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        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.06 2003.8.31
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                 はじめに
                 
やっぱり、ほんとに驚く程、寒い夏でしたね。
結局、丸いスイカを一度も買いませんでしたが、それがちょっと心残りです。
今回のメルマガ、あたらしく登場のミワノちゃんの「ミニラボ」。
かわいくてへんてこな動く絵ですが、
おまけについてる「青山ブックセンターでのほさか」の
ちょこまか動く身ぶりには「くすっ」ときます。
くまさん、よさん、と同様、ランダムにやってきますのでご期待下さい。

今日8月31日、このHPは3周年を迎えました。
8月31日とはっきり言い切っているけれど、実はそこらへんはあやふやな記憶で、
何気なく掲示板がはじまったのは、2000年8月17日だったかもしれません。
ちょっといい加減ですが、その時々にそれなりに真剣にやってきましたので、
これからもそうやって、ちょっといい加減に、それなりに真剣に
続けていけたらいいなと思ってます。これからも応援して下さいね。

ところで、7月末に新潮社より発売された保坂和志の「カンバセイション・ピース」、
ますます好評で増刷が続いております。みなさまのおかげです。
ありがとうございます。ひとりでも多くの人が手にとってくれたら、と願っています。
そこで、スペシャル企画です。
「カンバセイション・ピース」の感想文を募集します。
長さは長くても短くてもかまいませんが、
ほさかをうーんと唸らせるような正直でおもしろいものを送って下さい。
keito@k-hosaka.comまで、お願いします。
いいなーと思った感想文には「保坂和志HP3周年記念Tシャツ」を進呈します。
感想文にはTシャツのサイズを明記してくださいね。サイズは
S(女性用ちびTシャツのL)
M(メンズ用)
L(メンズ用)
それぞれ、ニ作品ずつ選ばせていただきます。

「保坂和志HP3周年記念のTシャツ」はこの世に30枚しか存在しない限定物です。
どんなものかはここ↓をご覧下さい。
   http://www.k-hosaka.com/t/T.html
   
(実は今回、間に合わなかったので、デザインのイラストしか載っていませんが、
実物が出来次第、ここにアップしますので見て下さいね)
そうそう、「保坂和志HP3周年記念Tシャツ」の他に「ホーちゃんTシャツ」も作りま
した。
これは2500円で販売します。
欲しい方は、「ホーちゃんTシャツ希望」と明記して
keito@k-hosaka.comまでお申し込み下さいね。
サイズは同じくS、M、Lで、
色は杢グレー、黄色、ネイビー(濃紺)、ブルー(水色)の4色です。

◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
    
  ●ピナンポ講評:いそけん「メキシコ」について 保坂和志
  ●特別企画:世田谷文学館での朗読会(2003年6月21日)その2 
  ●ランダム連載:動く絵「ミニラボ」 ミワノ
  ●ランダム連載:「そらめめ」 くま
  ●連載:REAL ROCK CHRONICLE 第3回(番外篇)
  ●連 載:<お稽古の壺>その3:けいと
  ●連 載:稲村月記 vol.29「そういうことなのだ図鑑」:高瀬 がぶん
  
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                募集します!             
     ・メルマガ版ピナンポ原稿:小説・エッセイ・論評・詩歌など
      枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
     ・猫遊録掲載ネコ写真jpegでお願いします(3枚まで)    
     ・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを! 
              gabun@k-hosaka.com
  保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com
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●ピナンポ講評:いそけん「メキシコ」について 保坂和志

このメルマガの先月号に掲載したいそけんの『メキシコ』について、まずきっとたい
ていの人が感じたのは、「保坂和志にそっくりじゃないの?」だと思う。しかし、「
そっくり」「似てる」は、評価と言えるだろうか。

 ア、その前にかねださんが、掲示板に感想を書いていて、そこに「次に次に出てく
 るお題」という表現があって、これは鋭い指摘でした。『メキシコ』で、語り手は
 いろいろ考えるんだけど、「お題」になってしまっている。

