬の遠ぼえ気分で写真を撮ったわ
けではない。そんなんじゃなく、とにかく、この光景は珍しいだろうし、写真に残し
て稲村月記のネタにしよう、メルマガ発行まで時間もないのになんにも考えてなかっ
たし、もってこいの素材だ、という思いだけだったのだ。
いずれにせよ、強制執行も差し押さえも、ボクにとってぜんぜんたいしたことじゃな
い。人生を差し押さえられたわけじゃあるまいし。でもとにかくめんどくさい思いで
いっぱいなことは確か。なんとなく、いや確実にだけど、そんな日が来ることを知っ
ていたから、日ごろからちょこちょこと荷造りはしていたのだが、もうそれでイヤに
なっちゃってる。無印良品から大型の衣類ケース(稲村月記の写真で廊下に積み上げ
てあるやつ)を8個買って、とりあえず持ってゆく衣類を詰め始めたのだが…1箱は
ゲームソフトだけでいっぱいになり、もう1箱は○○ビデオでいっぱいになり、結局、
衣類は6箱まで詰め、なんだよまだ服も山ほどあるし本もあるし、これじゃあまるっ
きり箱が足りないじゃん、というわけで、再び無印良品に行って同じケースを8個追
加注文し、それが届いて玄関先の廊下に積み上げたところで、もう本格的にやんなっ
ちゃった。そこから2箱くらいはなんか詰めたかもしれないが、あとは包装用の段ボ
ールも外さずにそのまま放ってある状態。でもなんとかしなくちゃなるまい。あの残
りのケースに収まるだけの品物を選んで詰め、あとは全部捨てるというか残して行く
つもりだ。乾燥機と全自動洗濯機だけは、引っ越し先の両隣の連中が使いたいという
希望があるんで、さっそく取りに来てもらうことにしたが。

と、ここまで書いて一休みしながらメールチェックをしてみると、ほさかから今回の
メルマガ原稿が届いていて、それを読んでいたら、あーそーだったそーだったとか、
いやそうじゃねぇよとか、そういえばあれは、、とか、いろいろ浮かんできた。
そうか、ほさかの言う通り、もしかしたら20数年経っているんだな、稲村に来てか
ら。ほさかと知りあう前に隣のたらばの伊藤さんと知りあうわけだけど、その伊藤さ
んとは、稲村で暮らし始めてず〜〜〜っと口も効いたことはなかった。伊藤さんより
もずっと早くイッチャンと口をきいたと思う。
伊藤さんは最初のころ、毎日イッチャンを家に閉じこめて出かけて行くものだから、
気がつくと「出してくれ〜」というイッチャンの声が隣から聞こえてくる状態だった。
だからボクは勝手に伊藤さん家の縁側のガラス戸を開け、イッチャンを外に出してや
って夕方戻してやったりしていたのだ。
そのイッチャンについてほさかは90年くらいに伊藤さんが拾ったと書いているけど、
それは違う。伊藤は伊藤でも、たらばの伊藤さんじゃなくて、ほさかの記述にも出て
来る彫金の伊藤夫婦が、自分家の前の駐車場でウロウロしているイッチャンを拾った
のだ。もっともその頃は名前はなかったんだけど。で、一応飼おうと思ったのだが、
どうにも自分の家にいる猫と相性が合わない。それで仕方なく一時的にたらばの伊藤
さんに預かってもらうことにした。そう、その「一時的に」というのがミソで、そこ
から名前が「イッチャン」になった、という次第。
それと、ほさかの指摘通り、たぶん伊藤さんは勘違いしてる。イッチャンは怖がりな
んかではなくて、ボクの家にいた4匹の猫と仲良くなりたくて、よく猫の出入口から
ちょこんと顔を出してこっちを眺めていた。
もちろん、最初から中に入ってくる勇気はなかったわけだけど、いつの間にやらテー
ブルの上に寝てたりなんかして、ウチの猫たちはそんなイッチャンのことを気にする
様子もなかった。イッチャンは強いとか弱いじゃなく、どこかシラ〜〜〜としている
ところがあって、その後どんな猫がわが家に来ても「我関せず」みたいな態度をとる
のが常だったのだ。ほんとにもう、女子高生とかは好きなくせに(よく稲村駅の方か
らウチに向かって一緒に歩いているところを見かけた)、猫はあんまし好きではない
ようだった(なのにどうしてウチに入り込んできたのだろうか、不思議)。
で、伊藤さんだが、最初に話しかけて来たのは伊藤さんのほうだった。
その時ボクは庭でゴルフの練習をしていて、伊藤さん家の方にネットを張って、ドラ
イバーでバシバシとボールを打っていた。そしたら、伊藤さんが出てきて、
「すみませんが、こっちじゃなく裏道の方に向けてネットを張り直していただけませ
んかね。こないだ、トイレの窓からボールが飛び込んで来て便座が割れちゃったんで
すよ」
といって、5、6個のゴルフボールを差し出しながらそう言った。
「ごめんごめん! そんなことになっちゃってたんですか、しかもそんなにいくつも
入ってましたか。分かりましたすぐに張り直します」
それが初めての会話だった。もちろん即ネットを張り直したことは言うまでもないが、
懲りない私のこと、その後、張り直した方の崖の上に住む夫婦が、ある日、二人そろ
ってやってきた。そして今度は、十数個のゴルフボールが入ったビニール袋を差し出
し…あのね、前からひとこと言っておこうと思ったんですけど、うちのその崖、前に
一度雨で崩れたことがあるんですよ、気をつけて下さいね。…そう言われてもなぁ。
それはともかく、そんなふうに、たぶんイヤ〜な感じで伊藤さんはボクと知りあった。
それまでボクは伊藤さん家について、ほさかがどこかで書いたように、「きっと隣の
ウチには学生運動のなれの果てみたいな連中が集まってて、爆弾作ってるに違いない」
と、いつもまわりに宣伝していたのだけれど、今思えば、その中にほさかも入ってい
たというわけなんですね。もっともウチの方も数十人集まっては、人が入りきれず、
庭まで出っ張って食卓をならべ外に聞こえ放題の大カラオケ深夜大会なんぞしていて、
伊藤さんにうるさがられていたと思うし、例の「ヤクの売人」かなんかと思われてい
たに違いない。
あ、それとほさかはきっと勘違いしている。ほさかが伊藤さんと初めてボクの家にや
って来たとき、ほさかは芥川賞をまだとっていなかった。伊藤さんがほさかを紹介す
るのに、「小説家の、というよりこれからなる…」みたいなことを言った。で、「野
間文芸賞はとってるけど」と付け加えた。確かそう。だとすると、襖のサインと絵は
おかしい。だって、「第113回芥川賞作家・保坂和志」とサインしてるもの。
ああ、木田元先生の襖のサインもちょっととっておきたいな。ちなみに、元(もと)
先生の木田さんじゃないからね! それと木田夫人にマダム・ヤン(髪形と衣装の雰
囲気が中国風)とあだ名をつけたのはほさかですが、そんなあだ名誰も知りません。

