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        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.05 2003.7.31
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                 はじめに

メルマガ「カンバセイション・ピース」5号をお届けします。今月のメニューは順に
——。

■「保坂和志・ロングインタビュー(聞き手:keito)小説『カンバセイション
・ピース』について」第1号から引っ張りに引っ張ったインタビューも遂に感動のフ
ィナーレです。フィナーレに感動するものとそうでないものがあるというのでなく、
フィナーレがそもそも感動なのです。

■そのフィナーレと入れ替わりというか重複して、世田谷文学館での朗読会で朗読を
ほとんどしないで、新作『カンバセイション・ピース』の解説と宣伝に終始して、文
学館の担当者をして「こんなに朗読が少ない朗読会は初めでした」と言わしめた講演
の採録が3回ぐらいに分けて掲載されていきます。でも、朗読ってやってみたら、読
んでる途中でアタマの隅っこが痛くなってきちゃって、やっぱりあれぐらいしか読ま
ない予定にしてて良かったでしたよ。もっとも、読んだのが第1章の森中君の場面
で、いきなり強引に飛ばして読み過ぎたんだけど。目の前にマイクがあると、ついカ
ラオケの気分になっちゃうんでしょうね。

 自分のことばっかりですいません。いちおう掲載順ですから。

■がじんの「がじんな日々」。文字を書いたヤクザ者といえば『岸和田少年愚連隊』
の中場利一が有名ですが、われらのがじんは正真正銘のヤクザだ! と、自慢してた
ら、ナニ? 破門になっちゃったの? ヤクザを破門になるヤクザ者っていうのはど
ういうことだ。おい、がじん、もう街でチンピラに絡まれても、あの筆文字みたいな
堂々とした印刷の組の名刺は出せないのかよ。心細いじゃないか。もう歌舞伎町なん
か怖くて歩けないじゃないか。——そんな、がじんがどうしてがじんとなっていった
のか。人はどうしてこんなバカバカしいことに精力を傾けられるのか。回を追うごと
にバカバカしさが高じてくる、この美学はどこからくるのか。屈折でなく波乱しかな
いがじんの青春記。良い子は決して真似しないでください。

■今月の最大の読み物は何と言っても、「いそけん」こと、磯崎憲一郎君の『メキシ
コ』です。四百字の原稿用紙に換算すると約100枚! もともと30枚くらいの長
さで送られてきたものだったんだけど、読んでみて「これはもっときちんと書くべき
なんじゃないか? 100枚ぐらいにした方がいいんじゃないか?」と思ったので、
私・保坂がいそけんにそう言ってみると、いそけんもわりとあっさりそれを了承し
て、約2ヵ月、いや1ヵ月とちょっとだったかな、、、それぐらいで書いてきまし
た。書き直しの過程で私の指導というか添削みたいなものはいっさい入っていませ
ん。書き直しを提案して、採用を決めた私の感想や意見は来月号に掲載します。もち
ろん、私の感想や意見は皆さんが思うであろうようなことは織り込みずみです。そん
なものは感想以前のものですよね。このメルマガ、ないしウェブ文集『ピナンポ』か
らプロの書き手が出ることが私の目標のひとつです。ほら、保坂和志って、ああ見え
て、けっこう新人とか若い人とか無名の人とか変わった人とか推すの、好きじゃん。
がじんといそけん、どっちが早いか。いや、いや、そんな、射幸心をいたずらに煽っ
てはいけない。でも、もう二人とも大人だから。

■けいとの「ひなたBOOKの栞」。途方もない田舎に育ったけいとの子ども時代の
思い出を掲示保板(つまり掲示板ですね。下の説明を読んでください)で読んだこと
のある人ならわかるでしょうが、けいとは大自然育ちのせいか独特の身体感覚を持っ
ています。ほかにもたとえば前のメルマガ「いなむらL7通信」で「絹の来た道」み
たいなことを書いていたときにも、ミイラだったか、ただの古い死体だったかが、絹
にくるまれてドーンと横たわっていたという文章なんか、強引なリアリティがあって
私はカフカの一節にふれたときみたいな胸を押さえつけられるような感じがわいてき
たものです。そして同時にけいとは目撃の天才でもあって、そんな彼女の特徴が充満
しています。

■がぶんの「稲村月記」。4月から6月までやっていたNHK教育の『天才テレビく
んMAX』の台本書きに精力を吸い取られたのか、それとも他の理由で精力を使ってし
まっているのか、このメルマガ発行以来、もっぱら写真とほんの少しの文字でお茶を
濁しつづけていた「稲村月記」ですが、今回は思いあまって、じゃなくて一念発起し
て書きました。「千ちゃんのこと」。がぶんさんって、このホームページをつぶさに
見ていない人は認識してないかもしれないけど、昭和25年生まれだったって、知っ
てますか。だからもうこの「千ちゃん」の世界は、古老の昔話のような世界です。こ
んなことを体験してきた人が私たちのこんな身近にもいるんですよ、実際。ついでに
言うと、「稲村月記」のvol.22を読んでみてください。がぶんさんはご幼少のみぎり、
鞍馬天狗の扮装をして遊んでいた。そういう時代。走馬灯のように過去が荒れ野を駆
け巡ります。