 イメージで言うと、お団子がひとつひとつ、ころころ、あって、それを串で刺した。
 というわけです。もしかしたら、ちゃんと刺さってないのかもしれない。。。。そ
 れがもっと問題。せめて刺さっていたら、かねださんは「お題」と感じなかったか
 もしれない。つまり、ただ、ころころ、と転がっている印象だったかもしれない。

 つまり、『メキシコ』は主人公が考えるために書いた、ということになってしまっ
 た。すでに書いておきましたが、もともとこれは30枚程度のエッセイだったんだ
 けど、それを私が「100枚ぐらいに膨らませられるんじゃないか」と言って、そ
 れでこうなったから、動機として確かに「とってつけた」ようなものになってしま
 ったのかもしれない。
               このつづきは
                  ↓
       http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.06/iso.html
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■特別企画:世田谷文学館での朗読会(2003年6月21日)その2

最近おりあるごとにこの小説の宣伝をしているんで、だぶっちゃっているところもあ
るんで、もしだぶっちゃっててるなと思ったら我慢して聞いてほしいんですが。
子供のときに庭で糸トンボとってたことがあって、糸トンボとってるのが好きだった
からよく覚えているんですけれども、それを思い出す、大して思い出さずに、「子ど
ものときにこうやって糸トンボとってたな」と、ぼんやり思う。そういうとき、空の
上から糸トンボとってる自分の姿を俯瞰しているわけです。それで、家の中に僕の母
がいて、母は裁縫していたから、自分の見えないところにいるはずの母の像も見える
わけです。記憶っていうのはそういうふうになっていて、それは科学的にはありえな
いとか、意味のないことでも、記憶っていうのはそういうものです。
外で糸トンボとってて、家の中では母が裁縫しているっていう、それがもちろん母が
家の中にいて裁縫しているのと僕の別の時間をかさねあわせて一箇所において編集し
ちゃっているわけですね。でも記憶ってそういうものなんですね。記憶ってそういう
ふうになっているから、記憶が大事っていうか、だって記憶できなくなっちゃう病気
の人がNHKスペシャルやNHKの脳の番組に出てきて、一晩寝て覚めたら、きのう
あったこと全部忘れているというような、そういう人を見ている人にとって記憶がも
のすごい大事なものであると確かめられる。
なんでこんなふうにまわりくどい言い方をしなければならないかというと、子ども自
体に虐待を受けたこととか、ネガティブなことの方が今出てくるのが強すぎるんで、
でも実際はそっちの方が少ないでしょう。でも、虐待を受けた人で、もう子供時代の
ことなんて思い出したくないといいながら、でも全部が全部ということはないだろう
と思うんですけれども、その人と接して、その人の記憶を引き出して、記憶を再構築
するようなやり方がきっと下手なんだと思うのですね。それで、僕はポジティブなも
のを記憶と言っているわけですけれど、その記憶の不確かさによって守られていると
いうか、その不確かな記憶の中にはいろいろなものが見えていることが、もうひとつ
の書き出す前の気持ちです。
それと家と人間の関係で、いよいよ書き出すときに、いわゆる建物としての家と人間
の関係を物理的にどういうふうに作っていったらできるかと考えて、『カンバセイシ
ョン・ピース』を書き出す前にもうひとつ全然別の小説を書き出してみたけどうまく
いかなかったんですね。それはどういう話かというと、一生独りで通した近所に住ん
でいるおばさん、母のお姉さんであるところの伯母さんが死んで、その人の残した家
の中で、その人が送っていた時間をどういうふうに、もう一度立ち上げることができ
るか、ということを考えている話にしようとしたんです。が、それはうまくいかなく
て、いつも思いつきで書き出してみてそれでダメだなと思うことはよくあって、それ
もその続かなかったパターンのひとつなんです。
建物に何十年間か人が住んでいたら、「建物に何十年間か人が住んでいた」というこ
とが物理的にどういうふうに残って、再現性があるのか、それを再現することができ
るのか、ということが考えたことで、たとえば、ここでただの物理的な「ある・なし」
という問題と、芸術作品が立ち上がってくるときの話っていう問題が出てきて、ここ
に机がありますっていう意味の「ある」と「ない」というのと、絵とか音楽とかぐー
っとものすごいリアリティをもって何かを訴えかけてくるときの、「ある・なし」、
つまり人間が感じる「ある・なし」というのはそっちの、机の「ある・なし」ではな
くて、芸術作品の場合のぐーっとそれひとつ見た瞬間に自分の忘れていたことがぽっ
と立ち上がってきたり、あるいは「ここってすごいいいところなんじゃないか」とか、
つまんないたとえしかできないけれど、その、ぐーっと立ち上がってくる時と言うの
は、アウグスティヌスの言った神の問題とも近いのかなと思うんです。
宮沢賢治の家だとか、ブロンテ姉妹の家だとか、ショパンの住んでいたところだとか
ありますよね、そういうのが、保存されていて、宮沢賢治に詳しくない普通の人が行
けば宮沢賢治が生まれて住んだ場所からは何も情報は来ないかもしれないけれど、宮
沢賢治についてすごく詳しい人が行けば、その建物からもっと情報が来るんだろうと
思うんです。それは、同じ音楽を聴いたって、全員が感動するいい音楽ってないでし
ょう。それに親しんでいたり、それに感受性があるから、ああ、いいなと思うんで、
そういう感じって、宮沢賢治の家に行ったりしたときに、すごくよく知っている人は
