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        メールマガジン:カンバセイション・ピース
                             vol.02 2003.4.30
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 4月27日、日曜日、ヨコスカ・シネクラブの上映会でレクチャーをするために
 横須賀に行ってきました。品川から戸塚まで、ほとんど平らで殺風景ともいえる
 横須賀線沿線の風景は、北鎌倉あたりで一変して緑が多くなり、トンネルを抜け
 て鎌倉に入るとさらに緑が深くなり、それから逗子〜東逗子と、三浦半島に分け
 入っていくにつれてどんどん緑が多くなっていきます。緑がいっぱいの場所は東
 京から1時間も電車に乗ればそこらじゅうにあるけど、「半島にいる」と思うと
 なんかちょっと気持ちが違う。到着した横須賀駅は軍港に面しているんだけど、
 電車を降りてから改札を抜けるまで、階段が1段もない。これは「たらば書房」
 の伊藤さんが教えてくれたことなんだけど、駅の中に階段がひとつもない駅は、
 日本中で横須賀駅だけなんだそうです。横須賀駅で降りるたびに独特の気分に
 なっていたのは、そういうわけだったのか。。。。。東京から横須賀に行くのに
 は、京浜急行の方がずっと早いけど、JR横須賀駅と京急横須賀中央駅は離れて
 いる別の駅ですから間違えないようにしてください。
 ——て、そんなことはともかく、メルマガ「カンバセイション・ピース」はまだ
 創刊2号なので、あのヤクザ者のがじんによる「かじんな日々」など、この号か
 ら始まる連載があります。次の号でも何か始まったりして。(ほさか)

◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆もくじ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
    
  ●特 集:保坂和志・ロングインタビュー・その2 聞き手:keito
       小説「カンバセイション・ピース」について
  ●うらうら保板:その2(おくい・くま・ぐら・ごい)諸氏による面白トーク
  ●新連載:REAL ROCK CHRONICLE 第1回 保坂和志
  ●新連載:「がじんな日々」その1 高瀬がじん
  ●新連載:「ひなたBOOKの栞」BOOK07:けいと

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                募集します!             
     ・メルマガ版ピナンポ原稿:小説・エッセイ・論評・詩歌など
      枚数は自由(でも1万枚とかはダメよ)
     ・猫遊録掲載ネコ写真jpegでお願いします(3枚まで)    
     ・その他、なにかご意見などありましたら下記までメールを! 
              gabun@k-hosaka.com
  保坂和志公式ホームページ<パンドラの香箱>http://www.k-hosaka.com
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□保坂和志・ロングインタビュー  聞き手:keito

けいと■最初のうちね、奥さんとの関係、ほら、実際のほさかさんの奥さんっていう
    気がするじゃない。
ほさか■うん、違うけども。
けいと■あ、違うの? 最初は違うかなって思ったんだけど、でも、最後の方になっ
    て、実在する奥さんと距離が縮まったような気がしてね。
ほさか■あ、そう。
けいと■チャーちゃんのところかな。
ほさか■そう、そこでそう思ったんでしょ?
けいと■そうかもしれない。すごくリアルだったものね。
ほさか■チャーちゃんを媒介にして、ふたりが記憶を共有しているように思ったあた
    りでそう思ったんでしょ?
けいと■そう、そう思ったの。それで、最後の回の歌あるでしょ? 綾子が口ずさむ
    歌、あれ、保板(ホームページの掲示板)で聞いたやつ?
ほさか■そうそう。
★このつづきは→ http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.02/inta02.html
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□うらうら保板:その1(おくい・くま・ぐら・ごい)諸氏による面白トーク

この頃、気になること、本や映画その他もろもろについて、保板開設当時から、いろ
いろ書き込んでくれてきた4人、おくいくん、くまさん、ぐらさん、ゴイさんにちょ
っとお願いして、うらうら保板でやりとりしてもらいました。
さてさて、4人のおすすめはいかがなものでしょうか。
                      こちらのページへどうぞ
      http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.02/ura02.html
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REAL ROCK CHRONICLE 第1回 保坂和志
「ミスター・マンデイ」オリジナル・キャスト 
”Mr.Monday”The Original Caste