■さて、ところで、メルマガ「カンバセイション・ピース」の配信日と同じ今日7月
31日は、小説『カンバセイション・ピース』の発売日です。都内の書店では、もう
30日に売られているかもしれません。一番早い書店では、29日に売られているか
もしれません。発売日のブレはともかく、どうぞよろしくお願いします。新潮社刊・
1800円(税別)。

 セールスに無関心な顔をしている小説家が多いけど、小説家は小説の売り上げで生
活しなければいけないわけで(だってそうじゃなければ有能な人が参入しないで、ジ
ャンル全体が痩せ細ってしまうんだから)、小説がきちんと売れれば次の小説をゆっ
くり書くことができるわけで(もちろん、それで生活の全部を賄うまでになるのはか
なり難しいけど)、そうすれば次の小説のレベルも保てるというわけです。

 今回はあちこち講演会やトークに出るわ、新聞や雑誌の取材は受けるわで、芥川賞
以来の忙しさというか、もしかしたらあのときより忙しく宣伝活動をしているかもし
れません。新聞・雑誌は載るたびにホームページの掲示板でお知らせします。

 という、その、保坂和志ホームページの掲示板は、開設したかなり早い時点で、管
理人のがぶんが遊んで、「板」と「坂」が似ているから、「掲示板」の「板」の前に
「保坂」の「保」を入れて「掲示保板」という名前になっているだけど、そういう経
緯を知らずに「掲示保板」を見た人は、「掲示保坂」だと思っているみたいですが、
「保坂」じゃなくて「保板」です。紛らわしいけど、わかりました? この説明。不
注意な人は結局わからなかったりして。

■それからところで、長い梅雨です。でもやっと明日8月1日に明けるらしい。私は
夏が得意だし好きだったんだけど、ここ数年の東京の暑さはあまりにバカバカしくて
(だって35度なんて言ってんだから。そんなの気温じゃないよ)、それに私自身が
歳をとってきているせいもあって、このまま冷夏になってほしいと思っています。

■冷夏というと、6年通った大学最後の1980年の夏を思い出します。あの年は、
6月のあいだはもうどろどろになるくらい暑かったんだけど、7月の半ばくらいから
涼しくなって、8月なんてもうホント寒いくらいだった。ガイラさんという、「キャ
ットナップ」(『猫に時間の流れる』所収)に出てくるガイラさんの『ラビット・セ
ックス』というピンク映画に私は出演して、ロケで千葉の勝浦に行ったんだけど、夜
なんか寒くて窓が曇ってたっけ。

 次に思い出す冷夏というか雨の多かった夏は98年で、その夏、横浜ベイスターズ
はマシンガン打線をひっさげて、巨人戦13対12のサヨナラ勝ちとか、すごい試合
ばっかりやってたものでした。打って、打たれて、打たれた以上にまた打って勝つ、
という試合ばっかりだったから試合時間が長くなって、試合中ずうっとガムを噛んで
たローズなんか、「試合が終わると顎が痛くて物が食べられないこともあった」なん
てインタビューに答えていたものですが(もちろん英語で)、今年は阪神のチーム打
率より勝率が低いという、すごいチームになっています。例年、最下位でも勝率は首
位打者より上になるはずなんだけどねえ(野球を知らない人にはわからないネタでス
イマセン)。「一期一会の勝ち試合」なんてキャッチフレーズにしておいた方がよか
ったんじゃないだろうか。

 93年の夏も冷夏で、あの年はコメが大凶作で、コメが値上がりして、そのうちに
年が明けたら店頭からなくなってしまって、インディカ米を急きょ輸入して、アジア
諸国が大変な迷惑を食ったらしい。そんなことしてインディカ米を輸入して、勝手に
食いたいだけ食って、いらなくなったらポイ。ここに、たらば書房の伊藤さんがいた
ら、絶対に「そんなことしてインディカ」って言うんだよね。うーーん、疲れる。で
も、鎌倉に来たら皆さん、たらば書房に寄ってください。お客さんにいきなり駄洒落
言ったりしませんから。西口から徒歩20秒、かな。