その建物自体が情報を持って立ち上がってくるんじゃないか、ということも考えた。
そういう風な感じも次の小説書くときはやりたいなあ、そういうものを出したいなあ、
と思ったんですね。
と同時に考えていたのは、さっき言ったのと繰り返しみたいになるけれども、神の問
題で、アウグスティヌの神の話を読んだら、論証の仕方がものすごく変だからそれが
おもしろかったんです。トマス・アクィナスを読んだんですけれど、『神学大全』を
読んだらやっぱり変なんですよね。ちなみにアウグスティヌの『神の国』は岩波文庫
で品切れになったりまた売られたりで売られています。それから、トマス・アクィナ
スは抜粋なんですけれど、中公の『世界の名著』に入っています。
トマス・アクィナスの神の証明の仕方も最初はかったるくておもしろくないんだけれ
ど、だんだん呼吸がわかってくると、小説の中にもちらっと書いたことだけれど、神
が存在することを「ある」っていう前提で証明しようとするんだけれど、神はあるっ
て言ってるトマス・アクィナス本人が神を見たことがないんですよね。多分神を感じ
たことがない。で、しかも彼らが神を感じたことがないっていうことは、人類史上、
誰ももしかしたら神を感じたことがないかもしれない。神ってキリストのことじゃな
いですよ。世界を創った神のことですけど、その神は、偉大な神学者である彼らでも
神を見ているようでも「見たことがある」とは書いていないんですよね。でも「いる
んだ」と言う。しかもいないっていう人たちに向かって「いるんだ」って書くんです。
そこがね、僕にとってはすごく面白かったんです。
で、動機とか書くための動機とか力のどこかが、全然普通の考え方じゃない。見てき
て面白かったから書きたいとか、そういうことじゃなくて、「私もわからないんだけ
ど、間違いがないから書く」という。でもわからないから具体的なことは書いてない。
「具体的なことは意味がない」というふうに書く。そう言っちゃおしまいみたいな感
じなんですけど、でもやっぱりそこに意味がある。そういうの読んでみるとハイデガ
ーの存在論にすごく似てみえてくるんですよね。何でかって、理由は言えないけれど、
ハイデガーは神学者なんですよ。学生時代神学を研究しているんです。ハイデガーは
神学論もすごく詳しいんです。で、18世紀末のヘーゲルと同時代のシェリングが神
のことを書いていて、『人間的自由の本質』の中で神を書いている。これも中公の『
世界の名著』の中に入っている。中公の『世界の名著』はすごくいいシリーズで、た
いていの本は手にはいるんですよ。今の出版は、そういうオーソドックスなものを忘
れられがちなので、ハイデガーの『存在と時間』は『世界の名著』に入っているんで
すね。読めば3ヶ月くらいかかるのがたったの1500円で買えるわけですよ。だけ
ど今はみんながそんな本が存在することを忘れているから、『世界の名著』を焼きな
おして、新しいシリーズで1冊1200円くらいで3冊にする。そうしたら売れるか
ら出版っておかしいんですけれど、関係ない話だけれど。
ハイデガーの存在論ってどういうことなのかというとただ「ある・ない」の問題じゃ
なくて、「ある」っていう実感が湧きあがってくるようなことを存在って言っている
んです。ただ「ある・ない」っていう広い科学的な考え方・物理的考え方に逆らって
いかないと突破口が開けないんですよ。死ぬこととか、建物の記憶が残ることとか。
自分がいかに広い意味での科学的な考え方におかされているか、それが浸食している
かとの戦いで、僕は小説の中ではあんまり戦わないんですけれど、人間としては戦う
のはものすごく好きなんで、僕はすごく攻撃的というか、将棋でも攻めることしか考
えない。攻めたり、攻撃したりすることは大好きなんですね。ある文芸評論家が、僕
が将棋をするときに攻めることしか考えないっていうと「へえ、保坂さんて守る人な
んだと思っていた」と。
そうじゃなくて、90年に『プレーンソング』を書いたときに、書いたのは88年8
9年ですけれど、80年代の日本の小説は、いまでもそうですけれど、中上健次中心
に動いていたから、小説が雄々しいというのか、力強いというか、ストロングタイプ
というのか、力強さが小説の中にないと、いい小説として認められにくいという雰囲
気があったんですね。だから僕は力の弱い小説を書いた。だから風潮と戦ったんです
よ。そこがわかっていないんですね。評論家はバカだから。雄々しい、力強い、凛々
しい小説が主流の時に、凛々しい、暴力的なものを書く人は迎合しているわけで、そ
の人自身戦っていないわけです。そこに乗っかっているだけだから、暴力的なものが
全盛だから、僕は全く暴力的でないものを書いた。まあ、そっちの方が性に合ってい
るんですけれども、僕だってもう少し迎合的なところがあれば、少し暴力的なところ
を入れるかもしれない。とにかくそういうふうに戦うのが好きなんですよ。だから今
回の話も、物理的・科学的な「ある・ない」というものとの戦いでもあるわけなんで
すね。(以下、つづく)
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●ランダム連載 動く絵「ミニラボ」 ミワノ
             こちらへどうぞ
                ↓
        http://miwano.easter.ne.jp/mini-lab.html
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●ランダム連載:「そらめめ」 くま
            こちらへどうぞ
    http://www.alles.or.jp/~takako9/sorameme030830/sorameme_top.html