そんなこんなで稲村に来てから年月が経ち、せんちゃん(鵠沼時代からの同居人で、
稲村に一緒に越して来たぬぼ〜っとした男)が結婚を機にわが家から出て行き、てる
や(元妻)も出て行き、一人になって、やがて猫もみんないなくなり、ほんとに一人
ぽっちになって…こりゃあもう「一時代の終焉しかないじゃん的状況」なんだから、
引っ越し時なんだよね、おそらく。
サヨナラがぶがぶ荘よ、20年近くも暮らしてきたここには、口では言えないほどの
、、、、いっぱい詰まってるよな、、ゴミが。

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★連載:連載:稲村月記vol.30「強制執行&差し押さえ」 がぶん@@

さて、いきなり最終回を迎えた現場シリーズですが、今回は高瀬がぶん宅立ち
退き強制執行&差し押さえの現場から、高瀬がぶんがお伝えしたいと思います。
10月1日、水曜日、午前11時半頃でしょうか、奥の寝室で熟睡していたと
ころ、
「たかせさ〜ん、たかせさ〜ん」
という声とともに、複数の人間の足音が聞こえて来ました。その足音は明らか
に廊下からで、寝ぼけながらも「あれ玄関の鍵、掛け忘れたかな?」と思った
のですが、ついで、「あっ、そうか、こいつらは裁判所のやつらで、鍵壊して
勝手に入って来やがったな」と気づきました。
寝室のカーテンを開け、見知らぬ(当然だけど)男が、
「たかせさん、おやすみのところすみませんが、私、横浜地方裁判所の者です」
といい、私は、
「おいおい、土足のまま上がってきたの?」
「いえいえ、ちゃんと脱いで上がりました」
「あ、そ、で、今日はなんの用?」
「はい、債権者の方からの要求で、本日、強制執行の手続きと差し押さえの手
続きをしにやってきたんですが」

             このつづきは↓で
      http://www.k-hosaka.com/gekki/gekki30/gekki30.html

___________________特集:サヨナラがぶがぶEND______

●ランダム連載 動く絵「ミニラボ」vol.02 ミワノ
             こちらへどうぞ
                ↓
        http://miwano.easter.ne.jp/mini-lab2.html
______________________________END______

●ランダム連載:「そらめめ」vol.02 くま
            こちらへどうぞ
    http://www.alles.or.jp/~takako9/sorameme031005/sorameme_top.html

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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.07 2003.10.05配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
連絡先:0467-32-4439・070-5577-9987
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