 中学生になると早速、「朝まで深夜放送を聞いてたから、眠くて……」と言ってる
同級生がまわり現われてきたけれど、私には深夜放送はまだ遠い存在だった。ラジオ
の深夜放送は当時、午前1時から始まるのが相場で、私はそんな時間まで起きている
ことなんかとてもできなかった。文化放送の「セイ・ヤング!」だったっけ、あれだ
けは零時30分に放送開始だったけれど(みのもんたもDJの一人だった)、文化放
送というのはどうもマイナーな感じで、ラジオと言えば、TBSかニッポン放送だっ
た。それにラジオ局は72年頃に、いっせいに出力をあげて、ものすごく聞きやすく
なったけれど、それまでは深夜になると海外の電波が混じって、ガーガー、ピーピー
言ってる中から声や音楽を拾う感じで、鎌倉で深夜にちゃんと聞こえる局はFENと
TBSだけだった。
 文化放送もガーカーピーピー、ニッポン放送もガーガーピーピー。それなのに私が
TBSでなく、ニッポン放送をはじめて聞く深夜放送に選んだ理由は何だったのか。
TBSが土曜日に深夜放送をやっていなかったのだろうか……。まさか。ま、理由は
とにかく、はじめて聞いた深夜放送はニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」
で、70年、中学2年の夏休みの土曜の深夜だった。ガーガーピーピーいってる雑音
の中から、あの、チャチャッチャ、チャッチャチャチャ、チャッチャチャ……とい
う、オープニング・テーマの「ビター・スイート・サンバ」が流れてきたときは、
「ついにおれも深夜放送を聞いた!」と、感激したものだったが、それより興奮した
のは「ミスター・マンデイ」だった。放送が始まって30分ぐらいして、もうそろそ
ろ眠くなって、、、というか実際に半分眠っていたときに、ジャーン、ジャーン、ジ
ャーン、ジャンというイントロが聞こえてきた。
 その音は、親に見つからないように明かりを消していた部屋の、そのまた闇の奥の
遠くの方から、ぐんぐんぐんぐんこっちに迫ってくるみたいな響きだった。そして、
それにつづいて「オー、ミースター、マンデイ、ミ、オッ、マーィ」という、高いけ
れど掠れ気味の女性ボーカルが聞こえてきたときには、自分がいる空間がガラッと一
変したような気持ちになった。
 思えば私は、掠れた女性ボーカル、力強い女性ボーカルにひじょうに弱くて(たぶ
ん多分に性的な意味で)、ショッキング・ブルー(次回に予定)とかジェファーソン
・エアプレインなんかがその代表だが、「ミスター・マンデイ」は違っていたと思
う。あれが、私にとってのロックの始まりだったのだ。オリジナル・キャストはアコ
ースティック・ギターが混じったりしていて、完全なロックというよりも、いわゆる
「フォーク・ロック」に分類されるグループだったけれど、「フォーク」が付いてい
てもロックはロックで、「ミスター・マンデイ」は、歌謡曲とは全然違っていて、G
Sとも全然違っている何かを私にもたらした。
 もちろん、ビートルズという名前は当時、有名すぎるほど有名だったけれど、ラジ
オの音楽番組を聞いたことのない子どもにとって、ビートルズは別の世界の音楽であ
ると同時に、どこかすでに過去のバンドのような気もしていた。「イエスタデイ」ぐ
らいだったら知っていたと思うけれど、他の曲となるとどれがビートルズかなんて全
然わかっていなかった。今では、近所の商店の有線放送でビートルズなんてあたり前
に流れてくるけれど、あの頃の音楽環境はそんなものではなくて、ジュークボックス
(!)が置いてあるような特別な場所でなければ、外国のポップスなんて聞くことは
なかった。年上の兄姉(きょうだい)がいれば条件も変わっていただろうけれど、私
には兄も姉もいなかったので、洋楽がそっちから入ってくることもなかった(その辺
の事情は小説『カンバセイション・ピース』に書いた事情と完全に一致するわけでは
ないので、読んでいる人はそれとこれを混同しないように気をつけてください)。
 その後ビートルズを知るようになって、「ああ、スパイダースかテンプターズが歌
っていたなあ」とか「海の家でかかっていたなあ」とか、思い当たることがいろいろ
あったけれど、70年の夏のラジオのヒット・チャートにビートルズの曲はなく、こ
れからまさにヒット・チャートを上がっていこうとしている、発売直後の曲を聞いた
のは「ミスター・マンデイ」がはじめてだった。30年前の「いとしのレイラ」が平
然とCMで流れてくる現代と違って、60年代から70年代前半というのは、わずか
2年か3年で、音楽は古びるか名曲扱いされて殿堂入りしているかのどちらかでしか
ないような、変化が激しい時代だった。そういう「いま」を、あの夜、私は「ミスタ
ー・マンデイ」で聞いた。ーーというか、あの夜はじめて「ミスター・マンデイ」を
聞いたとき、私にはまだ、「これからまさにヒット・チャートを上がっていこうとし
ている曲」とか「いま」という意識すら何もなくて(そういう意識もまた後追いの、
時間を俯瞰するタイプの意識なのだ)、ただ、はじめて聞いた曲に激しく反応した、
ということだった。
 体か心のどこかが激しく反応したのだ。
 それによって、私のロックがはじまった。はじまりは、「いま」ですらない。その
後、レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズを聞くようになっても、たまに
「ミスター・マンデイ」のシングルをかけてみると、イントロから歌い出しにいたる
10秒に満たないあの時間は、懐かしさもあって、いつでも高揚したけれど、それは
私にとっての”最初の曲””ロックへの導入となった曲”ということであって、それ
以上の普遍性はやっぱりないだろうとも思う。どの曲でも”最初の曲”になれるわけ
ではないけれど、”最初の曲”になったからと言って”絶対的な曲”なわけではな
い。
 オリジナル・キャストは群小バンドの一つで、関連サイト
http://www003.upp.so-net.ne.jp/Mr-Monday/Caste.html
によると、バンドの中心だった夫婦の離婚による権利関係のこじれか何で、いまでは
CDも手に入らないらしいが、私はその後も2枚、シングル盤を買った。そんなシン
グルが出ていたことを私は忘れていたけれど、ホームページを見て思い出した。いっ
たい、この文章のどこがREALなんだろうか。記録にとって、何が本当で何がRE
ALなのか。歴史と私はどういう関係にあるのか。私はロックの歴史をどこまで、ノ
スタルジーに陥らない私情一辺倒で書くことができるのか。それより何より、音楽に
よって起こった高揚感をどうやって伝えることができるのか。先行き不透明の RE
AL ROCK CHRONICLE は、このメルマガで1号おきに掲載の予定。
ーーあっ、補足しておくと、Casteと綴って、「カースト」でなく「キャスト」
と読む理由は、Beatleと綴ってbeetleを指すように、バンドのネーミン
グ方法として当時流行っていた綴り換えなのだそうです。
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□新連載:「がじんな日々」その1 高瀬がじん