 話を戻して、コメの大凶作より数年前、日本で突如、ナタデココの大ブームがあっ
て、最初にフィリピンでナタデココを作っていた農家はお大尽になったけど、それに
便乗した農家は日本のブームが去ってひどい目に合ったそうです。農業って、ベンチ
ャーだなあ……、というか、農産物の輸出入の話になると私はいつも、ゴダールが『
映画史』の中で「観光は戦争と同じことです」と言っていたのを思い出します。自分
の土地に外からの力が入ってきて土地を踏み荒らして去って行く。観光も農業もそこ
で起こることは戦争とホントに同じだと思う。「だから私は戦争が嫌いだ」と言いた
いのではない。私は観光が嫌いなのだ。『プレーンソング』のよう子ちゃんと同じよ
うに(中公文庫126ページ)。

■というわけで、今月はメチャメチャ忙しくて、連載の『REAL ROCK CH
RONICLE』の休載のやむなきに至り、その言い訳のつもりで、長々とした巻頭
の挨拶を書き、書いているうちに「こんなことなら連載が書けたな」と思ったけど、
すでに手遅れ。すいません。では、皆さん、中身をしみじみお楽しみください。
(保坂和志)

◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
    
  ●特 集:保坂和志・ロングインタビュー・その5(最終回) 聞き手:keito
       小説「カンバセイション・ピース」について
  ●特別企画:世田谷文学館での朗読会(2003年6月21日)その1
  ●エッセイ:「がじんな日々」その4 高瀬がじん
  ●メルマガ・ピナンポ:「メキシコ」 いそけん
  ●連 載:<ひなたBOOKの栞>BOOK09:けいと
  「もっちゃう もっちゃう もうもっちゃう」土屋富士夫 作・絵(徳間書店)
  ●連 載:稲村月記 vol.28「千ちゃんのこと」:高瀬 がぶん
  
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                募集します!             
     ・メルマガ版ピナンポ原稿:小説・エッセイ・論評・詩歌など
      枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
     ・猫遊録掲載ネコ写真jpegでお願いします(3枚まで)    
     ・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを! 
              gabun@k-hosaka.com
  保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com
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□保坂和志・ロングインタビュー その5(最終回)  聞き手:keito

ほさか■うん、で、こうじゃない書き出しを何種類かしてて、うまくいかなくて、そ
れで、ここで、最初にきて、あ、この章(最終章)はこれだって、きてね、それで、
第一段階が始まって、ここからどんどんどんどん急傾斜になていくんだよね。

けいと■それで、今まで、書いてたの、忘れちゃってる感じ、だよね。

ほさか■うーん、ある程度ね、忘れちゃってますよって言われれば、そうかなーって
感じになっちゃうわな。

けいと■一冊の本を通して読む感じと、こんな風に、雑誌で発表されるのを、期間を
おきながら読むのとでは、ちょっと違うよね。だから人によっては、全部出てからじ
ゃないと読まないって人もいるじゃない。一回、期間を分けてちょっとずつ、その文
章に出合っちゃうと、もう二度と、つながったひとつの小説の中でのその文章と、は
じめて出会うという体験はできないじゃない、だから、そうやって、出合ってたらど
うだったんだろうとかって思ったりもするよね。

ほさか■でもそれはさ、飛び飛びに出合ったことがさ、まさに、この同時代なんだか
ら。2002年の7月から2003年の4月までに、ここにいないとさ、その、飛び飛びに出
合うということもできなかったんだから。そりゃ、やっぱり、ラッキーなんだよ。

けいと■そういえば、その都度、ホームページの掲示板でも、なにかしら、ちょっと
書いてたよね。

ほさか■ま、あんまり書かないようにしてたけどね。

けいと■何気なくは感じたわよね。じゃさ、しばらくは小説は書かないの?

★このつづきは→ http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.05/inta05.html
______________________________END______