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●連載:REAL ROCK CHRONICLE 第3回(番外篇)

「アイアン・バタフライ ライヴ」

 レッド・ツェッペリンのライヴのCDとDVDが7月(いや、6月か)に発売され
 たのにあわせて、『レコード・コレクターズ』7月号がツェッペリンの特集を組ん
 でいてつい買ってしまい(ついでにDVDも買ってしまいました)、それをパラパ
 ラと読んでいたら、1969年1月12日にデビュー・アルバムメLed Zep
 pelinモをリリースし、新しいバンドとしては異例の5万枚の予約があってノノ、
 というようなことが書いてあって、そのあとに、
 「1月31日にはアトランティック・レコードで初の100万枚セールスを記録し
 ていた先輩バンド、アイアン・バタフライ(゛In-A-Gadda-Da-Vida゛
 は300万枚以上を売った)の前座に起用されたツェッペリンは、ノノノ」
  という記述(カッコの中も原記事どおり)があって、私は「おおっ!」と、活字
  の上でアイアン・バタフライという言葉に出会ったことに、感無量になったのだ
  った。
 といっても、特別アイアン・バタフライのファンだったわけではないのだが、60
 〜70年代ロック特有の、主にベースで弾かれる、憶えやすくてちゃんとメロディ
 になっているダーダーダダダダ、ダッダッダッダノノという長いイントロにつづいて
 (私はどうやら、この連載のために、5000円くらいのカシオのキーボードでも
 買ってきて、必要なメロディだけは再現しなければいけないみたいだ)、「イナ・
 ガダダ・ヴィーダ」という呪文みたいなワンパターンのメロディが繰り返される(
 というほど繰り返されるわけではないが)、この大ヒット曲を、70年代後半以降
 にロックを聴きはじめた人はたぶん絶対知らないだろうが、本当にアイアン・バタ
 フライの「イン・ア・ガダダ・ヴィダ」は曲もアルバムも大ヒットして、アトラン
 ティック・レコードで最初に200万枚を売ったのも、このアルバムだったのだ。