 今じゃ自分的にかなり落ち着いて来ているつもりだが、昔は酷かった。いわゆるツ
ッパってて、仲間達とそのツッパリ具合を競い合ったもんだ。今考えてみると、かな
り馬鹿馬鹿しい現象が起きていた。発想の転換が利かない我々にとっては、デカイ物
はもっとデカク、長い物はもっと長くと言うように、他人の上を行くことがツッパリ
度のバロメーターになっていたんだ。まぁ、それが相手より上だか下だかは良く分か
らんが、とにかくその時代の価値観としてはそうだったのだ。学生の頃流行ったの
は、学生服のズボンがダボダボしてるのを履く事だった。ボンタンというズボンがあ
るのだが、そのダボダボさを競い合ったもんだ。通常のボンタンは裾がダブルに折り
返してあって詰まった感じで、ツータック(ベルトラインの下にダボダボしているの
を絞った皺のこと)なのだが、学校で誰かが俺のはスリータックだ!と自慢げにして
いたのを思い出した。それに加えて、ハイウエストというのがある。ハイウエストと
いうのは、ベルトラインからちょうどサラシの様に上の方へ伸びていて、ボタンで腹
を絞る様な構造になってるのだ。学校では、みんなでそのダボダボさとタックの多
さ、ハイウエストの長さをみんなが競い合っていた。ちょうど「嗚呼、花の応援団」
という漫画が流行っていたし、主人公の青田赤道風のファッションだ。ある時、「俺
のは16タックだ!」という馬鹿な野郎が現れた。そのダボダボさも普通じゃない。当
然だが、ダボダボさとタックの数は比例するのだ。そもそもタックとは、ダボダボさ
の帳尻を合わせるために上の方で絞り上げるでできる皺のことだから。そいつのタッ
クはズボンをグルリと一周し、お尻の方まで繋がっていた。それを見た奴はみんなそ
いつを尊敬した。なぜだか・・・タックの数にまして、ハイウエストも胸元まで来て
いて、こんなズボン見たこと無い!とみんな感動していた。そんなファッションとい
うか、現象というか、来る日も来る日も止め処なく続いたのだ。
 ある時、「そうか!その手があったか?!!」というくらい、ボンタンのダボダボ
さに感動した奴等を更に感動させた出来事があった。剃りだ。うちの学校は体育会系
だからみんな坊主頭が普通で、前髪の生え際を整える意味でみんな多少は剃り込みを
入れているのだ。後に俺も経験はあるのだが、そいつの剃り込みはひと際デカク後方
へ鋭く尖っていた。ボンタンのハイウエストなど比ではないほどの衝撃と感動があっ
たのだろう。うろ覚えだがそんな感じだった。「すげぇーすげぇー」とみんなが言う
もんだから、引っ込みが付かなくなったのか。そいつの剃りは日に日に深く、デカク
なって行く。昔、俺の頭を見て、がぶんが「剃り込みが後ろで繋がっちゃうじゃねー
か」と言っていたことがあるが、まさにそいつの剃り込みは、後頭部であと5cmを
残し、辛うじて剃り込みになっていた。それが一周してしまったら、もはや剃りでは
ない。・・・俺の中では、剃り込みの定義は「まだ剃れるぞぉー」という部分で限界
を追求することであって、繋がってしまった瞬間にそれ以上という可能性がなくなっ
てしまって、それは剃り込みでは無くて、お椀型の立派なヘアスタイルだと思う。ハ
イウエストもデカ過ぎて、頭からかぶれるくらい上に伸びていたら、それはハイウエ
ストではなくなるし、タックも皺の数を追求し過ぎて100の単位か1000の単位
に達した時に、既に皺ではなく元々の素材の編み込みの様になるのだ。みんなギリギ
リの見切りとセンスでツッパリ度を表現しているわけだ。
そしてまたある時、新しい発想が生まれた。本来、剃り込みというのは鋭く尖ってい
るものだと誰もが疑わなかったのだが、そいつの剃り込みは丸くてデカイ。後にみん
なは、それを「丸剃り」と呼んだ。その丸剃りもやはり追求が始まって、どんどんデ
カクなり、しまいにはハゲたオヤジの様な頭になっていた。運動部で日焼けしている
から、剃った部分が青く残っているから、これは剃り込みだと理解できるわけでその
剃り込みの部分も次第に日焼けし、元の肌と同色になった時、それは紛れも無く若ハ
ゲである。みんなそいつを煽てたが、誰も真似する奴はいなかった。それどころか、
そいつはみんなの笑い者になっていた。ツッパルことは難しい。なぜツッパルのかと
いうと、見た目だけで相手が怖がってくれれば、実際に殴り合うこともなく制圧でき
るわけだから非常にその社会では合理的(?)なのだと思う。しかし、それにはある
程度体格や噂(実績)が伴わなければ他の学校のツッパリにやられてしまう運命なの
だ。腕力の強さなどは、真面目なレスリング部の連中にはかなわないのだ。しかし、
そのレスリング部の連中もツッパリを避けて通る。怖いのか?それとも馬鹿は相手に
しないと決め込んでいるのだろうか?俺は前者の方だと思いたい。考えてみると、学
生時代のそんな経験が、後の俺の職業?にとってもっとも重要な下積みだったとはあ
んまり有り難くない。
                 つづく
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□連載:<ひなたBOOKの栞>BOOK07「元気な絵本」:けいと