■特別企画:世田谷文学館での朗読会(2003年6月21日)その1

今日は朗読会なんですけれども、朗読はあまりしたくないんで、小説にまつわる
話のほうをたくさんにさせていただきたいと思います。「カンバセイション・
ピース」が7月末に発売になりまして、書き上げたのが2月28日だったんです
けど、もうそれからひたすら僕は新しく出る『カンバセイション・ピース』の宣
伝マンとして動き回っていまして、とにかくそれだけなんですね。だから今回の
話も『カンバセイション・ピース』の成り立ちと書いたときの考え方、そういう
いろいろなことをしゃべります。
これ、書き出したのが2000年の10月なんですね。
2000年の10月の頭くらいから書き出して、小説の中の舞台の時間が200
0年の7月なんですけど、なんで2000年なのかっていうと2000年に書き
出したからなんです。ちょうど書き出そうとしていた瞬間に横浜ベイスターズの
ローズが突然の電撃引退をしてしまって、でやっぱり書くのはこのことしかない
なっていう。それで『カンバセイション・ピース』の主人公、僕は主人公ってい
うのはいろいろ出てくる中の一人なんで、主人公という意識が薄いんですけれ
ど、その「私」という人間が、横浜ベイスターズのファンで、横浜球場に応援に
行く、というシーンが大分あるんで、ローズが引退と言ったからそのシーンを書
きたくなったのか、その前から書くつもりだったのか、今となっては覚えていな
いんです。
僕の小説って哲学的だとか人によっては理屈っぽいとかいろいろ言われるんです
けれど、ぱーっとぼんやり読めば全部それなりに面白いっていうふうに感じられ
るようには書くようには心がけているんですね。だから、これから言うことを真
に受けるというかそっちのことばかり考えちゃうと、すごく難しい小説のように
読まなければならないと思われてしまうのも困るんです。
これを書くための書きはじめた動機っていうのか、書く前に考えていて、僕は小
説というのは考えるために書くというのか、書きながら考えるために小説を書い
ているんで、小説を書く前の自分と、書き終わった後の自分は、小説を書いたか
らその小説によって成長しているのが小説家だと思っていて、書くということ
は、頭の中にあることを、書く前に青写真があって、そのままなぞっていって作
品ができあがるということではなくて、文章として書く。そして書いた小説の書
いた部分があって、書いた部分を見ながら、書いた部分と書いている僕の共同作
業によって小説を書いているんです。小説っていうのは全部自分の中から出てき
ているのだから、つまり自分独りで作業が成り立っているんじゃないかというの
は甘いんです。
特に「考える」というのは、ただ言葉で考えるのではなくて、文字に書くという
のは、文字というのは、たとえばパソコン、コンピューターと同じようにひとつ
のシステムなんですよね。文字自体、文字に書くというのは文字にする前に自分
が全部考えていたものが文字になるわけではなくで、文字に書きながら考えがお
ぼろげなもので、それが文字にしていきながら考えとして組みあがっていった
り、考えが成長していったり、固まっていたりする。書いた部分を読んで、それ
を読みながら僕が書くのですね。で、それは全部僕の中にあったかどうかはわか
らない。 
 特に最後の章は書きながら、「なんてすごいんだろう!」って思って。これは
ほんとにすごい小説だと思ったんです。だからそれだけ自信だか確信だか喜びだ
かわからないんですけど、『カンバセイション・ピース』という小説はそれが
あったので。
これまで小説を10冊ちょっとくらい出してはいるんですけれど、書いている途
中でそこまで自分で自分に驚いているということはなかったので、これだけは絶
対皆さんに損はさせませんから、ぜひお買い求めください。定価は1800円。
これまた安過ぎるんですけれども、文字の問題っていうのもこの中に入っていま
して、今の話もそうなんですけれども、文字に書くということは書きながら進む
んだけれど、文字によって引っ張られるということでもあるんですね。ただ喋っ
た言葉よりも文字が強い、そう思います。文字を持たなかったら、こんなことは
出てこなかっただろうということがすごくたくさんあるんですよね。
 成立の裏の事情を順番に、何を考えて書き出したかというのを、いくつも要素
がありまして、それを順番に話していこうと思います。
『アウトブリード』というエッセイ集がありまして、その中に「生と死の問題へ
のアプローチについて」っていう変なタイトルの、生と死をどういうふうに扱う
かということの扱いかたを考えているエッセイがあるんですけれど、その中で、
聖アウグスティヌスの、聖アウグスティヌスは、西暦400年前後の人なんです
が、今日何喋ろうかと思って頭の中整理し直していて、読もうかと思ったんだけ
ど忘れてきてしまったんですけれども、そのアウグスティヌスが『神の国』のな
かで、神についての考え方で、「神というのは、見えたり聞こえたりするような
ものではない。感覚器官によってそういうふうにわかるようなものではない、そ