 で、そのアルバムを私が持っていた、というわけではなく、たぶん私のまわりの友
 達の誰もそのアルバムは持っていなかったと思うが、そのライヴ・アルバムを持っ
 ていたウスイという友達がいて、ウスイもたぶん「退屈だ」という理由で、高校3
 年のときに私の家に勝手に持ってきて置いていったのだが、そのレコードは、「い
 ったいどういう経路を経ておまえが持ってるの?」と言いたくなるくらい、すでに
 ジャケットも中身もボロボロだった。当時、レコードを中古レコード屋から買って
 くるという習慣はあまりなかったけれど、ウスイは金がないことを売りにしていた
 から、案外そうだったのかもしれない。もっとも、私がストーンズの『ベガーズ・
 バンケット』の輸入盤を買ったのもDISK UNIONの中古だったけど。
 ライヴのそのレコードの話に戻ると、30センチLPレコードのA面だったかB面
 だったか、とにかく片面全部が延々とつづくメIn?A?Gadda?Da?Vidaモ
 で、びっくりするようなソロを弾くような人もひとりもいなくて、本当に退屈だっ
 たのだが、もう片面の私の知らない、つまりヒットしなかった曲の方はもっと退屈
 だった。

 そういうわけで、私も1回か2回しか通して聴かないままそのレコードは放置され、
 私は大学に進み、高田馬場から早稲田に行く途中というにはあまりに高田馬場に近
 い「タイム」といういまでもあるはずの中古レコード屋にレコードを売るのが習慣
 化する、そのたぶん最初のときに(だからまだ習慣化していない)、10枚ぐらい
 のレコードを売りに行ったときに、そのアイアン・バタフライのライヴも当然入っ
 ていたのだが、「買取り価格は上限で、印刷されている定価の3分の1。いいね」
 と、まず念を押してから、「300円」「500円」と非情な買取り価格をつけて
 いくチャールズ・ミンガスに似たオヤジに(でも今思えばそれはすごく高いよね)
 、「これはプレス自体が古いし、傷だらけだから買えない」と言われて、そのまま
 買い取られ残ったLPを1枚持って、大学に行って、ほとんどいつもどおりに語学
 の授業にちょっと遅れて入っていくと、私より少し早く遅れて入ってきていたので
 あろうYが、後ろの隅っこの席に座っているので、私はYの隣に座った。
「何、それ」と、Y。
「アイアン・バタフライ」と、私。
「懐かしいねえ。どうしたの」
「タイムに売りに行ったら、これだけ買ってくれなかった」
「じゃあ、いらないんだったら俺にくれよ」
「いいよ。でも、ギタギタだよ」
「いいよ。じゃあ、ハイライト1箱と交換な」
 と、そんなようなやりとりによって、「アイアン・バタフライ・ライヴ」はYの手
 に渡ることになった。ハイライトは私が要求したわけではなくて、Yが自主的にく
 れた。当時(この連載はとにかく「当時」が多くて、自分でも目障りなのだが、し
 ょうがない。みなさんも勘弁してください)、ハイライトは80円だったのではな
 かったか。ハイライトが80円で、セブンスターが100円。煙草といえば、普通
 はそのどっちかで、私もハイライトだった。80円だったから、1箱でなく2箱だ
 ったかもしれないが、買い取られなかったレコードに160円ももらっていたら、
 それはちょっとやりすぎではないかノノ。
 Yは1浪だったから私より1歳年上で、京都出身の吉祥寺暮らし。顔もけっこうい
 い方で、背も確か高かった。語学のクラスの友達とやることといったら麻雀ぐらい
 で、確かYはそういうつき合いはしなかったんじゃ、なかったか。だからなんとな
 く、カッコいい感じがしていたのだが、一番説得力があるのは、その「京都出身の
 吉祥寺暮らし」というところだった。
 時代が変わってしまえば、ぴんとくるものも当然ぴんとこなくなるわけだけれど、
 「京都出身の吉祥寺暮らし」というのは、70年代では日本の文化の主流のような
 ものだった。それはその後、マガジン・ハウスの「ポパイ」の湘南にとって代わら
 れることになるんだけど(大雑把すぎるだろうか)。
 それはともかく、次に教室の後ろの方の席で会ったとき、Yは、
「このあいだのレコード、いいよ。おれ、今ベースやりだしてるんだけどさあ、あれ
に併せて弾いていると凄くいいんだよな」
 と、とても機嫌がよく、あんなレコードを面白がるYのセンスには困ったけれど、
 1歳年上で、自分より格好よくて、大人っぽいYに喜ばれたことは、嬉しかった。