なんてかわいいんだろうと思ってた絵本のことを、ここで書こうとして、テーブルの
上に置いておいたら,遊びにきた友達が表紙を見て「うわー、気持悪い」と言った。
その絵本は「トマトさん」(福音館書店)というタイトルで、作者は田中清代さん。
田中清代さんのことを、わたしは随分前から、清代ちゃんと呼んでいて、と言うと、
知合いかなって思うかもしれないけれど、知合いどころか、顔も年令も、わたしは知
らない。でもね、彼女の絵をはじめてみた時から、清代ちゃんのことを、「絶対元気
な女の子だ!」と直感して、なんか、そう呼びたくなったんだよね。とりわけ、「ト
マトさん」の絵は、大胆で自由で、友達が気持悪いと言った表紙のトマトさんの顔
は、もうやっぱり、気持悪いと言った友達の気持もよくわかる程、ものすごく印象
的。それに、虹色の浮き輪をつけたとかげとか、ぷるぷるした水しぶきなんか、ぞく
ぞくするくらい生きてる感じがする。トマトさんのささやかな悩みや涙とか、ふーと
ひと安心の気持よさとか、見てる方は、一緒になって感じたりするのに、読み終わる
と、悪いけど、そのトマトさんがすごくおいしそうで、つい食べたくなってしまう。
ところで、ひところ、よく、「むかしのトマトはおいしかったよね」とか言って、ほ
んとに、味もそっけもないトマトしか売ってなかったけど、ここ数年で、いろんなト
マトが売られるようになったよね。去年、1個580円のトマトが売っていて、どう
しようか迷ったんだけど、メロンでも買うような気持で思いきって買って、家で食べ
たら、これが甘いのなんのって、もうトマトって呼ぶようなものじゃなかった。やっ
ぱり、むかし、畑で食べたほんもののトマトが食べたいな。わたしはちょっと青くて
固くて、ヘタのあたりから強烈にトマトくさい匂いがするのが好き。