れから夢の中に出てくるようなものでもない。夢の中でも結局、見るとか聴くと
か、起きている時の感覚器官と同じものを使って、夢の中で見ているので、感じ
るものであるから、夢の中で感じるようなものでもない。」ということを言って
まして。
つまりどういうことかというと、神は精神に直接働きかけてくるものなんだ、
と。そこのところはわかりやすいんですけれど、アウグスティヌスは「創世記」
の最初の7日間の説明とかいろんなことを説明しているんですけれども、ほんと
うに複雑な考え方をするというか、とっぴな考え方をするというか、とにかく現
代的な考え方ではなくて、何言っているのかよくわからないというか、1回や2
回読んだだけでは記憶できないんですよね。神っていうのは眼や耳で感じるもの
ではなくて、精神が直接感じるものであるというあたりが、その中ではとびぬけ
てわかりやすい部分ではあると思うんですけれども、しかし、それがどういう状
態なのかというとまた全然わからないんですね。
エッセイのなかで、次に書く小説は仮に「闇雲な光」と予告して、実は僕はエッ
セイを書くときに、次に書く小説を予告するのが好きなんですけれど「闇雲な
光」って「闇に雲で闇雲な光」だから非常に矛盾している言葉でいいなと思って
いたんですが、「このタイトルというのはあんまりだなと思ったので、『カンバ
セイション・ピース』になったんです。書き出した頃は、そんなことを書いてい
たなんて、すっかり忘れていたんですけれど。
死んでどうなるのか、生きている状態と死んでいる状態というのはどういうふう
に違うのかというのは、ちゃんとそれを考えている人は神秘主義者のほうにしか
いなくて、「死んだら死んだでしょ」ということになっちゃうんだけれども、
ずっと長いこと、人間はそんなふうには本当は思っていないから、思っていない
歴史をずうっと生きてきたわけですよね。だからお墓を立てたり、死んだ人の体
を拭いたり、焼いたりとか、死んだ人を生ゴミに出したりしないわけですよ。そ
れは、「死んだら終わりでしょ」というだけでは片つかないからで、でも、今は
死んだら終わりじゃんて、死んだらモノだから臓器移植、脳死移植をしてもいい
のかということになる。
解剖学者の養老孟司さんは、死んでも死体っていうのはモノに考えちゃいけない
からと言って、脳死移植反対するらしいんですけれど、解剖学やってた人が、死
んだ状態っていうのがただモノになったわけじゃないというのをすごく言いたい
らしい。僕は養老さんに直にでなくてそれについて論じたものしかしか読んでい
ないんでなんとも言えないんですが、死んですぐに終わりだよっていうのはいや
でしょう。いやって思っていたら96年の12月19日にうちの猫が死んじゃっ
たんで、その話をしたら悲しくなって泣いちゃうかもしれないから、そんなにて
いねいにしませんが、その猫が4歳ちょっとで死んじゃったから、その猫より年
上の2匹の猫はまだうちで元気にしているんですよ。なんかもう96年から6年
半もたっているのに、まだ全然元気で、その猫だけ死んじゃって、書いている
間、書く前ずっとその状態ですから、そのいないこととかを、こっちとしては、
ただいないということは僕はいやだと、いないことがいやだという自分の気持ち
を小説の中で、貫き通す、そういうつもりもあった。
死ぬと生きるの問題ですけれど、ほかに東洋医学をやっている大阪の井村宏次さ
んといって、超能力の講座とか気の講座とかお願いしたことのある人で、サイテ
クノロジーとか超心理学とか、東洋医学とかオカルトとかいろんな本を出してい
る人なんですが、その人が、「わしは死ぬことなんてなんもこわくない、骨に
なってもわしはわしや」って、そんな言い方した人はじめてだったんですけれど
も、「骨になってもわしはわしや」ってそんな考え方もあるのかと思って、普通
に死んだらおしまいっていう考え方をどういうふうに否定するか、乗り超える
か、相対化するか。それもひとつの考え方でしかないっていうふうに、あなたが
ひとつの考え方をしているだけで、こっちの考え方もあるんだよと言いたいわけ
ですよ、僕は。死んだ猫のために。そのことが前提としてあるから、死んだ猫の
話も出てくるわけですね。
で、記憶というのが、ミステリー小説なんかだと、子供時代の記憶を出してき
て、その記憶の不確かさをつついてくるうちに全然違うものが立ち上がってくる
というふうな、記憶との関係になるわけですけれど、実際に人が生きている、生
きてものを覚えている、過去を持っている状態というのは、あいまいな記憶をあ
いまいなまま持ち歩いているわけですね。だから、ミステリーみたいに記憶の不
確かさをつついているというのは、警察の取調室の出来事で、あまり知的な作業
ではないんですよ。不確かなものをつつくというのは。そうじゃなくて、不確か
なものをそのまま強固なものにしていくっていう。普通に子供時代があったとい
うことはそういうことだと思うんです。記憶の中には、全知全能感があるという
のがこれ書く前に考えていたことです。
______________________________END______
■連載:「がじんな日々」その3 高瀬がじん