 3年になると、語学の教室で会うこともなくなり、Yとのつきあいはその後なくな
 った。

 それでもどうして、アイアン・バタフライのことなんか憶えていて、わざわざ書い
 たのかというと、御巣鷹山に墜落した日航機にYが乗っていたからだ。85年だか
 ら教室でのあの、アイアン・バタフライのことから、まだ10年しか経っていなか
 った。Yが事故機に乗っていたのを知ったのは、新聞に掲載された2センチ角ぐら
 いの写真と名前と年齢と勤務先と住んでいる都道府県からだった。写真はYに見え
 るといえば見えたけれど見えないといえば見えなかった。しかし名前がそうで、年
 齢がそうで、勤務先が人伝に聞いていた大阪電通だったら、Y本人でしかない。
 Yがその後ずうっと生きていても私とYは会わなかっただろう。大学を卒業してか
 ら、私は1年に1度もきっとYを思い出していなかっただろう。それがあの事故以
 来、私は、御巣鷹山と聞くたびにYを思いだし、アイアン・バタフライと聞くたび
 にYを思い出すようになった。
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●連 載:<お稽古の壺>その3:けいと

お茶に通うようになって、着物を着る機会がぐんと増えた。
先生に「お家で着物を着るところからお茶のお稽古が始まるんですよ」と言われては
いたのだけれど、実際着れるようになったのは、今年になってからのこと。昨年の秋、
友達から着付けを習い始めた頃には、ほんとにひとりで着ることなんかできるように
なるんだろうかと、自分のことながら半信半疑だった。
はじめてからすぐに着物はなんとか着れるようになる、ところが、帯が曲者、まず、
ちょっと練習しただけで、二の腕が痛くてだるくて、もう、うしろにまわすのさえ億
劫になってしまうのだ。手順がやっとおぼえられるようになっても、形がうまくいか
ない、しめ方が弱くぐずぐずになってしまう。やっとうまくできたかなと思ったら、
こんどは着物の襟がだらしなくくずれていたりして、着るだけで、汗びっしょりになっ
ていた。
             このつづきは
                ↓
    http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.06/kimono.html
______________________________END______

●連 載:稲村月記 vol.29「そういうことなのだ図鑑」:高瀬 がぶん

分別盛りのくせに文字通り分別のないボクはゴミの分別もからっきし苦手で、燃える
ゴミの日に出しちゃいけないだろうと思われるちょっとしたゴミなどは、燃えるゴミ
の入ったビニール袋の中の紙袋ゴミの中にこっそり忍び込ませたりして、という小細
工をほどこしている。ま、そんなことはどうでもいいんですが、そのゴミを集めにや
って来るのは「ゴミの収集日」。その「収集」という意味は辞書によれば、切手の収
集とかの意味とは別に、単に「寄せ集めること」となっている。あっちこっちに散ら
かってるものをガサッと集める、というイメージ。
で、ここで問題です。
郵便屋さんが街中のポストから郵便物を集める行為をなんて言うでしょうか?

                 つづきは以下で
       http://www.k-hosaka.com/gekki/gekki29/gekki29.html
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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.06」2003.8.31配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
連絡先:0467-32-4439・070-5577-9987
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