そういえば、清代ちゃんだけじゃなくて、このごろ、絵本の書き手が「これは絶対元
気な女の子だぞ」って思えるものが増えてきたような気がする。
かべやふよう作「ねぇ、どこいくの〜?」(リトル・ドック・プレス)の勢いの良さ
はほれぼれしてしまう。それぞれのページの細かいところまで、生き生きしてるの
で、そっちに気をとられてるうちに、文章を読むのを忘れるくらい。自分でこんな絵
本描けたら、それは幸せだろうな−というくらい作者自身が楽しんで描いてる絵本だ
と思う。まず、犬がめちゃめちゃ好きでしょ、きっと。それに野原も町も昼も夜も、
学芸会やパーティや、大人や子どもも大好きでしょうね。だから、きっと、自分の事
も大好きで、生きてることをうーんと楽しんでるんだろうな。
わたしのお気に入りの場面は銭湯のページ。犬13匹の散歩をしながらいろんなところ
にひきずられていくチャコちゃんがこの場面では、いつのまにか、裸になって、うれ
しそうに「おまた」の部分をかくしてる表情がとびきり可愛い。子ども連れのおかあ
さんの色っぽい腰の線とか、おすもうさんみたいなおばちゃんの後ろ姿も魅力的だな
ーと思うんだけれど、わたしは、実際、小さい頃から女の人のからだを見るのが好き
だった。たぶん、男の人のからだを見るよりずっと、好きだった、と思う。高3の
時、はじめて下宿して、銭湯に通ったんだけど、それはそれは楽しかったもの。一緒
に暮らしてた同じ高3のマリとナカと、3人で行くんだけど、からだの洗い方とか、ふ
き方とか、みんなちょっとずつ違ってて、順番もそうだけど、背中とか、腰の後側の
こすり方なんて、向きとか手の使い方とかでけっこう千差万別。普段はさばさばした
性格のナカの洗い方なんて、ほんとにしつこく丁寧で、しかも、見た目もいい感じ
で、わたしは、ナカのを見て洗い方を勉強しました。マリは胴がすごく長いんだけ
ど、ウエストから胸にかけてのラインが絵画のように綺麗でした。
マリとナカのだけじゃなくて、元気いっぱいの女の子のぷりぷりの太ももとか、ちっ
ちゃなおばあさんのしわしわのおっぱいとか、太目の御婦人のたぷたぷのおなかとか
も大好きで、座ってて立つ時に流れる雫の流れ方も人それぞれなんだよね。裸見てる
だけで、いろんなこと想像しちゃって、いやらしく聞こえるかもしれないし、こう書
くとすごくおおげさだけど、なんか、その人の今までの人生とかが見えちゃったりす
るような感じ。わたしは、目がいいので、細かい所まで観察できてほんとに、得しち
ゃった。(絵本画像は↓でどうぞ)
http://www.k-hosaka.com/hinata/book/hinataB1.html#07
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メールマガジン「カンバセイション・ピース vol.02」2003.4.30配信
発行責任者:高瀬 がぶん 編集長:けいと スーパーバイザー:保坂和志
連絡先:0467-32-4439・070-5577-9987
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