高校の時の番長も俺も、二人で将来やくざになるのだけはよそうな?そう誓い合った
仲だった。やくざなんか人間のクズだ。あんなもんになるんなら土方でもやった方が
ましだと、そんなことをよく話し合ったこともある。しかし、その言葉とは逆に、毎
日毎日やくざに近づいて行くのはなぜだろう(?)という不安もあったが、意思さえ
強ければ流されることは無い。などと自分達に言い訳しながらその日その日を楽しん
でいた。
学校帰りには制服のまま藤沢南口にある、ある暴力団事務所に遊びに行ったりもした。
同級生の叔父さんが組長で、行けばコーラやジュース、寿司の出前に小遣いまでくれ
る待遇だ。おまけに組長直接の関係者という事で若い衆はやけに親切で居心地も良い。
週に一、二回はその事務所に通い、飲み食いをして遊んでいたのだ。勉強も中途半端
になり、部活も中途半端、毎日が不良になる為の修行をしている様なもんだ。そんな
素行が噂になり、学校では今まで威張っていた先輩がなぜか優しくなったり、俺と反
目(敵対している存在)になっている連中は視線を合わせない。ある意味迫が付いて
いた。俺は思った。・・・なるほどぉ〜。やくざって水戸黄門様の様だな。なんて。
ある日、学校帰りにいつもの事務所に遊びに行くと、既に番長が居た。「なにやって
んだよ」と声を掛けると、「掃除」と答えた。俺は、こいつ嵌ったな・・・と思い、
そんなことやってると若い衆みたいだね?と冗談で聞いたつもりが、「てめー、ふざ
けんなよ!」とやけに本気で怒っているのだ。俺は余計に心配になったが、後で聞く
と若い衆から小遣いを貰ってバイトしてたらしい。しかし、その時俺はこいつが将来
やくざになることを予感していたのだ。俺自身の将来には気が付かないまま。振り返
れば、俺はプロサッカー選手を目指して小学校から明けても暮れてもサッカーばかり
やっていたのだ。しかし、そもそも高校へは行かずに中学を卒業と同時にブラジルへ
留学する予定だったので、なんだか高校の運動部では気が乗らないというか、情熱も
冷めかけていたのだ。高校二年の5月に中退して、なんとか夢のブラジル留学を果た
したが、突然高校を中退して留学することができる切っ掛けというか原因となったの
は、ある女の存在だった。俺は高校一年の後半、女問題で訓告処分を受けているのだ。
理由は、女が家出をして来て、一人暮らしのマンションに女を泊めたことを女の親が
わざわざ学校へ報告したことだった。俺の家はちょっと複雑な家庭環境で、高校生の
分際でマンション暮らしをしていた。もちろん、その当時の親父は会社を経営してい
て、俺も兄のがぶんも育ちは決して悪い方ではない。ブラジルだって才能だけで行け
る訳ではないのだから。俺と兄のがぶんは腹違いの兄弟なのだが、兄弟四人のうち一
番仲が良い。というか、話しが合うのだろうと思う。子供の頃から実家が二つあり、
がぶんの家(高瀬の本家)と、俺のお袋の家があった。俺達は一つ屋根の下で育った
兄弟ではないが、ちょくちょくがぶんのに遊びに行っては、婆さんに小遣いをたかり、
がぶんと一緒に裏の駄菓子屋へ当てくじをしに行ったもんだ。俺が幼稚園、がぶん中
学二、三年生の頃だったと思う。その頃からがぶんが博才があり、あんまり当てくじ
を当てるものだから、裏の駄菓子屋に、「そんなに当てるんなら、もう来ないでくれ
!」と、出入り禁止になっていた。そんな具合に、がぶんとは仲が良いのだ。姉は気
が強くヒステリーぎみなので昔から避けていた。弟はどちらかというと無愛想で、今
でも変わらず無愛想だ。そんな中で、分裂した高瀬の本家とお袋の家の友好関係を保
つパイプ役が、俺と兄のがぶんと言えよう。姉もお袋も性格が良く似てるもんで、ど
う考えてもウマが合わないのだ。
・・・話しは逸れたが、そんな訳で、今考えてみるとその女と付き合って俺の運も低
迷していったのだ。恥ずかしながら、俺はその女は初めての経験だったのだ。今思う
に、その頃は純粋で女に左右されることが多い年頃なので、やっぱりブラジルへ行く
のなら女を知らないうちに行くべきだったのだ。女さえ知らなければ日本に未練を残
すものは何も無い。人生なんてものはどこで歯車が狂うかわからない。俺の場合、明
らかに中学卒業と同時に狂い始めたのだ。そして、俺は迷わず女に突っ走った。・・
・やくざの世界と女・・・まさに堕落の代名詞だ。
うちの家系はみんな酒が飲めないので不幸中の幸いで、良くクラブのホステスに「お
酒強そうな顔してるのにね?」と言われるのだが、俺にはさっぱり意味がわからない。
どうせなら喧嘩強そうな顔・・・とでも言って欲しかった。(余談だが)そんな状態
で半ばヤケクソになっていた俺は、ある日その女と家出した。・・・家出先は、江ノ
島のホテル街にある「ささりんどう」という連れ込み旅館だ。今考えると車で30分も
あれば行ける場所で、ちゃんちゃら可笑しい話だが、その頃は真剣だったのだ。真剣
だったのは俺だけではない。友達(子分の様な)は、俺のその家出のためにバイクま
で売って金を工面いてくれたりしたのだ。今考えるとそいつも充分馬鹿な野郎だ。た
った30分のところに宿泊に行くのにバイクまで売ったんだから俺より馬鹿であるに違
いない。やくざの組長の甥っ子だ。
俺は女とその連れ込み旅館に何日か住んでいたのだが、ある時追っ手が迫った。
※がぶんと親父である。まるで刑事の聞き込み捜査の様に、旅館のおばさんになにや
ら聞き込みをしていた様子だった。俺は、旅館の二階の部屋の窓からそっと入口付近
を覗いてみると、がぶんと親父が、テレビドラマの刑事の様な雰囲気を漂わせ、二人
で何やら話していたのを目撃したのである。その時!親父のコートの襟は立っていた。
(意味不明)そんな家出も数日限り。
金も尽き、とうとう家に出頭したのだ。俺は女のために夢を諦めようとしていた。
・・・夢を諦めかけていたからこそ、その女に執着したのだろう。・・・また、女は
自分自身の実家が窮屈な家で、特にお袋さんが勉強!勉強!とうるさ過ぎる。そんな
家庭に限って親父はほぼ自閉症であるのだ。俺は、いつの間にか行きたかったはずの
ブラジルが、行かなければならないブラジルへと変わっていたことに気づいた。
                  つづく
※がぶん注:旅館の玄関に私と父が入って行くと、おかみが出て来て私と父を眺め回
 し、「ご休憩ですか?」と尋ねたのだ!!! ちが〜〜〜う!! その様子をがじ
 んはこっそり見ていたのだった!!
______________________________END______

■メルマガ・ピナンポ 「メキシコ」 いそけん
 <自己紹介>
米国在住、38歳の会社員です。
『メキシコ』は最初、30枚程度のエッセイのようなものだったのを、100枚の小
説に書き直したものです。小説という形で文章を書いたのはこれが初めてなので
すが、僕が考える小説というものは、読み手の側に委ねられるものではなく、作
者の側に思いきり引き寄せるべきものであり、引き寄せて、引き寄せて、ついに
は作者(自分)をも突き抜けてしまったその向こう側で、どれだけ「経験それ自
体」に迫ることができるか?保坂さんの言う「リアリティ」に迫ることができる
か?そこが小説を面白くする鍵だと思っています。

               本文は以下で
   http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.05/isoken.html
______________________________END______

■連載:<ひなたBOOKの栞>BOOK09:けいと

「もっちゃう もっちゃう もうもっちゃう」
            土屋富士夫 作・絵 (徳間書店)
 
主人公のひでくんが、デパートでトイレに行きたくなって、まずはじめに、受け付け
のお姉さんに「トイレはどこですか?」って、聞くところから話が始まる。教えられ
たトイレに行くと、そこは工事中で使えない、で、別のトイレに行くんだけど、便器
が大きすぎてできなかったり、変な形で使えなかったり、デパートの店員に「ラッ
キーお客さま」に選ばれて、ひきとめられたりしちゃって、もっちゃう、もっちゃ
う、もうもっちゃうーーって話。読んでるうちにこっちまでしたくなってきちゃう。
最後に、妹と争って、やっと、トイレでおしっこして、あーすっきり!って思って、
ふと、ひでくんは考えるんだよね。あれ、ぼくには妹なんていなかったはずだって。

こういう夢ってきっと、どんな人も一度や二度、子どもの頃に見たんじゃないだろう
か。それで、たいてい、あ?すっきりってところで、いやーな現実の感覚がじわじわ
とおそってきて、それまで、おしっこがしたくてたまらなくて、いざしようとするん
だけれど、そこら中、虫だらけだったり、真っ暗で怖くてできないとか、いろいろな
事情が、これでもか、これでもか、と出てきて、我慢してたのが実は夢だったという
ことに気付くんだよね。それに、そういう時に、たいてい海に飛び込んでしまった
り、水がいっぱい入ったバケツにつまづいたりとか、なにか、水に関係したものが最
後に脈絡もなく出て来たりして、水浸しのところだけが、本当のことだったって理解
するまでに、けっこう時間がかかって、ふとんの上で、ポカンとしてたりする。
わたしはこの絵本を読んだ時に、ものすごく鮮明に中学の時のことを思い出したの。

あれは、中2の二月、昼休みに、ちょうどトイレに行こうとした時のこと。トイレ
は、職員室の並びにあって、入ろうとしたその瞬間に職員室から担任の先生が顔を出
して「おーい、そこにいたのか、ちょっと来い!」ってわたしを呼んだのね。「なん
の用だろう、きっと、たいしたことじゃないから、そう長くかからないだろうな」と
思って、ほんとは、けっこう我慢してたから、トイレに行ってしまいたかったんだけ
ど、、しょうがないので、まず職員室に行くことにした。
担任の先生の机の前に行くと、そこには、同じクラスで次期生徒会の会長の菅原君も
呼ばれていたのね。菅原君はハンサムで勉強ができて、物静かだけど、おもしろいっ
て感じで、けっこう人気者の男の子だった。先生は初老の男の先生で、、国語が専門
だったこともあって、話がやたらと長い先生だったのね。
その時は、なんだか、本題に入るまでにかなりもったいぶってて、結局、その菅原君
とわたしが、卒業式で送辞を読むということだったんだけれど、全校生徒が1300
名以上もいたので、その前で、緊張しないで読むコツとか、そんなことまで、丁寧に
教えてくれたり、わたしには、中3の兄がいたので、その兄の話とか、世間話のよう
なことをぺらぺら話すの。それも、もう終わるかな、というところで、「あーそうい
えば、、」みたいな感じで話を続けるので、「トイレに行きたいんですけど、、」と
いうのを完全に言いそびれてしまっていたのね。ここまで書いて、ほんとに、その時
のことを、身体中で思い出しちゃうんだけど、そこでどうしたと思う?
どうしたというか、どうなったというか、わたしは、結局、そこで、おしっこをし
ちゃったのです。ほんとに悪夢のようだけど、もう、一歩も動けなくなって、思わ
ず、じゃーーっと出ちゃったの。それで、もう、出ちゃった時には、しょうがない、
最後までしちゃえ!って感じで全部出しきって、すっきり。これが絵本だったら、そ
こで目が覚めて「きゃー」ってわけなんだけどこれは正真正銘ほんとのことで、いま
だに自分でも信じられないんだけど、その時のわたしはけっこう恥ずかしがることも
なく、「先生、どうしよう」って言ったんだよね。そうしたら、先生は「ここは、大
丈夫だから、このまま、すぐに家に帰っていいから」と言うので、「はい、わかりま
した」と言って、ぬれた上履きのまま、走って家に帰ったの。外は雪道だったので、
つるつるすべって転びそうになりながら帰ったのも、よく憶えている。
母はすごく驚いてて「ほんとに、ほんとに、ほんとに、職員室でおしっこしちゃった
のー?」って言いながら、ものすごく、笑い転げてました。それで、わたしは、
ジャージに着替え、何食わぬ顔で、また学校に戻り、授業を受けたんだけど、えらい
のは、菅原君で絶対にその話を誰にもしゃべらなかったってこと。そういえば、先生
もなんにも言わなかった。わたしも当然なんにも言わなくて、そうすると、なんだ
か、なにもなかったかのような感じで、その後も、ずっと全然平気で気にしたことも
ないのは、今考えるとちょっと不思議だけど。そういえば、菅原君とは、そのあと、
高3までずっと同じクラスで、けっこう仲良しだったけど、ほんとに、なんにも言わ
なかった。
それにしても、こういうことって、なかなかないことなんじゃないだろうか。
ためしに、娘たちに話してみたら、「一生に一度くらいしかないことだと思う」「で
も、出ちゃったら、しょうがないからそこで最後まで出しちゃうしかないよね」と、
けっこう、あっけらかんとしてて、でも、もし、中2の長女が今、そんなことして学
校から帰ってきたら、同じ経験をしてるわたしでも、やっぱり、かなり驚くだろう
な。ま、その前に、「遺伝ってすごいな」って感心するかもしれないけど。

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●連 載:稲村月記 vol.28「千ちゃんのこと」:高瀬 がぶん

庭にボクの背丈の2倍ほどのコスモスが咲いている畑があって、その中でボクがハー
モニカを吹いている。たぶん4歳くらいの自分の姿。そんな古い写真がアルバムの中
にあって、53歳になる今日まで、折りに触れ何度となくその写真を目にしているの
だけれど、その出来事が実際の「思い出」として記憶に残っているのか、あるいは、
その写真を見ることで「思い出」として記憶を捏造しているのかよく分からなくなっ
てきている。なぜそんなことが起こるのだろうか。それは、脳内で記憶の再構築がな
され……
つまら〜ん! お前の話はつまら〜ん!! はいはい、つまらない話はこれで終わり。
その代わり捏造なんかじゃなく、歴史的事実(大げさ!)としてハッキリと覚えてい
る話をひとつ。
                 つづきは以下で
       http://www.k-hosaka.com/gekki/gekki28/gekki28.html
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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.05」2003.7.31配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
連絡先:0467-32-4439・070-5577-9987
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